それは予期せぬテンペスト −16
木ノ葉の里を治める長として。 そして、一人の忍として。 己の感情を、部外者の前で曝け出すわけにはいかない。 理性と気力を総動員して負の感情を笑顔で覆い隠そうと、ツナデは努力していた。 それもこれも、目の前にいる銀髪の男。 鉱の国の貴族、翠鉱家当主・鉱山王サクモの所為だ。 この男は今朝、一般の開門時刻前に里の大門を単騎で強引に潜り抜けた。 そして、何事かと駆けつけてきた忍にツナデへの面会を申し込んだのである。 ただ事ではないと察したその者は、サクモに監視をつけてから直ちにツナデを呼びに行き―――結果、彼女は朝早くから叩き起こされ、朝食も摂らずに出勤するハメになってしまったのだ。 それだけでも不機嫌になる理由は十分だったが、その上この男はツナデに突拍子も無い『申し出』をしてくれた。 「………鉱山王。…貴方は、御自分が何を仰っているのか、おわかりなのか?」 男は大真面目な顔で頷いた。 「ええ。………私はただ、この里で保護してくださっていた私の娘を引き取って帰りますので、お返しください、とお願いしているだけですが? それがそんなにおかしい事でしょうか」 ツナデはぎゅう、と拳を握り込んだ。掌に爪の先が食い込む。 こんな形で、自分の勘が当るとは思わなかった。まさか、本当にこの男が『何をしてくれるかわからない要注意人物』だったとは。 よりにもよって、カカシを自分の娘だと言い出すとは予想外だ。 「………貴方のお気持ちはわからんでもない。…長い間行方不明だったご息女が、生きて見つかったとお思いになりたいのは。………だが、彼女が貴方の娘だという証拠はおありなのか? 髪と眼の色が似ているというだけでは、血縁関係を証明出来はしないのだがね」 フッとサクモは微笑んだ。 「…………それは、彼女本人にお聞きになるといい。………昨夜、大きな犬を呼び出して、私の血を調べさせたのですから。…犬は、私を彼女の父親だと確かに言いましたよ。…凄いですね、忍の使役する動物は。そんな判断まで出来るのですから」 ツナデは思わず舌打ちをしそうになった。 忍犬か。 カカシの使う犬は優秀だ。中には、人間の血を嗅ぎ分け、血縁関係を特定する能力のあるものもいる。カカシは、自分とこの男の関係をハッキリとさせようとして、鼻のいい忍犬を召喚したのだろう。 「それにね、ツナデ殿。………チハヤちゃんは、あの子の幼い頃に生き写しなんですよ。あの子と出会わなかったら、私は、彼女がもしかしたら娘かもしれない、などと思いもしなかったでしょうね。………血の繋がりというものは、時を越えて人と人をひきあわせるものなのかもしれません。………私は、それと知らずに孫を抱いていたんですから」 ツナデは、男を見上げた。 確かに、似ている。 色彩だけではなく、この男の面差しはカカシのそれと似通っていた。 親子だと言われれば、納得するほどに。 「カカシは………何と言っていた? その………犬の判断を聞いて」 サクモは、曖昧に微笑んだ。 「………まあ、彼女にとっても、突然の話ですし。…あっけらかんと受け入れられるほど、軽い話でも無いですから」 ツナデは心持ち眼を伏せ、考えた。 …つまり、今の段階でカカシはこの男を父親だと認めたわけではないらしい。 彼女は、幼い頃から四代目火影に育てられ、教えを受けた優秀な忍だ。 忍の存在しない他国の出身だったとは思えないほどの、稀有な才能を持っている。 あの娘が今更、忍以外の何者になれると言うのか。 親としては、我が子を取り戻したかろう。 が、彼の娘は故郷とはまったく違う水で育ち、もはや別の世界の生き物に変貌してしまったと言っても過言ではないのだ。 カカシ自身が、その事を一番よく知っている。 どんなに実の親を慕わしく想ったとしても、彼女はそれを認めるわけにはいかないだろう。 ふう、とツナデは息をついた。 「………ともかく、お座りになられたらどうか? 鉱山王。………少し冷静に考えて頂きたいのだが」 彼は、この部屋に通され、ツナデの顔を見た途端に挨拶もそこそこに用件を切り出した為、立ったままだったのである。 サクモは、ツナデの指し示す椅子に素直に腰を下ろした。 「…失礼。………私も、自分のやっている事が礼儀にも常識にもかなっていないという事はわかっているのです。…それを承知で、無作法を重ねております」 わかってンならやるな、とツナデは内心毒づいた。 