それは予期せぬテンペスト −11
貴賓席でシンジュは、鉱山王の姿を捜した。 いつもならすぐに見つけられる、長身の男の姿が何処にも見当たらない。 (………おいでにならない………?) 「…あの、鉱山王は………」 夜会で見かけたことのある青年に尋ねると、彼も首を捻った。 「そう言えばいらっしゃいませんね。…僕と同じ馬車でしたから、この会場にいらしていることは確かですよ。……おそらく、出場する武人の所に激励に行ってらっしゃるのではないかと。何せ、元お仲間だし」 「そうですか。ありがとう存じます」 彼が元々は武人だったことは、シンジュも知っている。 武人達を励ましに行っているというのは、大いに考えられることだった。 だがもう、開会の時刻が迫っている。 ふう、とシンジュは小さな吐息をついた。 旅に随行してきた使用人達は、ここまで連れてくるには大所帯過ぎるので、城で留守番している。鉱山王の従者、カノウもここには来ていない。 (………あのお付の方がいらしたら、お引き止めしたんでしょうに………) 青年の言った通り。 サクモは出場する武人達に声を掛ける為、控え室を訪れていた。 彼が自発的に思い立ったのではなく、顔馴染みの中将に請われての事だったが。 是非、若い者に発破をかけてやってくれと頼まれ、嫌とは言えなかったのだ。 「…じゃあ、そろそろ席に戻らないといけないから。…皆、鉱の武人の力を火の国に見せつけよう、なんて気負わないように。…力が入り過ぎると、実力が発揮出来なくなるよ。普段通りにね」 ハイッ! と武人達は素直に応じた。 あれから、中将に白牙公の武勇伝を聞かされた彼らは、サクモを崇敬の眼で見るようになっていたのだ。 「一番手は、セキヤ君だね。…頑張って」 「はい! ありがとうございます!」 サクモは手を振り、控え室を後にした。 会場の構造は、あらかじめ案内図を見て覚えている。彼は、迷うことなく歩き出した。 木ノ葉側は、彼が一人歩きをするのを止め立てはしなかったが、さりげなく護衛の忍がついて見守っていた。 そのまま、貴賓席へ戻るだろうと思っていた彼が、ふと足を止める。 (………?) 護衛についていた忍が訝しむ間に、彼はサッと方向を変えて一般客がひしめく通路の方へ分け入ってしまった。 護衛対象を見失った男は慌てる。 (…なっ………いったい、何処へ………) 慌てて追いかけると、鉱山王は雑踏の中で屈めた身体を起こしたところだった。 腕に、子供を抱いている。 サクモは子供を抱いたまま戻ってきて、護衛の忍に微笑みかけた。 「…すまない。ちょっと、知り合いの子を見つけたものだから」 忍は、彼が抱いている子供を不思議そうに見た。 「お知り合いのお子さん、ですか」 「うん、そう。…キミは気にしないでいいよ」 ふと巡らした視界に飛び込んできた、白銀の小さな頭。 考えるより先に身体が動いていた。 その小さな頭は、やはり一昨日の子供だった。近づいて名前を呼ぶと、子供は嬉しそうに笑ってサクモに小さな手を伸ばしてきたのだ。 子供の周囲には、保護者らしい大人が見当たらない。どうやら、この子はまた迷子になっているようだ、と判断したサクモは、子供を抱き上げた。 果たして、彼がそのまま歩き出しても、それを咎める声は何処からも上がらなかった。 本当なら、この子の事はこの護衛の忍に任せた方がいいのだろう。はたけという上忍の子供だと言えば、しかるべき所で保護すべく手を打ってくれると思う。 だが、サクモはもう少しだけ子供を抱いていたかった。 二度も偶然にこうして『迷子』のこの子を発見したのだ。神様が引き合わせてくれているのかもしれない。 「………チハヤちゃん。おじさんと一緒に、お父さんを応援しようか」 「…とーた?」 「うん、お父さんが出るんだよ」 子供の様子とそのやり取りに、彼が抱いているのは鉱の武人の子供で、迷子にでもなっていたのだろう、と護衛の忍は納得する。 「お急ぎください、お客人。…もう、開始の刻限です」 「わかった」 子供を抱いたまま、サクモは貴賓席に戻った。 サクモが戻った事にいち早く気づいたシンジュは、彼が幼い子供を抱いていることに気づいて絶句する。 「………え………?」 驚いたのは、鉱の貴族達だけではない。同席していたツナデも思わず腰を浮かせる。 「…鉱山王! その子は………?」 「ああ、ツナデ殿………いや、その………」 チハヤは甘えるように男に抱きつき、無邪気に「とーた」と声をあげた。 「…………………お子様連れでいらしていたとは、伺っていなかったが………」 ツナデの低い声に、鉱の貴族達は黙ってブンブンと首を振った。 妻を失った鉱山王が、長い間独り身でいたのは周知の事。 こんな小さな子供などいるわけがない。どんなに想像をたくましくしても、隠し子を疑う余地も無かった。 「ええと………私の子じゃないんですが。…ツナデ殿、ちょっとお耳を」 周囲には聞こえないように、サクモはツナデに一昨日の事も含めた事情を説明した。 ツナデの柳眉がピクリと跳ね上がる。 「………それで何でまた、こんな所に」 「…私も、そこまでは」 ツナデは、サクモに大人しく抱かれている子供の頭を優しく撫でた。 「仕方ないねえ。…おばさんトコにおいで、チハヤ坊」 チハヤは、イヤイヤ、と首を振って男にしがみついた。 「とぉた」 「…だから、その人はチハヤのお父さんじゃないんだよ。…ね?」 「やー! とーたー」 フー、とツナデは首を振った。 