それは予期せぬテンペスト −10

 

 

その日、木ノ葉の里は朝から活気に満ちていた。
火の国の殿様と、外国からの賓客を迎えて催される、初めての御前試合だ。
先日行われた中忍選抜試験とは、趣きが全く異なる。
国同士の威信をかけた試合ではあるが、里人にとってはお祭り的な感覚でとらえられているらしい。
忍対他国の武人と言う珍しさもあって、観戦希望者はツナデ達の予想を遥かに超えた。
コテツは会場を見渡し、ボソリと呟く。
「…こりゃ盛況だ。中忍試験の比じゃないな」
イズモは苦笑した。
「ん? そりゃあ、上忍の試合なんて滅多に拝めないしな。相手が忍者じゃないってのは置いとくとしても………」
「………というより、皆さん『写輪眼のカカシ』が見たいんじゃね?」
「あー、カカシさんかー………そういや暗部連中、こぞって応援に来てるらしいぞ。あいつら、カカシさんの戦いっぷりなんて知ってんだろうに」
コホン、と咳払いが聞こえた。
「知っているかどうかの問題じゃありませんわ。カカシ先輩がこのような茶番に引っ張り出されるなど、遺憾の極みではございますけど。出場なさると決まってしまったからには、我ら暗部一同応援するのは至極当然。今回ばかりは、会場警備の担当も役得ですわね」
コテツ達が振り返ると、暗部の仮面をつけた長い黒髪の女がひっそりと佇んでいた。
「………応援もいいけど、ちゃんと仕事はしてくださいよ? 試合に夢中になって、警備を疎かに…なんてシャレになりませんからね」
「失礼ですわね。そんな事したら、カカシ先輩に顔向け出来ないじゃありませんの。ご心配なさらずとも、仕事はキッチリしますわ。ええ!」
暗部の女は、言いたいことだけ言うと、スッと姿を消した。
「何だ、ありゃ」
「………要するに、カカシさんを信望している崇拝者だろ」
「………つまり、ファンか…?」
カカシが暗部に所属していたのは、過去のことなのだが。
彼ら暗部は未だにカカシを『先輩』と慕っている。カカシが暗部を抜けた後に所属した者までその影響を受け、彼女に憧れ、崇拝している有様だ。
イズモは手にしていた会場見取り図を見直し、顔をしかめる。
「貴賓席の警備、大丈夫か? あそこ、暗部の担当だったよな。…カカシさんの試合ん時は、人数増やした方がいいかもな。…万一に備えて」
出場する選手が人気者だと、いらない気苦労も増えるものだ。
「いっそ、結界でも張るか?」
「………それもいいかもな。…出来れば、の話だけど」


 

