それは予期せぬテンペスト −5

 

「だーからぁ! これも仕事だって言ってンだろ! …ったく、わからない男だね」
迫力満点の美女は、フンッと豊かな胸をそらす。
肩にとぼけた顔の小型犬を乗せたイルカは、ヒクッと笑顔を引き攣らせた。
「では何故シズネさんが半泣き状態で貴方を捜しまわっていたんでしょうか? 早くお戻りになってください。…それとも、火影様御自らお出ましになるような仕事がここにあるのですか?」
二人が声を潜めてコソコソと言葉を交わしているのは、とある建物の外。
その建物の中からは、「丁!」だの「半!」だのというダミ声が聞こえてくる。
ツナデは大げさに肩を竦めて見せた。
「…………………まあね。ヒトを顎で使うばかりが上司の仕事じゃないだろう? 現場の空気も吸わなきゃ、カンも鈍るしさ」
無類の賭博好きという彼女の性癖を知っている者ならば、『何のカンですか』とツッコミの一つも入れたくなる。本当にツナデ自らがあたらねばならない任務ならば、付き人のシズネに黙ってこんな場所にいるわけがない。
「………ツナデ様」
イルカの冷たい眼差しに、ツナデは少しだけ唇を尖らせた。
「何だよ。…夫婦揃って私をイジメるんだから。ほんのちょっとの気晴らしもさせてくれないなんて、意地の悪い」
「夫婦揃ってって………」
鼻白むイルカに、ツナデはわざとらしくため息をついて見せた。
「お前の女房はねえ、ワガママばっかり言って私を困らせてくれたんだよ。………あの子なら、私の立場をわかってくれていると思っていたのに」
「…彼女は、ちゃんとわかっていますよ。だからちゃんと出場を承諾したじゃないですか。貴方のお立場を察したからこそ、だと思います」
チロリとツナデはイルカを見上げた。
確か、この男はカカシよりも年下だったはずだ。
男で通していた『写輪眼のカカシ』を妻にしてしまった時点で既にただ者ではないが、こうしてあらためて眺めてもただの中忍にしか見えない。
外見はいたって普通―――いや、どちらかと言うと地味めな男なのだ。
この若造のどこがそれ程良かったのだろう、とツナデは首を傾げた。
(………どー見ても、ミナトの方がいい男だよねぇ。………いや、この坊やもよく見れば男前だけど。…四代目にゃ負けるよな)
四代目火影、ミナトを直接知っているツナデは、カカシの一番近くにいた彼と今の彼女の夫をつい比べてしまっていた。
(いや………アレと比較する方が間違ってるか。………カカシは、ミナトを保護者や師としてしか見ていなかっただろうし)
四代目が存命の頃、カカシはまだ幼過ぎた。忍としては恐ろしく早熟だったが、精神的には子供だったのだ。彼を、異性として意識することはまだ無かったであろう。
おまけに、子供だというだけならばともかく、カカシには自分が女性だという自覚に欠けていた。幼少時に、育ての親から『お前は男だ』という間違った認識を植えつけられ、それが根本的な部分で上手く修正されないうちに、今度は里の命令で同胞にすら本来の性別を隠すようになってしまった。
カカシの人生において、『恋愛』とは最も縁のない言葉であったはず。
そのカカシが、イルカの事を匂わされた途端に顔色が変わった。お前の亭主にツケを払わせる、と言っただけで、あれ程渋っていた御前試合出場をあっさり承諾したのである。
以前のカカシには、そんな可愛げは無かった。変われば変わるものだ、とツナデは胸の内で呟いた。
それだけ、このイルカという男が大切だという証拠だろう。
まさか、写輪眼のカカシが自ら『弱み』を作るとは。
―――否、そういう存在を許すとは。
だが、カカシはこの男と添う、と決めたのだ。
他人がどうこう嘴を突っ込む問題ではない。それだけの覚悟が、彼女にもこの青年にもあったであろうから。
「まあね。………あの子も、己の立場くらいわかっているだろうしね」
イルカの声が低くなった。
「…里長におかれましても、ご自身のお立場をわきまえて頂けますと助かるのですが」
ジロッとツナデはイルカを睨んだ。
「ああもう、帰るよ。帰ればいいんだろ、帰れば! …ったくウルサイ男だねえ。…じゃ、これはお前に任せるから、私の代わりにおやり」
ツナデは胸元からつい、と紙片を抜き出してイルカに押し付ける。
イルカはサッと紙片に眼を走らせた。
「………承知しました」
「頼んだよ」
ツナデはイルカに流し目を送ると、ついと踵を返して雑踏に消えて行った。
終始黙っていたパックンが、一言「尾けるか?」と訊く。
イルカは首を微かに振った。
「いや。…ツナデ様は帰ると仰った。仰ったからには、お帰りになるだろう」
忍犬は苦笑するように口元を歪める。
「おぬしも甘いな」
「甘いかな?」
「相手は三忍が紅一点、ナメクジ姫だろう? あの猿飛の御前が手を焼いたという。部下に見つかった程度で素直に執務室に戻るようなタマとも思えんが」
イルカも苦笑した。
