それは予期せぬテンペスト(中) −2

 

 

医院の医師が紹介してくれた宿は、カカシの感覚からすれば申し分なかった。
高級感など全く無い質素な宿だったが、夜具に不潔なところはなかったし部屋に隙間風が入るわけでもない。野宿をする事を考えれば、上等である。
一行の中で一番の貴人であるサクモが文句ひとつ言わずに涼しい顔をしているので、従者のカノウも鉱の若い武人達も不満を口に出来るわけも無く。黙って自分の仕事をこなしていた。
入浴と、宿が用意してくれた食事を済ませ、子供達を寝かしつけたところで、姿を消していたテンゾウが戻ってきた。カカシが一人のところを見計らい、そっと声をかけてくる。
「先輩」
「どうだった?」
「『草』は、あの医院の女医者でしたよ。昔、ツナデ様の部下だったようで。もう、五年程この町にいるそうです」
カカシは微苦笑を浮かべた。
「やっぱりね。何となく、そんな気もしたんだ。…オレのこと、バレてる?」
「先輩の正体までは気づいていないようです。ですから、ボクは任務の途中で偶然『しるし』に気づいたから立ち寄った、としかあちらには伝えていません」
「うん、それでいいよ。でも、オレ医院でちょこっとチャクラ使ったから、彼女が感知タイプの忍だったらバレてるかもしれないけど。…で? 何かめぼしい情報は?」
テンゾウは曖昧に首を振る。
「医師という職業柄、ただあの医院に座しているだけで結構情報は入ってくるそうですが。ここ半年、木ノ葉に報告するような案件は無かったとのこと。強いて挙げるなら、多少気になる噂があるそうで」
カカシは黙って先を促す。
「確たる情報では無いという断りつきですが。二週間くらい前から北の方の国で抜け忍などのはぐれ忍者を複数雇い入れている者がいる、という噂が時々耳に入るとのことです。ただ、豪商などが私兵を雇うのは珍しい話ではありませんから、取り立てて木ノ葉に報告はしていなかったと」
「……うん、そうだな。それ自体は珍しい話じゃないな」
地方で家と私財を護っていく為には、私兵が必要な場合も多い。
以前、カカシが七班と共に赴いた波の国の豪商、ガトーも自分の手駒となる私兵としてゴロツキや抜け忍を大勢雇い入れていた。
「わかった。他に特に不穏な動きは無いんだな?」
「ええ。今は特に里や国同士で戦争状態に陥っている地域は無いはずですし。…表立っては、ですが」
「そりゃあまあ、細かく見ていけば色々あるんだろうけどね。……ま、いい。ご苦労様、テンゾウ」
テンゾウは黙って頭を下げた。
「この先でも、もしも木ノ葉のしるしを見つけたら、接触して情報を仕入れておいてくれる?」
「了解です」
フッとテンゾウは姿を消した。
単純計算では、後二週間弱で鉱の国に入る。
この先警戒するとしたら、馬車を襲ってくる強盗の類くらいだろう。
山越えの際、今の馬車ではギリギリの幅の山道もあると聞いた。逃げ道が無い場所で襲われたら、馬車を護るのに普通はかなり苦戦する。
それも、今回カカシはあまり気に病んではいなかった。
木遁使いのテンゾウがいる。樹木の多い山間部では、周り中が彼の味方だ。襲ってきたのが火影クラスの忍でない限り、あの男の敵では無い。
「カラシさん」
カカシはゆっくりと振り返る。
廊下に、イルカが静かに佇んでいた。
「子供達は? イルカ先生」
「よく眠っています。チハヤの熱も下がりましたし」
「やっぱり、ツナデ様の薬はよく効きますね。…でも、大事を取ってこの町で一泊したのは良かったと思います。この先、山越えになりますし」
クス、とカカシは笑った。イルカは首を傾げる。
「どうしました?」
「いえ、オレってつくづく忍の考え方しか出来ない人間だな、と思いまして。ほら、木ノ葉から鉱の国へのルートを調べた時、オレったら山越えと言ったら山をそのまま一直線に突っ切ることしか考えないで、子供達連れて獣道行くのは大変かもとか、鉱の人達って枝伝いに跳んだりって出来ないよね、とかそんなことばかり心配してしまったんですよね」
イルカも笑った。
「瞬間、思っちゃいますよね、それ。忍者って山や森でマトモな道通りませんから、普段。一拍置いて、思い出すんですよ。ああ、隊商が通れるような普通の道がある山もあるんだよって」
「オレなんて一拍どころか、数秒思い出せませんでした。このところ、お偉いさんの護衛任務とか無かったもんで、普通の人に合わせるって感覚が薄れていて」
カカシはため息をつく。やっぱりこんな自分が娘では、父親に恥をかかせそうだ。
「……お母さんのお墓参りさせてもらったら、あまり長居しないで帰ろうと思うんです」
「それは、カラシさんの思うように。…お母様のお名前、シアン様、でしたか。俺もお参りさせて頂いてもいいですか?」
カカシはぴょこんと顔を上げた。
「もちろんです! オレ、さらわれた当時はきっと母にも凄く心配させたんだと思うし。貴方の娘はこうして生きていて、いい旦那様と可愛い子供達にも恵まれたんです、安心してくださいって、そう報告しに行くつもりなんです。イルカ先生がいてくれなきゃ、紹介出来ないじゃないですか。オレの方からお願いするつもりでした。お墓参り、一緒に来てください」
「はい。…喜んで」
カカシは、イルカの肩に頭をすり寄せる。
「ありがと、せんせ」

