それは予期せぬテンペスト −17

 

 

火の国の港では、鉱へ向かう船の準備に追われていた。
屈強な男達が、次々と大きな荷を船に運んでいる。
既に船に乗り込んだ者、まだ港で名残を惜しんでいる者。乗客達は、思い思いに出航への時を待っていた。
「………え? 一緒にお戻りにならないのですか? 白牙公」
てっきり、来た時と同じように全員一緒に船で帰途につくものだと思っていた少女は、サクモを困惑の瞳で見上げた。
彼は、船に乗る為ではなく、出航する彼女達を見送りに来たと言うのである。
「すみませんね、姫。我がままを言って。………私は船が苦手なものですから。来る時は日程もありましたからご一緒しましたが。…帰りは急ぐわけでなし、陸路を使います。そちらの道も見ておきたいですしね。…今後、火の国とどういう取引を行なうにしても、海路と陸路とどちらも使う可能性はあるわけですから」
「でも………危険なのではございませんか?」
シンジュの心配を拭い去るように、サクモはにこりと微笑んでみせた。
「この国には、そういう事を頼める人達がいるではありませんか。…ちゃんと、鉱の国までの護衛を依頼しましたから、大丈夫です。貴方も、その眼でごらんになったでしょう? この里の忍の優秀さを」
サクモの後ろで、カノウが深々とため息をついた。
主人の言っている事は、嘘ではない。
確かに彼は、『船は苦手だ』とハッキリ言っていたし、今後の事を考えて、陸路の様子をその眼で見ておきたい、というのも理由の一つだろう。
だが、サクモの主目的。
陸路を選んだ一番の理由は、その護衛の忍にある。
彼は、陸路を往くのに必要だから護衛を頼んだのではない。
護衛を頼む為に、陸路を選んだのだ。
上忍と中忍を一人ずつ、指名して。


 

 

ツナデは、ドカンッとヤケクソのように書類に判を捺した。
「正規の依頼料と指名料を払うと言われれば、断れないだろうが! よその国のお偉いさんの護衛任務なんてのは、今までにも数多く請けてきた手前、前例が無いとか言って断るわけにもいかんし。………まったく、あの男!」
「………カカシ上忍を指名してくる方も、今までたくさんいらっしゃいましたしねー………あの方のご身分を考えれば、指名されなくても上忍がつくのが当然ですし」
机の端にお茶を置いたシズネが、ミニ豚のトントンをそっと抱きあげた。
「………でも、あの方が頼んできたのは、帰途の護衛………だけなんですよね。………鉱山王といえば、鉱の国でも屈指のお金持ちでしょう? お金にものを言わせて、もっと違う内容の依頼も出来たはずでしょうに………」
カカシをもっと長期間―――何年も拘束することも可能だったはずだ。
ツナデは顔を顰めた。
「…まあな。………最初にとんでもない要求をしてきた分、何を言い出すかと身構えていれば、依頼内容は単なる護衛任務だものなあ。…それくらいだったらまあいいか、とこちらに思わせてしまうやり口が、可愛くないが。………それに、この依頼を断ったらあの男、次は何をやらかすかわからんからな。………この譲歩案に乗るしかあるまいよ」
娘を返して欲しい、というのは彼の本音だろう。
だが、現実的に考えて、それは難しい。
せめて鉱の国へ帰る間だけでも娘と一緒にいたいのか、と思うと何やら気の毒な気がしてくる。
「………カカシにね。………あの娘に任せるよ。…あの娘だって、人の親だ。………子供を失った親の気持ちくらい、わかるだろう」





