天よりきたるもの − 10

 

「………動きは」
「無い。…と言っていいな。昨日下っ端が一人、酒の調達に行ってきたくらいだ」
カカシの問いに、パックンは欠伸をしながら答えた。
「そういう時、結界はどうなるんだ?」
「ほんの小さな隙間を作るみたいだな。術を施しておる忍が一緒に出てきて、使いに出た
者が帰るまで外にいた。そして、また一緒に隙間から中に戻り、閉じる。…といった感じ
だったぞ」
ふぅん、とカカシは相槌を打ってアスマを見上げた。
「………どー思う?」
「結界術を操れる忍は、そいつだけってコトじゃねーか? なんか、忍の数は少なそうな
感じがするな」
「もしも一人だったら。…隠れ家を丸々結界で包むには、補助の忍具が必要だな。何か、
結界を張る効力を持った物を建物の外側に配置して、自分のチャクラを流す……か?」
アスマは頷いた。
「結界に触れたものを察知出来るから、一石二鳥ってところだな。…結界破りそのものは
可能だが、その忍に悟られずに侵入するのはまず無理だ」
アスマとカカシがヒソヒソと話しているところに、サクラがそっとやって来た。
山の中の包囲は十班、カカシ達の応援は七班に分担したのだ。
「先生。…仕掛けは終わりました。陸路の逃げ道はたぶん全部絶てたと思います。………
でも、相手が忍だとちょっと仕掛けだけでは抑えきれないかもしれません」
カカシはサクラの頭にポンと手を乗せた。
「ご苦労さん。それだけでも十分だよ。逃げた魚を捕らえるのに、網があるのと無いのじ
ゃ雲泥の差だ。………先生達、今から突入するから。お前達は、物陰で待機。隠れ家から
出てきた賊を確保しろ。お前達が飛び出すタイミングはオレが合図するから、慌てて出て
くるんじゃないぞ。…特にナルトがバカやらんように注意な」
「…了解。先生も気をつけてね」
「ハイよ」
サクラがススス、と後方に下がると、アスマは「で?」とカカシを見た。
「今から突入だと? どうする気だ」
カカシはアスマの耳元に口を寄せ、ヒソヒソと囁いた。
「………な? 今オレはそっちの役目は出来ないからよろしく頼むわ」
ヘッとアスマは口元を歪めた。
「しゃーねーな。…やってやるよ。じゃ、お前はせいぜいハデにやりな」