:::

宿の厩舎に馬を預けていた鉱の武人達は、就寝前に馬の様子を見にきていた。
馬達の体調が悪くないのに安堵したセキヤとイシトは、ついでに馬車の具合も確かめる。
車輪の点検をしつつ、イシトは口を開いた。
「なあ、セキヤ」
「何ですか? イシトさん」
「我々は、少し疑い深くなり過ぎていたな」
セキヤは、微苦笑を浮かべる。
「カラシ様のことですか?」
「うん。我々の抱いた危惧は当然だと今でも思う。この間お前が報告してくれた、血を嗅ぎ分ける特殊な犬の話とか、木ノ葉側が白牙公のご息女の話を知らなかったという話を聞いても尚、俺は完全に信じられなかったのだ。……しかし、もしも彼女が木ノ葉側の用意した白牙公のご息女の偽者なら、もう少し違う芝居をしそうなものだしな」
『カラシ』の態度は基本的に護衛の忍としてのものだ。
イシト達にも、お嬢様扱いはしないで欲しい、と度々口にする。
彼女が忍と違う顔を見せるのは、子供達の前でだけであった。
「カラシ様って、娘として白牙公に取り入ろうとするような言動、一切無いですものね」
「それにな。…気づいているか? カラシ様の左眼。眼帯で隠していらっしゃるけれど、大きな傷痕がおありのようだ」
セキヤは、はい、と小さく頷いた。
「実は俺、一度湯上りで眼帯を取ってらっしゃるカラシ様のお顔、見てしまったことがあるんです。こう…左眼の上をスパッと傷痕が走っていて、痛々しくて。あんなにお綺麗なのに顔に大きな傷痕だなんて、お気の毒で………」
「あの傷跡に気づいた時、思ったのだ。行方不明の娘をでっちあげるとして。わざわざ顔面に大きな傷痕を持つ女性を用意するだろうか。髪や眼の色など、どうにでもなるのに、と。…カラシ様には申し訳ないが、俺はあれで本当に彼女がエン・カグヤ様だったのだな、と思えたのだよ」
「ですよね。俺ら騙すつもりなら、なんつーのか…もっと女っぽいヒト、連れてきますよねー。カラシ様って、美人だけどご自分が女性だって事を押し出してくるタイプじゃないですもんね」
そこがかえって『白牙公』のお嬢様らしい、と言えばらしいのだが、彼らはそこまで思い至らなかった。
「イシトさん。俺ね、失礼だとは思ったんですけど、ご本人じゃなくて旦那さんの方に訊いた事あるんです。カラシ様は本当に左眼が見えていらっしゃらないのですかって。…だって、だとしたらカラシ様は左側が死角だってことになるでしょう? 危ないじゃないかと思ったんですよ」
「大胆なヤツだな。…で、イルカ殿は何と?」
「ご心配なく、と笑ってらっしゃいました。カラシ様が左眼を失ったのはまだ十二、三歳の頃だとか。それでも戦場に赴き、今日まで生き抜いてきた歴戦の忍です、と」
「なるほど。我らが心配するまでもないということか」
セキヤは肩を竦めた。
「みたいですね。本当に強いみたいです、カラシ様は。…彼女の、上忍という肩書きは長く忍をやっていれば得られるものではない、とも言っていましたから。ご自分の奥様を尊敬しているみたいですね、イルカ殿は」
「ほう?」
「俺の感覚なんかじゃ、女房の方が格上で強いなんて、なんかこう…引け目感じちゃってあんまり他人には言いたくないような気がするんですが、忍の世界はそういうところ違うんでしょうかね」
「でも、見たところカラシ様はイルカ殿にとても丁寧に接していらっしゃる。お互い、敬語で話している夫婦も珍しいと思うのだがな。かといって、よそよそしいわけじゃなくて仲も良さそうだし」
「そうなんですよねー。…よそよそしいと言えば、お父君への態度の方が余程よそよそしいですよ、カラシ様。冷たいわけじゃないけど、さりげなく一線を引いていらっしゃる。他人行儀と言うか……いっそ、公がお気の毒になるくらいです」
イシトは屈んで、車軸を確かめた。
「公がお気の毒、か。確かにな。…しかし、カラシ様としてもお立場が微妙なのだろう。俺はむしろ、お子様方が公に懐いていらっしゃるのがな。……チドリ様もチハヤ様も可愛らしいお子様だ。公がお嬢様だけではなく、お孫様達とも別れ難く思われるのではと……つい、出過ぎた心配をしてしまう。俺が案じたところで、何にもなりはしないのだが」
「チドリ様、可愛いですよね、大人しくて聞き分けもいいし。俺、小さい子なんてもっとワガママで、すぐワーワー泣きわめくようなのしか知らなかったから、ちょっと驚きです。あれで三歳だなんて。あ、そういえば俺、カメさん頂いたんですよ、チドリ様に。折り紙の」
