それは予期せぬテンペスト −22
馬車は、国境の宿場町に向かって順調に走っていた。 御者台ではイシトが手綱を取り、セキヤは馬車を先導するかのように一人馬に乗って数メートル先を行く。 カカシは馬車の右側から後方、テンゾウは左側から前方に眼を光らせつつ、馬車と併走していた。この手の護衛をする時にはローテーションを組んで、交代で走るのが定石だ。 今回の場合三人で護衛に当たるので、二人が馬車の外を警戒し、残る一人はあらゆる事態に対処すべく馬車の中で待機ということになる。 馬車の窓から見える空がだんだん暗くなってきたのを見て、チドリが不安そうな顔を父親に向けた。 「………おとぉさん。…よるになっちゃうよ? おうち、かえらなくていいの?」 火影屋敷に預けられる以外に外泊の経験が無いチドリは、『夜になったら家には帰らなければならない・帰るものだ』と思っているのである。 イルカは微笑んで、幼い息子の頭に手を置いた。 「うん。今日は帰らなくてもいいんだよ。大きいお父さんのおうちに行くんだと言っただろう? そのおうちは、鉱の国というところにあるんだ。鉱の国というのは、チドリやお父さん達が住んでいる火の国からは、馬車で何日もかかる遠い国なんだよ」 チドリは大きく眼を見開いた。 「なんにちも………? もう、おうちにかえらないの? ぼく、おともだちにさよならいってないよ」 「さよなら、は言わなくていいんだ。だって、ずっと家に帰らないわけじゃないんだから。旅ってわかるか? チドリ」 「………うん。えほんでよんだ。…たびって、あっちこっち、いろんなところにいくの」 「そう。チドリは今、その旅をしているところなんだぞ。…今朝、家を出発しただろ? そして、鉱の国に行って、また家に帰って、ただいまを言うまでが旅なんだ。…わかったか?」 チドリはうん、と頷いた。 「わかった! おうちにかえったら、ぼうけんのたびはおわりなんだよね。…あれ? ぼくたち、ぼうけんしているの?」 物語の主人公の旅は、総じて冒険であることが多い。 小さな子供にとって、初めて馬車に乗って長い旅をするのは、確かに『冒険』だろう。 イルカは頷いた。 「ああ、冒険かぁ。そうかもしれないな。…チドリは冒険、イヤか?」 「イヤじゃない。…おとうさんとおかぁさんがいっしょだから、こわくないもん。おとうさんも、おかぁさんも、つよいもん」 チドリの頭の中では、すっかり『旅=冒険』となってしまったらしい。 物語の冒険には危険がつきものだ。主人公は、悪者に襲われたり、危険な怪物と戦いながら旅をするものなのである。 チドリは、眼をキラキラさせてサクモを見た。 「おっきいおとうさんは、とおいくにからきたんでしょう? ぼうけん、たいへんだったですか?」 チハヤを膝に抱いて遊ばせていたサクモは、微笑って小首を傾げた。 「私はね、火の国へは船で来たからね。旅ではあったけど、冒険…ではなかったかなあ。航海はとても順調で、アクシデントは無かったし。…冒険は、これからチドリちゃんと一緒にするのかもね」 チドリは船という単語に興味を示した。 「おふね? ……おふね、のってきたんですか? おっきいの?」 「大きかったよ。………ごめんね、チドリちゃんも船に乗りたかった? 私が船は苦手だから、馬車で行くことにしてしまったのだけど」 んー、とチドリは首を傾げた。 「おふね…のってみたいけど………ばしゃも、おもしろいです。…おっきいおとうさんは、おふねはキライなんですか?」 「私は船乗りではないからね。…いざと言う時、自分で制御できない乗り物は不安だし、船独特の揺れ方があまり心地のいいものでは………何だ? カノウ」 途中で、初老の使用人が目配せしているのに気づいたサクモは言葉を切った。 「………差し出がましいようですが、お館様。