それは予期せぬテンペスト −27
白銀の髪、白磁の肌にその面立ち。 ツナデから話を聞いた時は、俄かには信じられなかったテンゾウだが、こうして並んでいる彼らを比べて見れば、何を言われなくともわかる。 カカシとサクモは、血の繋がりが無い方が不自然なほどよく似ている。 カカシの老忍犬が『見ればわかる』と言ったらしいが、その通りだとテンゾウは思った。 見た目だけではない。 彼らは、血の匂いと言うか、身の内に流れている『気』の質が同じなのだ。 むしろ、何故カカシ自身がすぐに気づかなかったのかが不思議なくらいである。 (あ…いや、ツナデ様にも見ただけではお二人が親子だという確信は持てなかったらしいから………これは、ボクの感覚が忍犬並だということか………) テンゾウが遠くからそっと見守る中、二人は穏やかに話をしている。 観察眼の優れた人間であれば、彼女が無力な普通の女性ではなく、何らかの武芸の嗜みを身につけていると看破するだろうが、湯上りで忍服も纏っていないカカシは到底男には見えなかった。線の細い、綺麗な女だ。 (………よくもまあ長いこと、このボクの鼻も誤魔化せたもんだ………) 暗部時代も含め、すっかり騙してくれていたのだから。 だから、余計不思議だった。 何故あの中忍の男は、カカシが女性であることを知っていたのだろうか。あまつさえ、男女の仲になって子供まで―――……… テンゾウは僅かに首を振った。 暗部には、カカシが部隊を抜けてなお盲目的に崇拝している者達がいる。 その価値は、カカシが男ではなかったからといって、下がるものではない。 暗部内での評価は、彼女が性別を明らかにした後かえって上がったのだ。特に女性達は、女が暗部に所属する事の過酷さを知っている。だからこそ、カカシがしてのけてきた事の大きさに驚愕し、尊敬の念を抱いている。 そしてご多分に漏れず、テンゾウも『写輪眼のカカシ』に憧れていた後輩の一人だった。 他者を寄せつけず孤高を貫くカカシに、忍としてのあるべき姿を見いだしていたのかもしれない。 そんなカカシが実は女性で、秘かに結婚して既に母親になっていたという事実を知った時はショックだった。忍にあるまじき事に、頭の中が一瞬真っ白になったほどだ。 カカシの相手の事は、名前さえわかれば後は調べるまでもなかった。うみのイルカという中忍はアカデミーの忍師であり、任務受付所の当番もこなしている。 およそ、秘め事とは無縁の平凡な中忍という印象の男だ。その任務の性質上、カカシとは顔を合わすことそのものが稀のはず。 ただ、三代目が結構気に入っていた男で、度々私用を言いつけていたようだという話を聞き、カカシとの接点があるとすればその辺りだろう、とテンゾウは察しをつけていた。 カカシはあの男の何処に惹かれたのだろう。 忍の世界にあって、闇を感じさせないあの笑顔だろうか。カカシは、己に無いものをあの男に求めたのだろうか。 フ、とテンゾウは息をつく。 (………なんてね。………男女の仲ほど、わからんものも無いってことか………) 父娘は意外に思えるほど長い時間話し込んでいたが、話に区切りがついたような動きをカカシが見せ、そして彼女の唇が『お父さん』と動いたのを見て、テンゾウは微苦笑を浮かべた。 (………良かったですね、先輩………) カカシに「お父さん」と呼ばれた鉱山王は、嬉しそうに微笑んで娘を抱きしめた。 彼女もおとなしく父親の腕に抱かれている。 ツナデの話によると、カカシは父親の出現に戸惑い、素直に喜びを見せなかったという。 無理も無い話だ、とテンゾウは思った。 物心ついてからこっち、天涯孤独の身だと思っていたところにいきなりあんな父親が現れたら、誰だって平常心ではいられないだろう。 彼女がすぐに父の存在を受け入れられなくても、仕方が無いと思う。 だが、少なくとも彼女は、彼を『父』と呼ぶ事が出来たようだ。 今、この時だけでも。 おそらくカカシは、公の場で彼を父と呼ぶことは出来ないだろう。 カカシの父親が、鉱の国の貴族で鉱山王と呼ばれる地位にある男だという事。 それは、今のカカシにとって幸運な事ではなかった、というのはテンゾウにもわかる。 カカシの父親にとっても、せっかく長い時を経て再会出来た娘がよその国の隠れ里で上忍となっていたのは、予想外の困った事だったはずだ。 父としては、愛娘を取り返したかろう。 だがそれがほぼ不可能だとわかっているから、今回の旅になったのだ。 カカシがそこそこの才しかない中忍で、あの父親がただの平民の商人ならば。 そっと彼女を引退させてやり、生まれ故郷に返す事も出来たのだろうに。 平凡ではない、というのも楽な事ではないな、とテンゾウは独りごちた。 「何やってんの。テンゾウもちゃんと休んでおきなさいよ。部屋、取ってあるでしょ?」 背後からいきなり声を掛けられ、テンゾウはびくっと体が揺れるのを止められなかった。 「驚かさないでくださいよ、先輩。何で背後から忍び寄ってんですか」 さっきまで父親と話していたはずのカカシが、腕を組んで軽くテンゾウを睨んでいた。 「お前ね。………オレがいるんだから、わざわざお前がこんな所で護衛しなくてもいいでしょうが」 テンソウはものの一秒で(少なくとも上辺は)平静さを取り戻した。 「え………だって先輩、丸腰じゃないですか?」 「いくら風呂上りだって、オレが全くの丸腰でフラフラしていると思うのお前。秘器くらい忍ばせてるよ」 「………それは失礼しました」 テンゾウの視線に、カカシはムッと眉根を寄せた。 