「………………すみません。…………イルカ先生…………」
カカシは、夫に向かって深々と頭を下げた。
「いや、貴方が謝ることじゃないでしょう? カカシさん。…俺は今、担任クラスを持っていませんし。アカデミーは何とかなりますので。…それに、五代目の命令ですからね。他の忍師連中も何も言いません。………むしろ、俺はあの方に感謝していますよ。…貴方だけを指名せず、俺も一緒にと言ってくださって。………それに、子供達をご自分が招待するという形で、一緒に行けるように計らってくださった」
カカシは複雑な顔で子供達を見た。
チドリもチハヤも、もう眠っていて、スヤスヤと健康的な寝息をたてている。
「………そこなんですよねー………そりゃ、この子達を置いて行くのは気掛かりですから、一緒の方がいいんですけど。………何を考えているんでしょう………あの人」
カカシにはまだ、彼が『父』なのだという実感は無い。
彼がずっと自分を捜していたのだというのは嬉しかったが、それとこれとは別。
自分が、遠い北の国の貴族の娘だったなど、悪い冗談のようにしか思えないのだ。
「カカシさん」
イルカの物柔らかな声に、カカシは顔を上げた。
「………貴方の戸惑いは、当然のものです。………実は俺も…何というか…困惑…している、と言うんでしょうかね。………貴方が写輪眼のカカシで、上忍で……ってだけでも、俺と釣り合いが取れていないのに、そもそもの身分が違っていたというのは………」
「待ってくださいイルカ先生! そ、そんなのオレには関係ないっ………オレは貴族とかそんなの知らない! オレは………オレは、ただの拾われっ子のカカシです! カグヤじゃない!」
たたんでいた洗濯物を放り出してしがみついてきたカカシを受け止めたイルカは、その髪をそっと撫で―――カグヤ、と呟いた。
「…………それが、貴方の本当のお名前なんですね」
「………エン=カグヤというのだと………彼はそう言っていました。……でも、それがお前の名前だと言われても、ピンときませんでしたけど」
「エン=カグヤ…ですか。………エン、は第一の姫、という意味だったかな? ………カグヤ…は、鉱の国で何か違う意味があるかもしれませんが、俺が知っているのは御伽噺ですね。………確か、異国の御伽噺で月に住むお姫様の名前がカグヤだったと思います。…お話、知ってますか?」
カカシは、イルカの胸に押しつけたままの頭を振った。
イルカはカカシの髪を撫でながら、話を続けた。
「…………そのお姫様は、赤ん坊の頃に生まれ故郷とは遠く離れた国の竹林で拾われて、血の繋がりのない老夫婦に育てられ、とても美しい娘に成長したのだそうです。娘のところには、評判を聞きつけた数多の貴公子達が求婚しに来ました。でも彼女はそのすべてを断り、最後には生まれ故郷から迎えが来て、月に還ってしまう。…かいつまんで言えば、そういうお話です。………少し、貴方と似ていますね」
カカシは首を傾げる。
「………そのお姫様、何で捨てられていたんでしょう? ………お姫様なのに」
「ええと、捨てられていたんじゃなくて、竹の中から生まれたって話じゃなかったかと。………御伽噺ですから。…ちょっと…いや、だいぶ変でも、そういうものだって思ってくださいね」
カカシは思わず笑い出した。
「ホント、変。…御伽噺って、みんなそんな感じですか?」
「そうですねえ。普通では説明がつかない話が多いですね。…だからこそ、夢があるんでしょう。………月に住む美しいお姫様、か。……貴方の淡い白銀の髪が、月の光のように綺麗だから。…それで、月の姫君の名前をつけたのかもしれませんね」
「………だから。オレは姫君じゃない………って………」
すみません、とイルカは謝った。
「俺が変なことを言ったのがいけませんね。………でもね、カカシさん。………貴方が、あの方のお嬢さんだという事実は、動きません。…貴方が木ノ葉の上忍で、そしてあの子達の母親だという事実と、同じに」
「………イルカ先生………」
イルカはカカシの左手を取り、指輪にそっとキスした。
「………俺が、貴方とこうして夫婦となり、家族として暮らせている幸福の裏側には、あの方の二十数年に及ぶ哀しみと苦しみがある。………俺には、それを丸っきり無視することは出来ません。………貴方だって、本当はそう思っているのでしょう?」
カカシは眼を見開いた。
「それは………! でも………」
イルカは、静かな眼でカカシを見つめた。
「………考えてみました。………もし、チハヤが。二つにもならないあの子が………もしくは、まだ三つのチドリが誘拐され、それっきり消息が途絶えたら、と」
イルカの腕の中で、カカシが大きく身震いした。
「………想像しただけで、辛い。苦しい。………ましてや、あの方には貴方しか子供がいなかった。………愛する我が子の行方も生死もわからず、ただ流れていく月日に耐える。………どんなに、苦しい思いをなさった事でしょう」
カカシが首を振る。
「………………言わないで。………イルカ先生………………」
「…すみません。俺なんかが言わなくても、貴方にはわかっていましたね」
カカシは更に激しく首を振った。
「…それがわかっても! あの人の気持ちを察することは出来ても! …オレ、どうしたらいいのかわかりません。………だって、オレなんかに何が出来ますか? こんな、他人の返り血を浴び続けてきたオレに、何が出来るって言うんです……! それに、オレは…オレの存在は、あの人の身を危うくする可能性もある………」
イルカは頷いた。
「ええ。……貴方の木ノ葉での立場。…あの方の鉱の国での立場。………難しいです。………だから、時間が要るのでしょう」
「………え?」
「今度の、任務です。…鉱の国への旅。………その旅の間、貴方とあの方は、お互いを知る為の時間を作る事が出来ます。…その上で、今後の事を話し合う事も出来るでしょう。………あの方が、この護衛依頼を言い出されたのは、そういう目的もあると思いますよ?」
船ではなく、陸路を使って鉱の国まで帰るとなると、馬車を使っても相当日数が掛かる。
船でも三週間以上掛かったのだ。陸路ならば、一ヶ月以上は掛かるだろう。
ましてや、子供連れで無理は出来ない。予想以上に日にちが掛かる可能性は十分にあった。
旅の顔ぶれは、サクモ側は従者のカノウの他、交代で馬車の御者を務める若い武人が二人。
陸路で帰ると言うサクモに、どうしても別行動をとると言うのなら、せめて武人を随行させてくれ、とゲンブが譲らなかったのだ。
そして、護衛の名目で同行するカカシとイルカに、子供が二人。合計八人での旅になる。
大型の物を使うとはいえ、馬車の中は狭い空間だ。
確かに、『お互いを知る』には絶好のシチュエーションだろう。
「………そうですね。………とにかく、このまま黙って帰るわけにはいかない、という彼の気持ちもわかりますし。………………オレが、どんな人間になってしまったのか。…それさえわかれば、彼も諦めがつくでしょうから」
素直に、父親の胸に飛び込む事が出来ないカカシ。
せっかく長い時を超えて出逢えた親子だというのに、忍という枷が彼女を縛る。
イルカにも、自分に何が出来るのかはわからなかった。
ただ、この旅の間、揺れ動くことになるであろうカカシを支え、護ること。
それだけは他の誰にも譲れない、夫としての自分の役目だ。
イルカは黙って、カカシの肩を抱いた。

 

 

 

(09/08/09)

 



かぐや姫。『竹取物語』ですね。
日本最古のSFとか言われているという。

カカシさんの鉱での名前も『カカシ』ってのはさすがになかろうと。
このお話に類似した話は、世界各地にあるそうですので、
きっとこの世界にもあるんです………(ああ、苦しい^^;;)

 

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