試合観戦の為、城から木ノ葉の里へ移動する鉱の賓客達が婦人達も含めて十六名。そして武人達は出場する八名に控えの選手二名も含めて十名。
加えて火の国側の大名及び大臣達などが五名ほど。
四人乗りの馬車なら八台で済むが、これも『火の国の力』を鉱へ誇示する機会と、大名は十台の立派な馬車を仕立てさせた。
城を守護する忍達が動くわけにはいかないので、馬車を護衛する忍は里から派遣されることとなった。ツナデの命を受け、中忍が四名、城に向かう。
その中には、イルカの姿もあった。
馬車の横を歩きながら、ふと視線を感じたイルカが馬車を仰ぎ見ると、見覚えのある令嬢がイルカに笑顔を向けていた。
(………あの時の………)
シンジュという娘だと気づいたイルカは、ニコリと微笑を浮かべて目礼する。
カカシに聞いて彼女が無事なのは知っていたが、やはり自分の眼で確認すると安心するものだ。
シンジュよりも少し年上の令嬢が、ドレスの皺を気にしながら馬車の外をチラリと見る。
「シンジュ様、お知り合いですの?」
「あら、いえ………知り合い、という程でもありませんわ。ちょっと、落し物を拾って頂いた事があるんですの。…それだけなのですが」
夫に同伴してきた年配の夫人が、扇で口元を隠す。
「…そうですわよね。あんな忍などという野卑な輩が、シンジュ様のお知り合いなわけがありませんわね」
夫人の物言いに、シンジュは不愉快さを覚えた。
自分にとって、あの忍者は恩人だ。彼がいなかったら、大事な簪を失うところだったのだから。
それに鉱山王は、彼らを見下したりしていなかったではないか。彼の態度は、同等に敬意を払うべき相手だと『忍』を認めているように彼女には思えた。
「………奥様。忍の方は、そんな卑しいご身分というわけではないのではありませんか? 国を守護するという意味では、我が国の武人方と立場は同じなのだと思うのですが。…彼らの長である火影様は、とても品のある美しい方だったではありませんか」
まあ、と夫人は年若い令嬢を諭すように眉根を寄せた。
「シンジュ様。それでもあの方達は、わたくし共とはそもそもの身分が違うのですよ。…それは、火の国は大国なのかもしれませんけど。…歴史なら、我が鉱の国の方があるのですから。その貴族であるわたくし達とは、格と言うものが違いますもの」
彼女の言葉は、シンジュにとって素直に受け入れられるものではなかった。
だが、ここで言い争うのも無意味だと、曖昧に微笑んでお茶を濁す。
何かを言い返せるほど、シンジュも彼ら忍者について知っているわけではなかったから。
だけど、とシンジュは唇を引き結んだ。
少なくとも自分は、この馬車を護ってくれているあの黒髪の忍が、親切な人だということを知っている。
凛とした姫火影、ツナデの優しさも。
人間の卑しさはその生まれではなく、個人の心にある。いくら高貴な家に生まれても、心根が卑しい人間はいるものだ。
その逆もある、とシンジュは思っていた。
「…あら、里とやらに着いたようですわね。………変わった門ですこと。大きいけど、何だか粗末な造りですわねえ」
その声に馬車の外を見ると、ちょうど木造の大きな門を通過したところだった。
シンジュ達の眼には、里の景色は火の国の城下町よりも更に風変わりに映る。
「………装飾的な華美さに、価値を見出さない気風なのではありません? 少なくとも、わたくし達の国よりも貧困の差が無いように思えます。…火の国に来てから、極端に貧しい方は眼にしませんもの」
ホホホ、と夫人は笑った。
「そんなものを火の国の方々がわたくし達の眼に触れさせるとお思いになりますの? シンジュ様。……隠すに、決まっておりますわ。世の中など、そういうものです」
夫人の言う事にも一理あった。
シンジュは、自分が世間知らずの小娘だとあしらわれたようで不快だったが、そこは事実なので仕方ない。
「………そうなのですか? …さすが、奥様は見識がおありでいらっしゃいますわ」
年上の夫人に逆らうことなく彼女を立てながら、シンジュは内心ため息をつく。
同じ女性なのに、どうもこういう女性達との付き合いは苦手だった。
異性で、歳も離れた彼―――鉱山王と話している時の方が楽しい。彼が教えてくれる事は、何でも素直に聞けるのに。
(………でも、それは彼に気を遣わせているだけなのかしら。………あの方は、わたくしみたいな年下の女と話すのは苦痛かしら………)
昨年、彼との縁談が持ち上がった時、シンジュは舞い上がるほど嬉しかったのだ。
初めて彼に出逢ったのは、十二歳の春。
屋敷で催されたガーデンパーティで、彼はまだ幼いシンジュをきちんと一人前のレディのように扱ってくれた。
その時からずっと、彼女は彼に淡い恋心を抱いていたのだから。
父親の目的は、娘の幸せよりも婚姻による家同士の結びつきにあると。娘を利用しようとしているだけだとわかっていても、それでも嬉しかった。
若く美しい娘を差し出せば、鉱山王は喜んで娶ってくれるだろうと思っていた父は、彼に断られて非常に落胆していたが。父以上に落胆したのは、シンジュの方だ。
彼は、年齢の差を理由に断ったけれど。
やはり、自分にそれだけの『価値』が無かったのだろう、とシンジュは思っていた。
(………わたくしがまだ子供だから、じゃない。あの方は、わたくしでは翠鉱家の妻にはふさわしくないと―――そう、思われたのだわ………)
救いは、縁談騒動の後も、彼が以前と変わらず接してくれる事だった。
そっと、シンジュは息をついた。
宴を抜けだして、彼と一緒に異国の街を探検したあの夜。
あれはまるで夢のようなひと時だった。
あの夜、彼と自分は同じ後ろめたさを抱える『共犯者』になれたのだ。何て素敵なことなんだろう。
あの思い出を胸に抱いて帰れるだけでも、思いきってこの旅に同行した甲斐があったというものだ。
彼女にとって、もうこの旅の目的は果たしたも同然だった。
(………御前試合なんて、本当は別に見なくてもいいのだけど………そうも言っていられませんものね。………ちゃんと見て、鉱で待っている方々に様子をお伝えしなくては)
それが、父に無理を言ってこの旅の一団に加えてもらった、自分の義務だろう。
馬車から降り、シンジュは試合会場を眩しげに見上げた。

