御前試合の話を聞かされてから三日と経たずして、カカシは再度ツナデに呼び出された。
執務室に入った途端、眼の据わったツナデに上目遣いで睨まれる。
「………命令だ。拒否は許さん。………御前試合に出ろ」
「………この間、お断りしたはずですが。………何でまた」
ツナデは、ハアァ、と大仰にため息をついた。
「…あたしゃ悲しいよ。どうしてこう若い連中は年寄りを困らすコトばかり。面倒な事は何だかんだ言って逃げようとするし、まったく愛里精神ってモンが無いんだから泣けてきちゃうね」
「………………………」
カカシは無言だった。
これが、自来也に連れ戻されるまで里をほったらかし、外で散々好き放題やらかしてきた人間の吐くセリフだろうか。
無言のカカシの冷たい視線に、ツナデは決まり悪そうにモジモジする。
「………カカシぃ〜〜〜………」
カカシはハ、と小さく息をつく。
「………こんな時だけ都合よく年寄りにならないでくださいよ、ツナデ様。…まだ五十なんて人生半分でしょ? 伝説の砂の妖怪ババアに比べりゃ小娘同然じゃないですか」
比べる対象が悪過ぎる。ツナデのこめかみにピキリと青筋が浮かんだ。
「……その小娘より更に小娘の分際でナマ言ってんじゃないよ。里長の命令だよ。お聞き」
そこらの男なら縮み上がるようなツナデの低い声にも、カカシは動じない。
「何か事情でも変わったんですか? この間は何とか誤魔化せそうなこと仰ってたのに」
んむ、とツナデは頷いた。
「変わったと言うかな。………他の上忍連中に出場しろと言ってみたところ、何故だか全員が全員、カカシは出るのか、と聞いてきやがった。………後は言わんでもわかるな?」
「………………カカシが断るんなら、自分達だって断っていいハズだ。……とかぬかして、みーんな断りやがった?」
「大正解だ」
さもあらん。
カカシは肩を竦めた。
「んじゃ、オレ3人目でも出来たってコトにしておいてくださいよ。いくらアイツらでも、妊婦に戦えなんて言わんでしょ? 何なら今スグ作りに行きます」
「待て、アホんだら」
頭痛がしてきた。火影なんて辞めて、全国賭博場巡りの旅に戻りたい。
一瞬本気でそう思ってしまったツナデだった。
「そしたら他の連中だって、やれ昔の傷が痛いの、田舎のじいちゃんが危篤だの言って逃げるに決まってるだろうが。挙句、全員里外任務でいなくなるって最終手段に出られたらどうしようもないよ」
ああ、その手があったな、とカカシは手を打った。
「里外任務。………いいですね、ソレ」
あのなあ、とツナデは額を指先で押さえる。
「………お前達上忍がワガママこいてトンズラしたら、どこに皺寄せが行くかわかってんのか? ……………その下だ。特別上忍の連中に、中忍」
中忍、と聞いてカカシの眼が不安そうに揺れる。
「…中忍って………まさか」
「そのまさかだな。………女房の尻拭いは亭主にやってもらおうか。あのボーヤなら、私に逆らったりはしないからねえ」
「ツナデさま!」
「………何だい」
カカシは口布の下で唇を噛んだ。
イルカが弱いなどとカカシは思っていなかった。彼は強い。特に徒手空拳の試合ならば、他国の武人になど遅れはとるまい、と。
だが。
「………アカデミーの忍師には、この余興に関する警備や諸々の仕事があるはずです」
「そうだよ。…負担は増えるが、仕方ないだろう。彼も、お前の為なら耐えてくれるだろうさ。優しいご亭主殿だものねえ…? カカシ」
くっそー、このババァ人の痛いトコロを突いてきやがって、と一瞬口汚い言葉がカカシの頭の中を駆け巡る。
だが、お前の所為でイルカの負担が増えるのだと脅されたカカシは、とうとう折れた。
「………………出ます。…出ればいいんでしょう」
カカシはキッと顔を上げた。
「その代わり、どう戦うかはオレの好きにさせてもらいますよ」
「ああ。忍術、忍道具を使わなきゃいい」
「………勝って、いいんですよね?」
「………もちろんだ。つーか、勝て」
カカシの右目が細められた。
「それを聞いて安心しました。…お客さんの顔を立てて負けろとか言われたら、オレ亭主と子供連れて出奔するところでしたよ」
ツナデは黙って苦笑を浮かべた。
かくして、木ノ葉の忍と、北方・鉱の国の武人の対戦という前代未聞の御前試合が行われる事となった。
火の国に来ていた鉱の大使は、もちろん初めからそのつもりだったわけではないので、自分の護衛程度の人間しか連れてきていない。
