海原越えて

 

『イルカ』氏曰く。
イルカと血の繋がりはあるのだが、彼の直系の先祖はイルカの曽祖父の代の分家の方らしい。イルカの曽祖父ということは、まだ木ノ葉が里として体制を整えていない混沌の時代の話である。
もちろん、そんな昔に里から出てしまった分家の事を、イルカが知るはずも無い。
リヨは、たまたまこの時代の木ノ葉の里の忍者の中に『うみのイルカ』という名前を発見し、恋人の祖先だと思い込んでしまったのだ。
彼らの容姿が酷似していたのは、遺伝子の悪戯としか言えない。

「………信じました?」
炙った椎茸にだし醤油とカボスの汁を振りかけて。
カボスのいい匂いを嗅ぎながら、カカシは熱燗をお猪口に注いだ。
椎茸を口に運んだイルカは、眉間にシワを寄せる。
「彼らの話ですか? …まあ…一応は。スジが通っているといえば通っていたような…気もしましたけどね。…時空間忍術で時空を跳んで過去に戻るなんて、今現在の俺達には無理な技術ですが。…将来的に絶対に不可能、とは言い切れませんし。…カカシさんだって、信じたから彼らを捕縛しなかったのでしょう?」
「んー、ま、そうですね。……昔、普通なら不可能だろうっていう時空間忍術をやってのけるヒト、身近にいましたからね。…将来、そういう術がバージョンアップして時間を遡る事も可能になるっていう話はアリかなーって。……でも、過去って変えちゃいけないんでしょ? 犯罪だって言ってましたよね。…だとすりゃ、大胆ですね、あの娘」
「………彼女にとっては、『狂いを修正する』ですから。過去を変えるっていう意識は無かったんじゃないですか? ………それだけ、必死だったんでしょうけど。そりゃあそうですよね。…俺がカカシさんとくっついたままだったら、自分の大事な恋人の存在が消えるって思い込んでしまっていたんですから」
「…アブナイなあ………オレ、もうちょっとで消されるとこだったんですねー」
イルカの口元が引き攣った。
彼女の気持ちはわかる。愛する者を失いたくないという気持ちは。わかるが、だからといって笑って許せる行為ではない。彼女は、カカシを殺そうとしたのだ。
「冗談じゃない。………自分の恋人はそこまで大事なのに、何で俺がカカシさんをそういう風に想っているとは思わないんでしょう」
それとも、自分さえ良ければいいのだろうか。彼女にとって、所詮カカシはとっくに死んだ過去の人間だから。
―――自分勝手過ぎる。
「んー、思わないんでしょうねえ………野郎同士の恋愛なんて、遊びだと思う人間は結構いるみたいですから………もしくは気の迷い?」
イルカは、彼らしくなく不機嫌そうに吐き捨てた。
「どちらにせよ、余計なお世話です。貴方といることを選んだのは、俺なんですから」
「………彼が、アナタ自身の子孫だったら、どうするつもりだったんです?」
イルカは不機嫌そうな顔のまま、一瞬黙り込む。
「………………どうもしません。………彼は、現に存在していた。たぶん、俺が子を残さなくても、違う道を通って生まれるんじゃないですか? ………大体、忍なんて『あの時死んでいたら無かったはず』の、もうけもの人生の繰り返しなんですから。…子孫を残せずあの世に行く忍は、たくさんいます。何故俺だけがそんな事気にしなきゃいけないんです」
カカシは眼を見開き―――そして、うふふ、と笑った。
「………ねー、イルカせんせ………」
「…何ですか? ちょっと、何でそんなに嬉しそうなんです。まかり間違えば、抹殺されるところだったのに」
面食らっているイルカをよそに、カカシは上機嫌だ。
「やー、オレしょっちゅう命狙われているんですから、今更なんですよねー。…だからソレはま、置いておいて。………それよりオレ、嬉しくって」
「………はい?」
うふうふ、とカカシは笑う。
「だって、イルカ先生がオレを、唯一無二の存在だって言ってくれたんですものー………もう、嬉しくって。あの時の先生のセリフ、オレは牛のように何度も反芻して味わっているんです」
イルカは酒を噴きそうになった。
「牛………」
「もちろん、オレの脳みそに永久保存です。お返しに、イチャパラグレートな恋文でも書いてさしあげましょうか」
カカシのことだ。巻物一巻分書いてきそうで怖い。
「後世に残るような名作をですか?」
イチャパラ作家の弟子の弟子は、ム、と唸った。
著名人だというだけで、自分の書いた恋文やら何やらを死後に晒しモノにされている音楽家や画家、作家がいるが。
常々、カカシは彼らを気の毒に思っていた。
彼らだとて、まさか後世そんな物が公開されてしまうとは思わずに書いただろうに。
カカシ自身も、忍の世界では有名人である。
自分の死後に、『これが、かの写輪眼のカカシが書いた男の恋人へのラブレターです』だなんて、見ず知らずの他人に公開されてしまうのは勘弁してもらいたい。
「ううう、下手なものは残せませんねえ………」
イルカは苦笑する。
「…カカシさんから手紙をもらうのは、たぶん嬉しいけど。……ここにご本人がいるのに、それ以上何も要りませんよ」
ぱ、とカカシが顔を上げた。
「………それもそーですね! お返しなら、イルカ先生に直接すればいいんですよね。アナタの脳と胸の奥に、オレの愛の言霊をガッツリ刻み込めば!」
「………一晩中、愛を囁いてくださるんですか?」
催眠学習ですか、とカカシは笑った。
「でも、そういうラブレターも悪くないでしょう?」
「ん。………悪くないですねえ」
イルカにとっては。
見ず知らずの女からもらう恋文よりも、価値がある。
それが、時の海原を越えてやってきた女性からのものであっても。(尤も、彼女の気持ちは五割引きのものだが)
カカシは指先でお猪口を摘まみ、片眼をつぶってみせた。
「んじゃ、今晩さっそく」
イルカも応じて、お猪口を掲げる。
「楽しみにしています」

二人は乾杯よろしく、小さなお猪口をカチンと打ち合わせた。
 

 



 

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