天よりきたるもの − 8
「…お祭りの準備はいつもの通りに進めておいてください。巫女は、必ず儀式までに助け 出します」 カカシがそう断言すると、名主は蒼褪めながらもしっかりと頷いた。 「はい。………よろしくお願い致します」 「『玻璃』さんが誘拐されたこと、この屋敷の皆さんはもう知っているのですか?」 「……八雲達は気を回して裏口から戻りましたが…負傷して戻った彼らを見て一部の使用 人が大騒ぎしてしまいましたから、屋敷の者達には知れてしまいました。皆には、玻璃の 命に関わるから決して口外するなと………言い含めてあります」 「いいご判断です。村人に余計な動揺を与えないのは賢明ですわ。……八雲さん」 「は、はい」 「口頭で結構ですから、襲撃を受けた場所を教えてください」 襲撃の場所などパックンが知っているが、知らぬ振りで情報を集めるカカシだった。 パックンが突き止めた賊達の隠れ家は、渓谷を越えた向こうの山だったが、カカシは取り あえずイルカ達が襲撃を受けた方の山に向かう。襲撃現場も一応見ておきたかったのだ。 八雲の話では、護衛の彼らはろくな反撃も出来ずに倒されてしまったのだという。 評判の悪い賊に襲われた割に一人の死者も出なかったのは、賊の目的を知ったイルカが、 すぐに自分から賊に同行すると申し出てくれたからだと八雲は言っていた。 彼は、一般人の娘がとれる行動の範囲内で、八雲達を守ったのだ。 (………誰かが殺されそうになるのを、黙って見ているイルカ先生じゃないしな………) 山の中に入ったカカシは、イルカと同じように自然の霊気を感じて身震いした。 「マジに霊山だな。…イルカ先生のことだから、修行にいい場だな〜とか考えただろーな」 石段を駆け上がり、襲われた場所だという休憩場に着く。 (………ふぅん。用心深い忍が加担しているな。…移動の痕跡を残していない) カカシに見てとれたのは、巫女に同行していた人達が倒されていた場所だけだった。賊達 の人数や移動方向を悟らせるような足跡を綺麗に消してある。 そこまで確かめたカカシは、ふと気配を感じて賊の隠れ家へ向かおうとした足を止めた。 口寄せの時のように、唐突に足元に小猿が現れる。カカシはその小猿に見覚えがあった。 「………三代目の使いか?」 小猿はキイキイと甲高い声でしゃべりだした。 「あィ。三代目火影より伝言。増援送ル。ヒトリで動かず、しばし待テ」 「…増援? 要請した覚えは無いが」 「オンシが、犬っころを使いによこしたロ? オンシが任務内容の確認ちゃ、珍しいコト。 三代目、ヤな予感するテ。オンシ一人でハ、やりにくいコトあろうテ」 小猿のキイキイ声は多少聞き取りにくかったが、言いたい事はわかる。 「なるほど。……で、誰が来る?」 「あちしハ、そこまで知らんヨ、シャリンガン。ではナ」 ポン、と軽い音を立てて小猿は消えた。 「………ではナ、じゃないでしょ……いつ着くんだよ、その増援…」 明後日の夕刻、儀式は始まる。 イルカを誘拐した賊が、身代金の受け渡しに指定した日も明後日。 それまでには来て欲しい。 (…嫌な予感か。的中ですよ、三代目。オレもまさか、イルカせんせが誘拐されちゃうな んて考えてもいなかった………つーか、これってまずいよな? 何の為の護衛じゃゴルァ って怒られるよな〜………) ―――上忍の面目丸潰れ。 増援が来る前にイルカを救い出して、賊を全員成敗―――と考えたカカシは、首を振って ため息をついた。 この現場の状況から判断して、結構手練の忍者がいる事は間違いない。その人数も確認で きない、つまり相手の戦力も不明な所に単独で突っ込んで、もし失敗したら? 向こうの忍がどこかの里の抜け忍で、あの再不斬のような厄介な相手だという可能性だっ て皆無ではない。 (闇雲に突っ込むなんて、ナルトじゃあるまいし………クッソ〜、恥を忍んで増援を待つ しかないか? あ、そうかナルトか………アレの多重影分身を上手く使えば………) カカシは印を結び、そして愕然とした。 「………え?」 術が発動しない。 (………嘘だろう………三代目の固定術の影響か? 変化固定だけじゃなくて、分身まで 制限を受けるのか!) 口寄せが出来たのだから、チャクラが抑えられているわけではないはず。 カカシは試しに印を結び、ほんの少しチャクラを指先に集めてみる。チリ、とおなじみの 痺れが指先に走った。 (良かった………千鳥が打てるって事は、他の術はOKだな) ホッとしたのも束の間。カカシはガクリと肩を落とした。 (……ってコトはぁ…やっぱり、誰か来るのを待つしかないのか〜………) カカシが失敗すれば、イルカの任務にまで影響が出る。 自分の所為でイルカの任務まで失敗したら、それこそ立つ瀬が無い。 今は、自分ひとりでも出来る事をするしかなかった。 後から応援に来る忍に、自分と落ち合う場所のみ暗号文字で記した手紙を書き、カカシは もう一匹忍犬を呼び出した。 「お前、この村の大門の外で、ウチの里のヤツが来るのを待ってこの手紙を渡して」 忠実な忍犬は、尻尾を振って嬉しそうにカカシの手を舐めた。 「………お前はイイコだね〜。じゃ、頼むね」 少なくとも主人の女装姿を見て「けったいな格好」と言わないだけ『イイコ』な犬だった。 ◆ 一夜明け。 嵐のような憤りが通り過ぎて冷静になったイルカは、短気を起こして暴れださなくて良か ったと、胸を撫で下ろしていた。 (………そうだよ、何考えてたんだ? 俺。忍がいるって事、忘れてたのか。…賊全員を 殺すって言っても、全部で何人いるのか確認も出来ていないのに。一人残さず逃がさない で殺れるって考える方が無茶だろうが) 頭に血が上りやすい性格なのは自覚しているので、任務中は冷静を心掛けているのだが、 弱い者をいたぶろうとする輩を見ると、つい激昂してしまう。 もしも任務の都合上、理不尽な暴行を見て見ぬ振りをしろと言われたら、さぞかし苦しい 事だろう。虐げられる者の涙から眼をそらし、助けを求める悲鳴に耳をふさがなければな らないとしたら。 そこまで考えて、イルカは先刻の男を思い出した。 どういう理由であの忍が賊達に手を貸しているのかはわからないが、もしかしたらあの男 も自分と同じなのかもしれない。 無力な娘が、自分の目の前で賊達に蹂躙されるのが嫌だった。ただそれだけでイルカを助 けたというのも考えられる。 (………いや、でもあの男………『巫女を穢すな』と言ったな……あの男は、神降ろしの 儀式を妨害する気はない―――むしろ、儀式が無事執り行われる事を望んでいる……?) 忍者には迷信深い者、人の侵してはならない領域に関して敬意を払う者が多い。 木ノ葉の忍達も、やたらに神域に触れるような真似は慎むように教育されている。 土地神は自然の力と深い関わりを持つものだ。火や水や土、風といった自然のものの力を 己が忍術の基とする忍が、それらを疎かにして良いはずがない。 自分に所縁のない土地神を祀る儀式でも、彼がそれを尊重している、というのは大いに考 えられた。 だとしたら、今のイルカにとって彼はいい防波堤になってくれる。 (…忍がいるのは厄介だけど、おかげで助かった) 本物の少女ではなく、名主の血筋でもない―――つまり、『巫女』としての条件など最初か ら満たしていない相手(しかも同業者)を守ったのだと知ったら、さぞかし彼も複雑な心 地に陥るだろうが。 (そこは勘弁してくれ。…俺も仕事なんだ) そこで、イルカは自分を守ろうとして倒された八雲のことを思い出す。彼にも申し訳ない ことをした。自分は、彼が必死になって守らねばならないような人間ではなかったのに。 (………酷い怪我をしてなければいいのだけど………) 彼も、同行してくれた他の人々も。 (…でも…こうなると、誘拐されたのが本物の玻璃さんでなくて良かった………多少ワガ ママな娘さんでも、やっぱりこんな目には遭わせたくないものな。…俺が身代わりになっ ていて、かえって良かったよ) 恋人と逃げた娘は、今頃どうしているのだろう。 神降ろしの日が近づくにつれ、罪の意識に苛まされているだろうか。 