それは予期せぬテンペスト −19
どうぞお座りください、とカカシはサクモに椅子を勧めた。 「………五代目からどの程度、話をお聞きになってらっしゃいます? …例えば、オレがこんな風に男のように話し、振る舞う理由は? …これは、オレが写輪眼を得たから、だけではないんですよ。………オレは、物心つく前から男として育てられてしまった為、自分を女だとは思っていませんでしたし、そもそも人間には性別があると言う事も知らないような、野生児だったんです。…四代目なんて、最初にオレを発見した時は白いサルの子だと思ったそうですよ」 カカシの言葉に、サクモはショックを受けたように眼を瞠った。 「………………そんな話は、聞いていない」 カカシはふわりと微苦笑を浮かべた。 「そうですね。五代目も、オレの生い立ちを詳しくご存知ではないでしょうから。…オレ自身に記憶が無い以上、オレの全ての事情を知っている人間なんて、今はもうこの世にいないのだと思います………」 そこでカカシは、以前イルカに話したのと同じ内容の生い立ちをサクモにも話した。 「………気づいた時には、オレは山の中でその老人と二人だけで暮らしていました。彼がどうしてオレを育てることになったのかは、誰にもわかりません。…鉱の国からは遠い、火の国の山の中に隠れ住んでいた理由も」 サクモは椅子の上で身体を折り、両手のひらに顔を埋めた。 「………………何という事だ! ………私の大事な…………小さなカグヤが…そんな………」 「………ありがとうございます」 「………………え?」 カカシの唐突な感謝の言葉に、サクモは顔を上げた。 「オレが今まで生き延びてこられたのは、元々健康で丈夫な身体を持っていた事と、生まれながらに忍としての素質を持っていた事に因る部分が大きい。………両方とも、貴方にもらったものです」 忍にとって、『血筋』が重要だという事は周知のこと。特殊な能力は、大抵その家系にしか現れないのがいい証拠だ。こればかりは本人の努力だけではどうにもならない。 元々無いところから、質の高いチャクラを練り出すことは不可能なのだから。 それに、もしもカカシの身体が虚弱だったならば、あの粗末な山小屋と薄っぺらい衣服しかない状態で、冬山の厳しい寒さは耐えられなかっただろう。忍としての訓練にもついていくことは出来なかったはずだ。 「………オレに忍としての才を与えてくれたのは貴方か、母なのでしょう。………いや、おそらくは武人として稀有の力をお持ちだという白牙公。…貴方の血でしょうね」 カカシの言葉に眼を見開いていたサクモは、やがて薄っすらと苦笑した。 「…………そうか。君に戦う者としての適性と能力がなければ、忍にはなっていなかったかもしれないのか。……………私は、君を忍にした運命の神を呪ってしまったけれど。………私の所為だったとは」 カカシは首を振る。 「所為、じゃなくて、おかげ、です。………余所者のオレを受け入れてくれた、この里の人達を護ることが出来たのは―――その力を与えてくれたのは………」 そして、その力は彼女をミナトの傍にいさせてくれたし、イルカと出逢う運命にも導いてくれた。 「………オレは、忍となったこと後悔していません」 サクモは苦笑を浮かべたまま「そうか」と呟いた。 「………きっと君は、鉱の国で育ってもお転婆な姫君になっていたのだろうね。…私の反対なんてものともせず、剣を取って武人になるような」 「………………そうかも、しれませんね」 自分が貴族のお姫様、などというのは想像も出来なかったが、今彼が言った、親の心配も反対も蹴飛ばして女だてらに武人になる自分、というのは何だか想像できておかしかった。 綺麗なドレスよりも乗馬服を好み、装飾品よりも剣を選ぶ、お転婆な女の子。 それなら十分に自分の性格の範囲内だ。 どちらにせよ、親不孝な気はするが。 ふ、とカカシは息を吐いた。 「………………貴方には色々と、伺いたい事がたくさんありますが。