それは予期せぬテンペスト −6

 

今この時間、城では宴が催されている。
ここいる三人は、本来ならばそこに出席しているはずで―――こんな、城下の店先でバッタリ出くわすはずのない面々なのである。
ツナデはひとまず自分の事は棚に上げることにして、二人に鋭い視線を向けた。
「………お二人だけか? 何故、このような所に………」
ツナデの視線をものともせず、男はニッコリと微笑んだ。
「はい。もうここのお城の素晴しさは堪能させて頂きましたので。城下の街もさぞ素晴しかろうと、見学させて頂いている最中です。…公式な視察など申し出ては、仰々しくなってかえってお気遣いをさせてしまうでしょう。それでは申し訳ありませんから」
つまり、異国の城下を自由気ままに見物したくて宴をサボったんだな、とツナデは彼のもって回った物言いを脳内で変換した。お供の姿も見えないことから、おそらくは周囲にも無断で抜け出して来たのだろうと察しがつく。
つまり、彼らはある意味ツナデと『ご同類』であった。
「………あー、事情は何となくわかったが。…私もそう四角四面というわけではないんだけどね。悪いが、そうですか、ではお気をつけて、とここで笑ってお別れするワケにはいかないな」
男はあっさりと頷く。
「でしょうね」
「…鉱山王………」
シンジュは不安げに男の袖をきゅ、とつかむ。
ツナデは少女の仕草を見て、なだめるように微笑みかけた。
「そう心配そうな顔をしなさんな。私は、貴方達を咎めているわけじゃないんだよ。…火の国は初めてか? お姫様」
シンジュは素直に「はい」と頷く。
「実は、初めてなのです。…国から出たのは」
「そうか。なら、色々と見て歩いてみたいとお思いになるのもわかる。二人っきりで異国の夜を楽しみたいというもの、野暮は言いたくないしねえ………」
少女は恥ずかしそうに頬を染めて俯いたが、男は即座に「そういうわけではありません」と否定した。
「嫁入り前の姫君をお供も無しに連れ歩いていたのですから、非は私にありますが、どうか誤解されませぬよう。……彼女は向学心のある女性なので、異国の文化に興味がおありなのです。こんな機会、そうあるものではありませんから」
もっとも、と彼は続けた。
「実は私が宴を失礼して抜け出すところを、見つかってしまいましてね。…私が異国でハメを外さないように、お目付け役としてついてきてくれた、というところです。一石二鳥ですからね」
彼の言う通り、こんな年若い少女を連れていたのでは所謂『いかがわしい場所』に足を踏み入れるわけにもいくまい。繁華街の中でも、安全そうな場所のみを観光するにとどまるしかないだろう。
少女は眉をしかめて首を振る。
「わたくしなどがおりませんでも、貴方は異国の街で羽目を外したりなさるような殿方ではございませんでしょう」
あー、わかったわかった、とツナデは手をヒラヒラと振った。
「下世話な言い方をした私が悪い。…で、視察はもう終わりにしてお帰りくださるか?」
宴の席を蹴って、異国の繁華街見物に出たこの男と少女の気持ちはわかるが、ツナデとしてもこうして出会ってしまった以上、知らぬ振りは出来ない。特に、この男は鉱の客の中でも特に身分の高い要人だ。
きちんと宿に戻るのを見届ける必要があった。
男が答えるよりも早く、少女がきっぱりと「いいえ」と返した。
「まだ、用が済んでいませんの。木ノ葉の里長様」
「………大切なご用件かな?」
少女はしとやかに頷いた。
「はい。恥ずかしながら、我が鉱の国の街は、この火の国の街と比較して商店の数も無く。品揃えも決して豊富とは言えません。これは、現にこの街を見て歩き、初めて実感できたことでございます。………でもまだ、ほんの少ししか見ておりませんの。後学の為に、もう少々商店を視察させて頂きたいのです」
ツナデはこめかみを指先で揉んだ。
(―――つまり、お買い物が済んでいない………んだな。まったく、お貴族様は言い方が回りくどいね)
ツナデとて、女。
彼女自身は職業柄、流行の服を追い求めるような趣味は持ち合わせていないが、『買い物』における女性の熱意に関しては、そこらの男より理解出来る。
身分の高いお姫様でも、八百屋の娘でも、自分の眼で好みの品を選びたいという欲求に変わりは無いだろう。
訴えるようにこちらを見上げている少女の必死さが可愛い。ツナデは心の中で肩を竦め、苦笑した。
一方、男の方はツナデに見つかった時点で、このささやかな冒険は終わりだと思っていた。
彼女の立場では、自分達を見逃すわけにはいかないのはわかりきった事だ。
お遊びはこれまでだ、と即刻連れ戻されて当然である。
「シンジュ殿………」
その彼の窘める声を遮るようにツナデは、うむ、と大きく頷いた。
「そうか。それはご立派なお考えだ」
「………………え?」
男は耳を疑った。まさか。
「だが、お二人を警護も無しに行かせるわけにはいかないのでな。…ここはひとつ、私がお供しようじゃないか。街をご案内も出来るが、如何かな?」
途端に、少女の眼が戸惑いに揺れた。
「………そんな………ご迷惑をおかけしては………」
このお嬢様は、「買い物に行きたい」と我がままめいた事を言いはしても、他人への迷惑を全く顧みないほどの傲岸さは持ち合わせていないらしい。
ツナデは優しく眼を細めた。
「…この私が、ご案内すると言っているのだよ、鉱の姫君」
ふう、と男は吐息をついた。
