それは予期せぬテンペスト −13

 

 

カカシの試合が始まる頃になって、ようやくイルカの持ち場に余裕が出来た。
イルカは、持ち場の責任者に事情を説明する。
「そういうわけで……俺にも詳しいことは分からないんですが、とにかくツナデ様のところへ行って、子供引き取ってきますので!」
「おう、わかった。…大変だな、お前も」
「すみません、後よろしく!」
イルカは貴賓席を目指して駆け出す。
急がねば。
うおおおお、と地響きのような歓声が聞こえる。
通路からチラッと試合場を見ると、まさにカカシが出てきたところだった。
思わず妻の姿を見てしまうイルカ。
カカシが、貴賓席を見上げた。
(………あ、マズイ………)
どうやらカカシは、貴賓席に『今其処にいるはずのない我が子』を見つけてしまったようだ。
カカシが、衝動にまかせて貴賓席に飛び込む幻が一瞬イルカの脳裏を掠めた。
(早まらないでくださいっ! カカシさん!)
ハラハラしながらイルカが見守っていると、カカシは何とか理性を働かせたようで、対戦相手に向き直った。
イルカはホッと胸を撫で下ろす。
(………カカシさんの試合が終わるまでに、チハヤをあそこから連れ出さないと! カカシさん、お願いですから、相手を瞬殺したりしないでくださいよ!)
『チハヤがまた迷子になった』という事情を知らないカカシが、どんな行動に出るか想像がつかないだけに恐ろしい。
下手したら国際問題に発展してしまう。
イルカは、チハヤを迎えに行くべく、祈るような気持ちで急いだ。
もはや、何に祈ったらいいのかわからなかったけれど。

貴賓席への通路はさすがに警備が厳しくて、イルカは思ったよりも手間取ってしまった。
何とか貴賓席の入り口に到着した時、ドッと会場が沸いた。
カカシの試合の勝負がついたことを知ったイルカは、急いで一番手近にいた暗部に声を掛けた。
「うみのイルカです! ツナデ様に取り次いでください!」
事情を知っていた暗部は、すぐに動いてくれた。
暗部に耳打ちにされたツナデは、振り向いてイルカの姿を確認すると、頷いてみせる。
そして、鉱の貴族の方へ行って、中の一人に何事か囁いた。
男がスッと立ち上がって、イルカの方を向いた。
男の腕の中に、チハヤがいる。
チハヤは目敏く父親を発見し、嬉しそうに「とーた!」と声をあげた。
何故、鉱の貴族がチハヤを抱いているのか。
一瞬わけがわからなくてイルカは混乱した。
だが、その白銀の髪の男がチハヤを抱いている図が、何故か違和感の無いものに見える。
男は、微笑を浮かべてチハヤに何か囁くと、イルカの方に歩いてきた。
ハッとイルカは我に返って、慌てて男に頭を下げる。
「息子がご面倒をお掛けしたようで、申し訳ございません! ありがとうございました!」
途端、男の顔が訝しげにくもる。
「…息子、さん?」
「はい! 託児所の先生に散歩に連れ出された途中で、迷子になったようで―――何故、こんな事になったものか………本当に、すみませんでした。………ほら、おいでチハヤ」
「アー、とーた!」
チハヤは喜んでイルカに手を伸ばす。
男はイルカにチハヤを手渡しながらも、何処か腑に落ちない顔つきだ。
「…………あの」
「はい」
「………キミが、この子の………お父さん?」
イルカは、「はい」と頷いた。
「私が、この子の父です。…うみのイルカと申します。この子は、うみのチハヤ」
銀髪の男は、首を捻った。
「……………一昨日。…私はやはり、この子の親だ、と言う人に会っているのだけど。………その………私は、彼が…この子の父親だと………」
あ、とイルカは眼を丸くした。
「一昨日! 一昨日、迷子になったこの子を見つけてくださったのは、貴方だったんですか! それは存じ上げませんで、大変失礼致しました。…重ねて御礼申し上げます。………で、ですね。…その、一昨日の…『お父さん』は………」
イルカは、どう説明したものか迷って、ツナデに眼を向ける。
二人のやり取りを聞いていたツナデは、大体のところを察してため息をついた。
「…鉱山王。それについては複雑な事情があるので、こんな所ではちょっとお話出来ないんですよ。………イルカ。…カカシがここへ飛び込んでこないうちに、その子を連れて行きな」
「は、はい!」
イルカはもう一度男に礼を言うと、チハヤを抱いてサッサと貴賓席から出た。
試合場からここに来られる通路は一つだけだ。
おそらく、その通路でカカシを捉まえられる。
イルカの予想通り、いくらも行かないうちにカカシの姿を認める事が出来た。
イルカを見つけたカカシは、急いで走り寄ってくる。
「イルカ先生!」
「カカシさん! 良かった…」
「イルカ先生! 何でチハヤがこんな所にいるんですか!」
イルカは、チハヤが託児所の散歩中にベビーカーを抜け出して、迷子になっていたという事を説明した。
「それで、何でこの試合場の中にいたのかは、俺にもわかりません。知っているのはおそらく、チハヤだけです。…そして、何故貴賓席にいたのかも………。落ち着いてから、ツナデ様にお聞きしましょう。たぶん、何かご存知でしょうから」
はーっとカカシは大きく息をついた。
「………ま、何はともあれ。………この子が無事で良かったけど。…もー、今度から縄でもつけておこうか………」
チハヤはキョトン、と両親を見上げている。
「とーた?」
カカシはチハヤを抱き取り、その頭をグシャグシャッと乱暴に撫でた。
「とーた、じゃないデショ、まったくもー!」