もっとも、彼がこんな時刻に押しかけてきた理由もわかるのだが。御前試合が終わり、公式行事がすべて消化された今、彼らは帰国の途につかねばならない。 時間が無いのだ。ましてや、簡単に事が運ぶとは思えない交渉ごとならば尚の事。 「冷静になれ、という貴方の仰りようもわかる。………貴方から…いや、周囲の誰から見ても、私は今冷静な判断能力を失っているようにしか見えないでしょう。…長年捜し求めた娘を発見出来た喜びに興奮して、周りが見えなくなっている愚か者に」 ツナデは心持ち口元を引き攣らせて苦笑した。 そこまでは言ってないが、確かに似たようなことは思っていたので。 「………昨夜、彼女が私の娘、カグヤだったと判明してから、私はずっと考えていました。………娘が生きていた。それが確かめられただけでも、良かったじゃないか。…彼女はもう、自分で自分の人生を選んで生きていて、伴侶を得て子供にも恵まれている。…あの子には今更親なんて必要ないし、おそらくは邪魔でしかない存在であろう、と。………だから、あの子の為を思うなら、ここは黙って帰国して、すべてを忘れるべきなのかもしれません。………でも」 「………………」 ツナデは黙って彼の言葉の続きを待った。 「それで、このまま国へ帰って。……私が後悔しないと思いますか? …いや、するに決まっています。………自分の性格は、自分が一番よくわかっている。………娘をさらったと思しき賊どもが山の中で惨殺体となって発見され、娘の血まみれの靴下を見せられても、その死を信じなかった頑固者ですからね。………誰がどう見ても、娘の生存の可能性は無いに等しかった。…それでも捜し続けた私の二十年以上の想いは、あの子にひと目逢えたってだけで簡単に昇華しやしません」 サクモは、真っ直ぐにツナデを見据える。 「私はね、ツナデ殿。……可能な限り。…出来るだけの事をしなければ、帰るに帰れないんですよ」 ツナデは、男の眼光に思わず気圧される。 眼を閉じ、ツナデなりに何か最善の策は無いかと模索し―――やがて首を振った。 「………鉱山王。………私には、子はいない。だが、貴方の気持ちはお察しする。………出来れば、カカシを………貴方の娘さんを返してあげたい。………だが、無理なんだ。………カカシが、ただの名も無いくノ一ならば。…そして、貴方が鉱山王、と呼ばれるような人物でなければ。………私の権限で、彼女を貴方の元へお返しする事も出来た かもしれない。………でも、わかってくれ。………無理なんだ」 サクモはしばし無言だった。 ツナデの言葉に、嘘はなかった。本当に、出来ることならこの男の望みを叶えてやりたい、と思ったのだ。 「……………………ええ。わかってはいました。………実は、私の想いを誰よりも知り、理解してくれている従者にすら、ここへ来ることは止められたんですよ。………あの子のことは諦めた方がいい、と。………彼女が育った環境と、立場が特殊過ぎる、と」 サクモは、部屋の壁に掛けられた写真を見上げた。 「…いち……にぃ、さん……し。………四人。あれは、歴代の火影殿方ですね。…あの、一番若い四人目が、四代目火影ですか。………幼いカグヤを保護して、育ててくださった方ですね」 ツナデは頷いた。 「……そうだ。四代目火影、波風ミナト。…カカシを拾った時は、まだ襲名していなかったがな。……歴代火影中、最も若くしてその地位につき、また歴代火影最強と謳われた男だ。…力だけではなく、人望もあって、優しい青年でね。…だが里を護る為に、命と引き換えの術を行って、逝ってしまった。………彼は、カカシをとても可愛がっていたよ」 波風ミナト、と彼は口の中で呟いた。 「………お名前を、忘れないようにしましょう。その尊敬すべき英雄は、娘の……いや、私にとっても恩人です」 サクモは視線をツナデに戻した。 「それで、彼が私の娘を忍者にしたのですか?」 どことなく彼の雰囲気が剣呑だ。言葉遣いは穏やかだが、その裏に父としての怒りが透けて見える。 「い、いや………確か、彼が保護した時、既にカカシは忍者の技量を身に付けていたそうだ。むしろ、子供には似つかわしくないほどの力を持っていた為に、危惧を抱いた彼が、手元に置いて指導したのだと………」 そうですか、とサクモは相槌を打った。 「その点、彼に非は無かったのですね。うっかり、そこのところを恨んでしまうところでした。………では、誰があの子を忍にしてしまったのです?」 