 
「……………ッ!!」
自分の結界が壊された感覚に、男は眼を見開いた。
これは、偶然誰かが触れたという程度の衝撃ではない。そこに結界があるということを知
った上で、意図的に破った者がいる。
忍だ、と男は直感した。
しかも、かなりの手練。経験を積んだ、手際のいい忍の仕事だ。
男の様子に気づいた賊の一人が、訝しげな顔をした。
「………おい、どうした?」
「……………侵入者だ。………結界が破られた」
「何だとぉ?」
賊達は慌てて立ち上がり、外を窺う。そして、驚きに眼を瞠った。
「………女………が一人………? 追っ手か…?」
「どうやって此処を嗅ぎつけたか知らんが、一人で来るとはいい度胸じゃねえか。…しか
も見ろ、いい女だ」
「巫女のガキで遊べなかったからなぁ。……あの女を捕まえて、取引前の景気づけといき
たいね」
「そりゃあいい。あの足、あの胸。…たまんねーよな」
賊達の好色かつ低俗な会話に、忍の男は顔を顰めた。
(………相手の力量もわからんボケどもが………お前らの手に負えるような女ではないわ、
あれは)
女は、白銀の髪を手でさらりと背中に流した。
すらりとした脚を惜しげもなく晒し、豊かな胸を反らした美女は涼やかな声を張り上げる。
「…巫女を返してもらいに来たわよ。…アタシはね、彼女を身代金と引き換えにしような
んて思ってないの。盗られたものは取り返す。…それだけよ」
賊達は舌なめずりをした。
忍の結界を破り、単独で人質を取り返しに来た剛の者、ではなく、少し腕に覚えがある程
度で独り飛び込んできた無謀な女。つまりは、簡単に返り討ちにして好きなように弄べる
獲物。―――賊達の眼にはそうとしか見えなかったのだ。
「やれるもんならやってみな。…ってなもんだ」
「イキのいい女じゃねえか。思いっきり可愛がってやろうぜ」
賊達は手に手に武器を取り、ニヤニヤ笑いを顔に貼り付けたまま外に向かった。
ふう、と忍の男はため息をつく。
(………面倒だが、あの女の相手は俺がせねばならんようだな………)
美女は、挑発するように顎を反らして白い咽喉を見せる。
「………あら、ヤル気なの? アンタら。いいわよ、お相手してあげる。…かかってらっ
しゃい」
カカシが独りで姿を晒し、男達を挑発している様を、ナルト達は物陰から固唾を呑んで見
守っていた。
「………カカシせんせ、スゴイってばよ………マジにおねーちゃんにしか見えねえってば」
ソワソワし始めたナルトの袖を、サクラはつかむ。
「…シッ…先生が合図するまで我慢よ。出て行っちゃダメ」
「わかってるってば」
カカシを舐めてかかっていた賊の一人が、先手必勝とばかりに襲い掛かる。
カカシは軽く身体を捻ってかわし、たたらを踏んだ男の股間を思い切り蹴り上げた。
「ぐおぉっっ!」
サクラは「げ」と呟き、ナルトは思わず片目を覆う。
「せんせ〜…エゲツないってばよ………」
悶絶して転がる男を、カカシは冷ややかに見下ろした。
「ハイ、次」
「この女…ナメた真似しやがって!」
賊達を一人、二人と軽く叩きのめしたカカシは、今までとは全く違う速さで飛び退いた。
クナイが数本飛んできて、今までカカシがいた地面を抉る。
(おいでなすったな………忍が)
賊とは纏う雰囲気がまるで異なる男が一人、姿を現した。
「………そう。アンタの仕業ね、ここの結界」
「…俺の結界を破ったのはお前が初めてだ。…どこの忍だ」
「それはアタシが聞きたいわ。アンタ、どこの抜け忍?」
カカシと男は一拍睨み合い、次の瞬間には双方が跳んでいた。
「今だ!」
カカシの『合図』に、ナルト達は飛び出す。
賊達は、走り出てきた人影に一瞬驚くが、相手が子供と見るや、逃げるよりも応戦する方
を選んだ。
「仲間がいたのかよっ!」
「っつってもガキばかりだ! やっちまえ!」
一気に混戦の体に陥った現場を、小さな黒い影が走り抜けて隠れ家に飛び込む。
それを捉えていたのは、カカシだけだった。
カカシの狙いは、出来るだけ注意を自分達に引き付ける事。忍の男の相手をし、合間に賊
を叩き伏せる。
相手を女、子供と侮っていた男達は、その手強さにますます頭に血が昇った。
が、血気に逸る男達の中、さすがに頭格の賊は巫女の存在を思い出す。女に仲間がいると
いう事は、巫女を救出する別動隊が存在するかもしれないと、やっと思い至ったのだ。
「おいっ! 誰か中に残っているのか! 娘っこの見張りは!」
一番戸口に近い所にいた男が数人、慌てて中に引き返した。
そちらをチラリと見た男を、カカシは足止めする。
「…アンタの相手はアタシよ」
カカシの意図を悟った男は、舌打ちした。
「………なるほど………」
この騒ぎになっても、他から忍の気配がしない。賊に加担している忍はこの男だけだと、
カカシは判断した。
「どうやら、手強いのはアンタだけみたいね」


隠れ家へ走り込んだ小さな黒い影は、標準サイズよりは少し大きめのネズミだった。
ネズミは、素早く家の中を嗅ぎまわる。
賊は全員がカカシにおびき出されてしまったらしく、見張りが残っている気配も無い。
(………これなら、変化して忍び込むコトも無かったか? いや、目立たん方がいいに決
まっているか………)
そう広い隠れ家ではない。誰かが閉じ込められていそうな場所は、すぐに見当がついた。
奥まった場所で、一箇所だけ扉に錠がかかっている部屋。
(フン、ちゃちな錠だ。扉もボロい)
ネズミは周囲を見回し、壁板が壊れて出来た小さな隙間を発見した。
(………ネズミらしく、こういう所から侵入するのも一興か)
隙間は、ネズミが通るにしてもまだ少し狭かった。ネズミはすっくと後ろ肢で立つと、小
さな拳をえいや、と壁板に叩きつけた。と、古い木材は簡単に砕け散る。
ネズミは満足そうに頷いて、のっしのっしと隙間に入って行った。
「待たせたな」
部屋の隅からいきなり声を掛けられ、イルカは咄嗟に身構える。
が、人影は見えない。何かの気配に眼を凝らすと、そこにいたのは一匹の大きなネズミ。
「よ、イルカ。…無事か?」
歩いてきたネズミが、後ろ肢で立って片手をあげるという戯画的な光景に、さすがのイル
カも絶句してしまった。

頭に言われて、慌てふためいて人質の少女を閉じ込めてある場所まで戻ってきた男達は、
扉の錠がまだしっかりと掛かっているのを見て、安堵した。
「……なんだ、考え過ぎだったか………」
「あせらせやがってヨォ」
「いや、ちゃんと娘っこがいるのを確認しねえと―――」
男の言葉は最後まで続かなかった。中から扉が凄い勢いで蹴破られ、男は扉と共に吹き飛
ばされてしまったので。
何事かと慌てふためく賊達の前に、ぬっと姿を現したのは、大柄な男。
肩には少女を担いでいる。
男は、賊達を見下ろしてニッと笑った。
「よう、悪いな。この嬢ちゃんはもらって行くぜ」
男の肩に担がれている少女は、小さなため息をついた。
「………アスマ先生、セリフが悪役みたいですよ………」

