それは予期せぬテンペスト −14

 

 

アスマは顔を顰める。
―――覆面をしている忍者に、いきなり非常識な事を言う男だ。
相手が、忍という存在に慣れていない外国人でなかったら、『バカを言え』の一言で切り捨てているところだ。
が、相手の眼は真面目で、決して単なる好奇心から言ったのではないと、その表情が語っている。
アスマは、思いだしたようにズイッとカカシの前に出た。
サクモは、カカシを隠すように間に立ち塞がった男に微笑んだ。
「ああ、アスマ殿。…一昨日は世話になったね」
「…どういたしまして。俺も仕事ですし、気になさらんで下さい。…それよりも、すんませんがね、コイツが顔をあまり露出していないのにも一応理由がありまして。…何故、そんな事を仰るのか、伺ってもよろしいですかね?」
サクモは頷いた。
「それは、もちろん。…私の方の事情もきちんと説明する。…でもその前に、もう少し人の耳が無い所に移動したいのだけど」
アスマはじっと鉱山王の顔を見た。
この男が、カカシに何か危害を加えようと目論んでいるようには見えない。
「………アスマ。…オレは………」
アスマは振り向き、ポンとカカシの肩を叩いた。
「あそこに見えてる外階段の踊り場なら、静かだぞ。………お前の好きにしろ」
カカシはコクンと頷いた。
「………うん。………では、サクモ様。あちらに………」
「…わかった。ありがとう」
サクモは、アスマにも丁寧に礼を言う。
「ありがとう、アスマ殿」
「…礼には及びませんや。………カカシが一緒なら、護衛がくっついて行く必要もないですしね。…俺はここで見てますから」
暗に、物陰で要人の護衛についているはずの暗部に「お前らは席を外せ」とアスマは言っているのだ。この鉱の男が、カカシにどういう話があるのかはわからないが、おそらくはプライベートな事だろう。
「……行きましょう」
カカシは、サクモの先に立って歩き出した。


