それは予期せぬテンペスト(中) −3

 

 

何故、戦闘力の高い忍が馬車の護衛につくのかというと、人里離れた途端に盗賊等による襲撃が予想されるからである。
その予想に違わず、山道で馬車は襲われた。
道は馬車の幅ぎりぎり。道の左側は鬱蒼とした木々が生えている斜面で、その反対は崖。
盗賊側からすれば、身を潜めて待ち伏せるのにうってつけであり、馬車には逃げ道が無いという、実に襲いやすい状況だった。
しかし盗賊達もまさか、忍が護衛についているとは思わなかったのだろう。
護衛は、単騎で先導している武人一人に見えたに違いない。
襲い掛かった途端、どこからともなく忍達が現れ、盗賊達は馬車に指一本触れることは出来なかった。その上、普通なら襲撃の狙い目である御者も、片手で馬車を操りながら見事な棒術で賊達を寄せつけない。
カノウは、頭からすっぽりと毛布をかぶせたチハヤを抱きしめて、座席の上で身体を硬くしていた。
「お館様……」
「大丈夫だよ、カノウ。あの子達に任せておけば」
そう言いながら、サクモもチドリに毛布をかぶせてしっかりと膝に抱いていた。
「おおきいおとうさん……わるいひとが、きたの?」
「うん、ちょっとね。でも大丈夫。チドリちゃんのお父さんとお母さんは、とても強い忍者だろう? それからね、お馬のおじさん達も強いんだよ。だから、悪い人達なんかすぐ追い払ってくれる」
もしも、彼らがいなくても。
この命を懸けて、幼い孫達を護る。サクモは、チドリを抱く手に力を込めた。
「そうですよ、チドリ様。それに、チドリ様のおじい様も、とてもお強いお方なのです。ご安心召されませ」
毛布の隙間から顔をのぞかせたチドリに、カノウはにっこりと微笑んで見せる。チドリも、つられたように笑った。
やがて馬車のスピードが緩やかになり、盗賊の襲撃と同時に外に出ていたカカシが、するりと馬車内に戻ってくる。
「お騒がせしました。もう、大丈夫です」
「賊達は? カカシ」
カカシは、上げていた口布を下ろした。
「全員、捕らえました。テンゾウが木遁で檻を作って閉じ込めています。麓の町に着いたら、番所に連絡して捕縛に行ってもらおうと思っていますが」
「そう。お疲れ様だったね、ありがとう。それで皆、ケガは無いかな?」
気遣わしげな表情のサクモに、カカシは微笑んでみせる。
「鉱のお二人も、オレ達も全員無傷ですよ。ご心配なく」
チドリが、毛布からぴょこんと頭を出した。
「おかぁさん、わるいひと、やっつけた?」
「ん? 悪い人ね。お父さんとお母さんとテンゾウおじさんで捕まえたよ。それから、イシトとセキヤのおじさん達も、頑張ってチドリ達を護ってくれたの。後で、お礼を言っておきなさい」
はい! とチドリはいいお返事をした。
カカシは息子の頭を撫でる。
「後、もう少しで山を越えられるから。いい子にしていてね。……サクモ様」
「うん?」
「テンゾウが、賊達の見張りで残りました。護衛の手が足りなくなるので、オレも馬車の外に出ます。すみませんが、子供達をお願い致します」
「無論だ。気をつけて、カカシ」
「はい」
サクモが、子供達の前では自分を『カカシ』と呼ぶようにしているのにカカシは気づいていた。
元々、『カラシ』という偽名にしたのは、『カカシ』と発音が似ていたからだ。咄嗟に言い間違えても、気のせいだと誤魔化せるように。
だが、サクモは子供達を混乱させないように、気遣ってくれているのであろう。
本当は、カグヤと呼びたいのだろうに。
父親の細かな気遣いに気づくたび、カカシの胸の奥はチリリと痛む。
(今は……己の任務を全うする事だけを考えろ、カカシ)
自分にそう言い聞かせ、カカシは馬車の外に身を躍らせた。

