天よりきたるもの − 9
夜が明けた。 ―――今日はもう、神降ろしの儀式が執り行われる日である。 朝靄の中、カカシは名主の屋敷の門に背を預けて立っていた。 昨日中にイルカを取り戻してこなかったカカシに対して、名主はおそらく不安と苛立ちを 覚えていることだろう。 身の細る思いをしているであろう名主には(と、あの八雲という男にも)気の毒だが、今 しばらく辛抱して待ってもらう他は無い。 そこへ、一昨日カカシが手紙を託した忍犬が靄の中から姿を現し、何気ない顔でテッテッ テ、と寄ってくる。 この犬が戻って来たという事は、ようやく応援が到着したのだろう。 間に合ったな、とカカシは安堵の息を吐いた。 「………来たの?」 短く問うと、犬はカカシの膝に頭を擦り付けるように「ウン」と頷く。そのやけに嬉しげ な仕草に、カカシは「もしや」と呟いた。 「…………お前、女のオレの方が好きでしょ」 忍犬は「バレタ?」とカタコトで言って、更にカカシの膝の間に鼻面を突っ込む。 「コラ、よさんかスケベ犬」 「カカシ、オンナノコノ方ガイイニオイ〜」 (…ああ、コイツもオスなんだな…むさい野郎よりもすべすべの足の若いねーちゃんの方 がいいんだよな………気持ちはわかる…わかるが) カカシは膝の間に割り込んできた犬の頭にゴッツンと拳骨を落した。 「いい加減にしなさい。仕事中だっつの」 「…ゴメンッ…サイ…」 犬はしおしおと尻尾を丸めて小さくなった。カカシは拳骨で殴った場所を、指先で軽く撫 でてやる。 「ま、伝令役ご苦労さん。お前は呼び出すまで待機ね」 「わんっ」 現金な犬は、撫でてもらったことで素早く復活して尻尾を振った。 「ガンバッテネ〜カカシ〜」 脱力しそうな犬の声を聞きながら、カカシは印を切って増援との合流場所に跳んだ。 ピューイ、と指笛を鳴らす。 仲間である事を確認する為の独特の音階だ。 カカシは合流地点を山の中の休憩所、つまりイルカが誘拐された場所にした。木の上に潜 んで様子を伺っていると、すぐに指笛での応えがあった。 そこに現われた見慣れた男の姿に、カカシは安心して自分も木から飛び降りる。 「…お前が来たのか。…良かった」 アスマは渋い顔でカカシを見下ろす。 「お前がそんな格好だからじゃねーか。他の野郎じゃ仕事になんねーだろ」 「アスマは平気なんだ〜コレ」 カカシはスリット入りミニタイトスカートの裾を指先でつまむ。 「前ん時もちょっと見ているしな。だからジジイは俺を寄越したんだ。…ったく、心臓に 悪い格好しやがって。何だその胸と足は。もっとしまっとけ、アホ」 カカシは大きく開いた襟ぐりからのぞく胸の谷間に視線を落とす。 「………だって、せっかくの武器なんだから使わなきゃだろ〜? くノ一の基本じゃない か、お色気は。ヘソ隠しているだけいいデショ?」 誰がくノ一か。はああ、とアスマはため息をついて、背後に合図を送る。 「出て来い、お前ら」 アスマの背後の茂みからゾロゾロと出てきた顔を見て、カカシは顔を引き攣らせる。 「―――お前だけじゃなかったのかっ」 ナルトは素直にキラキラとした『男の子の賞賛』の眼でカカシを眺めていた。 「うっわー…キレイなねーちゃんだってばよ〜」 さもあらん、カカシは今、ナルト言うところの理想の『ボンッキュッボン』である。 サクラといのは、カカシの白い肌と銀髪に眼を奪われていて、ヒソヒソと囁き合っている。 「綺麗なお肌ぁ。髪もサラサラでいいなあ」 「後でお手入れ方法聞いちゃおうよ。あ、爪もいい色」 サスケとシカマルは、ほんのり目許を染めて視線を逸らし、チョウジはカカシの胸元を見 て「肉まん………」と呟いていた。 カカシは手で顔を覆い、ハアァ、とため息をつく。 「…………ア〜スマ〜ァ…………」 カカシに睨まれたアスマは肩を竦めた。 「あのな…こちとら、『とにかく行ってみて、必要そうなら手を貸せ』とかいういい加減な 指示で来てんだよ。ランクは仕事が終わってから決まるってんだからな。無茶苦茶だ。… なら、七班と十班の足腰の鍛錬も兼ねようと思って連れて来た。文句あるか、カカシ」 最後の一言で、ナルトと女の子達は一斉に悲鳴を上げた。 「どええええええ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!! カカシせんせええ〜っ?!」 「ウソ―――ッ! やだーっっ」 「………女だったのか? お前らの先生」 シカマルのボケに、サスケは半眼になった。 「………ンなわけあるか」 カカシは本日数回目のため息をつく。 「………………黙れお前ら。うるさい。…忍者なら任務で変装も変化もする。騒ぐんじゃ ないよ」 チョウジは巨漢の担当上忍を見上げる。 「アスマ先生もああいう格好すんの〜?」 「…………どーしても必要ならな」 ゴホン、とアスマは咳払いをした。 「あー、カカシ上忍は三代目の命令で任務の為にああいう姿をしているだけだ。以上! … で、カカシ。実際どうなんだ。…手は要るのか」 カカシは唇を噛んで頷いた。 「………実を言うと、人手があるのは助かる。想定外のアクシデントだ。…護衛するはず の巫女が、盗賊どもに誘拐された」 誘拐、の一言に子供たちの顔つきが変わった。どうやら本格的な任務になりそうだと悟り、 カカシの言葉を待つ。 