それは予期せぬテンペスト −3

 

御前試合の会場では。
あちらこちらでカーンカーン、ゴンゴン、という音が上がっていた。
中忍、下忍が観客席のチェックをし、必要な箇所の修繕をしているのだ。
中忍試験の際に壊れた大きな箇所は本職の大工が修理したが、一般の客席などはまだあちらこちらが壊れたままだったのである。
修繕しなければならない施設、建造物はここだけではない。御前試合などが無ければ、普段使用しない試合場など最後まで放置されていただろう。
足りなくなった釘を取りに行っていた中忍が戻ってきて、重そうな箱を下ろしながらゲンマに報告する。
「鉱のお客さん達、こっちの港に到着したようですよ」
その一報に、肩をゴキゴキ回していたゲンマがやれやれ、と呟いた。彼は会場チェックの総監督を言い渡されており、文字通り会場中を駆け回っていたのである。
「あー? もうかよ。予定より早いんじゃね?」
俄か大工よろしくゲンノウを振り下ろしていたイルカも手を止めた。
「………風向きが良かったのでしょう。海も穏やかだったみたいですし。でも、試合日程に変更は無いでしょう。まずは城で歓待の宴を催すと聞いていますし、試合日まではお殿様側で客人方をもてなす段取りのはずです。………そういえば、ゲンマさんは出場しないんですね、試合」
ゲンマは涼しい顔でウン、と頷いた。
「オレはさー、中忍選抜試験の時、試合の進行と審判やったじゃない? 慣れてっだろーから、またヤレってさ。…たぶん、鉱の側からも審判員出すだろうけどね。審判じゃなかったら、オレも出場させられてたかも、だけどさ。………イルカさー、大丈夫だった?」 
イルカはキョトンとゲンマの顔を見た。
「………何がです?」
ゲンマはひそっと声を落とす。
「…奥方。最初随分ゴネたって聞いたぜ。………荒れなかった?」
イルカは苦笑を浮かべた。
「ツナデ様に出場を強要された件ですか? ………荒れたと言うか………まだ、気乗りはしないって感じですね。………五代目も辛いお立場のご様子で。…それが見えてしまうと、彼女も逆らいきれなかったようです」
んんーっとゲンマは目を眇め、イルカをまじまじと眺める。
「………それにしても、まーだ信じられねー………お前さんがあの写輪眼の亭主だっつーのが………」
ゲンマだけではない。
カカシの本当の性別は確かに衝撃だった。まさに、青天の霹靂だ。
だが、それは冷静になって思い返してみれば「ああ、道理で」と思い当たるふしが結構ある為、受け入れる事が出来る。
それよりも、彼女には既に夫も子供もいるのだという事の方が、それを知った男達にとって、受け入れがたい衝撃的なニュースだったのである。
特に、『写輪眼のカカシ』に憧れ、偶像視していた男達にとって、それは悪夢以外の何物でもなかった。しかも、カカシを手に入れた男がただの中忍とあっては、納得がいくわけがない。
「はあ…でしょうねえ。客観的に見て、ありえませんよね。…俺だってそう思います」
うんうん、と頷くイルカに、ゲンマは呆れたように指を振った。
「こらこら。当人がありえないとか言ってちゃイカンでしょーが。…何言われても、堂々としてろよ? お前さんは、あの木ノ葉の宝玉とまで謳われた男…いや、女が惚れて夫にした男なんだから」
「ありがとうございます。………ゲンマさん」
「……って言うか、どっちかというと、オレはお前さんの勇気に感服したクチだけどな。…よくもまあ、あんなおっかねーのを抱く気になったな? 確かに美形かもしらんが、ヘタに触ったらスパッと切れる刃みたいなのをさ」
イルカは首を振った。
「…確かに、そういう部分はあるでしょう。常に、己を鎧って戦闘状態にあるような、張り詰めた生き方をしてきた人です。………でも、俺にとっては、世界中で一番綺麗で可愛い女性だ。…俺にはもったいない人だって………」
その時いきなりイルカの背後からぬうっと手が伸びてきて、彼の口をふさいだ。
「ゲンマ、いい加減なところで止めねえと、延々ノロケを聞かされっぞ」
「お、アスマ上忍」
アスマはイルカの口を塞いだまま、ニヤニヤ笑っている。
「カカシも、未だにコイツにベタ惚れ状態だしな〜。一度、イルカせんせーのどこが良かったんだってアイツに訊いてみろ。きっとお眼々キラキラで語りやがるぞ。………曰く、全っ部いいんだそーだ。…コイツらはな、ガキ二人もこさえたクセにまだ恋人気分。永遠のラブラブバカップルなんだよ」
ゲンマもニヤニヤしながら口にくわえたトレードマークの千本を上下に振った。
「ほ〜、良かったね〜イルカちゃん。…そりゃ確かに可愛いよなぁ」
「…でも、アイツの可愛い、はコイツ限定。亭主以外の男はゴミほども意識してねえ」
それはイルカも否定出来なかった。
自分に対するカカシの態度が取り繕った偽りのものだとは思っていなかったが、他の男達への態度と比べるとアカラサマに違うのである。カカシ本人も、「イルカ先生はオレにとって特別な男だから、他の奴等と同じ様に接するわけがないじゃない」と堂々としている。
しかしイルカ自身、全くの『素』状態で彼女と接しているわけではないと自覚しているので、カカシには何も言えないのだ。
自分達は、少し世間様とは違う夫婦なのかもしれないが、上手くいっているのだからそれでいい、と思っていた。
アスマの手をはずし、イルカは苦笑してみせた。
「限定結構ですね、俺としては。…他の野郎に彼女の可愛い顔を見せたくないですから」
わはは、とゲンマは笑った。
「おお、言うねー、イルカも。………でも、カカシ上忍を諦めきれねえってェわからんちんな奴等が結構いるのも事実だぜ。誰のモノにもならないって言うんなら、いっそ諦めもつくんだろうが。彼女は手の届かない天女様じゃなかったんだってコトをお前さんが証明しちまったからな。………ま、せいぜい闇夜には気をつけろよ。彼女を未亡人にしたくなきゃ」
ゲンマの物言いは冗談めかしていたが、忠告自体は真面目なものだった。イルカはきゅ、と眉間に皺を寄せる。
「………ええ」
イルカが彼女にふさわしい男ならば、周囲は黙って彼を『写輪眼のカカシの夫』として認める事も出来ただろう。それが痛いほどわかっているから、イルカも自分なりに精進しているつもりだった。
だが、足りない。
まだまだ、全然足りないのだ。
たとえ、イルカが上忍に昇格したとしても十分とは言えないだろう。
皆が、無意識のうちに誰と自分を比較しているか、イルカにはわかっている。
四代目火影。
幼いカカシを育て、常に彼女の傍にいた男。
彼が、カカシの性別を知らないはずがない。
今になって思えば、彼女は四代目の花嫁候補だったのではないかと―――そう推測した者は、一人や二人ではないはずだ。
カカシは、外野の戯言など放っておけばいいのだと言うが、イルカはただ放っておくことなど出来なかった。いや、彼女の言葉に甘えて安穏としていてはいけないと思っていた。
彼女にふさわしい男になること。
それが、高嶺の花に手を出し、手折った自分の義務だ。花の方が自ら掌中に身を預けてくれたのだとしても、手折ったという事実は曲げられない。
何もかも承知しているのだと知れるイルカの短い返答に、ゲンマは黙って肩を竦め、イルカの腕を励ますように軽く叩いた。









