それは予期せぬテンペスト −29

 

 

木ノ葉の里から鉱の国の国境まで、距離にして半ばまでたどり着いた時。
とうとう、カカシが恐れていたことが起きた。
チハヤが熱を出したのである。
チハヤは、体調を崩しやすい子供だった。
何かというと熱を出し、お腹を壊す。
カカシ達は、チハヤには先天的に深刻な病気があるのではと疑い、精密検査を受けさせてみたが、これといって病気は見つからなかった。
手足が動かぬわけでもなし、まだ赤ん坊なのだからもう少し様子を見たらどうか、と医者に言われ、今までは対処療法でしのいできたのだ。
そんな子供を、馬車での移動とはいえ下手をすれば一カ月近くかかる旅に連れて行けばどうなるかは、考えるまでもない。
その事をツナデに相談すると、彼女はチハヤの診察をして、予防薬を兼ねた体質改善用の薬を処方し、たっぷりと持たせてくれた。
その薬を毎日飲ませていたので、チハヤも今まで持ったのだろう。
だがさすがに、疲れが出たらしい。昨夜から食欲を無くし、朝からあった微熱がすぐに高くなってしまった。
カカシは薬袋からツナデ特製の解熱剤を取り出して、ハタと手を止めた。
解熱剤は粉薬の上、苦いので子供には飲みにくい。
だから家では少量の水でペースト状にし、チハヤの好きなプリンと一緒に飲ませていたのだ。
だが、あいにく馬車には冷蔵庫が無く―――従って、プリンも無い。
プリンの代用品を考えておかなかったのは自分のミスだ、とカカシは唇を噛んだ。
娘の気難しげな表情を見て、サクモは心配そうに声を掛ける。
「…チハヤちゃんの具合、酷く悪いのかい?」
「……あ、いえ………たぶん、解熱剤を飲ませればすぐに熱は下がると思うんですが……」
そこでカカシは低く声を落とす。
「実は苦い粉薬なので、いつもチハヤの好きなものに混ぜて飲ませてたんです。でも、それを持って来られなかったもので。…どうしようかな、と思案中です」
カカシにつられて、サクモの声も小さくなる。
「座薬は無いのかい?」
カカシは首を振った。
「この子は胃腸も弱いので、座薬はキツイんです」
「…そうか。それで、いつも何に混ぜて薬を飲ませていたの?」
「あの……カラメルプリンです」
なるほど、とサクモは頷いた。
「さすがに馬車に冷蔵庫は積めなかったからねえ。………甘いものなら、他のものでも大丈夫かな? カノウ、何かあるかな」
暗に主に『何とかしろ』と命じられた従者は、落ち着いた様子で頷いた。
「はい。……荷物の中にマシュマロとココアがございます。少し工夫すれば、チハヤ様がお薬を飲みやすいように出来るのではないかと」
カノウは、にっこりとカカシに微笑みかけた。
「わたくしにお任せください、お嬢様」


カノウは、マシュマロとココアを使って、上手いこと甘いショコラプリンもどきを作ってくれた。
薬抜きのものと、薬入りのものを用意し、薬の入っていない方のスプーンをチドリに向ける。
「チドリ様。お味見してみてください」
薬を飲む必要の無いチドリは一瞬キョトンとしたが、カノウがそっと片目をつぶって見せると、すぐにその意図をくんだ。カノウがスプーンを差し出すと、チハヤの目の前でぱくんと食べて見せる。
「わ、おいしい。…チハヤちゃん、あまいよ、これ」
「どうぞ。チハヤ様も」
兄が食べたのを見ていたチハヤは、アーン、と差し出されたスプーンを素直に口に入れた。
息子が薬を飲み込み、吐き出す様子が無いのを確認したカカシは、ホッと息をついた。
「……手際、いいですねえ。ありがとう、助かりました」
「いえいえ。お役に立てて、幸いです。…お嬢様も、お小さかった頃は苦いお薬は苦手でいらっしゃいましたから。今の要領で、果物のピューレでお薬を包んで差し上げていたものですよ」
サクモも思い出した、と呟いた。
「…そう言えば、そうだったね」
カカシは恥ずかしそうに身を縮めた。
「そ………そうだったんですか………」
薬は苦くて当たり前だ、と思っていたカカシは、チドリにはそのまま飲ませていたのだ。
チドリがまた、黙って苦い薬を飲んでくれる子だったので、何故チハヤにはそれが出来ないのだろう、と内心首を傾げていたのである。なのにまさか、自分も『苦い薬が飲めない子』だったとは。
それにしても、今になって誰かに自分が赤ん坊だった頃の話を持ち出される事態になろうとは、思ってもみなかった。
だが、初老の従者に『幼い頃』を知られているのはカカシだけではなかった。
「お館様もお小さい頃、お薬を飲むのに苦労なさっておいででしたので。どうにかして飲んで頂きたいと、日々工夫を凝らしていたことがございましたのですよ。その経験がお嬢様の時も、今も役立ったようでございます」
つまり、親子三代に渡って彼に同じ様なことをさせていたわけである。
サクモは薄っすらと赤面した。
「………………それは……苦労をかけたね…………」
とんでもございません、とカノウはニコニコしている。
これだから、幼い頃のあれやこれやを知られている人間には迂闊に逆らえないのだ。
イルカが時々、ヨネや三代目に彼の幼い頃のエピソードを披露されて赤面していたが―――ようやくカカシは、その時の夫の心理状態を理解した。
イルカの幼い頃の話を聞くのは大好きなカカシだが、今後は彼の目の前でそういう話をヨネにねだるのは控えよう、と秘かに思い決めたのだった。