「…一味の中に忍がいるのを確認した。それで、ヘタに動けないでいるところだったんだ。 ………ギリギリなんだ、アスマ。今日の夕刻までに巫女を無事救いだして、儀式の場に連 れて行かなければならない」 「…誘拐か。金目当てか?」 「そうだ。奴ら、法外な値をふっかけてきた。…今回の儀式に巫女が必要不可欠だと知っ ていて人の足元を見ている。…巫女は一昨日の夜、潔斎の場へ行く途中…ここで襲われた」 サクラは周囲を見回した。 「確かに、賊が身を潜めるにはいい場所ね………」 ナルトは当然の疑問を口にする。 「カカシせんせ、その時護衛してなかったのか〜?」 「…………その時、他に用があって仕方なく離れていた。忍犬一匹に見届け役を任せたの はオレのミスだ」 巫女が、本当に一般人である名主の娘だったら眼を離したりしなかった。護衛の相手がイ ルカであるという事に自分は甘えていたのだ。 カカシの、いつになく暗い表情にナルト達は顔を見合わせた。 女性に変化しているとはいえ、よく見れば眼は元のカカシのままなのだ。だが、彼がこん な沈んだ眼をしているのは見たことがない。 「お前らしくないミスだな。…ま、一人じゃやれる事に限界はある。問題はこれからの事 だろう。…どうする?」 アスマに促されて、カカシは顔を上げた。 「………目的は、巫女を無傷で奪還すること。そして、賊の全員捕縛だ。奴らの潜伏先は 突き止めてある。パックンを見張りにつけておいた。…相手の忍は、どうやら結界術に長 けているらしい。隠れ家には眼くらましが掛けてあって、普通の人間じゃまずわからん。 …忍の数は不明だが、賊全体は15から20というところ…」 カカシは唇に指を当て、数秒考える。 指先の白さと桜貝のように綺麗な爪、紅い唇との絶妙な色彩に、子供たちが見惚れている のに気づいたアスマはヤレヤレと首を振った。 (ガキが見てもコレかよ。………恐るべし、お色気の術ってか?) アスマだとて、この美女があられもない姿で迫ってきたら、相手の正体などは忘却の彼方 へ蹴飛ばしてオノレの本能に従ってしまいそうだ。 コレと同居しながら(しかも誘惑されつつ)、何日も男としての欲求を抑えたというイル カの自制心と忍耐力に、今更ながら脱帽する。 (………胃痙攣にもなるハズだわな。………しかし、三代目の説明によれば、誘拐された 巫女っていうのは、そのイルカのはずなんだが………カカシのこの様子じゃ、イルカはあ くまでも普通の女っていう立場を貫いているらしいな。自力で脱出する気ナシ、か。面倒 くせー…) カカシはゆっくりと口を開いた。 「………これだけ人数がいれば、隠れ家を包囲出来る。忍の数はわからんが、そいつ等は オレとアスマで何とかする。人質の救助もオレらでやるから、お前らは盗賊を逃がすな。 …抵抗してきたら、加減などしなくていい。…シカマル」 「ん?」 カカシは紙を取り出し、ざっと隠れ家の位置を記した地形を描いた。 「ここが斜面。こっちが谷。こっちが沢。…サクラと協力して、建物の周囲に捕縛用のト ラップを仕掛けろ。念の為だ」 シカマルは一応上司の顔を伺う。アスマが頷いてみせると、「りょーかい」と親指を立てた。 イルカはぼんやりと壁に背を預けて座っていた。 (………もう朝、だよな………) 彼が囚われているこの部屋には大きい窓は無い。天井近くに、申し訳程度の明り取りがあ るだけだ。 物は見えるが薄暗くて、二晩ここで過ごしたイルカの気分は否応なく沈んでいた。 カカシからは連絡のひとつも無い。 身代金の引渡しを『機』と見ているのか、それとも本当に身動きが出来ない状態なのか。 まさかとは思うが、不慮の事件か事故で―――……… イルカはぷるぷるっと首を振った。 (バカッ…不吉な事を考えるんじゃない! 信じろ、信じろ、あの人を―――) 思考がマイナスになりがちなのはエネルギーを補給していない所為だ、とイルカは思った。 あれからイルカは意地を張り続け、一滴の水すら口にしていない。 咽喉が、身体が渇いて、口の中もカラカラだった。 (………この程度のこと…昔の任務でも、訓練でもあった…………あの忍の男、儀式の日 までの辛抱だと言っていたな。じゃあ、断食も今夜までだ。だとしたら、たかが丸二日飲 み食いしていないだけじゃないか。大した苦行じゃない) 状況がわからずに、ただ待つしかないこの時間の方が苦痛と言える。 賊が、儀式の行われる今日という日を身代金の受渡日に指定したのは、名主に金を用意さ せる時間を与える為と、金さえ払えば儀式を無事に執り行えるかもしれないという『希望』 をエサとしてちらつかせる為だろう。 (―――ということは、間に合うかどうか、ギリギリって刻限かな? 受け渡しの時間は) この任務が終わったら、さっさと帰るんだ。 カカシと一緒に木ノ葉に戻って、そして―――焼いたカワハギでもつまみに美味い酒を飲 んで、ベッドで彼の体温を抱きながら眠る。 彼の古い傷跡をひとつひとつ確かめ、口づけよう―――美女のカカシも捨て難いが、やは り彼は彼のままが一番綺麗だ。 イルカの唇に微かな笑みが浮かんだ。 |
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