鉱の国から腕に覚えのある武人を呼び寄せるのには日数がかかるので、開催は二ヵ月後。
木ノ葉の里内でも一旦御前試合の情報が流れると、俄然大衆の興味を引いた。
他国の武人と木ノ葉の忍が忍術無しで勝負する。
これはぜひ見たいと、ツナデの元に問い合わせが殺到したのだ。
「…色々とあった後だし、皆も気晴らしが欲しいんだろ。………仕方ないね。見物人をすべて締め出すと良からぬ憶測で何を言われるか、わかったもんじゃないし。かと言って、タダで誰でも見られるようにすると、混乱するだけ、か」
ツナデは指先でこめかみを揉んだ。里の建て直し、依頼任務を捌くだけでもオーバーワーク気味なのに、火の国の殿様も厄介ごとを増やしてくれる。
書類整理を手伝っていたコテツが口を挟んだ。
「会場は、以前に中忍試験本選が行われた所を直して使うのでしょう? あそこなら貴人の警備がきちんと出来ますし、見物客の出入りもチェック出来ます。確実に警備体制が敷ける程度の人数制限をするなら、入場券を売るのが一番いいんじゃないですか?」
「………金を払ってまで試合を観たくないという人間は、来なければいいのだ、か?」
コテツはにっこり笑って頷いた。
「確かに木ノ葉は、火の国の軍事力ですが。…お殿様のものってわけでもないんですから。言われた通り試合はするんだし、入場料を取るくらい別にいいじゃないですか。鉱のお客人から金取るわけじゃないんだし。親善試合ってことで、一般人にも公開したお祭にしてしまった方が、たぶんいいですよ」
部屋の隅で本を積み上げていたイズモがボソッと呟いた。
「………収益が余ったら、鉱の方々の歓迎会でも親睦会でも開けばいいんじゃないですか? そしたら、木ノ葉が試合を儲けに利用したなんて言われないっすよ。どっちみち、接待には金が要るんです」
そうだな、まさに一石二鳥、とツナデは頷いた。
「よっしゃ。ソッチの方向で話を進めておくれ」
コンコン、とノックの音がして、シズネが顔をのぞかせた。
「あのぅ、ツナデ様。……テレビ局が御前試合の生中継をしたいと申し入れをしてきましたが………」
ツナデは、はあっと大きく息をついてからパタパタ、と手を振った。
「追い返せ。報道関係へは試合結果のみ発表する。他国の貴人も招待してるんだ。警護の都合だとでも理由をつけろ」
「はい、承知しました」
「…ったく、忍が戦っている様子をテレビ中継だと? 正気か。…ンなもん、映像に残せるかい。…ああ、もしも取材に来ても写真撮影は一切禁止。カメラ持ち込んだら、問答無用で壊すと言え。…コテツ、イズモ」
「はい」
「これは、一般の観戦客も同じだ。映像記録を残せる機材は持ち込み禁止。徹底させろ。入場時にチェックして、見つけ次第没収。…それと、事務方やアカデミーの忍師達には、入場券を利用した不正行為や、試合に関する賭博行為に眼を光らせるように通達。御前試合までの間、里を出入りする者には細心の注意を。…面倒だろうが、頑張っておくれ」
目にする機会など皆無なはずの上忍の戦いが見られるとあって、里の中は結構盛り上がってきていた。試合会場の周囲には屋台が並び、試合前からお祭ムードである。
特に、写輪眼のカカシが出るという情報が流れてからは、入場券が飛ぶように売れ出し、普段は報道管制の所為で忍者に関する記事は殆ど無い新聞にも、連日のように御前試合に関する記事が載るようになった。
「かったるい」だの、「本当にやるのかよ」などとヤル気のないセリフを吐いていた出場者(大半が強制されての出場)達も、こう騒ぎが大きくなり、見物人が多いとなると、気を引き締めざるを得なくなる。
大勢の目の前で、みっともない試合をするわけにはいかない。
忍者達は、自分が負けるとは微塵も思っていなかったが、油断は大敵だと肌で知っていた。
普段、忍術や忍具に頼った戦闘をしている分、素手のみでの試合だと勝手が狂うかもしれない。
皆、秘かに組み手の練習量を増やし、試合に備えるのであった。
◆
帆はいっぱいに風を受け、舳先は白い波を蹴立て。
穏やかな青い海の上を船は進んでいた。船長や乗組員に言わせれば、滅多にないほどの好天に恵まれた順調な航海だ。
乗客達も、穏やかないい日差しに誘われて甲板に出てきている。
彼らは、鉱の国からはるばる御前試合の為にやってきた武人達や招待客らであった。
「やっぱり南の方は暖かいねえ。いい風だ」