「………懐かれましたな、鉱山王」 「…私は構いませんよ、ツナデ殿。………それより、この子の親御さんには、ここにいる事を伝えた方が。………心配なさっているかも」 ツナデは頷いて、すぐ後ろに控えていた暗部を呼んだ。 「その辺に、イルカがいるはずだ。…呼んで来い」 「承知」 暗部は、サッと姿を消した。 サクモはチハヤを抱いて、席に着く。隣の席の男が、興味深げに子供を覗き込んだ。 「…何だか、本当に貴方の子みたいですな、鉱山王。…髪の色の所為か、貴方に感じが似ている」 サクモは曖昧な微笑を浮かべた。 「………そうですか?」 ツナデは懐中時計で時刻を確かめると、スッと前に出た。 「―――これより、御前試合を開始する! 遠く鉱の国から参られた武人方と、我が木ノ葉の忍が、己の技と力でしのぎを削る、またと無い機会である! 鉱のお客人方と、我が火の国の殿様が見ておいでだ! 正々堂々、力を尽くして戦うことを期待する!」 高らかなツナデの開会宣告に、会場がどよめき、歓声が上がった。 木ノ葉側と鉱の側からそれぞれ審判が中央に出て、握手をする。 「木ノ葉特別上忍、不知火ゲンマ。…よろしく」 「鉱の軍、第三部隊副隊長、セン・イオウ。よろしくお願い申し上げる」 ゲンマは、試合の対戦表をイオウに見せて確認する。 「これで間違いないですかね? 選手に変更とか」 「間違いないです」 ゲンマは頷き、右手を挙げた。 「では、第一試合! 鉱の軍第五部隊所属、ゴドウ・セキヤ! 木ノ葉上忍、マイト・ガイ! 両者、前へ!」 おお、と観覧席がざわめき、様々な声が飛び交う。 「いきなり上忍か!」 「ガイ先生、ファイトーッ!!」 「ガイくらいだろ。…自分から出るって言った上忍は………」 「加減、出来るんですかね…? あの人」 ガイとセキヤが中央に出て、先ず貴賓席に向かって一礼した。そして互いに一礼する。 「遠慮は無用! かかって来るがいい! この木ノ葉の蒼き猛獣、マイト・ガイが御相手いたす!」 お得意の決めポーズに白い歯が光る。 予想外の濃ゆい相手に、鉱の若者は心持ち引いた。 「お、お手柔らかに………」 持ち場の責任者に許可を貰い、イルカはチハヤを捜す為に会場の外に出ていた。 先ず、コヨリがチハヤを見失ったという公園に向かう。 そこから注意深く子供の足跡を探ってみたが、普段とは比べ物にならないほど人の往来が激しくて、子供の小さな足跡など既に踏み消されてしまっていた。 そこでイルカは、周囲にチハヤの興味を引きそうな物が無いか見回した。 この御前試合を絶好の機会と見て、いつもはいない屋台の店が賑やかに繰り出している。 子供が喜びそうな風船を配ったり、楽しげな音楽を流しながら歩いている物売りもそこかしこにいた。チハヤでなくても、小さな子なら簡単について行ってしまいそうだ。 (………厄介だな。あり過ぎる………) わああああ、という会場の歓声に、試合が始まったことをイルカは知った。 「始まったか!」 時計を確かめる。 チハヤが迷子になったとされる時刻から、既に三十分以上。 (………何処に行った………!) 手当たり次第に目撃情報を訊き回ったが、何せまだ小さな子供だ。 すぐ側を歩いていたとしても、大人の視界には入ってこないのだろう。小さな銀髪の子供を見かけた、という人は現れなかった。 仕方なく、もう一度公園に戻って足取りを確かめようとした時、イルカの背後に人の気配が出現した。 「―――アカデミーのイルカ先生ですか?」 暗部だ、と直感したイルカは小さく頷いた。 「至急、会場にお戻りを。ツナデ様がお呼びです。…ご子息が保護されております」 は? とイルカは振り返った。 「…息子が? ど、どこにいるんですか?」 「ですから、ツナデ様が保護されております」 「…本当にウチの子なんですか…?」 「銀の髪の、一歳くらいのお子さんです。ツナデ様は、チハヤ坊、とお呼びでした」 ホッと、イルカは自分の中の強張りが解けるのを感じた。 子供達を正式にツナデに紹介した覚えは無いが、ツナデがチハヤを見知っているというのは十分あり得る話だ。 どうして会場の外の公園でいなくなったチハヤが、ツナデの所にいるのかはわからないが。 入場する人波にまぎれて、入り込んでしまったのかもしれない。 「…わかりました。ありがとうございました。すぐ、戻ります」 (…先に、コヨリ先生だな) イルカは、責任を感じて真っ青になっていたコヨリの元に戻る。 そして、どうやらチハヤは無事保護されているようだ、と彼女を安心させてから会場へ引き返した。 会場に入ったところで、イルカはコテツにつかまった。 「イルカ! 悪いがな、すぐに持ち場に戻ってくれ。手が足らないらしい。…あんたの子供は、ツナデ様が見ているから心配ない」 「ツナデ様は、貴賓席においでのはずじゃ?」 「…そこが謎なんだが、あんたんとこの坊やも貴賓席にいるらしいんだな。……ま、後で引き取りに行けばいい。ツナデ様も、そうしろと仰っている。とにかく、あんたは安心して仕事に戻れ」 「………了解」 何故、会場内で保護されているのか。 そして何故貴賓席のツナデの所にいるのか。 わけはわからなかったが、チハヤが無事という事なら、イルカとしてもこれ以上私情で動くわけにはいかない。 様々な疑問を胸に抱きつつ、イルカは持ち場に戻るべく急いだ。
(09/06/10) |
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