「………お言葉に甘えましょう、シンジュ殿。…どちらにせよ、この御方が我々をここで解放してくださるとは思えない」
ツナデはにっこり微笑み、長身の男を見上げる。
「さすが、鉱山王。肝が据わっていらっしゃる」
「恐れ入ります。おそらく、貴女ほどではないでしょうが」
ところで、と男は背後の店をチラリと振り返る。
「ここに御用がおありだったのでは?」
さすがに、『一杯引っ掛けて来ようと思っただけだ』とは言いにくい。ツナデは、当たり障りの無い返事をした。
「いや、別に構わないよ。…ちょいと顔見知りに挨拶しようかと、気まぐれを起こしただけなのでね。…一向に支障は無い」
シンジュは恐縮したようにペコリと頭を下げた。
「…申し訳ございません」
「なんの。せっかく火の国にいらしたんだ。色々と見て、楽しんで頂きたいからね。ひとつでもいい思い出をお国にお持ち帰りになって頂きたい」
ホッと、少女は安堵の吐息をもらした。
「ありがとうございます。………ツナデ様がお優しい方で、良かった。本当にわたくし、お恥ずかしい。…忍の方は、わたくし達とは違う…とても怖いお人ばかりなのではないか、なんて………とんだ偏見でしたわ」
ツナデは微苦笑を浮かべる。
「ま、忍者といえど、人の子に変わりは無い。…感情もあれば、それを持て余すこともある。要するに、貴女方と同じ―――と、言いたい所だが。…お姫様。貴女の忍に対する用心のような心構えは、これからもお持ちになられていた方がいい。………任務の為には己の感情をも心ごと殺す。それが忍だ」
でも、とシンジュは呟いた。
「でも、さっきお会いした忍の方も………とても優しくて…親切な御方だったのです。…だから………」
ツナデの眉間にきゅ、と皺が刻まれる。
「忍? ウチの里の? ………貴女の素性をその忍は…?」
ぷるぷる、とシンジュは首を振る。
「わ、わたくしが鉱の者だということは、おわかりになったようでしたが。…おそらく、わたくしの素性までは………」
「どんな忍でした」
「ええと…黒い髪の殿方で……お鼻のところに大きな傷痕が………」
それだけで十分だった。その男なら、ツナデもついさっき会ったばかりだ。
「貴女が鉱のお客人だと承知の上で、ソイツは貴女をほったらかして行ってしまったと…?」
シンジュは慌てた。あの人が、ツナデに咎められては気の毒だ。
彼がいなければ、大事な簪をなくすところだったのだから。
「あの、それはわたくしが、連れがいるから大丈夫だと言ったからです。………あ、そうですわ。…その方、ツナデ様を急いで捜されているようでした………けれど?」
あちゃ、とツナデは片手で顔を覆った。
「わかった。…その男なら、さっき会ったところだから、大丈夫だよ。………うん、まあ………そうだね。彼は、忍にしては裏表が無い男だ。真面目なカタブツでな。………アレを優しくて親切だと言うのは、間違っちゃいないよ、お姫様」
シンジュは嬉しそうに眼を輝かせた。
「イルカさん、でよろしいのですか? あの方のお名前。…あの、小さな犬が…そう呼んでいたように思うのですが」
「…彼に、何か?」
「あらためて御礼を、と思いまして」
同意を求めるように、シンジュは男を見上げた。
「ああ。…私からも、一言御礼を、と思っていました。人混みで転びそうになった彼女を、助けてくれたのだそうです。情けないことに、私はその時人の流れに押されて、彼女から随分離れてしまいましてね。…私はそのイルカという人には会ってないのですが」
ツナデは頷いた。
「なるほど。…そういう事か。………あれは、色々と便利な男でね。今度の御前試合ではおそらく、客人の世話や警護の係りをするはずだから。たぶん、姿を見かける事はあると思う。………だが、お気遣いはご無用。あれも、礼をあらためてされるような事をしたとは思っていまいよ」
シンジュは小首を傾げた。
「…そういう…もの…ですか? もしも偶然お見かけしたとして、あの時はありがとうございました、と言うのもいけないのですか?」
「………ふむ。まあ、状況によりけりだろうけれど」
ツナデは、小柄な少女を見る。周囲の状況や場の空気などお構いなしに、声をあげるような考え無しのお嬢様にも見えない。
「…絶対に声を掛けるな、とは私には言えないねえ。…それで、貴方のお気が済むのならば、お好きなようになさるといい」
シンジュは優雅に一礼した。
「ありがとう存じます」
ツナデは微笑んだ。
「さて、どこにご案内しようかね。…火の国自慢の反物がよろしいかな? 装飾細工の店が軒を連ねている通りもあるが」
少女は嬉しそうに手を打ち合わせた。
「出来れば、どちらも拝見したいですわ」
ツナデは、諦めたように黙って成り行きを見守っている男に微笑みかける。
「………女の買い物に付き合ったご経験は? 鉱山王」
「………………昔、一度だけ。………妻は、5時間かけてドレスに合う小さなバッグを選びました………」
「そうか。…では、そういうものだとご覚悟されるといい。…ま、5時間も品物を見る時間的余裕は無いがな」
男はそっと苦笑いを浮かべる。
「………わかりました」
久々に、忍耐を試されそうだ。
が、疲れるだけの宴で飲みたくも無い酒を飲まされるよりはマシだ、と彼は腹を括った。
 


 

(09/05/28)

 

 



 

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