海原越えて

 

五輪は険しい眼で梢を振り仰ぐ。
「誰っ!」
梢の上で、銀髪の男が彼女を見下ろして笑っていた。
「…五輪リヨさんとやら。………アンタ、何処の里の回し者? 確かにウチの里には五輪という姓はある。しかし、五輪一族の中に、アンタくらいの年齢のリヨって女は存在していなかった。………五輪リヨは、齢七十を越えたバア様のはずなんだけどね。………手に入れた資料、間違ってたんじゃない?」
女は悔しそうな表情で押し黙った。
「………カカシさん………」
イルカは数歩後ろに下がり、五輪リヨと名乗った女と距離をとる。
カカシは、女とイルカを隔てるように地面にストンと着地した。
「よくもまあ、イルカ先生に手を出してくれたねえ。……何が目的だコラ」
「………写輪眼のカカシ………わかったわ。お前が私の術を邪魔してくれたんでしょう!」
フ、とカカシは嘲笑う。
「………半分、アタリ。………差出人不明の手紙に、用心に用心を重ねていたのはイルカ先生本人だけどね。………オレは、万が一『手紙を読む』という行為そのものに仕掛けがあった場合を考えて、毎日彼に『消毒』をしてただけ」
女はプルプルと拳を震わせた。
「…暗示を解いたのね。………余計な真似を………!」
「あ、やっぱねー………ちょっとね、手紙の来方に法則性が見えてきたんで、なーにかあるかなーと思ったんだけど。………キーワードの積み重ねで暗示が発動する術だな? あのクローバーも仕掛けのひとつだろう。………手の込んだ真似をするね」
女はカカシを無視し、キッとイルカを睨みつけた。
「女からのラブレターを他人に見せるなんて、何て酷い人なのっ! デリカシーの無いっ! 見損なったわ、イルカ先生!」
いきなり逆切れした女に、イルカは反射的に謝ってしまった。
「す、すみませんっ! でも、見せたのは最初の一通だけですっ!」
「どうしてよっ!」
「この人の悪戯だと思ったもんでっ………」
この人、と指差されたカカシは脱力した。
「………イルカ先生………何、痴話喧嘩みたいなコトしてんの………」
「あ、いや………つい………」
カカシは、ひとつ息をついて真顔に戻った。
「で、アンタだ。………まだ聞かせてもらってないねえ。………正体と目的。…素直に吐くなら、そう痛い目を見なくてすむかもしれないよ? ああ、逃げようなんて考えない方がいい。………オレが何の手も打たずにここにいると思う?」
女は険しい顔のまま、視線をカカシに戻した。
「………私は、五輪リヨ、よ。………別に偽名を使ったわけじゃないわ。同姓同名のお婆ちゃんがいたのは知らなかったけど」
「ふぅん。…じゃ、そういうことにしてもいいけど。………肝心の目的を聞こうか?」
フンッと女は胸をそらした。
「そんなの決まってるじゃない! この、うみのイルカっていう男をオトそうと思ったのよ! お前の邪魔さえ入らなければ、今頃彼と私はラブラブだったのに!」
はあ? と男二人は口を開けてしまった。
「………マ………マジに恋のアプローチだったんですか………?」
「ウソ………」
女はくわっと眼を見開く。
「ウソなもんかっ! はたけカカシ! 全てお前が悪いのよ! その人と別れなさい!」
「うわ〜、強引………何よソレ………」
ちょっと待て、と手をあげたのはイルカだった。
「待ってください! あの…もしかして貴女、俺とカカシさんのこと………」
「知ってるわよ! ノンケのあんたがこのホモ上忍に誑し込まれてあろうことか恋人関係になっちゃってるって! だから、用意周到に術を仕掛けて眼を覚まさせてあげようと思ったんじゃないっ! その私の努力を水の泡にして!」
イルカは二の句が継げずに固まってしまった。
何故、見も知らぬ女が自分達のそんなプライベートな関係を知っているのか。里の中でも、彼らが特別な関係だということは、ごく一部の身近な人しか知らないのに。
カカシはぎろっと女を睨む。
「コラこの女。誰がホモ上忍だ」
「お前よ」
カカシと女の間に火花が散る。
ゴゴゴゴ、とチャクラ同士がぶつかり合うような不気味な振動。
ハッと女が気まずげに周囲を見回した。
「…いけない………」
彼女がそう小さく呟くのとほぼ同時に、ぶわっと風が巻き起こった。
イルカとカカシは、咄嗟にクナイを抜いて身構える。
「リヨ! 見つけた!」
口寄せされたかのように突然現れた男の姿に、彼らは驚愕した。
「………イ…ルカ先生………?」
「え………嘘…俺………?」
現れた男は、イルカそっくりの黒い涼しげな瞳を彼らに向け、深々と頭を下げた。
「…申し訳ありません。彼女が、ご迷惑をおかけしたのではありませんか………?」
見れば見るほど、イルカに似ていた。鼻梁の傷痕が無いだけで、髪の結い方まで同じだ。
「あんた………誰」
男はぺこっと会釈する。
「俺は、うみのイルカです。………すみません、まぎらわしくて」


