それは予期せぬテンペスト −18

 

 

国から国へ馬車で長距離移動、というのは簡単な話ではない。
以前から国交があり、お互いの国への行き来に安全なルートが出来上がっているならば、道中の利便をはかってくれる駅などがあるが。鉱の国が目的地では、当てに出来る箇所は限られている。
それに今回の場合、一行の顔触れがかなり微妙だ。
周到な準備に加え、顔合わせと打ち合わせが必要だった。
これは正式な『依頼』であり、里が請けた以上『任務』だ。
指名を受けた上忍として、カカシにはその任務を全うする義務がある。
いつまでも動揺しているわけにはいかない。
カカシは現実問題を検討し始めた。
まずは、子供達だ。
カカシははじめ、迷っていた。
子供達に、真実―――つまり、明らかになった祖父の存在を告げるか否かで。
今まで自分は天涯孤独の身だと思っていたし、また夫であるイルカも既に両親を亡くし、親戚らしい親戚も里にいない。
だから、もしも自分達に何かあった場合は、子供達の事は里のシステムに頼るしかないと思っていたのだが。
打算的だと思わなくも無いが、まだ子供らが年端もいかない時に自分達に『もしもの事』があった時、祖父の存在があれば、その身の振り方に選択肢が増えるという事になる。
少なくとも彼は、己の孫達の窮状を見捨てはすまい。
それに、とカカシは思った。
自分の事はどうあれ、彼が孫に会う権利を、そして子供達が祖父に会う権利を、自分の一存で奪うわけにはいかないのではあるまいか。
そこが一番重要である。
チハヤにはまだ理解出来ないだろうが、チドリは幼いなりに聡い子だ。
子供だからと侮らず、きちんと教えるべきだろう。
その上で、子供達と実の父親に危害が及ばない方法を模索すべきなのだ。


 

「………と、オレは思うんですが、どう思います? イルカ先生」
イルカは、妻の言葉を咀嚼するように少しだけ考え、頷いた。
「貴方がそう判断したのなら、俺に異論はありません。………あの方は、あの子達と血の繋がった、実のお祖父様なんですから。孫が祖父に会うのを妨げる権利は、我々には無いですよね」
それで考えたんですが、とイルカは続けた。
「あの方が貴方の御父様だという事が公になったら色々とマズイ事になるかもしれない、と言うのは、貴方が写輪眼のカカシだから………ですよね?」
カカシはきょとんとして頷いた。
「………え…ええ、はい。…そうです………ね」
「そして、ツナデ様は、貴方が普通のくノ一ならともかく、とも仰ったそうですね?」
「……はい」
サクモがツナデのところに交渉にやってきた時、カカシは途中から話を聞いていた。
その時の彼らの会話内容を、カカシはイルカに話していたのである。
「では、そういう事にしてしまったらどうでしょうか」
「え……?」
「ですから、『そういう事』に」
「そういうって…………あ!」
カカシの表情の変化を眼におさめ、イルカはにっこりと微笑んだ。
「………別に、貴方のプライベートな事情を公式に発表したわけでなし。里内で貴方の性別を知っている人間が少しだけ増えてしまっただけですから。………また、必要な時だけ芥子さんにご登場して頂けばよろしいのではないかと、俺は思うんですけど。…お気楽過ぎですかね? こういう考え方は」
確かに、その気になって詳しく調査すればすぐにわかってしまう事だ。
しかし、今回木ノ葉で見つかった鉱山王の娘は、うみの芥子という名前で生きていた、としておく方が、真実が流布してしまうよりは何倍もマシかもしれない。
里の外の人間で、『うみの芥子』=『はたけカカシ』と知る者はいないのだから。
「いいえ。…あの人に、娘はもう死んだと思って諦めてくれって言うのは無理そうですから。なんらかの妥協案を示す必要があるとオレも思っていました。この際、それでいきましょう!」
彼も、どういう手段を用いても、娘を取り戻すのは困難だという事は承知しているようだから。どうしても「娘が火の国で見つかった」と言いたいのなら、そういう事にしておいてもらうしかないだろう。
「それで、もう一つ提案なんですが」
「はい?」
イルカはポリ、と鼻の傷痕をかいた。
「………少し、気後れしないこともないんですが。旅の打ち合わせと顔合わせ、ウチでやるのはどうでしょうか」


