それは予期せぬテンペスト −1

 

 

その話を聞いた時、カカシは耳を疑った。
「…御前試合?」
ツナデはいかにも気乗りしていないといった顔で頷く。
「ああ。火の国のお殿様が、外国のお客さんに木ノ葉の忍の力を見せたいんだろ」
「何ですか、それは。……以前の中忍試験の時も思いましたけど、忍同士が人前で顔を晒して手持ちの技や術を里外の人間の前で披露するなんて、危険です」
危険。―――そう、色々な意味で危険だ。
カカシの至極当然な意見に、今度は首を振るツナデ。
「それがな、カカシ。……忍同士じゃあないんだよ」
カカシは訝しげに銀の細い眉を顰める。
「まさか、忍対………一般人?」
そんなバカな。
無茶な話―――いや、無茶以前だろうとカカシの表情が語っていた。
ツナデも同意見だとばかりに肩を竦めてみせる。
「…ああ。だがもちろん、条件付きだ。忍は忍術禁止。体術のみを競うこと。武器は、対戦者同士があらかじめ用意された同じものを使用する場合だけ許可、だと。つまり、忍の武器は普通の方々には理解出来ない物も多いし、術も同然だという事らしい」
―――条件。
もうそんな所まで進んでいる話なのか。カカシの眉はますます顰められた。
「………解せない話です。そこまでして、どうして忍が一般人…もちろん、腕に覚えのある輩にしてもです。一般人と試合せにゃならんのです?」
「…お殿様が、ノセられちまったのさ。今、北の遠国、鉱の国のお偉いさんが親善外交……というか、輸出や輸入の交渉の為に来ているらしいんだが……その席で、お互いの持つ軍事力についてのほのめかし合いになったってワケさ。ウチはこんなに凄い。だからウチには逆らわない方が身の為ですよ―――ってなもんだ」
「………アホくさ」
「そう言うな、カカシ。確かに外交では力の誇示が必要な場合もあるからな」
カカシは眉を顰めたまま、声を低くする。
「てー事はですね、五代目。……もしかしなくても、対戦相手はその鉱の国とやらの武人………ってわけですか?」
「ま、そうなるな。………木ノ葉の忍は優秀だと言うが、体術なら自分の国の武術者だって負けてはいないと、そう仰るそうだよ。………フン、舐めてくれるわ。忍を何だと思ってんのかね」
ツナデの言葉に頷きつつも、カカシは更に声を落とした。
「で―――お聞きしたいんですが、何故その話をオレになさるんです?」
火影の執務室にはツナデとカカシの二人きり。秘書役であるシズネの姿も無い。
ツナデは申し訳なさそうに微笑んだ。
「………お前、有名人だからなあ………どうせなら高名な写輪眼のカカシが見たいと……そう仰せなんだな、客人が。…ああ、もちろんお前だけじゃないよ? 他にも上忍や中忍を何名か出す。…向こうも、忍相手に腕試ししたい武人は一人や二人じゃないらしいから」
カカシはくるりと踵を返す。
「今のお話は聞かなかった事にします。…失礼」
「………コラ、カカシ」
カカシは肩越しに振り返った。
「………あのね、五代目。本当にオレに価値があると思ってくださるんなら、安売りはやめてくださいね。………見世物になるのはゴメンです。…腕自慢大会なら、そういうのが好きなのを募ってやればいいでしょ」
ふう、とツナデはため息をついた。
「………そう言うと思ったよ。………仕方ない。何とか誤魔化す手を考えるか………」
「すみませんね。…でも真面目な話、御前試合なんかやめた方がいいとオレは思いますよ」
「……カカシ」
「はい」
「…子供は元気か? 幾つになった」
突然の話題転換に戸惑いながらも、カカシはニッコリと微笑んでみせた。
「今、三歳と一歳です。おかげ様で、二人とも元気ですよ」
「そーか。………やっぱり大変、か?」
