それは予期せぬテンペスト −12

 

 

カン、という高い音と共に、中忍の手から棒が弾き飛ばされ、宙に舞った。
「それまで! 勝者、オロギ!」
わああああ、と場内がわいた。
これまで三戦、木ノ葉が連続勝利を収め、四戦目にしてようやく鉱の武人が勝ち星をあげたからである。
負けてしまった中忍は、面目無さそうに控え室に戻ってきた。
「すんません。………油断しました」
カカシはその男の肩をポンと叩いて慰める。
「…いや、アンタも素手の勝負なら勝っていたかもよ。棒術は向こうさんの十八番だったみたいだし。…ま、いいんじゃない? 全部木ノ葉が勝っちゃっても、ちょいとマズイだろうし。少しはお客に花を持たせないと」
中忍はうるっと眼を潤ませた。
「ありがとうございます、カカシ上忍………」
実際、殺し合いではないから、あれで勝敗がついてしまったが。
任務中の実戦であれば『手にしていた武器を飛ばされた』からといって、それがすぐ負けに繋がるとは限らない。
カカシの見るところ、確かに鉱の武人達もそれなりに強い男達ではあった。
だが、やはり忍とは戦い方が違い過ぎる。
忍法を用いない徒手空拳の戦いであっても、根本的な体捌きが違うのだ。
カカシはそっとため息をついた。
(………やれやれ。マジに茶番だな………)
制限を設け、ルールに則らねば試合にならないという時点で、既に『兵』としての優劣は見えているのに。
控え室の戸口に、シカマルが顔を覗かせた。
「カカシ先生、ライドウさんの次、出番です。用意お願いします」
「あいよ。ごくろーさん」
シカマルはピッと指先で軽く敬礼して踵を返す。
カカシはグッと腕を伸ばした。
「じゃー、行ってきますかねー………」
扉に向かって歩き出したカカシの背に、部屋の中から激励とも何ともつかない声がかかる。
「おーう、カカシ。相手殺すんじゃねーぞ」
「加減しろよ、加減!」
「少しは試合らしく、見せ場作るんだぞー」
カカシは振り向いて、肩越しに睨んだ。
「………そういうのは、開始2秒で相手を昏倒させたガイに言えば良かったんじゃない?」


 