 

彼の提案通り、打ち合わせ兼顔合わせは、イルカとカカシの家で行われることになった。
子供達に与える刺激をなるべく抑える為、という理由だったのだが、サクモはいたく感激したようだ。
まさか、娘の家に招待されるとは思ってもいなかったのだろう。
「狭い家でお恥ずかしいですが」
鉱の国屈指の資産家である鉱山王の屋敷と比べたら、この家など馬小屋同然なのではなかろうかと、イルカは恐縮しながら鉱の一行を迎えた。
サクモは温和な笑みを浮かべて、家の佇まいを眺める。
「いや、とんでもない。手入れが行き届いていて、感じの良い家だ」
ぱたぱた、という軽い足音と共に、奥からチドリが玄関に出てきた。
お客様が来る、ということはきちんと教えておいたのである。
「いらっしゃいませ! …あ! チハヤちゃんをさがしてくれた、おじちゃん!」
サクモは嬉しそうに微笑んだ。
「覚えていてくれたんだね。こんにちは、チドリちゃん」
「こんにちは」
チドリはぺこんと頭を下げた。
「あの、チハヤちゃんをさがしてくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして。…えらいね、ちゃんと御礼が言えて」
サクモは眼を上げ、イルカに笑いかける。
「………躾のいい子だね」
「ありがとうございます。…でも、私達が忙しくてあまり構ってやれない分、子供の方がしっかりしてくれた、というところです」
そこへ、チハヤを抱いたカカシが姿を見せる。カカシは、忍服を着ていなかった。
シンプルだが、女性だとわかる装いだ。左眼には、目立たない眼帯をつけている。
さすがにサクモはすぐにカカシを見分けたが、試合会場で遠目にしかカカシを見ていない武人達は、彼女が『写輪眼のカカシ』だとは気づかなかった。
チハヤは、サクモの顔を見て「とぉた!」と嬉しそうな声をあげる。
「やあ、こんにちは、チハヤちゃん」
「こちーあ!」
無邪気な息子のご挨拶に、カカシはチラリと苦笑を浮かべたが、チハヤを抱いたまま丁寧に一礼する。
「………ようこそ、おいで下さいました」
サクモはカカシの礼に応えて会釈した。
「お招き、ありがとう。………すまないね、わがままを言って」
「…とんでもございません。少々変則的ではありますが、貴方は正式なご依頼をなさり、我が木ノ葉の里はそれを請けました。…と、なれば、貴方のご依頼内容にお応えするのに、より良い方法を検討するのは当然と考えます。…………狭い所で申し訳ありませんが、どうぞ、お上がりください。………お付きの方も」
サクモは、カカシの堅い物言いに少しだけ寂しそうな顔をしたが、頷いた。
「では、お邪魔させてもらうよ」

