それは予期せぬテンペスト −28

 

 

若い武人は、馬車の中で畏まって座っていた。
実に居心地悪そうな様子である。
馬車の中はカカシに子供達二人、従者のカノウに、その若い武人、セキヤの五人であった。
木ノ葉の里を発ってから数日。カカシが走っている馬車の中にいるのは初めてである。
カカシは膝の上に抱いたチハヤの相手をしながら、声を掛けた。
「………肩の力、抜いたらどうです? セキヤ殿」
セキヤはビシッと音を立てそうな勢いで背筋を伸ばした。
「い、いえ、どうぞお気遣い無く、お嬢様!」
カカシはげんなりとした微苦笑を浮かべる。
「だーから〜、オレのことはお嬢様なんて呼ばなくっていいって言ってるじゃないですか」
鉱山王の息女だという意味では確かに『お嬢様』だが、物心ついてから今までずっと男のように生きてきた上、今は二児の母でもあるカカシにとって、その呼ばれ方はあまりにも自分にそぐわなくて気持ち悪い。
「いえ、そういうわけには参りません。他の耳目がある時は芥子殿とお呼び致しますので、ご心配なく。………私の方こそ、どうぞ呼び捨てでお願い致します」
「オレとしては、部下でもない他国の武人を呼び捨てにはしにくいんですけどねぇ。……ん? でもサクモ様はセキヤ君って呼んでいますよね。鉱の国って、そういうのが普通?」
セキヤは首を振った。
「白牙公は…今は軍に籍を置いていらっしゃいませんので。私達の上司という立場では無いから、そういった呼び方をしてくださるのだと思います。…しかし、七大貴族の一角というお立場を考えますと、あまり普通とは言えないかもしれませんね」
「そうなんだ?」
「はい。…普通、高位の貴族様方は、護衛についた武人の名など覚えようとはなさいません。いえ、気にもなさらないのが普通でしょう。知らなくてもいいんです。そういったお身の回りのことは御付きの従者の方に任せるのが当然ですから」
ああ、とカカシは薄く笑った。
「なるほどね。なんとなく、わかります」
カカシが護衛についた、所謂『お偉いさん』には、そういう人間が多かった。警護につく忍者など、一人の人間だなどと思っていない。カカシは、自分達は忍だから、 とモノ扱いされても特に気にしなかったが―――
カカシは目を伏せた。
(ふむ。鉱の国じゃ武人でもそういう扱いを受ける事もあるのかー…………そういう環境だっていうのに、オレみたいなのを娘だって連れ帰ったりして大丈夫なのかね? あの人。本人が良くても、周りはドン引きどころじゃないんじゃ………?)
コホン、とカノウが咳払いをした。
「お館様は、職業で人間の貴賎をはかる方ではございませんので。あくまでも、個人を大事になさいます。………お若い頃に身分を伏せて留学なさっていたからかもしれませんが、その辺りの感覚が他の貴族の方々とは少々違うのは確かですね。…それはわたくしには好ましく思えることなのでございますが。………もう少し、ご自身のお立場をお考え下さい、と申し上げたくなることも……まあ、皆無ではございませんねえ」
そう言って、初老の従者はふうっと息をついて馬車の外を見た。
カカシは、そんな彼を気の毒そうな眼で見遣る。
今、馬車の中にサクモがいないのは、馬での先導役を代わる、と言ってさっさと馬に乗って行ってしまったからだ。
そういう事は普通、一行の中で一番の貴人(護衛対象)である人物はしないものである。
今頃テンゾウは、先導する馬を必死で護衛しているだろう。
「なんか…カノウさんも大変ですね………」
カノウはいえいえ、と首を振った。
「お館様のああいったご酔狂には慣れておりますし。それに、わたくし共が本当に困るような事はなさらない御方です。貴族としての振る舞いとは、誇りと尊厳をもって己に課せられた務めを果たすことであり、市井の民人を軽んじたり虐げたりすることではない。…これは、代々の鉱山王と呼ばれる方々が常にお心に銘じておられる家訓でございます。お館様におかれましても、ご立派にその姿勢を貫いていらっしゃいます。……翠鉱家にお仕えできるわたくし共は、幸運だと思っておりますよ、お嬢様」
「ええっと………つまり、翠鉱家は貴族の中でも変わり者。………という解釈でいいんですかね? その家訓はとても立派だけど、同時に当たり前の事のようにオレには思えるんですけど。わざわざ、家訓にするようなモノ? …って」
カカシの感想に、カノウは微笑んだ。