「まあな。…だが、もうある程度の息抜きはされただろうし。そろそろ戻った方がいいのは、ツナデ様ご自身がわかっていらっしゃるだろう」
「だといいがな」
「取りあえず、俺は伝えるべきことは伝えた。…証人になってくれるだろ? パックン」
ふあぁ、とパックンはあくびをする。
「ま、な。…付き人の嬢ちゃんが捜し回っておることも言ったし、早急に戻ってくれとも言ったな。…さて、それでは拙者はもういいか?」
「ああ、ありがとう。助かったよ」
「なんの。おぬしに協力しろとのカカシの命令だしな。………では、ごめん」
イルカの肩からぽん、と忍犬は飛び降り、次の瞬間には消えていた。
(さて…と)
コキン、とイルカは首を回した。
シズネ達に懇願されたツナデ捜しは一応遂行した。
相手が里長でなかったら、きちんと依頼主の元まで連れ帰るまでが任務なのだが。
(「帰る」というツナデ様のお言葉を疑うのも失礼な話だしな………)
ここは里長の勅命に従い、成り行きで引き継がされてしまった任務に向かうべきだろう。
この賭場周辺で、今度の御前試合の入場券を不当に売買しているとの情報があるので、その調査をし、発見次第取引の現場を押さえる、というのがその任務である。
いずれにせよ、火影自ら出張ってやるような仕事ではない。つまりは、こうして遊んでいる所を発見された時に、「仕事をしていたんだ」という言い訳にちょうどいい任務をあらかじめ受付所から選んで持ってきていたのだろう。
もちろん、仕事は仕事としてやるつもりだったとは思う。思うが、こんな任務、ツナデならば遊びの片手間に出来てしまうはずだ。
(…仕方のないお人だ。…まあ、息抜きしたくなるのもわかる気がするが。…ここのところ、慣れないお勤めが続いていたしな)
ツナデ姫は美しい。
火の国の殿様が、宴の席で他国の客人達に美貌の里長を引き合わせて、自慢したくなる気持ちもまたわかるものだ。
木ノ葉は火の国の殿様の持ち物ではないが、切っても切れない関係の、いわば『身内』。
自国の里の『長』が、見栄えのする人物というのは殿様にとって気分がいいものだ。
小柄な老人であった三代目火影は、容姿の点で美しいとは言えなかったが、そこに在るだけで十分に威厳があり、長たる貫禄があった。
次に火影の座に就いた四代目は、若いが里長としての風格も備えた実に見栄えのする青年で、これもまた秘かな殿様の自慢であったのだ。彼が早世してしまった時は、その命と引き換えに守られたものの大きさを考えても尚、惜しくて仕方なかったものだった。
あれほど実力があり、容姿も優れた火影など、そうそう現れるものではないだろうと。
そこへ、三代目亡き後に就任したのが木ノ葉初の女性の火影。年齢を感じさせない美貌の姫火影に、火の国の殿様は内心小躍りして喜んだ。
彼女ならば、その存在だけで他国の人間に強い印象を与えられる。かつての四代目火影と同じ様に。
そんな殿様が、鉱の国の客人を歓待する宴にツナデを呼ばないわけがない。
ツナデとしては、挨拶など御前試合の前にでもすればいいと思っていたのだが。殿様から宴に出て客人に挨拶してくれと頼まれれば、そう無碍に断るわけにもいかない。
だが、堅苦しい席が嫌いなツナデにとって、城の宴に盛装して出るのは疲れるばかりの苦行だっただろう。
本当は今夜の宴にも招待されていたのだが、彼女は「今夜は仕事があるから」と断ったという。もう三日も付き合ったのだからいいだろう、という態度が透けて見えていたが、殿様の使者も『本来の仕事』を持ち出されては引き下がるしかない。
ツナデの不在によって仕事が滞っていたシズネ達は、秘かに快哉を叫んだのだが―――たまっている書類の決裁をしてくれるかと思いきや、ツナデは執務室から姿をくらませてしまったのだ。それでシズネ達は慌てて方々を捜し回り、ついにはイルカに泣きついたというわけである。
(………宴、か)
イルカは、先程出会った少女のことを思い出した。
おそらく彼女は『鉱のお客人』の一人だ。鉱の客人ならば、やはり今夜の宴に出ているはずなのに。
(どうしてあんな…貴族のお姫様みたいな女の子が、こんな時間に繁華街を歩いていたんだろう………)
鉱の国の習慣や常識はよく知らないが、普通に考えてお供も連れずに街中を歩くような身分のお嬢様には見えなかった。
(せめて、彼女の連れとやらの顔を確認しておくべきだったな………)
彼女が一人ならば、ツナデの件を後回しにしても保護していたのだが、連れがいるなら大丈夫かと思ってしまった自分の判断の甘さをイルカは少し後悔していた。
あの時確か、『シンジュ殿』という男の声が聞こえた。
後で、鉱の貴人の一行にシンジュという名の女性がいるかどうか調べて―――そして、彼女の無事を確かめておこう。
彼女が無事なら、イルカは安心できる。
「さて…さっさと片付けてくるか」
イルカは物陰で遊び人風な姿に変化し、件の賭場に足を向けた。