『写輪眼のカカシ』の事情は、大きな声で話せる類のことではない。
いくら、昔のように神経質になって隠してはいないと言っても、である。
だが、鉱の国に『忍』はいない。
それに、この男なら。
鉱山王と呼ばれているこの男なら、事情を説明すればわかってくれるとツナデは思ったのだ。
だから、他の貴族達がいない別室でそっと、カカシが実は女性であり、こういう理由で男のように振る舞っているのだ、と打ち明けた。
そして、他国の里がカカシを男だと思い込んでいる方が、彼女の身に危険が及ばないのだと言う事も。
「…鉱山王。貴方のお人柄を見込んでお話ししたのだ。…どうか、ご理解頂きたい」
だが、サクモの反応はツナデが予想していたものではなかった。
「………はたけ…カカシ…写輪眼のカカシが、女性………」
口元に手を当て、考え込むように俯く。
そして、やおら顔を上げると、恐ろしく真剣な表情でツナデに問いかけた。
「………彼女の、ご両親は?」
「は? カカシの? ………いや、私は知らないが。………確か、先代の火影が何処ぞで拾ってきた子だったと………」
「何処で、です?」
ツナデは眉を顰めた。
「………いや、そこまでは。ああ、でもこの近くの山の中だったかな…? 確か捨て子だったとか………? そんな話を聞いた事があるような」
サクモは落胆したように肩を落とした。
「………そうですか。この近くの山………しかも、捨て子………ですか」
「………鉱山王。それがどうかしましたか? カカシが何か?」
サクモは首を振った。
「…いえ。………私の、勘違いです。すみません。………ああ、その…彼女の事情、忍の里がある他国で吹聴したりはしませんので、ご安心ください」
彼のその質問と態度に引っ掛かるものを感じたツナデだったが、敢えてそれ以上は聞かない事にした。
「…ありがとう。…そうそう、この後、鉱の方々と木ノ葉の親善と慰労を兼ねた宴………要するに、打ち上げがあるのだが。…せっかくの機会なので、貴方もぜひご参加を」
サクモは微かに笑みを浮かべて、頷いた。



 

御前試合は、結局八試合して木ノ葉が六勝、鉱の武人が二勝して終わった。
開始数秒でケリがつくような一方的な試合は一戦目のガイのものだけで、後はそこそこいい勝負だったと言えただろう。(もっともそれは、上忍達が加減をしたおかげだったが)
だがそれで、鉱の側も負けたとはいえ一応の面目が立った事は確かなようで、『打ち上げ』の宴が、険悪なムードになることは避けられた。
むしろ、鉱の武人達は初めて接した『忍』にこれまで以上の興味を持った様で、積極的に接触を図ろうとするし、また忍達も他国について見識を広める機会と見てそれに応じるので、宴は和やかかつ盛況なものになりつつある。
この宴が無事終了すれば、今回の御前試合はまず『成功』したと言ってもいい。
試合に出た者は宴も強制参加だったので、カカシも嫌々ながら出席していた。
「おい、仏頂面してんじゃねえぞ、カカシ」
アスマに肘で小突かれたカカシは、ジロリと睨む。
「………地顔だよ。オレは、こんな飲み会興味無いもん」
「…ったく、まぁだ大人になれねーな、お前は。………ガキまでこさえといて」
「それは関係ないでショ」
アスマは内心ヤレヤレとため息をつく。
それでも、こういう場ではカカシの横にいて余計なムシからガードしてやるのが、自分の役目だ。
(………やっぱ、イルカに上忍…いや、せめて特別上忍くらいにゃなってもらうかな。…そうなりゃ、俺もお役御免なんだが………)
「そーいや、チハヤの奴、託児所脱走したって? まったく、誰に似たんだか」
「………脱走というか。………こぐま園のお散歩中にベビーカーから勝手に降りていなくなったらしいのよ。………チドリん時はそんな事なかったんだけどなぁ。…アタマ痛いわ」
「それも個性ってヤツじゃねえのか?」
ハ、とカカシは息をついた。
「まーねー。………でも、マジどうして試合場に紛れ込んだりしたんだろ。………で、何で貴賓席なんかにいたんだってのよ。…ワケ、わかんない」
「それは、私がチハヤちゃんを通路で発見したから、だよ」
ハッとカカシは声の方に振り向いた。
(…チハヤを抱いていた、鉱の貴族―――鉱山王………!)
―――彼がすぐ傍まで来ていたことに気づかなかった。上忍の、自分が。
ショックを受けたカカシは、咄嗟に言葉を返せなかった。
サクモは穏やかに微笑む。
「もっとも、何であんな所にあの子がいたのかまでは、私もわからないのだけどね」
カカシは気を取り直し、彼の言葉の意味することに対して頭を下げた。
「…では、チハヤはまた迷子になっていたところを貴方に保護して頂いたのですね。………すみません、お礼もせずに失礼しました」
「…いや、見つけたのは偶然だし。………チハヤちゃんは?」
「ああ………もう一度、託児所に預けてきました」
実際に預けに行ったのはイルカだ。もう一度こぐま園に連れて行き、急いで戻ってきていた。宴に出るわけではないが、中忍の仕事は山ほどあるのだ。
「そう。………ご両親ともに働いている子は、ちゃんと預かってくれる施設があるのだね。…いいシステムだ。………それはそうと、カカシ上忍。…実は、話があるのだが………ちょっと、いいだろうか」
カカシは内心首を傾げた。
鉱の貴族が、自分に何の用があるというのだ。
チラッとアスマに視線を投げてから、頷く。
「………かまいませんが。…私に、何か?」
「うん。………訊きたい事が、あるんだ」
それと、と彼は遠慮がちにカカシを見る。
「………出来たら、そのマスクと額当てを外した、素顔を見せて欲しいのだが」

 


(09/06/15)

 



 

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