チドリ様はまだお小さいのですから、あまり難しい言葉をお使いになられては………」 あ、とサクモはキョトンとしている孫を見た。 「そうか、すまない。…気をつけていたつもりだったのだが、つい………」 イルカは首を振った。 「どうぞ、お気遣い無く。…この子は、大人の言う事は大体わかっていますから」 「いや、少し配慮が足らなかったようだ。…小さな子供と接するのは、久し振りだから………ええとね、チドリちゃん。…私は船そのものが嫌いなわけではないんだ。…でも、船が走るのは水の上だろう? 海や、河だ。海には波があるし、河にも流れがあるから、揺れる時はすごく揺れるんだよ。船に乗っていると時々その揺れで気持ちが悪くなってしまうから、あまり乗りたくはないかな、と思うんだ」 サクモが船を嫌う理由は体調の問題だけではなかったのだが、子供にもわかるように問題を船酔いだけにしぼって説明する。 「あ、でもね。船に乗るとみんな気持ちが悪くなるわけじゃないんだよ。全然ダメという人もいれば、一度も気持ちが悪くなんかならない人もいる。チドリちゃんは平気かもしれないね」 「………おふねって、たいへんなんですね。…おとうさんやおかぁさんは、おふねなくてもへいきだけど………ぼくは、おみずのうえをあるけないし………」 イルカは慌ててフォローした。 「いやいや、チドリ。お父さんやお母さんだってね、船で一週間かかるような水の上をずっと歩いていけないよ。水の上を歩くのは、普通に地面を歩くよりも疲れるんだ」 サクモはポンと手を打った。 「………そうか。忍者が水の上を歩く、というのはやはりデマじゃなかったのだね」 普通の人間は、河や湖を渡ろうと思ったら乗り物に頼るか、泳ぐしか方法は無い。 水面歩行が可能なのは、チャクラの扱いに長けた熟練の忍だけだ。 イルカはサクモに説明した。 「…水面歩行の術、と言いまして、チャクラを足の裏に集めてコントロールするんです。得手不得手はありますが、中忍以上の大半の忍に可能な術です。…上忍ともなれば、水面を地面同様に駆けて戦いますよ」 「本当に、忍者というのは思った以上に様々な術が使えるようだね。本当に、魔法使いのようだ」 そこでサクモは、同じ様に忍術を魔法のようだと言った少女の事を思い出した。 「………そういえば、色々あって忘れていたけれど。………もしかして君、御前試合の始まる前、城下町で若い女性が人混みで転倒しかかったのを助けなかったかな? 鉱国人の少女を」 サクモに言われてイルカも思い出す。 その時イルカが出逢った少女の連れはサクモのようだった、とカカシから聞いていたのに、彼もその事は忘れていたのだ。 「助けただなんて。…私はその女性を少し支えただけですので。…確か、シンジュ様…とおっしゃいましたか。ご無事でお帰りになったと聞いて、安心しておりましたが」 「………やはり、君だったか。改めて礼を言うよ。ほんの少しの間とはいえ、彼女から眼を離してしまったのは私の責任だ。…嫁入り前の令嬢を他国の城下町に連れ出した上、ケガでもさせていたら彼女のご両親に申し訳が立たないところだった。ありがとう」 「いえ、こちらこそ。申し訳、ございませんでした。本来ならば、きちんとお送りすべきでしたのに」 サクモは、眼を細めてイルカを見た。 「それはいいんだ。……もうバレているだろうけど、あの時我々は、城の宴を抜け出して城下町を見物していたのでね。出来れば、そっと戻りたかったから。……彼女………シンジュ殿は、君を優しくて親切な忍の方、と言っていたよ」 「恐れ入ります」 「ツナデ様も、君を裏表が無い真面目な男だと仰っていた」 「…左様ですか?」 おそらくツナデは、悪い意味で言ったのではないだろうが。それは、忍にとっては必ずしも褒め言葉にはならない。 