「ではいよいよ最終戦! 鉱の国は大隊長、カナン・ゲンブ中将! 木ノ葉上忍、はたけカカシ!」
うおぉぉぉ、と会場内が一際大きくどよめく。
「カカシだ! 写輪眼のカカシだぞ!」
「よっしゃーッ! 行けーッ カカシー!」
カカシが姿を見せると、きゃああああ、と女性の黄色い歓声があがった。
「カカシさまーッ!」
「カカシ先パーイ! 頑張ってくださーい!」
「カカシ先輩、ステキーッ」
その黄色い歓声に野太い声も混じる。
「センパーイ! ファイトー!」
暗部連中だな、とウンザリしつつ、カカシは観覧席に向かってヒラ、とお愛想に手を振ってやる。
途端に「キャーッ」と女の子達が悲鳴のような歓声をあげた。
ゲンブへの応援の声もチラホラ聞こえるが、カカシへの大歓声で打ち消されがちだ。
貴賓席では、鉱の貴族達が眼を丸くしていた。
「………あの忍の者は………随分人気があるんですな………」
「…何だか、人気役者みたいですわねえ。………アラでも、本当にほっそりと姿のいい殿方ですこと。…お顔、よく見えませんけど」
「…しかし、あんなに細い男で大丈夫なのか………? 横幅などゲンブの半分も無さそうだぞ」
鉱の貴族達は、武人達ほど木ノ葉の忍についての知識が無いらしい。カカシの事も、二つ名を持つ上忍だとは知らないようだ。
ツナデは黙って微笑んでいる。
火の国の大名も、余計な口は挟まずに、扇を開いたり閉じたりして間を持たせていた。
サクモの膝の上で、子供がピョコピョコ、と跳ねる。
「とぉた!」
サクモは笑いながら子供を抱え直し、その耳にこっそりと囁く。
「やっとお父さんの番だねえ、チハヤちゃん」
チハヤは、男を見上げてニコーッと笑った。
サクモはよしよし、と子供の髪を撫でる。
子供特有の、柔らかく細い髪の感触が懐かしい。
(………こうしていると、本当にあの子が戻ってきたみたいだ。………ダメで元々だ。…この子を養子に欲しいと、真剣に頼んでみようか。………この子にはお兄ちゃんがいた。…一人っ子ではないのだから、可能性は皆無ではない……かも………)
血統を重んじる鉱の国にあって、血筋でもない他国の―――しかも、忍の子など普通に考えれば後継者に出来るわけがない。
失くした子供に似ているから、という感傷的な理由だけでは、下の者もついてこないだろう。
今のまま、自分が後妻を迎えず子供を残さなかったら、家は姉の子の誰かが養子に入って継ぐことになる。
サクモは、それはそれで構わないと思っていた。領地と領民、そして鉱山をきちんと管理して護っていく能力があれば、誰が継いでくれても問題は無い。
この子は『後継者』として迎えたわけではない、と説明すれば周囲も納得してくれるはずだ。
それもこれも、あの親が『うん』と言ってくれればの話だが。
(………忍者を軽んじるわけではないが………常に危険と隣り合わせの職業だ。他国とはいえ、貴族の子弟としての教育を受けた方がこの子の為になる、というふうには考えてもらえないだろうか………)
これが自分勝手な願いだと言うことは、わかっていたけれど。
自分で事を判断できるようになったこの子が、両親の国に帰りたい、と言うようなら返してもいい。
とにかくサクモは、ほんの少しの間でも構わないから、娘とそっくりな子供と暮らしたいのだ。
ゲンマがサッと片手をあげた。
「両者、前へ!」
カカシとゲンブが中央へ進み出、貴賓席に向けて一礼する。
顔を上げたカカシの眼が、驚きに見開かれた。
(―――な…っ何でチハヤがそこに………?!)
今、チハヤはチドリと共にこぐま園にいるはずなのに。
驚きのあまり、貴賓席まで飛び上がって確認したい衝動にかられたが、鋭いツナデの一瞥で思いとどまった。
チハヤは無邪気に小さな両手を振っている。
そこでやっとカカシは、息子を抱いているのが一昨日の鉱の貴族だと気づいた。
(………あンの野郎………一体どういうつもりだ!)
どういう経緯であんな事になっているのか、今すぐあの男の首根っこ揺すぶって問い質してやりたい。
カカシの様子が何となくおかしい事に気づいたゲンマが、困惑の面持ちで声を掛けてきた。
「………あの、カカシさん。試合、始めていいッスかね…」
カカシはしぶしぶ中央に向き直る。
「…………いいよ。始めよう」
対戦相手に向けて一礼すると、カカシは基本通りの構えをとった。
ゲンブも同じく、一礼の後構える。
「高名な写輪眼のカカシ殿と手合わせ出来るとは、光栄至極。…手加減はご無用! 参られいッ!」
いや、カカシさんが本気で行ったらアンタ瞬殺ですから………と、ゲンマは思ったが、黙って壁際まで下がった。