 

 

火影に就任してからまだ日が浅く、それまでも里から出て放浪していた彼女の顔を知っている者は少ない。ツナデにとって城下の街は、里の中よりも気楽な場所だ。
せっかく抜け出してきたのだ。もう少しだけ、遊びたい。
ツナデは、軽く一杯酒でも飲んでから帰ろう、と路地を歩いていた。
「帰るとは言ったけど………真っ直ぐ帰るとは言わなかったものな」
どうせ宴席に出ていたら飲むのだ。なら、少しくらい構うまい。―――と、いうのが彼女の理屈である。
(………ふむ。いかにもな酒場じゃ、誰かに見つかる可能性があるな。…あのカカシの亭主だけが私を捜しに来ていたわけじゃない………かもしれんし)
ならば、普通の食事が出来る店で、かつアルコールも扱っているところの方がよかろう。
ツナデは、普段の自分なら選びそうも無い店の扉に手を掛けた。
と、ツナデが開ける前に扉が開き、彼女にぶつかりそうになる。
中から出てきた客の男がツナデに気づいて、礼儀正しく詫びた。
「これは失礼を。お怪我はありませんか?」
「いや、大丈夫だ。…こちらこそ失………」
ツナデと、中から出てきた男は数秒顔を見合わせてしまった。
お互い、見覚えはあるが誰だっただろうかと一瞬探り合い、そしてほぼ同時に気づく。
「………鉱の…!」
「…木ノ葉の………」
男の後ろから、少女がひょっこりと首を出す。
「どうかされましたか? ………あら」
シンジュもツナデに気づいて眼を丸くした。
「………まあ」
何か、色々な意味合いが込められていそうな「まあ」だったが、少女は賢明にもそれ以上何も言わなかった。

 

 

(08/12/25)

 



 

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