それは、今でなくてもいいんです。この旅は長いものになるから。話をお聞きする機会もあるでしょう。……それよりも、あの武人の方達と打合せをする前に、一つ確認しておきたい 事があるんですが」 「………何だい?」 「貴方、この先も『娘』を諦めるつもりはない。…オレと出会った事を無かったことにする気はない………のですよね?」 サクモは頷いた。 「それくらいなら、今頃泣きながら船に乗っている」 「………………そうですね。愚問でした」 「私の方こそ、訊きたい。…君は、私を父親だと………認めてくれる気はあるのかな?」 カカシの視線が、ふと泳いだ。 「―――と、言うか。………いいのかな、と思います。………オレ、人殺しなのに。…何人殺したかも覚えてません。そんな娘、お嫌じゃないですか?」 カカシの問いに、サクモは眉を顰めた。 「………忍として、だろう? 殺さなければ、死んでいたのは君の方だったんじゃないのか? いずれにせよ、それが君の仕事だった。それだけだろう。………私の手だってね、そういう意味では全然綺麗ではないんだよ。………君が自分を人殺しと言うなら、私だってそうだ。………私も覚えていない。戦場で、何人殺したか、なんて」 軍功をたてる、というのはそういう事だ。この男が武人として白牙公と異名をとる以上、その言葉には嘘も誇張も無いだろう。 カカシは思わず薄っすらと笑った。 育ての親である四代目の手は、里を護る為に血まみれだった。実の親であるこの男も、同じく国を護る為に戦場に立って、他人の返り血を浴びていたのか。 よくよく、自分はそういう男と縁が深いらしい。 「………………オレ、同じ忍者にもバケモノ呼ばわりされるような人間なんですけど」 サクモは小さく肩を竦めた。 「それは仕方ないだろうな。……私の娘なんだから」 カカシは笑ってしまった。どういう意味だ、それは。 「さあ、他には? まだカードがあるかい?」 この調子では、何を言ってもこの男は引くまい。 「いいえ。………降参です」 カカシは、机の引き出しから大きめの封筒を取りだした。 「では、これを」 サクモはカカシに手渡された封筒を受け取った。 「中を見ても、いいのかな?」 「ええ。………貴方には、お見せすべきかな、と思うから」 封筒から出てきたのは、写真だった。 「………これは………!」 サクモは、食い入るようにその写真を眺めた。 「………君の結婚式の写真だね。………綺麗だ。とても綺麗だ。花嫁衣裳がよく、似合っている」 「ありがとうございます。………実はこの時もう、お腹にチドリがいまして」 唐突な娘の告白に、思わずサクモは聞き返してしまった。 「………え?」 カカシは澄ました顔で、写真に写った自分の腹の部分を指差した。 「お腹を締め付けない衣装でしょ? これ。まだそれほどお腹目立ってなかったんですけど、やっぱり念の為に」 写真を眺めていたサクモの表情が、微妙に曇る。 「…………………もしかして、子供が出来たから…結婚………した………とか?」 「まあ、そんなところです。…もっと正確に言うなら、お腹に出来た子供を盾にとって、半ば強引に泣き落としで結婚を認めてもらったんです。………その当時の、火影様に」 カカシは、ポツポツと説明した。 「………当時オレは、完全に男扱いだったんですよ。里の中でも、オレの本来の性別を知るのはごく限られた少数の人達で。オレは、同胞すら欺いて、男として生きていた。………そんなオレが、まともな結婚なんて出来るはずがなかったんです。………オレの妊娠は最初、里の上の人達には歓迎されなかった。………堕ろせ、と言われても当然の状況の中、イルカ先生はオレと、お腹の子供を必死になって護ってくれました。………彼の必死さと、オレの子供を殺したくないという強い願いに、三代目は折れてくれたんです」 ほ、とサクモは息を吐く。 「ああ。………そういう事だったの。