外に大きく張り出しているその踊り場には屋根も無く、爽やかな夜風が吹き抜けていた。
灯りは常夜灯だけだったが、建物の中からも光が漏れているので結構明るい。
「………そうそう、言い忘れていたが。昼間の試合は素晴しかった。………尤も、本気で戦っていたわけではなかったようだけど」
カカシは肩を竦めた。
「恐縮です。………彼も、なかなか強い方だと思いますけどね。…私とは戦闘スタイルが違った。………それだけです」
サクモはフ、と笑みを零す。
「………火影殿といい、貴方といい。…木ノ葉の女性は、強いのだね」
カカシは眉を微かに顰める。
「………………私のことを、ご存知で?」
「…いや、私はてっきり貴方がチハヤちゃんのお父さんだと思っていたのだけど。…チハヤちゃんを迎えに来たお父さんは、別の人だったから。…『お父さん』が二人もいるのはおかしいと首を捻っていたら、ツナデ殿がコッソリと事情を教えてくださったんだ」
「…ああ…そういう事、ですか」
それでは仕方ないな、とカカシも一応納得する。
「で。………何故、私の顔など見たいと仰るんですか?」
サクモは、言葉を捜すように数拍唇を引き結んだ。
「………………それは…………チハヤちゃんに、会ったから」
は? とカカシは思わず聞き返した。
「チハヤが………何か?」
「…一昨日ね。…チハヤちゃんを初めて見た時は、驚いた。………私の娘に、そっくりだったから」
まだ一歳の赤ん坊だ。見た目で男女の区別などはっきりと分からない子も多い。
実際、チハヤはよく女の子に間違われているので、それ自体は不思議でも何でもないが。
彼がいったい何を言い出す気なのか、見当がつかない。カカシは黙って、彼の言葉の続きを待った。
「……………行方不明になった当時の、娘に」
「…………!」
「…私の娘は今、何処にいるのか、わからない。………二十数年前に誘拐されて、それっきりになってしまった。身代金の要求さえ無くて………あの子はまだ、一歳だった」
サクモは一度言葉を切り、カカシを見つめる。
「………チハヤちゃんは、父親には似ていないね。………髪の色といい、眼といい。…あの子は、母親に………貴方に、似ているのだろう?」
「………何が………仰りたいんです………」
思わず、声が震える。
カカシは、彼の話が示す『可能性』に気づき始めていた。
そして、「まさか」という思いが胸の中に渦巻き始める。
「………ツナデ殿に伺ったら、貴方にはご両親がいらっしゃらないという。………そして、まだ子供の頃に拾われたのだと。…だが、それはこの近くの山でだ、と聞いて………鉱からは、あまりに距離が離れているので、違ったかとも思ったけれど。………でも、可能性は皆無ではないだろう? ………その………」
カカシは、自分の心拍数が上がってきたことに気づいて動揺した。
目の前の男の眼。髪の色。
それは、チハヤに―――いや、自分と、ソックリではないか。
「………まさか………貴方、オレがその娘だとでも思っているんですか?」
サクモは頷いた。
「………その可能性に気づいてからは、そう思えてならなくて。……だから、貴方自身に確かめることにした。…確かめずに国に帰ることなど、私には出来ない」
カカシは頭を振った。
「………………二十数年前…って。………正確には、何年前のことなんですか」
それによっては、単なる彼の勘違いで終わる。
「…二十七年前。………女性に年齢を訊くのは失礼だが。………貴方は、お幾つになる?」
「………オ…オレは………今年で…二十…八、です。………たぶん………」
四代目に拾われた時、コハルに視てもらって、五歳だと推定された。以来、それを基準にしている。
「……私の娘も………生きていれば、二十八だ………」
サクモは、懇願するように両の手のひらを浮かせる。
「………お願いだ。………顔を、見せて………くれないか………」
カカシはまだ、自分がこの鉱の貴族の娘だなどという事は、ありえないと思っていたが―――彼の願いは、もっともなものだ。
顔を見せれば納得すると言うのならば、見せよう。
「…わかり、ました………」
ひとつ息をつくと、おもむろに口布を下ろし。
続けて左眼を覆っている額当てをむしり取るように外した。
が、サクモと眼を合わせるのが怖くて、カカシは面を伏せてしまう。
そのカカシの頬に、少し冷たい指先がそっと添えられた。
「………顔を………見せて………」
男の指先に促され、カカシはやっと眼を上げる。
サクモは、カカシの顔を食い入るように見つめ―――やがて、「………やっぱり………!」と声を絞り出した。
「やっぱり、間違いない…! カグヤだ。………捜した! ずっと、ずっと、捜していた………! 私の、娘…!」
カカシは慌てて男の手から逃れ、後退る。
「ちょ、ちょっと待って………待ってください。………た、確かに話の辻褄はそこはかとなく合うような気もしますし、貴方とオレは、身体的特徴というか色彩的には似ていますけど!」 
確かに、彼の娘が行方不明になってからの歳月は、カカシの人生と合致する。
だが、鉱の国と火の国はあまりにも離れている。貴族の娘を誘拐して、何も要求せずにそれっきり、などという話も信じ難い。
第一、カカシを育てたあの老人は、木ノ葉の抜け忍だった。わざわざ、鉱の国まで子供をさらいに行って、また里の近くに戻ってくるなどという事があるだろうか。