毒をもって毒を制するのが常道のような世界で、その毒が無いと言われているようなものなのだから。 イルカは苦笑するしかなかった。 街道を囲む森の中からテンゾウが姿を現し、走るカカシの隣に並んだ。 「周囲、異常なし。…そろそろ、本日の目的地の宿場町に着きます、先輩。このまま走れば、十五分くらいでしょう」 カカシはスッと前方を指さした。 「念の為だ。宿場町の様子も見てきてくれないか、テンゾウ。馬車は停めておく」 了解です、と声を残し、テンゾウはフッと姿を消した。 カカシは御者台に近づいて、鉱の青年に声を掛けた。 「イシト殿! 馬車を停めてください」 「あ、はいっ」 青年は、カカシの指示に従って素直に手綱を引いた。 馬車は緩やかに速度を落とし、街道の脇に停まる。 馬車の窓からイルカが顔を出した。 「どうかしましたか?」 「宿場町の様子をテンゾウに見に行かせました。アレが戻ってくるまで、小休止です」 「了解です」 イルカはスッと馬車の中に引っ込んだ。 馬車が止まったことに気づいたセキヤも、馬首を巡らせて戻ってきた。 「どうしましたぁ?」 イシトは、無意識に腰を擦りながらセキヤに説明する。 「テンゾウ殿が、宿場町の様子を見に行かれた。お戻りになるまで、しばし停まる」 「わかりました。………あの、芥子様、ずっと走っていらして、大丈夫ですか」 馬上から気遣わしげに見る若者に、カカシはにこ、と微笑んだ。 「平気です。速度は緩やかだし、見通しがいい道でしたから。楽なものです」 「白牙公のお嬢様を馬車にお乗せせずに歩かせ…いや、走らせるなんて、申し訳ないというか…心臓に悪いんですが」 「私は今、護衛という任務でここにいるんです。任務は任務。建前のみにするつもりはありません。どうぞ、お気遣い無く」 鉱の武人達は、顔を見合わせた。 「いや、しかし芥子様………」 カカシは苦笑した。 「だから、私のことはお嬢様扱いしないでいいんですよ。………実は、私は女性であることを伏せて任務についていた時期がありまして。それが結構長かったんで、その頃の癖で乱暴な口をきく事があります。特に、テンゾウはその頃の後輩なんで、彼とは男言葉で話すと思うんですが。………驚かないでくださいね?」 イルカと話す時は敬語になるのがクセなので問題無いのだが。テンゾウに何か言う時は、ついぞんざいな口調になってしまうのだ。 「あ………そうなのですか。わかりました」 「ですが、貴方が白牙公のお認めになったご息女でいらっしゃることに変わりはありません。…我らまで、気安い態度を取るわけにはいかないのだ、ということもご理解ください」 カカシは肩を軽く竦める。 「………武人さんはおカタイこと。…ま、いい。好きにしてください。でもオレはまだ、自分が貴族の娘だなんて自覚は無いもんですから。それらしい振る舞いを期待されても困りますからね?」 カカシはわざと、『私』ではなく『オレ』という一人称を使った。 一瞬鼻白み、微妙な表情になった青年達にカカシは背を向ける。 彼らが今回の話を丸っきりの鵜呑みにしていないのだということに、カカシは気づいていた。 鉱山王―――いや、白牙公と呼ばれる男の言う事だから、疑惑を感じてもあからさまに表に出せないだけなのだろう。 (………ま、それが普通でしょうよ。鉱からは遠く離れた忍の里に、二十年以上前に行方不明になった鉱山王の娘がいたなんて。…誰が聞いたって、胡散臭い話だもんねえ。………一番信じられないのは、オレだっての………) だが忍犬使いとしては、老忍犬クロガネの鼻を信じないわけにもいかない。 カカシはそっとため息をつき、子供たちの様子を見る為に馬車へ戻った。
(09/11/18) |
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