カノウは、目の前を歩く男がほんの幼い頃から側に仕えている。
その立場から家令と間違われる事が多かったが、その実態は所謂『じいや』だ。
代々『鉱山王』の称号を受け継ぐ名門、翠鉱家。
領内に多数の鉱山を擁する、鉱の国でも指折りのその貴族の屋敷に、彼の父は書記として勤めていた。
カノウ自身も、学校へ通わせてもらう傍ら父の仕事を手伝っており―――ゆくゆくはその跡を継いで、書記としてこの屋敷に仕えていく事になるのだろうな、と思っていた。
が、その展望は、お屋敷に待望の跡継ぎである男子が誕生した時に、少々違う方向に修正されたのだ。
翠鉱家には娘が二人いたが、なかなか跡継ぎたる男子が生まれなかった。
待望の男の子が生まれたのは、長女に縁談が持ち上がった時のこと。
もう子供は授からないかもしれない、と諦めかけていただけに、直系男子の誕生は鉱山王を手放しで喜ばせた。
そして、カノウは主人に呼び出され、お前を将来息子の側に置くことにするから、今からしっかり勉強しておくように、と言い渡された。要するに、『坊ちゃま』が何をする時も側に仕え、護り、導く大事なお役目だ。
そんな大事なお役目に自分が選ばれた事が嬉しかったし、また責任重大だと言う事もわかっていたので、彼は懸命に努力し、坊ちゃまが一人前の男に成長されるよう、心を砕いてきた。
そして、坊ちゃまが若様と呼ばれるようになり、父親の跡を継いでお館様と呼ばれるようになった現在でも、変わらず側につき従っている。
坊ちゃま―――いや、お館様は申し分の無い公平な領主であり、仕え甲斐のある優しい主だったが、時々予想外の行動を取るのでカノウは気が抜けなかった。
今回の火の国行きも、最初は気乗りしない風であったのに。
国主命令であることから不承不承重い腰を上げたように見えた主人は、いざ火の国に着くや途端に元気になってしまった。
火の国の様々な文化や習慣に興味を示し、眼を離したらどこに行ってしまうかわからない有様だ。知識欲が旺盛なのは結構だが、ご自分の地位と立場をお忘れにならないで欲しい、とカノウは頭を抱えている。
今も、留守番していていい、と言われたが、首を振って一緒について来た。
木ノ葉の長が寄越してくれた忍の案内とはいえ、完全に信用は出来ない。何かの時は、身を挺して主を護るつもりであった。
それが、自分の仕事なのだから。
ふと、男が振り返る。
「カノウ。…疲れないかい? 無理したらいけないよ。少し休もうか」
「いえ、大丈夫です。…まだ、然程足は衰えておりませぬゆえ」
案内をしているアスマは、興味深げに鉱の主従を眺めた。
御前試合の前に個人的に里を見物したい、などと酔狂かつ面倒な事を言い出すなんて、どんなワガママなお貴族様のお相手をさせられるのか、とウンザリしていたのだが。
実際、酔狂なことに変わりはなかったが、この鉱の男はなかなか面白かった。
他愛のない子供の玩具のような物を見て喜ぶかと思えば、いきなりアスマがたじろぐような鋭い質問をする。
仕事柄、様々な『お偉いさん』といわれる人物にお目に掛かる事も多いアスマだったが、彼にはそういった人物にありがちな横柄さや傲岸さは見られない。
アスマに対しても、その接し方は気さくなものではあったが、見下すような言動は一切取らなかった。
そして、かなり年上の従者に対して、今のような気遣いを見せる。
(………鉱じゃこれが普通なのか? それとも、この御仁がこういう性格なのか)
いずれにせよ、不愉快な人物ではない。
アスマは、彼に好意を持ち始めていた。
「………その先に、美味いダンゴを食わせてくれる店があります。お茶でも飲んで、一休みしたらどうですかね? お口に合うかはわかりませんが」
店先に出されている縁台に、三人は腰を下ろした。
中のちゃんとした席で休んだらどうか、とアスマは勧めたのだが、鉱の客人は酔狂さを発揮して縁台に座ってしまった。曰く、道行く人を眺めるのが面白いから、と。
彼は安物の湯呑を気にするでもなく、悠然と茶を口にした。
「………アスマ殿は、鉱の国をご存知か? …あ、煙草は遠慮しなくてもいい。吸っても私は気にしないから」
クセで出しかけていた煙草を、客人の前で吸うのは無礼だと気づいてしまおうとしていたアスマは、ニッと笑った。
「ありがとうございます。しかし、お言葉に甘えるワケにも。…後でバレたら、五代目に大目玉を喰いますからね。………ええと…俺は、北は土の国止まりですね。…同僚には、雪の国辺りまで行った者もおりますが。おそらく鉱の国に足を踏み入れた木ノ葉の者は、少ないだろうと」
「………やはり、そうか。我が方も、この御前試合のきっかけになったというこの間の親善使節団が、初めて公式に火の国に入った者達のはずだ。………距離もさることながら、陸路も海路もなかなかに面倒だから、ね」
アスマは、ちょっとこの男と突っ込んだ会話をしてみる気になった。
「…失礼ですが。貴方は鉱山王、と呼ばれてらっしゃるようですが、それは役職からくる称号ですか? いや国主様の他に、公に『王』と呼ばれる人物がいるってのがその…何となく、妙に思えまして」
「ん、いや役職と言うか………多くの船を所有している人物が『海運王』と呼ばれるのと同じかな。…ウチは代々、そんな風に呼ばれているだけで………」