「それは………悪いが、私にもわからない。………実は、私はずっと里にいたわけではないのでね。………自己都合だが、しばらく里を留守にしていた時期がある。………カカシの事は、前の火影、三代目ならよくご存知だっただろうが………」 ツナデは頭を一振りした。 「…それを知って、どうなさるおつもりだ? 彼女が木ノ葉の上忍であるという事実は、もう変わらない」 「………そう。………彼女は、写輪眼のカカシなのですよね。その噂は、私でも聞いていました。木ノ葉の里でも屈指の忍者。………それだけならまだしも、他の里が欲しがる特殊な眼を持ち、何百もの忍術を扱える生きた宝みたいな忍。………でしたよね?」 その情報を彼に与えたのは、ツナデ自身だ。カカシが女性であることを説明した折、何故彼女の性別を対外的には伏せているのかを、この男に理解してもらう為に。 「………そうだ」 「しかし、あの子の眼は、生まれながらのものじゃない。………どうして、写輪眼などという眼をあの子は持っているんです?」 「それは………………」 サクモは更に問いを重ねた。 「その眼が、あの子を『特殊な立場』に立たせているのでしょう? 違いますか」 「―――この『眼』は、親友の形見。…オレが、望んで受け入れたものです」 その声とともに、部屋の中の空気がザッと動き―――次の瞬間、カカシの姿が出現した。 「………失礼、五代目。許可も頂かず、入室したことをお許しください」 「………………カカシ! 何故ここに…………」 カカシは、サクモにぴた、と視線を合わせた。 「………昨夜はどうも。…すみませんね、逃げてしまって」 「いや。………無理ないな、と思っていたから………」 ツナデは、トントントン、と指で卓を突く。 「カカシ! 私の質問に答えろ」 「…申し訳ありません、五代目。………実は、イルカ先生から知らせが来ましてね。彼、今日はアカデミーの早番だったんですよ。で、今朝の騒ぎを聞いて、オレにも知らせるべきだと判断したようです。………オレに、無関係な話ではないのでしょう? ここに、鉱山王がいらっしゃることと」 サクモは薄っすらと微笑む。 「その通りだね。………というか、君がいなくては話にならない。………私は、君を返してくれ、と里長殿に頼みに来たんだ」 カカシは一瞬、耳を疑った。 「…………………正気ですか?」 「まあね。………何事も、やってみなければわからないだろう? 君が自分から私のところに戻って来る可能性なんか、ゼロに等しい。なら、こっちから言い出さなければ何も始まりはしないじゃないか」 それは、そうだが。 「………さっきの口ぶりでは、オレの事情は大方ご存知のようですね。…それでも、オレに鉱の国へ戻ってこいと言うのですか? ………確かに、木ノ葉におけるオレの立場は、この写輪眼の所為で特殊なものになってしまっています。…でも、それだけじゃない。たとえ、この左眼を抉り出したとしても、オレが木ノ葉の上忍であることに変わりは無いんですよ。………もう、引き返すことは出来ないんです」 「………それも、承知の上だ。………忍の世界の事など何一つわかっていない外国人が、何をわけのわからない事を言っている、と思っているだろうね。……まあ、確かに本当には理解出来ていないかもしれないが」 そこでサクモは、ツナデとカカシに微笑みかけた。 「………交渉事における手法のひとつに、先ず最初に『それは絶対無理だ』としか思えない難題をふっかける、というのがある。正直なところを言えばそれは一番の希望だけど、相手が応じるわけは無いとわかっていることを、先ずぶつけておく。…まあ、ダメで元々…とも言うけれど」 ツナデとカカシはキョトンとした。この男、いったい何が言いたいのか。 「………つまり、返せと言ったところで、木ノ葉が君を返してくれるわけはないと、最初からわかっていたんだよ。………君自身も、既にここ木ノ葉が故郷となっていて、今更外国としか思えない国に帰る気など無いだろうしね。………そこで、だけれど」 サクモは椅子から立ち上がり、カカシに向き直った。 「………君が忍で、それ以外の者にはなれないと言うのなら。………私は正式にこの里に依頼するとしよう。………上忍、はたけカカシを指名させてもらってね」
(09/06/29) |
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