「しかし、忍者っていうのは、妙なワザを使ったり、コソコソと隠れて胡散臭い事をするような連中なんだろう? 我らのような、誉れ高き武人がわざわざ出向いて戦うほどの相手だろうか」
「…国主様の命令だ。………だが、聞いた話では忍者もバカにしたものではないらしい。
戦闘形態が我らとは異なるだけで、強い男がたくさんいると聞いた。…俺は、楽しみだ」
「そうそう。……五大国だか何だか知らんが、北の小国と侮られぬ為にも、我々の力をしっかりと見せつけねば」
武人達は、てんでに好きな事を言って笑っていた。
彼らから離れた上部甲板には、招待客―――つまり、鉱の中では有力者である『貴人』達が、やはり初めて訪れる中央の国の噂話をしていた。彼らの大半は、これを視察・外交名目の観光とみなしている。
「五大国には、国主とは別に国の中に軍事を担う独立自治区の長がいるのですよ。火の国の場合、火影といって忍者の長というわけです。…なんでも、近年代替わりしてその座に着いた火影が、えらい美女らしいですぞ」
「ほほう、物知りですな。…それは楽しみが増えましたな。…それに中央の国ですから、さぞ美味いものもあるでしょうなあ」
顔をつき合わせてそんな噂話をしている集団からは離れ、一人の男がデッキの手すりにもたれて嘆息していた。
「………ああもう、何だってこんな遠い所までワザワザ来なきゃならないのかねえ………私は船旅が苦手なんだよ。潮風で身体はベタベタになるし、船は揺れるし。…陸路でだって来られるのに、何でまたわざわざ海路なんだか………」
彼より年配の、使用人らしい男が苦笑した。
「これもお仕事のうちでしょう、お館様。この方面への陸路は山越えがきついので、普通は海路になるとご存知でしょうに。かかる日数も十日近く違うそうですよ。それに、大勢の移動には、船の方が都合よいとわかっておいででしょう?」
「………まあね。…………でも私は、船が嫌いなんだ」
子供のような膨れっ面で海を眺めている男に、使用人はやれやれと大げさに肩を竦める。
「よその国で見聞を広めるのは良い事だと、常々他の方には仰っているではありませんか。お館様も屋敷にこもってお仕事ばかりなさってないで、たまには気分転換もなさいませんと」
「その通りですわ。お仕事、お仕事でろくに舞踏会にもおいでにならない。貴族にとっては、社交もお仕事のうちではないのですか?」
振り返ると、年の頃は十八ほどの淡い金色の髪を風になびかせた少女が男に微笑みかけていた。
男は優しい笑みを浮かべて少女を迎える。
「これは姫。…潮風は髪を傷めますよ?」
少女は男の隣に来て、デッキの手すりに指をかけた。
「構いません。わたくし、海は好きですから。…いえ、好きになりましたの。………綺麗ですわ。海というものが、こんなに青いなんて知らなかった………」
「そうですね。…鉱の海岸から見える海は、このように美しい青ではないですから。………それにしても、貴方のような姫君がこの旅においでになるとは思いませんでしたよ。………御前試合にご興味がおありですか? それとも、火の国においでになるのが目的かな」
ふふ、と少女は笑った。
「そうですね、両方です。…一度よその国を見てみたかったし、それに、我が鉱の国の武人の腕前を見られる良い機会ですもの。どうせ嫁がねばならないのでしたら、武芸に秀でた殿方がよろしいですから。……ああ、もちろん品性
やお人柄も大事ですが」
男は驚いたように少女を見た。
「…まさか、この御前試合で花婿候補選びを…?」
少女はツンと顔をそむける。
「貴方が、わたくしを振るからですわ。…ええ、どうせわたくしのような小娘に、貴方のようなご立派な殿方の妻は務まらないでしょうけど」
男は慌てたように首を振った。
「そ、そうではなくて! 私と姫では親子ほど年が違うし、こんなオジサンに嫁ぐのでは姫がお気の毒で………それで………」
少女は男のうろたえた様子を見て、苦笑する。
「お気遣い無く。…わかっておりますわ、鉱山王。………貴方は、亡くなった奥様を未だに愛していらっしゃるのでしょう? 今までどんなにご縁談があっても、全部お断りになってらっしゃいますものね
。…それだけが、救いですわ。………わたくしだけが断られたわけではないと」
言葉を詰まらせた主人を庇うように、使用人が控えめに声を掛けた。
「…お館様。陸地が見えて参りましたよ」
水平線に、陸地が薄っすらと見えている。
男は眩しそうに目を細めた。
「………あれが、火の国か………」
08/11/3 |