その時、アスマの足元に小さな人影が転がるように走りこんできた。
「―――アスマおじちゃん!」
アスマは驚いたように腰を浮かせ、その小さな子供を抱きとめる。
「…チドリ? どうした、お前こんな所に………」
子供は、泣きそうな顔でアスマを見上げた。
「チハヤちゃんが、いないの。………あのね、おくすりやさんのまえでね、こ、ここにいなさいって、おかぁさんがいったのに、チハヤちゃん、どっかいっちゃったの………ぼく、さがしてるの」
あちゃ、とアスマは手で顔を覆った。
薬屋の店内は、子供には害のある物も多くあるから、カカシは子供達を連れて入らなかったのだろう。
カカシが、幼い息子に一人で弟を捜しに行かせるわけがない。チドリは、弟がいない事に動転し、母親にも告げずにチハヤを捜しに来てしまったようだ。
つまり、カカシからすれば『息子が二人とも行方不明』状態なのではあるまいか。
アスマは屈み、小さな声で子供に囁いた。
「………そっか、困ったな。…一緒に捜してやりたいが、おっちゃんは今仕事中で…」
その声を遮るように、男が立ち上がった。
「アスマ殿!」
「…鉱山王?」
「………小さな子供が迷子になっているのだろう? 私の事などいいから、早く捜してあげ………いや、私も捜そう」
「いや、しかしですね………」
男はアスマの困惑を無視して、子供の方に屈み込む。
「チドリ君。…おじさんは、このアスマおじさんの友達なんだ。…チハヤちゃんっていうのは、チドリ君の妹?」
「ううん、おとうと」
「…チドリ君は、幾つかな?」
「みっつです」
「そう、ちゃんと言えてえらいね。チハヤちゃんは、幾つ?」
「ひとつ」
男は顔を曇らせた。
「………アスマ殿は、この子達と親しいのか? チハヤという子は、一歳何ヶ月?」
「…同僚の子供なんで、生まれた時から知ってます。チハヤは、一歳半といったところです。…まだ、そんなに歩けるわけはないんですが………妙にはしっこい所もある子で……」
「………さすが忍の子、といったところだね。…兄弟はよく似ている?」
アスマは首を振った。
「目鼻立ちは何となく似てますが、髪の色が違うのでパッと見の印象はあまり。…チハヤは……そう、貴方のような銀髪なんです」
わかった、と男は頷いた。
「カノウ。…この子と、ここにいてくれ。チドリ君、おじさん達がチハヤちゃんを捜してくるから、ここで待っていてくれるかな」
チドリはじっと男を見上げ、「はい」と大人しく頷いた。
「いい子だね。………アスマ殿。私は、この辺りを見てこよう。キミはその薬屋へ行って、親御さんにこの事を知らせた方がいい」
アスマにしたところで、カカシの子供達を放っておくわけにはいかない。
人を動かし慣れている男の指示に、アスマは肩を竦めて従った。
「りょーかい。…チドリ、ここを動くなよ」
まだ、一歳半の子供。―――赤ん坊だ。
男は、唇を噛んだ。
我が子を見失った母親の気持ちが、彼には痛いほどわかる。
早く見つけ出して、その母親を安心させてやりたかった。
何かに興味を引かれて歩き出してしまったものの、帰り道を見失って迷子になる。
子供にはありがちだ。
チドリという子は、可愛らしい顔立ちをしていた。あの子の弟なら、やはり可愛い子供だろう。
変な人間にさらわれたりしないといいのだが。
男は、注意して物陰を見て歩いた。疲れて、座り込んでいる可能性もあるからだ。
「あらあら、坊やどうしたの? ひとり?」
耳に飛び込んできた女の声に、彼はパッと振り向いた。
―――その眼が、見開かれる。
やはり子供を連れた女が、小さな子供の方に屈み込んでいた。
「………カグヤ!」
思わずあげたその声に、女も彼の方を振り返り―――微笑んだ。
「あら、お父さんがいたのね。…良かった」
小さな子供は、瑠璃色の大きな眼でキョトン、と男を見上げている。
男が近寄り、手を差し伸べると、子供は物怖じせずにその手の方へ身を預けてきた。
その様子に、女は安心したように子供の髪を撫でる。
「可愛い坊やですねぇ。お父さん、ソックリ」
「………すみません。眼を………離してしまって。………ありがとう、ございました………」
いいえ、と女は愛想よく会釈をし、自分の子供を抱いて立ち去った。
その背を見送り、男は震える手で子供を抱き上げる。
「………そんなはずが………無い………」
―――だが、この子は。
ふわふわとした白銀の髪。
真っ白な肌に、瑠璃色の瞳。
何より、この面差し。
―――彼が昔失った、愛娘そのものだったのだ。
時を越え、娘がこの手に戻ってきてくれたような錯覚さえ覚える。
初対面のはずの男に、警戒心を全く見せずに大人しく抱かれている子供。
他人から見たら、この子は自分の子に見えるほど似ているのだ。
初めて腕に抱いた子供が、もはや手放し難いほど愛しく思えてくる。
彼が、子供をこのまま連れて帰ってしまいたいほどの誘惑にかられたその時。
いきなり子供がぴょこん、と男の腕の中で跳ねた。
「とーた!」
男は、子供を抱いたままゆっくりと振り返る。
銀髪・隻眼の忍が、剣呑な雰囲気をたたえて男を睨み据えていた。
「貴様。………チハヤを……オレの息子を、何処へ連れて行く気だ?」
(09/06/03)
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