それは予期せぬテンペスト −24
結婚式を挙げたとはいえ、サクモとシアンは実質的な夫婦の契りは結んでおらず、その関係はまだ幼馴染みの域を出ていなかった。 花嫁はもうすぐ十八歳、花婿は彼女よりも更に年下で十六歳になったばかり。 双方共に若いが、鉱の国の貴族としては珍しくはない。 成人年齢とされる十六歳で、男女共に結婚は認められる。貴族間では政略結婚が当然のように行われているので、本人の意思とは関係なく十代で結婚させられる事が多かったからだ。それでも、夫の側が成人年齢に達したその日に婚姻、というのはやはり稀な例だったといえよう。 結婚式から既に二ヶ月経過していたが、花嫁は相変わらず夜になると一人で寝室に入り、鍵を掛けてしまう。 サクモも呑気なもので、シアンに「では、お休みなさいませ」と言われると、「うん、お休みなさい」と、自室に戻って寝てしまう。 結婚式の当日は、寝室から締め出されて困った挙句、従者のベッドに潜り込んだのだが。 さすがに毎晩彼のベッドに行くわけにもいかない。 サクモは女中頭に頼んで、元の自分のベッドを使えるようにしてもらったのだ。 女中頭のフユは、サクモの頼みを聞いてはくれたが、深々とため息をついたものだった。 彼女は、サクモが幼い頃から彼をことのほか大切にしていた。 新婚初夜からずっと寝室から締め出されているなんて、可愛い大事な若様がバカにされているようで、苛立ちを感じていたのだろう。 「………こんな事、申し上げてはいけないのですが。………若様はすこぉし、シアン様にお甘くはございませんか」 サクモは書類から眼を上げた。 「そう言わないでおくれよ。…彼女だってきっと、戸惑っているんだよ。………要するに、僕がまだ男として頼りなく見えるんじゃないかな」 フユはお茶を淹れながら、チラリと気遣わしげな視線をサクモに向けた。 「………若様」 「ん?」 「失礼を承知で申し上げますが」 「うん?」 「若様、女性の扱いは御存知あそばしておいでで?」 サクモは無言でむせた。 目を通していた採掘報告書の陰でごほごほと咳込む。 「…………………そ、それは………まあ、何とかなるかな………とは思うけど。一応ね、教えてもらってはいるから……………」 若様の顔が赤らんでいるのを確認した女中頭は、「さようでございますか。それは失礼致しました」と、淡々と返した。 この若様の事だ。 外国に留学していた時も、ハメをはずして遊ぶなどということはまず無かったはずだが。 いかに留学中、身分を伏せていたとしても容姿が容姿だ。 砂糖にアリがたかるかのごとく、女性に言い寄られていても不思議ではない。 (………ああ、若様が妙な女に誑かされていないといいのだけど。………カノウ殿は、しっかり若様を御守りしたのかしら) 場末の娼婦のような女が、若様の『初めての相手』だったりしたら、許せない。 可愛い若様が、そんな女に汚されていたら―――……… 硬い表情で黙り込んでしまった女中頭の様子に気づいたサクモが声を掛ける。 「………フユ? どうしたの。気分でも悪い?」 「あ…あら、いいえ。申し訳ございません、ぼうっとしてしまって。何でもございませんわ」 「ならいいけど。………ともかく、僕の事は心配しなくてもいいから。シアンとのことは、そのうち時間が解決するはずだ。別に、仲が悪いわけじゃないからね。………それより、オリエとあまり喧嘩しないように。仲良くね?」 フユはカァッと頬を染め、咳払いをした。 「け………喧嘩など。…ただ、当家には当家のしきたりもございますゆえ。あの方にも、そこのところをわきまえて頂きたく………」 オリエは、シアンの輿入れの際ついてきて翠鉱家に入った彼女の侍女であった。 オリエにとって、シアンはフユにとってのサクモと同じだ。大事な大事なお嬢様、というわけである。 お互い、自分の主人大事が高じて、そこはかとなく対立関係にあるように傍からは見えた。 「ん、まあ、そこのところは僕が口を挟む事じゃないけれど。…シアンは今、慣れない家でオリエしか頼る人がいないんだよ。そのオリエがこの家の中で孤立するようでは困る。