カカシは首を振った。
「…髪の色や顔かたちが偶然似ることはあります! 捨て子だって、珍しい話じゃない。オレと同い年の孤児なんて、一人や二人じゃないんですよ………!」
サクモはカカシの腕を捕まえ、キッパリと言い切る。
「いや、君は私の娘だ!」
「確証なんてないでしょう!」
「顔をちゃんとよーく見ればわかる! 私は、君の父親なんだから!」
「三十年近く見てなかった顔でしょうが!」
「二十七年だ!」
「同じよーなもんです!」
「でもわかるんだ!」
「わかりました! そこまで仰るなら………っ」
このままでは埒があかない、と判断したカカシは、やおら指を噛み切って床に叩きつける。
「…口寄せ!」
ボン、と現れたのは、大きな山犬だった。
「クロガネ。………お前、オレを育てたジイちゃんとオレの間に血の繋がりは無いと、四代目に言ったそうだな?」
大きな山犬は、自分がどこに呼び出されたのか確認するように左右を見る。
「………久々に呼びだしたと思うたら、いきなり古い話じゃな、カカシ。………ああ、そうだ。…確かに、そう言ったよ。あのジイさんとお前は、赤の他人だ。………血の匂いが、違っておった」
サクモは、いきなり現れた犬に驚いていたが、犬を呼んだカカシの目的にすぐに気づいた。
「………私の血が、必要か?」
言うが早いか、袖口から細いナイフを抜き、ためらいなく親指の腹を切る。
ポタポタ、と踊り場に血が滴った。
「これで、わかるのか? 私と、彼女の関係が」
クロガネはサクモを見上げ、フン、と鼻を鳴らしてからその血の匂いを嗅いだ。
「………………実際に血を流す必要は、無かったんだがのぅ。…ま、この方が確実と言えば、確実…だが」
カカシは、どこか不安げに山犬の名を呼んだ。
「………クロガネ………?」
「……………この男、お前に近い…とても、濃い血の繋がりの者じゃよ。………本当は、血の匂いなど嗅がずとも、一目でわかったがな」
クロガネは、サクモを見て人間のように眼を細めた。
「………よう、似ておる。おぬし、カカシの父親か。………そう、か」
そして、カカシの手をペロリと舐める。
「…良かったの、カカシ。………親が、見つかったか」
カカシは、頭の中が真っ白になった。
―――むすめ………?
自分が、この男の………?
この男が、父親………?
「………ああ! やっぱり………やっぱり………!」
サクモはカカシを愛しげに抱き寄せる。
「…どんなに、この時を夢見たことか………こんな、遠い地で見つかるなんて! ああ、火の国に来て良かった!」
茫然としているカカシの頬に、サクモはゆっくりと指を滑らせた。
「………翠鉱家、第一姫エン=カグヤ。………君の、本当の名だよ」
(………………カグヤ…………?)
それは、自分ではない、とカカシは思った。
自分は。
貴族のお姫様なんかじゃない。
山の中で先生に拾われた、ガリガリに痩せた白い猿の子。それが自分だ。
自分が男なのか女なのかも知らなかった、野生児。
カカシは、山犬に向かって震える手を伸ばした。
「……ねえ…クロガネ……クロガネ。………嘘、でしょう………?」
「ワシの鼻を信用出来んのかい。………まったく、仕方の無い子じゃの。何の為にワシを呼び出したんじゃ」
山犬は、カカシの指を鼻先で押し返す。
「その男は、お前の父親じゃ、カカシ。………何度も言わせるな」
用がそれだけならもう帰るぞ、と言い残して山犬の姿は消えた。
「……クロガネッ!」
―――何故だろう。
生き別れになっていた親が、見つかったというのに。
普通なら、震えるほど嬉しいはずだろうに。
素直に喜ぶことが出来ない。
自分自身が確認の為に呼んだ忍犬に、親子だと断言されているのに、それでもまだ信じられないのだ。
人間、わからなかった出自がハッキリすれば、足元が定まったような安心感を得られるものなのではなかろうか。
なのに、カカシを襲った感覚は、逆だった。
戸惑いと不安。
いきなり足が、宙に浮いてしまったかのような心許なさ。
男は、カカシを抱きしめる腕に一層力を込めた。
「…すまない。………君が、怒るのも当然だ。………ごめん。ごめんね、カグヤ。………もっと早く、見つけるべきだった。世界中、草の根分けても捜さなきゃいけなかったんだ。………君が遠い国にいたから見つけられなかった、なんて………言い訳にならないね。………ごめん。………許しておくれ………」
そう謝る男の語尾が、震えた。
カカシは、男が泣いているのに気づく。
その涙に、カカシの胸も締め付けられる。
苦しくて、切なくて。
これ以上ここにいたら、自分も大声で泣き出してしまいそうな気がした。
「………あや…まらないで………オレは、怒ってなんか……いない…です。…でも………」
ごめんなさい、とカカシは呟いて、サクモの身体を両手で押し返す。
「―――カグヤ!」
その声を背中で聞きながら、カカシは夜の闇に身を躍らせた。
 

 

(09/06/17)

 



………忍山犬なので、長生きなんです、クロガネ………
このわんこと、血の匂い云々についてのエピソードは
『擬卵孵化』をご参照ください。

 

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