「何よ。………あれ? もしかしてお前、オレの顔まともに見るの初めて?」 「あ…ええ、そうですね。珍しくて、つい……不躾ですみません。………先輩、お綺麗ですね」 ハ、とカカシは肩を竦める。 「そんな、取ってつけたようなお世辞言わなくてもいいよ。…オレは自分が不器量な女だって、ちゃんと知ってるから」 「……………はあ?」 テンゾウの声が思わず裏返った。 「何言ってるんですか? 先輩、謙遜も過ぎると嫌味ですよ」 「お前こそ何言ってるのよ。何でオレがお前相手に謙遜しなきゃいけないんだ?」 テンゾウは眼を瞬かせた。 「………それもそうですね」 では、本気なのか。 「先輩、えーと………夕顔さんのことは綺麗だって思いますか?」 カカシは頷いた。 「当たり前じゃない。夕顔は美人だよ。ハヤテなんかには勿体無い、いい女だ」 「紅さんは…? 美人ですか?」 「紅も美女だよねー。妖艶でナイスバディだし。アスマの果報者って感じ」 「ツナデ様…は………」 「トシはくってるけど、いい女ってああいうのを言うんだろうなって………おい、さっきから何なのよ」 テンゾウは僅かに唸った。 「いえ………先輩の審美眼に問題があるのかと、ちょっと思ったものですから」 「オレの審美眼? 綺麗なものを綺麗だと見定められる能力の事? 人並みにはあるはずだと思うけど」 「じゃあ何でご自分の顔を不器量だなどと言うんです?」 「………だってさ………オレ、自分の顔は綺麗だなんて思えないんだもの。…その………イルカ先生は綺麗だって言ってくれるし………アスマもね、美人だって言ってくれたんだけど。………彼らはさ、基本的に優しいじゃない? オレに」 ゴホン、とテンゾウは咳払いをした。 「……先輩。その先輩の旦那さんの事はよく存じ上げませんが、アスマさんならボクも多少は面識があります。………確かに、彼は女性には優しいし、先輩のことは弟…じゃない、妹のように可愛がってらっしゃいますけど。こと先輩の容姿に関して、事実を曲げた慰めなど口にはなさらない方だと思いますよ? もしも、仮に先輩の容姿がアスマ先輩にとって美人だと思う域に達してなかった場合は、別の表現で慰めると思うのですが」 カカシは黙ってテンゾウの顔を凝視した。 「………………先輩?」 「あ………ああ、悪い。………言われてみれば、その通りかもとか………思っちゃって………」 「顔の好みなんて、人それぞれでしょうけどね。…たぶん先輩には『こういう顔が美人というのだ』という基準があって、ご自分の顔がその基準にあてはまらないものだから、不器量だと仰ってるんでしょう?」 カカシは素直に認めた。 「…………………うん」 「なら、それはそれでいいのではないかとボクは思いますが。…一つ申し上げておきますと、世間一般的に先輩の顔は美形という範疇に入るものなので。お腹の中でどう思っていらしたとしても、口にはなさらない方がよろしいですよ。反感を買う恐れがあります。…つまらないでしょ? そんなの」 「ああ………うん、わかった。………ありがとう」 カカシはくす、と笑った。 「テンゾウの言い方って時々、イルカ先生よりわかりやすい時があるね」 「それは、お褒めの言葉と受け取ってよろしいのでしょうか?」 「当たり前じゃない。…すっごい褒め言葉よ? 滅多に聞けないよ?」 そう言って笑うカカシは、テンゾウがドキリとするほど綺麗だった。 暗部にいた頃よりも長くなった髪からは、微かに甘い香りがする。 (………本当に、女の人だったんですねえ………) 「………先輩」 「ん?」 「不躾な質問ですが。………お父上を鉱の国までお送りして、その後はどうなさるおつもりなのですか?」 カカシの顔から、スッと笑みが消えた。 「………その時にならないと、何とも言えないな。………彼がどう出るかにもよるけど」 彼、とは父親の事だろう。 「あちらが、さらに何か仰ってくると?」 「ん? ………ま、大丈夫だよ。………彼は、忍の里のことも、オレの立場も多少は理解してくれているから。そんなにムチャな事は言い出さないはずだ」 カカシはポン、とテンゾウの肩を叩いた。 「もうお前も休みなさいよ。………休息をとるのも任務のうちだよ」 「………はい」 宿に戻るカカシの後姿を見送り、テンゾウはそっと息を吐いた。 ツナデが自分を選んだ理由が、少しわかった気がしたのだ。 カカシは、母親だ。子供の事となれば、何よりも情が勝るだろう。 そして、イルカも子供達の父親で彼女の夫である以上、何事か起きた時に全体を見て冷静な判断を下せなくなる可能性があった。 テンゾウのカカシに対する憧れは、尊敬とイコールだ。だが、盲目的に崇拝しているわけではない。一歩引いて彼女を見る事が出来る。 そして、カカシに遠慮なくズケズケとものを言う度胸もある。 (やれやれ………ボクに先輩の手綱を握れと仰るんですか? 五代目) 暴走しかけたカカシの手綱を取るのは、命懸けの行為だ。 そういう意味での出番が無いことを、祈るのみである。 「さてと。…先輩の言う通り、寝ておかないとこの先持たないな………」 鉱の国は遠い。 宿の周囲を一回りして、異常が無いか確認したらもう休もう。 テンゾウは肩をほぐすように腕を回すと、背後の木に溶けるようにスゥッと姿を消した。 |
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