「何処へいらっしゃいますの? 鉱山王。そろそろ宴が始まる刻限ですが」
背中に掛かった涼やかな声に、男はギクリとして足を止める。
悪戯を見つけられた子供のようにぎこちなく振り返ると、きちんとドレスアップした少女が睨むような眼差しを男に向けていた。
「やあ、姫。これはお美しい。さぞ宴席も華やぎましょう」
それがたとえ社交辞令であったとしても。この男に「美しい」と褒められて悪い気がする女はいない。
少女も、目許を微かに染めた。
「…ありがとうございます。宴席で美しく在るのはわたくしの義務であり、仕事ですから。でも単なるその場のお飾りのつもりもございません」
男は慌てて首を振った。
「お飾りだなんて、そのような………。気に障ったのなら、謝ります」
すると少女は、どこか悲しそうな微笑を浮かべる。
「翠鉱家の御当主、鉱山王ともあろう御方がそんなにすぐに謝ったりなさらないで。………わたくしこそ、失礼致しました。申し訳ございません。………こんな高慢な物言いばかりしているから、わたくしは貴方に嫌われるのですね」
「………嫌ったりなどするものですか。貴女は、いつも真っ直ぐで誇り高くていらっしゃる。私は、貴女のそういうところが好きですよ」
少女は黙って首を振る。結い上げた髪に挿した簪の飾り玉がその動きに従って揺れ、光を弾いた。
その簪は二年前、彼女の十六の誕生日に今目の前にいる男から贈られたものだ。
鉱の国では男女とも十六で成人とされ、婚姻が認められる。
貴族の姫が成人の日を迎えた際には、求婚の意思在りとの意味を込めて贈り物をしてくる者もいるが、眼の前の男にはその様な他意は無く、単なる儀礼で『成人の祝い』を贈ってくれただけなのだと彼女も知っている。
だが、多くの贈り物の中で彼女にとって意味があったのは、その綺麗な飾り玉のついた簪だけだった。
俯いてしまった少女に、男は心配そうに声をかける。
「………姫………お加減でも…?」
少女は顔を上げた。
「いいえ……大丈夫です。…それよりも宴席の方ははどうなさいますの? まさか、欠席なさるおつもりですか」
途端に男は眼を泳がせた。
「い、いや、その………宴と言っても、もう四日目で………火の国の主要な方々にはお目にかかって一通り挨拶もしたし………私はその、ああいう宴は苦手で………」
「つまり、おサボリになるのですね?」
まさに、他の出席者の目を盗んで宿から抜け出そうとしていた男は、図星を指されてウッと呻いた。
「………それで、どちらへおいでになるおつもりなのですか?」
重ねて問われ、男は観念したように肩を竦める。
「…ちょっと、街の様子を見てきたいのですよ。その国のことは、城下を歩かねばわからないから。………見逃しては頂けませんか?」
少女は首を傾げて数秒考えるフリをしてから、ニッコリと微笑む。
「お忍び、というわけですね。………見逃してさしあげてもよろしいですわよ? ただし、わたくしも連れて行ってくださるのなら、ですけど」
 

 

08/11/16

 



 

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