信じられないかもしれませんが、と『うみのイルカ』と名乗った男は話し始めた。
「俺は…俺達は、ここでいう未来から来ました。この時代から、百二十年ほど先の。…本当は、こんな風に過去の人と接触するのは極力避けるべきなんですが………どうやら、リヨがご迷惑をお掛けしたようなので。申し訳ありません………」
リヨは、悲痛な面持ちで男を見上げた。
「何呑気に謝ってんのよ、イルカ! …こんなの、違うもの! あんたのご先祖様は、この人は、ちゃんと女の人と結婚して子孫を残すはずじゃない! でなきゃ、あんたが生まれない! このまんまじゃ、あんたの存在が消えてしまうわ!」
「リヨ、それは………」
ストーップ、とカカシは両手を挙げた。
「………まず、アンタ達がその………未来から来たのが本当だとして。そもそもの目的は何だ? まさか、オレとイルカ先生を別れさせるのが目的とか言わないだろうな?」
リヨは口を尖らせた。
「まさか。………私は、仕事でこの時代に来たのよ。過去で起こった事象の確認を取る必要があったから。木ノ葉の里の近くが調査対象だったのは、偶然。…せっかくだから、イルカのご先祖様の姿が見たいと思って……過去へ跳ぶのは、滅多に許可されないのよ。………そして見つけたイルカ先生は、イルカにそっくりで…あんまりよく似ているから、嬉しくてコッソリ見ていたの。…ステルスモードで」
イルカは遠慮がちに未来から来た男に尋ねる。
「…ステルスモードって何です?」
「要するに、姿を見えなくすることです」
「なるほど、穏行の術ですね」
だから彼女が見ているのに気づかなかったのか、とイルカは納得した。未来の穏行の術を使われたのでは、見破れなくても仕方が無い。
なのにっ! と彼女は拳を握る。
「そのイルカ先生が、あろうことか男とデキているなんて最悪よ! ………本当なら、もうとっくにお嫁さんをもらっているはずなのに。歴史が狂ったのよ。私が修正しなきゃ、イルカが生まれてこないじゃない!」
「あーー………えっと、このイルカさんはアンタの………」
「婚約者よ!」
つまり、この時代から見てずっと未来の自分達の世界に婚約者を誕生させる為に、彼女は奮闘していたのか。
「………実例があるのよ。過去が、私達の知る歴史とは違ってしまった為に、いたはずの存在が消えるってこと。………イヤ。そんなの、絶対に」
リヨはカカシをギッと睨んだ。
「コイツが狂わせているとわかったから、何とか消してしまおうと思ったの。………でも、しぶといのよ。忍としての任務中がチャンスだと思って何度も仕掛けたのに。…何だか異様に運がいい上に、異様に腕が立つ男で………仕方ないから抹殺は諦めて、イルカ先生の方の更生を試みたの。女の方がいいって事にさえ気づいてくれれば、何とかなると思って」
「………そんな事………してたんだ………」
カカシは呆れた声を出した。
「まー、任務中にオレを殺そうとする連中なんて幾らでもいるからねえ………アンタの存在には気づかなかったわ。………でも、順序逆じゃない? 邪魔な相手を殺して排除するのって、最終手段だよねえ、普通」
「人の心を操作するのは難しいもの。お前を排除するのが一番手っ取り早いじゃない」
男たちは一斉に蒼褪めた。可愛い顔で、怖いことを平気で言う。
リヨは俯いた。
「………あのラブレターは、結構本気で書いたわ。………見れば見るほど、イルカ先生は、私のイルカによく似ていたから。本気で書いたのよ………なのに何で………」
彼女の声が震える。
「何で、この人なの? ……あんたはゲイじゃないのに、何故よ………」
未来から来た方のイルカが口を挟む。
「およし、リヨ」
だが彼女はイルカに詰め寄った。
「ねえ、何故なのよぉ………」
何故、と涙ながらに問われたイルカは、正直に答えた。
「………すみません。俺は、カカシさんが好きなんです。…確かに同性ですが………この人は、俺にとって唯一無二の存在なんです」
イルカは、自分によく似た男を困惑の表情で見た。
「あの…でも……本当なんですか? 俺が子孫を残さないと、本当に貴方は………そ、存在出来なくなるんですか………?」
「ああ、それなんですけど………」
リヨは自分の恋人の腕にぎゅっとしがみつく。
その彼女の肩を、『イルカ』は優しく叩いた。
自分の存在そのものがかかっているにしては、悠然と構えている。
「………まったく、困った人だね。思い込んだら周りが見えなくなってしまうんだから。………あのねえ、さっきから言おうと思ってたんだけど。君、勘違いしているんだよ」
え? とリヨは顔を上げた。
「カンチガイ………?」
「そう。…偶然名前が同じだった上、なまじこの人と俺が似ているから、君は勘違いしたんだ。………ここにいるイルカさんはね、俺の直系のご先祖さまじゃ無いんだよ。………すみません、お騒がせしてしまって」

 



 

 

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