薬が効いたのか、汗をかき始めたチハヤの濡れた肌着をカカシが替えさせているのを見守っていたサクモが口を開いた。
「………具合はどうかな。もしも病院に連れて行くなら、日が落ちないうちの方がいいと思うのだが」
ぐったりしているチハヤの汗を拭いてやりながら、カカシは眉根を寄せた。
おそらくは、いつもの熱だとは思う。
だがカカシやイルカは、ある程度の医学知識は持っているが、専門ではない。テンゾウも同様だ。
「…でも、次の宿場町は随分先ですし。ここで横道に逸れたら、街道に戻るのが大変になりますから………」
サクモは、カカシの言葉を遮った。
「一日や二日、予定が遅れるのが何だと言うのだい? 半日手当てが遅れたが為に、後悔することもあるんだよ。……チハヤちゃんの身体の方が、大事だ」
そう断言するなり、サクモは御者台に向かって声を掛けた。
「イシト君! 止まってくれ」
「はい、白牙公!」
馬車はすぐに速度を落とし、止まった。
馬車の脇を走っていたテンゾウが、すぐに走り寄ってくる。
「どうかなさいましたか、鉱山王」
サクモが、窓から事情を説明した。
「チハヤちゃんが、熱を出した。薬は飲ませたが、念の為、医者に診せたい。……この近くに、医療施設はあるかな」
テンゾウは、サッと地図を出した。
「そうですね。………今、おそらくこの辺りですから………北西に三里ほど行った町なら、割合大きいので医院くらいあるはずです。だけど、街道からはだいぶ逸れますよ」
「構わないよ。道、わかるかい」
テンゾウは迷い無く頷いた。
「はい」
カカシは馬車の外に出て、指笛を吹いた。
その合図で、距離をとって走っていたイルカが戻ってくる。
「アクシデントですか?」
カカシはチラッとサクモを見て、頷いた。
「チハヤが熱を出したんです。……サクモ様が、病院に行った方がいい、と言ってくださって………」
「薬は? 芥子さん」
「一応、飲ませました。今、汗をかき始めたから、夕方には熱は下がると思うんですけど。……でも、環境がいつもとは違うから、オレも自信を持って大丈夫だって…言えなくて」
イルカは、カカシの肩を優しくポンポンと叩いてから、馬車のサクモに向かって頭を下げた。
「ご心配をお掛けして、申しわけありません」
サクモは首を振る。
「…いや。この旅に、この子達を連れ出したのは私だ。いわば、チハヤちゃんが具合を悪くした責任は、私にあるのだから。…病院に連れて行くのは、当然じゃないか」
チハヤが熱を出すのは、珍しい事ではない。
だが、目の前で熱を出したチハヤを見て、サクモが心配する気持ちもわかる。
医者に診てもらって、特に心配する必要が無いと言ってもらえたら、その気持ちも納まるだろう。
チハヤの為にもサクモの為にも、ここは病院に行く方がいい、とイルカは判断した。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「イルカ先生………」
「サクモ様のお言葉に甘えましょう、カカシさん。………確かに、いつもとは環境が違います。すぐに診てくれる医者が近辺にいる、里の中ではないのですから」
イルカに言われ、チハヤを医者に連れて行くだけの為に街道を外れることに躊躇いを覚えていたカカシもようやく頷いた。
「そう………ですね」
馬車は街道を外れ、岩の国の、とある町を目指して走り出した。
 

 

 

※この29話目は、同人誌『夫婦茶碗・肆』に書き下ろしとして収録しました。
(11/04/21)

 



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