 


開会の時刻が近づいている。
馬車の護衛を終え、急いで試合会場での持ち場に戻ろうとしたイルカは、会場の外で呼び止められた。
「イルカ先生!」
その切羽詰った声に足を止めると、見覚えのある女性が肩で息をしていた。
チドリとトチハヤを預けている託児所、こぐま園の職員だ。
「貴方は…コヨリ先生? どうなさいました」
コヨリは、蒼い顔を上げて唇を震わせる。
「申し訳、ありません! チ、チハヤちゃんが……チハヤちゃんがいないんです………!」
は? とイルカは眼を丸くした。
「ちょっと待ってください。…こぐま園からいなくなったんですか?」
「い、いいえ。………実は、お散歩の途中だったんです。………二歳までの子は、大型のベビーカーに乗せてお散歩しているんですけど、ちょっと眼を離した隙に………まさか、一人で降りちゃうなんて思わなくて………」
すみません、すみません、と彼女は泣き出さんばかりに謝る。預かっている子供を見失ったショックで、貧血を起こしているらしい彼女をイルカはなだめた。
「落ち着いてください、コヨリ先生。…貴方、真っ青ですよ。少し座って休んでください。でないと、貴方が倒れてしまう。………チハヤは、俺が捜します。どこら辺でいなくなったか、教えてください」
「は、はい………すみません………」
コヨリを日陰に座らせた後、イルカは駆け出した。
先ず、事情を説明して、少しの間持ち場を離れる了承を取らねばならない。
カカシから、一昨日もチハヤが迷子になっていた、と聞かされていたイルカは唇を噛んだ。
その事を託児所に報告しなかったのは、自分のミスだったかもしれない。
チハヤは今、歩けるようになった事が嬉しくて、冒険がしたくてたまらないのだ。
(………チハヤ………!)
息せき切って通用門から会場に入る。
会場の裏側には選手達の控え室があり、通路には鉱の武人が数人いた。その横を、「失礼します!」と断りながらイルカは走り抜ける。
(………カカシさんには………言わない方がいいか? 試合前だし………)
言えば、彼女は試合など棄権して、チハヤを捜しに行くに決まっている。
この御前試合の真打ちとも言える『写輪眼のカカシ』が欠場などしたら、大名や鉱の客人達に何を言われるかわからない。
カカシはもちろん、ツナデも非常に不味い立場に立たされる事になる。
五代目に迷惑を掛けるわけにはいかなかった。
(―――俺が、さっさと捜し出せばいいだけの事…!)
赤ん坊の足だ。そう遠くへは行けまい。
もう誰かに発見されて、保護されている可能性もある。
誰がどう見ても、一人歩きをするような年齢ではないのだから。
問題は、このお祭騒ぎと人混みだ。
すぐ足元を歩かれたら、あんな小さな子供など大人の視界には入らない。
どうか、無事でいて欲しい。
イルカは心の中で祈りながら、会場の階段を駆け上がった。
 

 

(09/06/07)

 



 

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