「俺は、イヌさんを頂いた」
ほれ、とイシトは黄色っぽい千代紙で折られた犬を懐から出してみせる。
「ははあ、皆にプレゼントしなきゃ不公平だって思われたのかもですね。カノウさんもツル、頂いていたし。公なんか、こんな可愛いプレゼントされたらメロメロっすよね、もう」
イシト達は知らなかった。カノウ、セキヤ、イシトにそれぞれ千代紙で作った可愛らしい折紙細工をプレゼントしていたチドリが、母親の促しがあったにも拘らず祖父サクモにはまだ何も渡していなかったことを。
「俺だって、あの可愛らしい声で、おにぃちゃん、なんて呼ばれるとつい何でもしてあげたくなっちゃいますよ。あ、アブナイな俺も」
あはは、と笑うセキヤを、イシトはやや不機嫌そうな眼で見た。
「お前、チドリ様にお兄ちゃん、なんて呼ばれているのか。俺はおじさんって呼ばれてるぞ。何故だ……トシ、そんな変わらんのに」
最初に馬に触らせてあげた所為で、チドリはイシトを『おうまのおじさん』と認識したらしい。あれ以来、いつもそう呼びかけられる。
セキヤはせっせと車輪の泥を落としながら、笑った。
「イシトさん、ヒゲがあるからじゃないスか? チドリ様は、おひげがあってシワシワ〜なのがおじいちゃんだって思い込んでらっしゃるようだし! そういう子供の目基準があるんじゃないかと」
セキヤのつるんとしたあごを見て、イシトはやや納得した。
「ああ、ヒゲ……そうか、ヒゲか。そう言われればな……うん」
では、これを剃ったら『お兄ちゃん』になるのだろうか。いや、そう単純な話でもない気がする。
「まあ、いい。三歳児から見れば、立派なおじさんだろうしな。たぶん、俺とカラシ様は年齢もそう変わらないだろうし」
「そうですね。イシトさん、カラシ様の旦那さんと同い年みたいですよ」
イシトはセキヤを見た。
「それも、イルカ殿に聞いたのか?」
「あ、ええ。何となく年齢の話になった時に。でも、もう一人のテンゾウ殿って人の事は全然。イルカ殿もよくは知らないそうですよ。テンゾウ殿って、マジ忍者ですよね。神出鬼没で」
「カラシ様なら彼の事をご存知だろう。知りたいなら、訊いてみたらどうだ?」
とんでもない、とセキヤは首を振った。
「カラシ様ご本人はお嬢様扱いしてくれるなと仰いますが、やはり白牙公のご息女と思うと緊張しますし。…もしも、何事も無く鉱の国でお育ちになっていたとしたら、俺なんかがお姿を見る事も叶わないような深窓の姫君ですよ」
そうだな、とイシトは呟いた。
鉱の七大貴族の令嬢として生まれた彼女が、どうして木ノ葉の忍となってしまったのか。
その詳しい経緯を、二人は知らされていなかった。
一歳の時に誘拐され、そのまま行方がわからなくなったとしか聞かされていない。
「……本当に、数奇な運命としか言いようが無い。しかし、忍の里などでお育ちになられて、よくぞ今までご無事だったものだと思うよ」
忍の世界とその生活というものが、二人には想像もつかない。だが、女性が顔にあんな大きな傷を負うような過酷な環境だということは確かだ。
鉱の上流社会とは、まるで違う世界。
かの貴族達は、忍の里で育った彼女を珍獣の如く見るかもしれない。鉱山王の姫に表立って無礼を働くことは無いかもしれないが、陰で何を言われる事か。
「白牙公は、カラシ様…カグヤ様を公の場でお披露目なさるおつもりでしょうか」
「さあな。でも、白牙公は聡明な方だ。何をなさるにしても、きちんとお考えがあってのことだろうよ。…さあ、さっさと馬車の点検終わらせて、俺達も休まねば」
「はい!」
二人の様子を物陰からそっと伺っていたテンゾウは、気配を殺したままその場から離れた。
(お披露目、ねえ。あの先輩が、大人しく貴族さん達の好奇の目に晒されるとも思えないけれど。でも、先輩があの鉱スタイルのドレスを着たら似合うだろうな。…あ、ちょっと、拝んでみたい気がする。先輩の女装……じゃなくて、盛装)
カカシの結婚式も、テンゾウは見損ねているのだ。
なんでも、物凄く綺麗な花嫁姿だったという噂なのに。
彼女がドレスに身を包めば、きっと今回御前試合を観に来ていたどの貴婦人方よりも美しいに違いない、とテンゾウは思った。



 

 



 

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