カカシは、目の前の男を速攻でブチ倒して貴賓席に飛んでいきたい衝動を理性で抑えつけ、奥歯を噛み締めて耐えていた。
ツナデから、『負けてやれとは言わないが、せめて試合の恰好だけはつけろ』と厳命されているからだ。
カカシの試合は、御前試合の目玉と言っても過言ではない。
それ目当てに来ている観客も大勢いるのだ。
ガイのようにまたたった2秒で試合が終わってしまっては、鉱の客人の面目を潰してしまう。そうなっては、火の国側も無邪気に喜ぶわけにもいかない。
ガイの場合はまだ相手が地位の無い若者だったので問題にならずに済んだが、カカシの相手は鉱でも名のある武人だという話だ。
ここは面倒だが、『大人の配慮』が必要になる。
(………だから嫌だったんだ。…面倒くさい)
カカシが動かないと見るや、ゲンブは口の端に苦笑浮かべる。
「………参られないのであれば、こちらから行くぞ」
「………………どうぞ」
カカシは目を眇めて相手を見た。
(………こーゆータイプのおっさんってさー………オレが女だってわかったら、『女となんて戦えるか!』とか言いそうねー………ま、どーでもイイけど………)
「せいやッ」という掛け声と共にゲンブが一歩踏み込み、正拳突きを繰り出してくる。
カカシはそれを受け流し、『形になるように』軽く蹴りを入れてみた。
さすがにそんなヌルイ蹴りは入らず、ゲンブの片腕に阻まれる。
(…反射速度は結構いい。フン、これならある程度試合っぽく演れるかも)
加減をするにも限界がある。相手がヘボ過ぎると、いかにも手を抜いているのが見え見えになってしまうからだ。
忍者のアクロバティックな組み手と違い、武人のそれは大地を踏みしめているような重厚さと、舞うような『型』があった。
カカシも相手のタイプに合わせ、動きに『型』を取り入れていく。
ゲンブも、様々な戦場を潜り向けてきた百戦錬磨の武人だ。
すぐにカカシの意図に気づいた。
敢えて自分のスタイルを捨てて、相手の土俵に立つ気だ、と。
(………この男! 余裕ではないか………!!)
癪ではあったが、カカシの体捌きは付け焼刃的な模倣では無い。格闘の基礎を熟知している者のものだった。
まるで長年の修練を積んだ武人のような、無駄の無い流れるような動き。
ゲンブもまた、その大柄な身体に似合わぬ俊敏さでカカシに休む間を与えない。
二人の動きは、次第に組み手というよりも息の合った演舞めいてきた。
人々は、固唾を呑んで二人の試合に見入っている。
試合などどうでもいい、と思っていたシンジュも、思わず身を乗り出していた。
(……あの銀髪の方、綺麗………なんて美しく動くのかしら………)
集中力と体力の勝負か、と思われた時。
ゲンブの眼前からフッとカカシの姿が掻き消えた。
「中将! 上です!」
思わず、といった態で上がった部下の声にゲンブが頭上を振り仰ぐ。
次の瞬間、カカシのカカト落としがゲンブを襲い―――彼は、肩に受けた衝撃に気を失った。
すかさず、ゲンマが「それまで! 勝者、はたけカカシ!」と宣言する。
観戦していたアスマは、はあ、とため息をついた。
(………カカシのヤツ、相手に合わせんのに飽きたな。…ま、三分以上持たせただけでも上出来か)
「カカシ先輩、随分遊んでたねー」
「うーん、すぐ終わらせたらマズかったんじゃない? 政治的配慮ってヤツ?」
「え? でもいいじゃないですかー。カカシ先輩、素敵でしたー…あの腕の動き、足先の美しさ! もはや芸術ですよね!」
「オレも、先輩のカカト落としならくらってみたい………」
カカシが勝つのが当然、と思っていた木ノ葉側と違い、鉱の方はいきなりついてしまった勝負に愕然としていた。
いい勝負になっていると思っていただけに、納得が出来ない。
「………ゲンブ中将が、負けた………?」
「最後、何が起きたんですの? あっという間でよくわかりませんでしたわ。あの忍者、妙な術でも使ったんじゃ………」
「そ、そうなんですか? 火影殿!」
「…いや、そんなことは………」
ツナデを困らせている仲間に向けて、サクモは首を振った。
「違いますよ。彼は、忍術なんて使いませんでした。…あれは、体術のみの勝負です。身体能力の差で、ゲンブ中将は負けたんですよ」
鉱山王にそう言いきられては、それ以上『ルール違反だ』と言い立てるわけにはいかない。鉱の貴族達は口を閉じた。
ツナデの感謝の目礼に、サクモは微笑み返す。
一方、割れんばかりの拍手と歓声の中、対戦相手への礼をかろうじて忘れなかったカカシは、貴賓席で拍手をしている男を睨むように見上げた。
 

 

(09/06/12)

 



 

NEXT

BACK