「ええ、まあ…そうですね。貴族様方の中には、その当たり前がなかなかわかっておられない方々もいらっしゃるのですよ。民あっての貴族だということが。………七大貴族の中にあり、貴族ではなく民衆の側に立って物事を図るのが代々の翠鉱家です。その中でも、現当主でいらっしゃいますサクモ様は、特にその傾向がお強い方ですので……変わり者とおっしゃる方や、何となく煙たく思われる方もいらっしゃるやもしれませんね。………おや、お上手ですね、チドリ様」
カカシの横で、おとなしく折り紙を折っていたチドリが、出来上がった作品をカノウに差し出していた。
「これ、ツル。ほいくえんで、おしえてもらったの。カノーおじちゃんに、あげる」
カノウは目尻をほんわりと下げた。
「わたくしに下さるのですか。ありがとうございます。きれいな紙ですねえ」
チドリは嬉しそうに笑った。
「うん。ちよがみっていうの」
カノウは、掌に載せた小さな折りヅルを嬉しそうに眺めた。
「大事に致しますよ」
「チドリ、大きいお父さんにはあげたの? 折り紙」
カカシの問いに、チドリは首を振った。
「ううん。だって、ぼうけんのたびにでてから、おりがみであそんだのはきょうはじめてだもの」
チドリには何の他意も無いが、従者のカノウだけが可愛いプレゼントをされたと知れば、鉱山王は寂しく思うかもしれない。彼は狭量な男ではないが、祖父の心理としては複雑なものになるだろう。
三代目ヒルゼンとヨネの言動から、その辺りの『ジジババ心理』なるものを学んでいたカカシは、母として息子に助言した。
「そう。じゃあ、大きいお父さんにも、何か折ってあげてね? チドリ。うんとキレイなのを」
「はあい!」
チドリは自分のカバンから新しい千代紙を取り出して、「どれにしようかな」と選び始めた。
カノウはチドリの折ったツルを、大切そうにそっと手帳に挟んだ。
「………狭い馬車での長旅、小さなお子様方には辛いかもしれない、とお館様が案じていらっしゃいましたが………チドリ様もチハヤ様もグズったりなさらず、大変いいお子様方で」
カカシは緩慢に首を振る。
「旅を始めて、まだ数日です。今のところ、物珍しさが勝っているだけですよ。チハヤも今はまだ元気ですが、疲れてきたら体調を崩す可能性もあります。……ご迷惑を掛けるかもしれません」
なんの、とカノウは微笑んだ。
「チハヤ様は本当に、お嬢様にそっくりです。お嬢様も、初めてのお誕生日をお迎えになるまではよくお熱を出していらっしゃいました。チハヤ様もきっと、成長されればお丈夫になりますとも」
「……だといいんですけどね」
そう言えば、この従者とゆっくり言葉を交わすのは初めてだ、とカカシは気づいた。
前から気になっていた点を聞いておく、いい機会かもしれない。
「カノウさん。アナタも、オレをずっとお嬢様って呼んでくれてますけど………貴方、オレのこと、本当にお嬢様だって思ってらっしゃるんですか?」
「当然でございましょう? …お館様がそうおっしゃっているのですから」
と答えてから、カノウは眼を伏せた。
「…………いえ、申しわけございません。正直わたくしも最初は、まさか、と思っておりましたのです。……チハヤ様が、あまりにもお嬢様のお小さい頃に似ていらっしゃるから。だから、お館様は、お嬢様が見つかったのだと、そうお思いになりたいだけなのではと。早く目を覚ましていただかねば、と。………そう思っておりました。………大変、失礼致しました」
深々と頭を下げるカノウの肩にカカシは手を伸ばし、顔を上げるように促す。
「いや、それ当然ですよ。………オレだってまさかそんなはずはない、と思っていましたもの。鉱なんて遠い国の貴族が、自分の親だなんてあり得ないじゃないですか、普通。………オレの素顔見た彼に娘だと断言された時は、困惑しちゃったくらいで」
カノウは、顔を上げて温和な笑みを浮かべた。
「それで、特別な犬をお呼びになったのですね」
「ああ……あの一件、お聞きになったんですね。………ま、あれの鼻を疑うわけにはいかないんだけど。あれに親子だと断言されても、オレにはまだ信じられなかったですよ」
それまでじっと口を挟まず、話を聞いていないかのように無表情で俯いていたセキヤが思わずといった風に顔を上げた。
「あの。失礼ですが、それはどういう事なのですか? 特別な犬を呼び出すとか………」
青年の疑問に、カカシは真面目に答えてやった。
