それは予期せぬテンペスト −4

 


押し問答の末、男は折れた。
上機嫌の少女を伴い、日の暮れかけた街に出る。
「どうやってお付の侍女達の眼を誤魔化して来たんです?」
少女はすまして微笑んだ。
「誤魔化してなんかいません。ちゃんと、今日は宴に出たくない、食事もいらないから、今夜はもう皆休んでいいと言って、下がらせました。…ただ、外出する事を黙っていただけですもの。…貴方こそ、あのお付の方は?」
「…カノウですか。あれはもう長いこと私の傍にいる男ですから。…どう誤魔化しても私の行動など、お見通しでしょう。なら、誤魔化す努力をするのもバカらしいので、ちょっと行ってくると言い置いて出てきました。盛大にため息はつかれてしまいましたけどねえ。また彼の白髪を増やしてしまったかもしれませんが」
少女は、生真面目そうな初老の男の顔を思い浮かべた。
きっと、眼の前の男が『お館様』ではなく『坊ちゃま』と呼ばれていた頃から側仕えをしてきた使用人に違いない。ああいう類の使用人は、国主よりも自分の主に忠誠を誓い、大切にする。主に、それだけの価値があれば余計に。
主が形式的な宴の席を嫌い、他国の視察の方を重要視するのを奨励はすまいが止め立てもしないであろう。だが、初めて訪れた他国の街を、供の一人もつけずに出歩こうとする主を心の中では案じているに違いない。
「………お気の毒に」
「ええ。…だから、せめて土産くらいは買って帰らないと。…彼の細君への土産物を探すのを手伝って頂けますか?」
古今東西、卑も貴も老いも若きも関係なく。女性は『買い物』が好きなものだと、相場は決まっている。
彼女も例外ではなかった。
「あら、すてき。喜んでお手伝い致します」
五大国の中でも特に大国として名を馳せている火の国の城下町は、夜になるにつれてますます賑やかになっていた。
大通りには大勢の人が行き交い、昼間とは違った活気にあふれている。
「姫、私から離れないでください」
差し出された男の腕にかける指を寸前で浮かせた少女は、少し不満げに男を見上げた。
「…姫ではなくシンジュ、とお呼びくださいませ、鉱山王」
「………貴女は私のことを鉱山王と呼ぶのに?」
「皆様、そうお呼びになりますでしょう? ですので、それが礼儀だと思っておりました」
「それは名前じゃないですし。……単に、代々私の家が管理している鉱山の数が、国の中では一番多いだけなのに、大袈裟な呼び方をするものです」
男の拗ねたような物言いに、少女はおかしそうに笑った。
「単に、と仰いますか。…それだけでは無いでしょうに。………では、ハク…きゃあっ!」
急ぎ足で人波をかきわけるようにやってきた大男に間に割り込まれ、男とシンジュは引き離されてしまった。
「危ない!」
大きな男に押されてよろめいたシンジュは、転ぶ寸前誰かに抱きとめられる。
「大丈夫ですか? お嬢さん」
「え…は、はい。ありがとうございます」
シンジュは抱きとめてくれた青年を見上げ、素直に礼を言った。
青年は、木ノ葉の額当てをしていた。黒い髪、穏やかな黒い眼。鼻梁の、大きな一文字傷が印象的な男だ。
(……火の国………木ノ葉の、忍者だわ………)
「これ、貴女のでしょう?」
青年の掌に、彼女の簪が載っていた。ぶつかられた拍子に抜けたものを、地面に落ちる前に受け止めてくれたらしい。
お忍びで街に出るという男の目立たぬ服装に合わせ、シンジュも宴用の華やかなドレスから、手持ちの中で一番大人しい服に着替えていたのだが、その簪だけは外す気になれなかったのだ。
「まあっ…すみません、良かった、落とさなくて………ありがとうございます、本当に」
「いいえ。…壊れてはいませんか?」
そう言いながら、木ノ葉の男は簪を受け取ったシンジュをじっと見下ろす。
「大丈夫です。どこも壊れてはおりませんわ」
「………失礼ですが、お嬢さん…鉱の御方では?」
シンジュは、簪を両手に握り締めたまま身体を固くした。
「あ………わたくしは………」
嘘をつく事に慣れていない彼女は、咄嗟に「違う」と言えなかった。
おろおろと視線を泳がせる。
この男がどういう立場の忍なのかはわからないが、もしかしたら城の警備の者なのかもしれない。なら、何かの折に自分の顔を見ているかも―――………シンジュはどう答えたら良いのだろうと言葉に詰まってしまった。
下手な受け答えをしたら、宴の席を蹴って勝手に外へ出たのが皆に知られてしまう。そうなれば、渋りながら自分を連れてきてくれた彼に、迷惑が掛かってしまうだろう。
それだけは嫌だった。
自分の所為で彼が咎められたりしたら、もう合わせる顔が無い。
否定も肯定も出来ないでいるシンジュの態度をどう取ったのか、一文字傷の忍者は人当たりのいい微笑を浮かべた。
「…貴方のような、いいところの若いお嬢さんがお一人で出歩く場所ではないですよ。もう暗くなってきましたし。…鉱の御方なら、宿までお送りしますが」
取りあえず、この男は自分を詰問するような真似はしないようだ、と胸を撫で下ろしたシンジュは、ぎこちなく微笑んで見せた。