畳敷きの居間に通された鉱の武人達は、サクモとカノウの後ろに畏まりながら座った。
二人とも硬い表情だ。そして、明らかに困惑している。
白牙公が視察を兼ねて陸路で帰国するので、そのお供をするように、とゲンブ中将に言い付かった時は、彼らは『自分は信用された。認められたのだ』と誇らしい気持ちになったのだ。
だが、自分達に与えられた仕事は御者で、護衛には木ノ葉の忍がつくのだと聞いて、複雑な心境に陥っていた。
確かに、今回の御前試合では木ノ葉の忍に遅れを取ってしまった。
彼らの技量は、戦闘スタイルが異なるというだけの差ではなかったのだ。
あの試合結果を見て、白牙公が木ノ葉の忍の方が護衛役として信用出来ると判断したのなら、悔しいが仕方が無い事なのかもしれない。
しかし、白牙公が自ら指名したというこの黒髪の忍者は、試合には出ていなかった。
温和な雰囲気の、あまり強そうには見えない青年だ。見かけで判断出来ないのが忍だと、彼らも学習しつつあるが、何を持って、白牙公はこの男を信用したのだろう。
先程の、白牙公とこの家の子供たちとのやり取りを見たところ、どうやら顔見知りのようだが、それも関係しているのだろうか、と武人達は内心首を捻っていた。
大きい方の子供が、黒髪の忍を見上げる。
「おとーさん、おきゃくさまとおはなし? ぼく、チハヤちゃんとおへやであそんでいるね」
小さい方の子供を抱いた黒髪の青年は、微笑んで首を振る。
「…いや、今日はね、お前達にも関係のある話をするから。ここにいなさい。…でも、おとなしくね。いい子にしているんだよ?」
「はぁい」
子供は素直に頷いて、隅っこの席に大人しく座った。
そこへ、カカシが人数分の茶を運んでくる。
やはり、こんな小さな家には召使はいないのだな、と武人達は思った。出迎えの際に子供を抱いていたのだから、この女はあの忍の妻なのだろう。
よく見れば、こんな忍の里には似つかわしくない、色白の美女だ。
武人達のそんな驚きの視線など気にも留めず、カカシはさっさとお茶をテーブルに置く。
「どうぞ。粗茶ですが。………そちらのお兄さん達。…そんな後ろで畏まってないで、こっちに来て座ってくださいな。それでは打ち合わせにならないでしょう? …それとも鉱の国じゃ、そういうのはダメなんですか?」
カカシの視線を受けて、サクモが苦笑した。
「そういうの、ね。…時と場合によりけりだと思うけど。…今回は、君の言う通りだ。………二人とも、こちらに来なさい」
武人達は、身を強張らせる。
「い、いえ………自分達は………」
「…私が、いいと言っている。……それに、そこじゃせっかくのお茶が飲めないよ?」
武人達は顔を見合わせ、「はい、それでは失礼致します」と、おずおずといった態で前に出てきた。
その様子を眼に納めてから、カカシはサクモに向き直る。
「………サクモ様。…打ち合わせの前に、お話があるのですが。………少し、よろしいでしょうか」
サクモは黙って頷いた。
カカシの案内に従って居間から出て行くサクモに驚き、武人達が腰を浮かせる。
「白牙公!」
が、従者のカノウが手をあげて彼らを押し留めた。
「………お館様には、お考えがあります。…それに、ここにはお館様に害を為す者などおりません。………そうですね? うみの殿」
イルカはにっこりと微笑んで肯定した。
「その通りです」

 

「…こちらに」
カカシは、自室にサクモを招き入れた。
「………ここ、オレの部屋です。………仕事に要る道具とか、子供が触れるような所に置いておけないので。…狭くてごめんなさい」
「いや。………実はね、今すごく嬉しいんだ。…こんな風に、君が住んでいる所をこの眼で見られるなんて、思ってもいなかったから」
サクモは、カカシの部屋をゆっくりと見回した。
「………この家は、元々彼の? それとも、結婚を機に住み始めた新居?」
「元々、彼がご両親と暮らしていた家です。………お聞き及びでしょうか。彼のご両親は、十数年前に亡くなっているんです。それからは、彼が一人でこの家を守ってきた。………小さいけど、大切な家です」
サクモは頷いた。
「…大事に住んでいる家は、見ればわかるよ。………十数年前にご両親が他界なさったという事は、彼はその当時まだ子供か。………気の毒に。ご両親も、さぞ心残りだったろうね」
サクモは数秒黙祷するように眼を伏せ、それからゆっくりとカカシを振り返る。
「で。………私に、話とは?」
カカシは真面目な顔でサクモを見据えた。
「すみません。…赤の他人の前では訊けない話を、伺っておこうと思いまして。…そして、貴方に聞いておいて頂きたい、個人的な話があるんです」
 

 

 

(09/08/29)

 



 

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