つまり、彼と一緒になる為には、先にそういう既成事実を作る必要があったわけだね」 「結果的にはそうですね。………計画的にそうした、というわけじゃなかったんですけど」 「うん。…まあ、子供は授かりものだからね」 ―――で、とサクモは眼を上げた。 「………何故、その話を私にしたの?」 わざわざ今、このタイミングで結婚当時の事情を話したからには理由があるだろう、とサクモの眼が言っていた。 カカシは目許を和ませる。 自分の父親が、勘のいい男だというのはなんだか嬉しい。 「………要するに、『はたけカカシ』は、この里の中でも男だったわけで。…男が男と結婚するわけにはいかないでしょう? ………だから、オレには仮の姿があったんですよ。…うみのイルカと結婚したのは、芥子という名の普通のくノ一。………そういう事に、したんです。………結構ね、みんな気づきませんでしたよ? うみの芥子=はたけカカシだって」 サクモは、彼女の言わんとする事に気づく。 「つまり。………つまり、今回もその手を使おう、という事かな?」 カカシは頷いた。 「………うみの芥子も、木ノ葉の忍です。…貴方のところに戻れるわけではありません。………でも、はたけカカシが貴方の子だと知れるよりは、状況が数倍マシなんです。………実は、オレの首には賞金も掛かってるんですよ。他国の里の手配帳には、Sクラスの危険人物として載ってるんです。………親子だと知れれば、貴方にまで迷惑が掛かる。………だから………」 「………私は、鉱に着くまでの間に、何とか君と繋がっていられる方法を考えようと思っていたんだけど。…君はもう、色々と考えてくれていたんだね。……君の言う危惧も、理解は出来る。私も、私の事なら気にするなと言いたいが、あいにく背負っているものがあるし、君に心配をかけるのも本意じゃない。………だから、君の案に乗ろう。…私は、はたけカカシという人物が欲しいのではないからね。………私の可愛い大切な娘と、これっきりになってしまうのが耐えられなかっただけなんだから」 サクモはゆっくりと手を上げ、カカシの頬に触れた。 「………ありがとう、カグヤ」 カカシは、その手にそっと自分の手を重ねた。 まだ、面と向かって「お父さん」とは呼べないけれど。 この人は、これまでのカカシの人生を否定せず、全てを受け入れようとしてくれている。 それが、嬉しかった。 カカシは、照れ隠しのように父に背を向ける。 「御礼を言われるようなことは、何も。………あ、あの人達、結構待たせてしまっていますね。……戻りましょう」 「ああ。………うん」 娘と二人きりの時間は名残惜しいが、カカシの言う通りだ。 サクモは腰を上げた。 「そうそう。………あの武人の方々、今回の護衛に貴方がはたけカカシを指名したって、知っているんですか?」 「………あ。いや、言ってない。木ノ葉の忍者に護衛を依頼したから、打ち合わせに行くよ、と言って連れてきたんだ。………会えば、わかると思ったし。…まさか、君がそういう格好で出てくるとは思っていなくて」 カカシは微笑んで、女物の服の裾を指先でつまんだ。 「………鉱の国までの道中は長いですよね。…その間、子供達にオレを母と呼ぶなと言うのは酷ですし、チハヤには理解出来ないことでしょう。………そしてオレは、あの子達に貴方の事を打ち明けたいと考えているんです。………貴方が、写輪眼のカカシに依頼したなんて、彼らに言ってなくて良かった。護衛が交代する言い訳を考える手間が省けます」 彼女が忍服を着けた『写輪眼のカカシ』の格好で姿を現さなかった理由を悟り、サクモは頷いた。 「………わかった。鉱の国までの帰路、私にはうみの芥子上忍と、彼女の夫であるイルカ君が護衛についてくれる、と。…そういう事なんだね?」 察しのいい父親の言葉に、カカシはニッコリと微笑んだ。 「はい。その通りです」
(09/08/31) |
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