……彼女を一番助けてあげられるのは、フユだと思っているのだけど」 「………若様………」 サクモはニコ、と微笑んだ。 「頼むね、フユ」 女中頭は、降参したように微笑み返す。 「承知致しました、若様。…では、お夕食前のお召し替えの時間にまた参ります」 「うん、よろしく」 女中頭が退室し、一人になるとサクモはそっと息を吐いた。 シアンとの結婚は、もう四年前―――いや、もっと前。初めて出会った時から決まっていた事だ。 結婚式を急がされたのは、一度倒れて以来、気の弱くなった父が、自分の命があるうちに息子の子を見て安心したい、と言ってきかなかったからだ。 サクモが生まれるのが遅かった為、余計に父が焦りを覚えているのだという事はわかっている。 わかってはいるが。 「………………こればかりはね」 床入りを敬遠しているのは、シアンの方だけではない。 サクモも、心の中では尻込みをしている。彼女が同衾を拒否してくれたことに、彼はホッとしたのだから。 それでも、口づけすら婚礼の際にした形だけのもののみだ、というのは情けない話だとサクモも思っている。 いつまでも、『姉と弟』ではいけない。 彼女との間に子供を儲けるのは、自分の義務だ。しかも、出来るだけ早く。 だが、彼女に無理強いもしたくない。 そもそも、今現在シアンがこの家の中で頼るのが実家からついてきた侍女だけだというのが、いけないのだ。 夫であるサクモを頼るようになってもらわなくては。 サクモはペンの先でトントン、と紙を突いた。 (………つまり、なるべく自然にそういうことになるように持っていく努力を、僕がしなければいけない、という事か………) 十六歳ですでに後継者の心配までしなければならないとは。 サクモは、もう一度ためいきをついた。 (………僕はもう、君よりも背が高くなったんだよ? シアン。いつになったら君は、僕を男だと思ってくれるんだろうね………) ::: サクモは、午前を父の仕事を手伝う時間にあて、午後の時間の多くを様々な勉強や身体の鍛錬、剣や乗馬の稽古にあてていた。 何と言ってもまだ若く、すべてにおいて未熟であるということは当人が一番よくわかっている。鉱山王と呼ばれる立場になる者として、次期領主として、これから学ばなければならないものは山積みだった。 シアンとの仲を何とか進展させたいと思っていても、仕事と勉強で一日が終わってしまう。 気づけば、婚礼から一年近くの月日が経過していた。 そんなある日のこと。 昼食の後、珍しくシアンはサクモを誘ってきた。 「………遠乗り?」 「ええ。いいお天気ですもの。…貴方もたまには気分転換になさったらいかが? そう毎日お仕事とお勉強ばかりでは、息がつまるでしょう」 サクモは、妻の誘いを断らなかった。 彼女との距離を少しでも縮める、いい機会だと思ったのだ。 午後は、剣の稽古を予定していたが、指南役に謝って後日に変更してもらおう。 「そうだね、君の言う通りだ。こんな天気の日は、馬に乗って遠くまで行くのも悪くない。…カノウに頼んで、外でお茶が出来るようにしようか?」 その提案にシアンは喜んだ。 「それはいいお考えですわ。…貴方は、木の実の入ったケーキがお好きだったでしょう? 実は先ほど、オリエと一緒に焼いたんですのよ」 「………君が?」 サクモの驚いたような声に、シアンは少し得意気にあごを持ち上げた。 「ふふ。貴族のお嬢様なんて、ドレスと宝石とダンスにしか興味が無いとでも思っていらした? ………お菓子くらい、焼けるんですから」 「そうか。それは凄い。いい事だね。とても実用的な趣味だ」 それだけ? とシアンは視線でサクモを伺う。 さすがに付き合いが長いだけあって、彼女がどういう言葉を期待しているかは顔を見ればわかる。サクモは彼女の手を取って、唇で軽く指先に触れた。 「………僕の好きなお菓子を覚えていてくれて、嬉しいよ。ありがとう」 シアンは、満足そうに微笑んだ。
(10/04/29) |
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