「男の子が二人ですからねえ………ま、それなりに大変といえば大変ですけど。子供が小さいうちは、仕方ないですね。ダンナが協力的なんで、何とかなってます」
ツナデはそうか、と微笑んだ。
カカシの性別は今、三代目の時のようにごく一部の者しか知らない里の極秘事項ではなくなっている。
そうなった経緯については、ツナデは詳しい事は知らなかったが、カカシが『上』の指示も仰がずに独断で『バラして』しまったという。
もちろん大声でふれ回ったりするわけがないが、必要以上に隠すのをやめてしまったのだ。
つまり、『知る機会があった者は知っている』というわけである。
だが、以前のように里の重大事項として極秘にされていないにも拘らず、カカシという忍者を知る里の者全てがその事実を把握しているわけではないのは、知った者が軽々しく吹聴して回ってはいないという証拠だ。
強制されなくても、彼らはカカシが性別を偽らざるを得なかった理由をきちんと理解し、他里から彼女を守る為に口を噤んでいるのだろう。
カカシは、本人が思っている以上に愛されている。彼女を知る、周囲の人達から。
「お前が結婚して母親になっているって自来也から聞いた時は、まさかと思ったよ。……でも、いい事だ」
カカシは薄っすらと赤くなった。
「…ありがとうございます。産んだ本人が一番『まさか』ですよ。…こんなオレが母親になれるなんて、ちょっと前までは想像すら出来ませんでしたから」
ツナデは、カカシの亭主の顔を思い出した。
あれもまだ若い父親だ。妻子ある所帯持ちには見えない。
顔に一文字傷がある以外は、特にこれといって目立たない青年。子供達に慕われている、実直そうなアカデミーの忍師。
だが、この『写輪眼のカカシ』を妻にした男だ。
どうやって口説き落としたのかは、木ノ葉の七大不思議に数えられそうなほどの謎だが、侮れない中忍であることは確かだろう。
「…ま、何が起こるかわからないのが人生さね。…何かあったら、遠慮なく言いな。私で良けりゃ、力になるよ」
「ありがとうございます。ツナデ様にそう言って頂けたら心強いです」
カカシはそう言った後、ポンと掌を打ち合わせた。
「………あ! そうだ。…ちょっとお聞きしたいんですけど、子供って、上の子と下の子の発育に差なんて出るものでしょうかね。…実は、チビの方が、どーも口が遅いんですよね。上のがあれくらいの頃はもっと語彙があった気がするんですよ。……一度、知能検査でもした方がいいんでしょうか。だってねっ…あの子ったら、イルカ先生の事もオレの事も『とーた』って呼ぶんですよぉっ?」
ツナデは思わずプッと噴いた。
「………ツナデ様………」
「い、いや、スマン………下の子って、まだ一才だろ。そんなに気にする事はないんじゃないか? 男の子は口の遅い子が多いと聞くしな。上の子が必要なことは先にしゃべっちまうから、下の子は自然としゃべらなくてもいい状態になると聞いた事もあるし………アカデミーに入るトシになっても喋れなかったら、私が頭ン中診てやるよ」
笑いを堪えているようなツナデの声に、カカシはムッと眉間にしわを寄せたが、一応一礼して「その時はお願いします」と答えて退室した。
カカシが去った後、ツナデは堪えきれなくなって笑い出す。
ツナデはまだ、カカシの家庭での姿を見たことがなかった。職場にいるカカシは依然として『男』にしか見えない。
あれでは父親が二人いるようなものだろう。子供が混乱するのも仕方ないのではないか、とツナデは思ってしまう。
「ま、当分はまだお前に第一線で働いてもらわなければならんからな。…悪いが、もうしばらくは専業主婦にしてやるわけにはいかないよ」