テンゾウが分身を見張りに残し、自身で麓の番所に走っていたので、盗賊達の件は時間を無駄にすることなく処理する事が出来た。
件の山を越え、平地の街道に出てから三日目。一行は、鉱の国の国境に到着する。
国境から翠鉱家の領地へは馬車で一日。領地に入っても、屋敷までは更に半日かかるという。
国境を越えたところで、鉱山王の無事帰還を報せる為、セキヤが一人先に馬を走らせていった。
サクモは、孫達の頭を撫でて微笑みかけた。
「もう少しで着くからね。二人とも、長いことよく頑張ったね」
この馬車の旅ですっかりサクモに懐いたチドリが、ぱぁっと顔を輝かせる。
「おおきいおとぅさんのおうち?」
「そう。それから、チドリちゃんのお母さんが生まれた家だよ。少し難しい言い方をすると、実家だね」
「じっか?」
チドリはちょこんと首を傾げた。
「おかぁさん、すっごくとおいところから、コノハにきたんですね……」
「そうだね。遠い。…本当に、遠いね」
「やっぱりばしゃで? おふねでかしら」
う〜ん、とサクモも首を傾げる。
「それは、お母さんにもわからないんじゃないかな。その時、お母さんは今のチハヤちゃんくらいだったから。…たぶん」
「おおきいおとぅさんも、しらないんですか? おかぁさんのおとぅさんなのに?」
無邪気に痛いところを突いてくれる三歳の孫に、サクモは苦笑するしかなかった。
「うん、そうなんだ。お父さんなのにね。……おかしい、ね……」
聡い幼子は、その祖父の表情で何かを感じ取ったのか。
サクモの手に、小さな手を重ねる。
「おかぁさんがひとりでとおくにいっちゃったから、おおきいおとぅさんはずっとおかぁさんにあえなかったんですか?」
「ん? うん、結果的にはそうだね。…でも、チドリちゃんのお母さんが悪いのではないよ? 私が、今まで捜しだすことが出来なかっただけなんだ」
きゅ、と小さな指に力が入る。
「おおきいおとぅさんがコノハまできてくれて、ぼくうれしいです。おおきいおとぅさんのおうちにいけるのも、ぼくたちとってもうれしい。ねえ、チハヤちゃん」
兄の横でウトウトしていたチハヤは、ぱち、と眼を開けた。
「とーた? うれし?」
「私も、嬉しいよ。木ノ葉に行って、本当に良かった。チドリちゃんやチハヤちゃんや、みんなに逢えたからね。みんながこうして、こんな遠い国まで一緒に来てくれたことも、とても嬉しいんだ。……ありがとう」
主の心を思い、カノウはそっと目頭を押さえる。
娘は生きていると頑なに言い張り、葬式をだすことも墓を作る事も拒み続けたサクモ。
その娘を想う気持ちの深さに、天の神が応えてくれたとしか思えない。
鉱の国から遥かに遠い木ノ葉で彼の娘が生きていた事も奇跡なら、長い歳月を経てその遠い地で彼らが再び出逢えた事も奇跡だ。
カノウは、両手の指を組んで心の中で神に感謝の祈りを捧げた。
そして、思う。
木ノ葉からここまでついてきてくれた彼女達一家は、やがて『任務』を終えたら里に戻ってしまうのだろう。
子供達を連れてくることに同意してくれたのは、彼女の最大の譲歩だということはわかっている。様々な危険を盾に、断る事も出来たのに。
(お嬢様、出来れば一日でも…いいえ、一分一秒でも長く、チドリ様達と共にお館様のお傍にいらしてくださいませ。お父様のお心を、どうぞお汲み取りくださいませ……)

:::