「………いいえ、一人で出てきたわけではありません。連れが…連れがおりますの。今、人込みで見失ってしまいましたが、すぐに戻ってきてくださるはずです」
「………そうなのですか?」
今度は、シンジュはキッパリと頷いた。
「はい、大丈夫です。…どうも、ご親切に」
その時、人込みの向こう側から「シンジュ殿!」と彼女を呼ぶ声が聞こえた。
シンジュは、ホッとしたように微笑った。
「連れですわ」
「…良かった。…でも、なるべく早くお戻りになった方がよろしいですよ」
自分が鉱の人間だということは、もうばれているらしい。シンジュの笑みがまた少しぎこちないものになる。
「………あ、はい………」
その時、青年の肩に、ポーンと小さな犬が飛び乗ってきた。
「イルカ! 目標を発見したぞ!」
「よしパックン、お手柄だ! どこだ、ツナデ様は」
青年の肩に乗った犬は、小さな前肢をちょいと斜め左に突き出す。
「あっちだ。通り二つ向こうの賭場」
「わかった。…まったく、この忙しい時に仕方のないお人だな。―――それでは、どうぞお気をつけて、お嬢さん。失礼します」
青年は軽く会釈して、肩に犬を乗せたまま器用に人の間をぬって走って行き―――すぐに見えなくなった。
青年と入れ違いに、押されて随分と向こうに流されてしまっていた男が、急いでシンジュの所に戻ってくる。
「シンジュ殿! 大丈夫ですか」
呆然と青年を見送り、立ち尽くしていた少女は、犬が、と呟いた。
「………は? 犬?」
「………犬…が………しゃべりました…わ………」
男はほんの少し眉根を寄せた。
「犬? どういう事ですか」
シンジュは、今しがたの出来事をかいつまんで話した。
「…なるほど。で、犬がその忍の青年に向かってしゃべったのですね」
「………わたくしが、冗談や嘘を言っているとはお思いになりませんの?」
男は首を小さく振る。
「忍者は、口寄せという術を使うのだと、書物で読んだことがあるので。…何でも、その口寄せに応じる動物は、総じて人間並みに知能があり、人の言葉もあやつると。…半信半疑だったのですが………本当だったのですね」
「口寄せの…術?」
「動物を呼び寄せる召喚術だという話です」
少女は眼を丸くした。
「まあ。………まるで、御伽噺の魔法使いのよう。忍者って、わたくし達とは違う人間みたいですわね」
男は微笑んだ。
「その、貴方を助けてくれた忍者の青年もそう見えましたか?」
シンジュは小さく首を傾げる。
「………いいえ。普通の人…に見えましたわ。………わたくし、忍者って近寄るのも怖い感じの方ばかりかと思っておりましたけど。…あの方は、お顔に傷痕がありましたけど、とてもお優しい親切な方に見えました」
転びそうになった彼女を抱きとめて、この雑踏の中に落としたら、確実になくしてしまったであろう簪を受け止めてくれて。そして、彼女の身を案じてくれた。
「………鉱の武人にも色々な方がいらっしゃるのと同様、忍者にも色々な方がいらっしゃるのでしょうけど………少なくとも、さっきの方は親切な殿方でしたわ。………ええと、あの小さな犬は………そう、イルカ、と呼んでいました」
「イルカさん、ですか」
「ええ。…あの、海にいるイルカ…ですかしらね? わたくし、本で見た事があります。お姿に似ず、可愛らしいお名前」
男は口の中で小さくその名を繰り返した。
「………機会があったら、その人に御礼をしましょう。宴をサボっていた事を堂々と言えませんから、こっそりとね」
ハイ、と頷いた少女は、ふと指を唇に当てた。
「………そう言えば鉱山王。あの方、ツナデ様ってお方の行方を捜していらっしゃるようでした。………あの…ツナデ様って…確か、木ノ葉の五代目火影様のお名前では………」
「忍者が、口寄せの犬を使ってまで捜していたのなら………その可能性は高いですね」
それがどうかしましたか? と訊ねる男に、少女は言いにくそうに、その人物がいるであろう場所の名を口にした。
「………賭場………ですか?」
「そ………そう、聞こえましたの。………あのぅ、賭場って…その、賭け事をする場所………ですわよね? 確か」
「…だと…思いますが」
大国火の国の護りである、隠れ里木ノ葉の頭領が。
この、外国からの賓客を迎えている時に賭場で何を―――?
『外国からの賓客』である二人は、何ともいえない表情で顔を見合わせた。
「き、きっと、何かお仕事ですよ」
「そ………そうですわね! 忍の方なのですもの」
きっと、自分達にはわからない『仕事』も賭場であるのだろう。
「それよりも、何か召し上がりませんか? その先に感じのいい店がありましたよ」
男の提案に、少女は嬉しそうに両手を胸の前で合わせた。
「はい! …実は少し、お腹がすきました」
貴族の令嬢らしからぬ飾り気の無い言葉に、男は唇をほころばせる。
「では、参りましょう」
彼が差し出した腕に、シンジュは躊躇いながらも嬉しそうにそっと手を掛けた。
 

 

08/11/26

 



 

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