帰宅したカカシは、ツナデから聞かされた御前試合の件を、不満たらたらの顔で夫に愚痴った。
すると、『協力的なダンナ』であるイルカは、せっせと洗濯物をたたみながら苦笑する。
「…ああ、その話ですか。俺も今日、主任から聞かされました。………どうやら、その準備やら当日の諸々、アカデミーの忍師は殆ど駆り出されるような話でしたよ。ちょっと忙しくなるから覚悟しておけって」
えーっとカカシは声を上げた。
「またですかあ? そういう面倒な事をアカデミーの先生に押し付け過ぎですよ! まったく、忍師は便利屋じゃないって言えばいいのに!」
「いや、実際便利なんでしょう。要人がいらっしゃいますからね。警護にも相当人手を割かれますし…実際、人手なんて幾らあっても足りないのが現状です」
カカシはぷう、と膨れる。イルカが便利屋よろしくこき使われるのが面白くないのだ。
「………鉱の国、なんて土の国の先、もっと北の僻地でしょ。………そんな所と張り合うなんて、火の国の殿様もどうかしていますよ」
コウの国、とイルカは口の中で呟いた。
「鉱の国は、その名の通り良質の鉱脈を有する国です。…土地そのものは肥沃とは言い難く、平均気温が低くて気候も厳しい。自国の農業で国民の口を賄いきれないので、食料は輸入に頼らざるを得ません。その為には、好条件で産出物である鉄鉱石を輸出しなければならない。―――そういう事情もあるのでしょうね。どういう経緯で御前試合という話になったのかはわかりませんが、武力の示威が高じて戦争になるよりも平和的でしょう」
イルカは、しまった、またつい講義口調になってしまったと思ったが、聞いていたカカシは眼をキラキラさせている。
カカシは、イルカが落ち着いた『教師の声』で語ってくれる、様々な知識の一端を聞くのが好きだった。
(さすがはオレの旦那様。カッコイイな〜…うふふ〜惚れ直しちゃう)
「そっかー、そうですねえ。…オレも戦争はイヤだなあ………あれ、マジに荒むんですよねー………国も、人も」
カカシほどではなかったが、イルカも戦場は知っている。
出来れば彼女をそんな所へはやりたくなかった。「そうですね」とイルカは静かに同意した。
「……ところでカカシさん、お鍋、吹いてますよ」
「あっ! いけないっ」
カカシは慌てて火を小さくする。
「………で、火影様がわざわざ貴女を呼び出して―――ということは、御前試合への出場要請ですか」
野菜の火の通り具合を串で刺して確かめていたカカシは、不機嫌そうに唇を尖らせた。
「………断りましたよ、そんなもん」
「火影様の勅命でしょう? よろしいのですか」
カカシは肩を竦めて舌を出す。
「オレを安売りするなと言っちゃいました。…オレも大概、態度デカイですよね」
「今回の件は、通常の任務と趣きが異なりますから………貴女の言葉も尤もです。俺も貴女がそんな試合に出るのは賛成しかねます。写輪眼のカカシが戦う姿が簡単に見られるなんて、たとえお殿様でも思って欲しくないですね。…なーんて、俺は単に貴女を大勢の人目にさらしたくないだけですけど。………もったいないから」
途端にカカシは機嫌を直した。
ニコニコしてイルカの傍にちょこんと座り、その腕に懐く。
「うれしー…ありがとう。イルカ先生にそう言ってもらえただけでも嬉しい、オレ」
懐いてきたカカシの頭を、イルカはヨシヨシ、と撫でる。ついでにチュッと軽くキス。
まだまだ新婚気分が抜けない、割れ鍋綴じ蓋夫婦だった。

 

(08/10/26)

 



一旦引っ込めた第1話目の再UPです。

申し訳ありません。
この話の前に、入る予定の話(カカシのカミングアウト)をすっ飛ばしております。
………チハヤ、生まれてるし。火影様交代してるし。
ここでのカカシさんは、周囲の人には既に秘密をバラしております。
順序としては、(チハヤ誕生)→カミングアウト、です。
相変わらず、カカシを男だと思っている人の方が多い、といった感じです。

 

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