御者のイシトは、手綱を引いて馬車を止めた。
「白牙公! あれは翠鉱家の方々でしょうか」
動こうとするサクモを「わたくしが」押し留め、カノウは馬車の外に顔を出す。
「ああ、はい。セキヤ殿がお報せくださったので、迎えの者が来たようです。どうぞこのまま、馬車を進めて下さい」
「はい」
馬車は再び動き出す。
「カノウ? 誰が来ているんだい」
「屋敷の警備担当の者達数名と、筆頭書記のトキワがお出迎えに」
サクモは肩を竦めた。
「ああ、トキワか。やれやれ。仕事をたんまりと山積みにして待ち構えていそうだな。書斎に行くのが怖いよ」
「さようでございますねえ…」
確かに、不在期間が予定を超えて長くなってしまっている。主の決裁を待つ書類が山のようにたまっていることは間違いないだろう。
ここは、余計なことでも自分がでしゃばるべきだとカノウは思った。
お嬢様方のご滞在中、お館様が書斎にこもりきりになるような事にならないように、トキワに配慮させよう。もちろん、お館様には内緒で。
「チドリちゃん」
「はい」
カカシの膝の上で窓の外を見ていたチドリは、サクモに向き直る。
「これから行く家にはね、たくさんの人がいるんだ。家が大きいので、そういう人達に支えてもらっているんだよ。私の仕事を手伝ってくれている人や、家の管理…つまり、掃除をしてくれたり、食事を用意してくれる人が、それぞれいる。…そういう人達は、私の家族では無いけれど、一緒に暮らしているんだ。わかる?」
カカシは口を挟まず、息子を見守る。
チドリはパチ、と瞬きした。
「わかる、とおもいます。…ほかげさまのおやしきに、ほかげさまをおまもりしたり、おせわしたりするひとがいます。おなじ、ですか?」
やはり、この子は三歳児にしては聡い、とサクモとカノウは思った。
「うん。同じだと思うよ。…それでね、もしかしたらチドリちゃんが思っているよりも、人がたくさんいるかもしれないんだ。でも皆、私のところで働いている人だから。それだけ、覚えておいて」
チドリはこっくりと頷いた。
「わかりました」
馬車がゆっくりと停止した。
馬車の外から、声が掛かる。
「お館様。無事のご帰還、お慶び申し上げます。遠方へのご視察、お疲れ様でございました」
サクモは、窓を開ける。
「長いこと留守にしてすまなかったね、トキワ。私がいない間に、何かあったかい?」
サクモと同年代の、生真面目そうな顔つきの男が一礼した。
「急ぎご判断を仰ぐような問題はございません。ですが、目を通して頂きたい書簡や書類はそれなりにございます。後ほど、ご報告と説明を」
「なるほど。うん、それは覚悟していたよ」
トキワは微笑を浮かべた。
「旅のお疲れを癒されてからで結構ですよ、お館様。わたくしがお出迎えに参りましたのは、ご無事なお姿を早く拝見したかっただけですから。早く仕事に戻ってくれという催促ではございません」
「それを聞いて安心した。私の方からも色々あるし、話は屋敷に戻ってからにしよう」
御意、とトキワは再度頭を下げた。
それを合図に、馬車は再び動き出す。
領内を屋敷に向かう馬車の護衛は、一気に増えた。
八騎の馬が、前後左右を囲むように走る。
イルカとテンゾウは馬車の周囲を彼らに譲り、少し離れてついていった。
やがて、壮麗な門が眼前に出現する。
馬車が近づくと、門は静かに開いて彼らを迎え入れた。
その門を通り過ぎても、すぐに屋敷があるわけではなかった。
それから更に馬車で二十分は走っただろう。ようやく、大きな屋敷が見えてくる。
イルカは屋敷の規模に、やや気後れし始めていた。この大きさは想像以上だ。
我が家など、鉱山王の眼からは馬小屋並みにしか見えないのではないかと思っていたが―――この分では、馬小屋以下に違いない。
こんな大きな家のお嬢様だったのだ、カカシは。
この景色を馬車の窓から眺めながら、彼女は何を思っているだろう。
(カカシさん………)
貴方があの方の娘だという事実は動かない、と言ったのはイルカ自身だ。
しかし、こうなるとその『動かない事実』が重い。
自分は事態を甘く見ていたのかもしれない、とイルカは唇を噛む。
屋敷のエントランスに、帰還する主人を迎えようと使用人がずらりと並んでいる。
その前に馬車が滑り込んだ。
サッと使用人が飛び出してきて、馬車の扉を開く。
馬車から降り立った銀髪の男に、そこに並んだ全員が一斉に頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、お館様!」
サクモは一同を見渡し、ニコリと微笑んだ。
「ただいま、皆」



 

 



 

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