下忍とはいえ、サスケ達の戦闘能力はただの盗賊とは比較にならない。
アスマがイルカを担いで外に出た時は、大方の賊達は地面に倒れ伏していた。
カカシと忍の男はまだ戦っていたが、隠れ家の戸口にいきなり現われたアスマの姿に一瞬
気を取られた男の隙を、カカシが逃がすはずが無い。
急所に連打を叩き込み、完全なるノックダウンを決めた。
アスマに巫女を奪還され、頼みの忍がカカシに倒されたのを見た賊の頭は、今回の悪巧み
の失敗を悟った。
ここはもう、逃げるしかない。
「ちくしょう、覚えてろよ!」
お決まりの陳腐な捨て台詞を吐き、山の中へと逃走を図る。手下の男達もそれに倣った。
と、数秒と経たないうちに、茂みの向こう側や斜面の下で野太い悲鳴が上がる。
「………案外簡単に引っ掛かってるみたいね………網に」
「まあ、ただの盗賊なら、ウチの連中が逃がしはしねえよ。…ほれ、お姫さんだ」
アスマは担いでいた少女を肩から降ろした。
少女の膝がガクガクと揺れている。
埃で汚れた顔、縛られた縄の跡が残る手足、白い着物の裾が無残に引き裂かれたその姿に、
カカシは息を呑んだ。
「―――玻璃さんっ」
少女は顔を上げてカカシの姿を認めると、ホッとしたように弱々しい微笑を浮かべた。
「………………やっぱり、来てくれた………」
カカシは少女に駆け寄り、心配そうに手足を調べる。
「玻璃さん、ケガは? 痛い所は無い? ひ…酷いこと、されなかった?」
ううん、と少女は首を振る。
アスマの肩から降りた時点で、イルカはナルト達の姿を視認していた。彼らの前で、自分
を『玻璃』と呼ぶカカシに、イルカは合わせる。
「………大丈夫です。………縛られていた所が少しヒリヒリするくらい。………怖かった
けど………きっと、助かるって思っていたから………」
声が、掠れて細い。
「…ごめん…なさいっ! 守れなくて………貴方をこんな目に遭わせたのは、私の所為よ」
カカシは少女に頭を下げた。
「いいえ。…だって、お姉さんは、ここに着いたその日に名主様に追い返されてしまった
じゃないですか。…護衛は必要無いって……なのに、助けに来てくれて、ありがとう……」
ナルト達は顔を見合わせた。カカシが護衛に失敗したのは、彼女を守れない事情があった
のだとおぼろげに察する。
サクラは物陰に置いておいた自分の背嚢を取りに行き、水筒をカカシに渡した。
「先生、これ………手拭いも。顔だけでも拭いた方が………」
「ああ、ありがとうサクラ。…玻璃さん、水は? 飲みますか」
イルカはこくりと頷いた。
手渡された水筒からゆっくりと水を飲んで、ふう、と息をつき、サクラに向かって微笑む。
「美味しい。…どうも、ありがとう」
「ううん。…お腹は空いてない? お菓子とか、携帯食で良かったら、あるわよ」
サクラも心配げに少女を覗き込んだ。
「…さらわれてから、ずっと食べてなくて…お腹、空きすぎて…何だか今、感覚が無いの」
途端に反応したのはナルトだった。
「ひっでえ連中だな! メシも食わせてくれなかったのか?」
少女は首を振った。
「………違うの。…私が食べなかったんです。………潔斎の最中に、盗んだ物なんか食べ
てはいけないと…思って………」
ナルトはキョトンとした。
「ケッサイ?」
すかさずサスケがナルトの頭を叩く。
「神事の前に、身を清めることだ! ドベ」
「す…すごいわね。………私だったら食べちゃいそう………」
サクラは、背嚢からチョコレートを出した。
「こういうのもダメ? 二日も食べていないんでしょう? ちょっとでもカロリー摂った
方がいいと思うんだけど………これなら、口の中で溶けるから胃に刺激は少ないわよ」
サクラの気遣いを、イルカは嬉しく思った。
(………優しいイイ子だなあ、サクラは。こんな時でなきゃ、褒めてやるんだが………)
「…ありがとう。それじゃ、少しだけもらっていいですか?」
チョコレートの甘さが、身体に染み渡るようだった。水と、甘いものを摂取した所為か、
どこかぼうっとしていたイルカの頭の霧が少し晴れる。
彼は、自分の任務を思い出した。
「………今、何時でしょう………お祭に…儀式に間に合いますか?」
 

      



 

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