彼女は、父親と許婚者と、そして村人すべてを裏切った。それを悔いているだろうか。 (………ちょっとは悪いことをしたと思っていて欲しいなあ………でないと、琥珀さんと 八雲さんが可哀相過ぎ) イルカは息を吐き、少しでも身体が楽な姿勢になるように工夫した。 カカシがどう動くかはわからないが、いざという時に備えて出来るだけ体力を温存しなく ては。 「………!」 人の気配に、イルカは咄嗟に身構えた。 扉を開けたのは、昨夜の忍だった。 「………少しでも眠れたか。縛られたままで、辛かっただろう」 そう言うと、男はイルカの手首を縛めていた縄を解く。 「猿轡も外していいぞ。…水と、食い物を持ってきた」 震える手で猿轡を外したイルカは、「あの…」と恐る恐るといった態で声を出した。 「何か?」 「………あの…………お、お手水に………行かせてください…………」 消え入るような細い声で、イルカは訴える。 「お願い………ずっと辛抱していたんです………」 「ああ、そうか…お嬢さんにその辺でしろと言うのも酷だな」 男はそう呟くと、イルカの首に掛かっていた布でもう一度目隠しをし、足首を縛っていた 縄を解く。 「俺が連れて行ってやるから、大人しくしていろ」 男はさっさとイルカを抱き上げ、部屋から出た。イルカは仕方なく、両手足を縮めたまま 運搬される。 そして、目隠しをした状態でどこかに降ろされたと同時に、背後で扉が閉じた。 「用が済んだら、自分でまた目隠しをして、戸を叩け」 目隠しを取ったイルカは、思わず半眼になる。目の前には、一応便器と呼べるシロモノが 鎮座していた。個室は狭く、換気用の小さな窓には格子が嵌っている。おまけに外も覗け ないほど窓の位置が高く、猫にでも変化しなければ脱出は不可能だろう。 (…直に厠に運んだか。……うーん、少しでもこの隠れ家の様子を探れないかと思った けど、さすがに用心深いな。まーいっか……せっかくだから、用足ししておくか) 巫女だろうがなんだろうが、生理現象くらいあって当然。 手洗いに行きたいという『お願い』をすぐに聞いてくれたあの男は、おそらく普通の感覚 の持ち主だ。 少なくとも無力な少女を辱めたり、苦しめるつもりは無いらしい。厠の扉も閉めて、一人 にしてくれた。 だが、一番用心しなければならない相手は彼だ。 (庇ってくれたし、イイ人かも〜なんて油断したらイカンよな。相手は忍なんだから。… あ、もしあの男が『玻璃』の評判を知ってたらマズイな。………ちょっとワガママで高慢 っぽいお嬢様って感じも匂わせておいた方がいいかも) また元の部屋に戻ると、男はイルカの足首だけを縛った。 「これは、解こうとしてもムダだ。…特殊な結び方をしてある」 「……手は…縛らないのですか」 「………縛ったら、メシが食えんだろう」 イルカはふいっとそっぽを向いた。そして、『怖いのだが虚勢を張る娘』を演じる。 「…………要りません。…ど、どうせ、どこかから盗んだものでしょう」 「水も要らぬのか?」 「………私は今、潔斎中の身です。…盗品の器で汲まれた水など飲めません」 八雲から聞いた彼女のイメージだと、これくらいは言いそうな気がする。 男はくぐもった笑い声を漏らした。 「………使用人を庇って自分から誘拐されてくれた時は、巷で聞く印象とは違うお嬢様だ と思ったのだが………なるほど、気が強いのだな。…まあ、いい。置いておくから、気が 変わったら食うがいい。…盗品でも何でも、食い物であり、水である事に変わりは無いの だよ、お嬢さん。……人間、本当に餓えたら、泥にまみれた芋のシッポでもありがたいも のさ」 男の出て行った扉と、足元に置かれた盆を眺めて、イルカはため息をついた。 (んな事は言われんでもわかってるさ……食い物を粗末にすると、母ちゃんにブン殴られ たもんだ) その母親の面影を映した姿を今、自分は借りている。 (………て事は、玻璃さんに似ているのは母ちゃんなんだな………) |
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