「ああ、忍術のひとつです。口寄せっていって、契約している動物を呼び出せるんですよ。忍によって、呼び出す相手は様々だけど。オレは主に忍犬と契約しています。……その中に、オレがほんの子供の頃から契約している古株がいてね。そいつの鼻は、並みの犬よりも優秀で。…血の匂いを嗅ぎ分けて個人を特定したり、血縁関係を判定したりも出来るってわけです。………あの人、オレが何を言っても引くようには見えなかったから。目の前で忍犬に赤の他人だと断定されれば、諦めてくれるかなってね、思ったんですけど。………まさかねえ、本当に親子だったなんて、びっくり………」
セキヤの表情が微妙に変わった。
「そんな事が……あったのですか。では、芥子様は何もご存知ではなかったのですか? その…白牙公が、行方不明のご息女を長年お捜しになっていたこと、とか………」
カカシは苦笑を浮かべた。
「申し訳ない。…今回の御前試合が無かったら、オレは鉱の国について名前だけなら知っている、程度の認識しか持てなかったと思います。基本的に、任務に関係ない国の内情まで細かく調べたりしないので」
「そうですか。…いえ、そうですよね。私も、火の国のことは全然わかっていませんでしたから。忍の方のことも」
カカシは悪戯っぽい口調で訊いた。
「忍者なんて怪しげなのと試合なんて、気が進まなかったでしょ?」
「いいえ! そんな事ないです。御前試合の話を聞いて、凄く興味がわいたんですよ。木ノ葉に行くのが、とても楽しみでした。………まあ、試合の結果は……私は散々でしたが………」
「………あ、そういやガイと対戦した不運な武人って、アナタだっけ!」
はあ、とセキヤは恥ずかしそうに身を縮めた。
「お恥ずかしい限りです」
数ある試合の中で、開始二秒で昏倒させられたのはセキヤだけだ。しかも第一試合で。
さぞかし彼はいたたまれない思いをしたことだろう。
「あれはね、相手が悪かったんですよ。ガイは空気読めない熱血万年青春バカ野郎だから。もー、ああいう試合とか大好きだもんで、張り切り過ぎちゃったらしいんですよね。………あれに勝てなかったからって、気にすることないですよ。ガイは見た目暑苦しい珍獣だけど、実力は木ノ葉トップクラスですもの。オレだって、ヤツとガチ勝負やったら勝てるかどうか」
セキヤが気にしているのは勝敗ではなく、試合にもならなかった事だというのはわかっていたが。
取りあえず、カカシはそう言って鉱の若い武人を慰めた。
「は、はあ………すみません、お気遣いいただいて………」
せっせと千代紙を折っていたチドリが無邪気に口を挟む。
「ガイおじちゃんのカメ、おおきいんだよぉ」
はい、とチドリはセキヤに緑色の千代紙で作ったカメを渡した。
「カメさん、おにぃちゃんにあげる」
「え? いいんですか? あ、ありがとうございます。へえ、可愛いですねえ。ちゃんとカメに見える。…あの、ガイさんって、カメを飼ってらっしゃるんですか?」
カカシはうん、と頷いた。
「飼ってるというか、契約相手。背中に大人が乗れるくらい大きな忍亀。……何の役に立つのかわからないけど、よく召喚していますね」
「亀と契約ですか………他には、どんな動物と契約するんですか?」
「そうですね。……鷲や鷹みたいな猛禽類とか。猿、猫、蛙、大蛇………ま、イロイロですよ」
「本当に、色んな動物と契約するんですね」
「全ての忍者が契約しているわけじゃないですけどね。適性もありますし」
チドリはもう一枚千代紙を取り出して、また折り始めた。今度こそ、おっきいお父さんへのプレゼントであることをカカシは祈る。
「それ、何折ってるの? チドリ」
チドリはえへへ〜、と笑った。
「な〜いしょお! できてからのおたのしみ、なの」
「あらま」
イルカが家で子供達にオヤツを作ってやる時の、おなじみのフレーズだった。
「なにつくってるの? おとぅさん」と足元で待っているチドリとチハヤに、「出来てからのお楽しみ」とイルカは片目をつぶってみせる。
それは、うみの家の台所ではいつもの光景だ。
本当に、子供は親を見て育つものなのだな、とカカシはあらためて思った。子供達の前で、迂闊な真似は出来ない。まさに、『子は親の鏡』だ。
自分の場合、実親が人格形成に影響することは無かったと思っていいだろうが、自分の振る舞いが鉱山王に恥をかかせるようなことになっては申し訳ないな、とカカシは思った。

コンコン、と馬車の窓を叩く音に、カカシはチハヤを抱いたまま窓に寄る。
「はい、イルカ先生?」
「テンゾウさんが、昼食休憩の場所を捜しに行ってくれています。少し馬車のスピードを落としますが、気にしないで下さい」
「わかりました。テンゾウが戻るまで、オレも外の警戒に出ます。…チハヤ、ちょっと一人でお座りしてて」
カノウがスッと手を出した。
「よろしければ、わたくしがチハヤ様をお預かりしましょう、お嬢様」
「あ…いいんですか?」
「お嬢様が覚えておいでにならないのは当然ですが、わたくしは昔、何度もお嬢様を抱っこさせて頂いているのですよ。…懐かしいことです」
カノウは、カカシの手からチハヤを抱き取る。
チハヤがおとなしくカノウの膝におさまったのを見て、カカシは微笑んだ。
「すみません。じゃ、よろしくお願いします」
ひら、とカカシが開けた窓から事も無げに馬車の外に出て行ってしまったのを見送って、セキヤが感心したような吐息をつく。
「………凄いですねえ、忍者っていうのは………芥子様が、本当に白牙公のご息女だというのなら……鉱の人間でも、訓練を受ければ忍者になれるということ、ですよね」
さて? とカノウは首を傾げた。
「そうですねえ…幼い頃から訓練すれば、なれるかもしれませんが。…わたくしには、芥子様がお館様のお嬢様だったからこそ、ああした優秀な忍になっていらっしゃるように思えます」
「は…? 翠鉱家は忍者と何か関わりが…?」
「いえいえ。そういう意味ではございませんよ。…お館様は大層優秀な武人でございましたから。その血をお嬢様は色濃く継いでいらっしゃるのだろうと………」
「ああ、そうですね」
あっさりとセキヤは納得したが、カノウの言葉の本当の意味は、そんな単純な事ではなかった。
彼の大事なお館様が、『白牙公』と呼ばれる所以を、この若者は知らない。サクモが戦場に立っていた頃、この青年はまだ赤ん坊だっただろうから。
火の国、木ノ葉の里に来てから色々と耳にし、また目にしてきた『忍』の実態。
その能力と、力の源。
そういう様々な情報からカノウが辿り着いた、ひとつの仮説。
自分の考えが正しければ、翠鉱家の血を引く人間、しかも直系は皆、『忍』の素質を持っているということになる。
おそらくはその血が、カカシを類稀な能力を持つ上忍にしてしまったのだろう。
(お嬢様のお命を今まで繋いだのがそのお力なのは、わかっているのですが………少し、恨めしくもありますね………)
もしも彼女が優秀な上忍・『写輪眼のカカシ』ではなかったら、木ノ葉も彼女を鉱に、父親の許に返してくれたのかもしれない、という。
カノウは主の心を思い、そっと心の中で嘆息した。

 

 

久々の更新です。すみません。
(11/02/07)

 



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