天よりきたるもの − 7

 

救いを求めて心の中で叫んでも、その声がカカシに届くはずもなく。
残念ながら、ヒロインの危機に颯爽と現れるヒーローのようにカカシが飛び込んでくる事
は無かった。
恋人の最大の(?)のピンチに、護衛役のはずの上忍はドコで何をしているのか。
(アナタを誰にも渡さないって言ったでしょーがっ! 有言実行男の本領、発揮してくだ
さいよおぉ〜っ!)
イルカは後退り、男達の手から逃れようと無駄な抵抗を試みた。
ふくらはぎを這う男の手を振り払おうとして足をバタつかせた拍子に、目隠しの布が緩ん
で落ちる。が、男達は、再びイルカの眼をふさごうとはしなかった。
自分の置かれた状況を視認した少女の表情が、眼に見えて変化したからだ。
(………うげ…っ…なんか、薄汚ねえ野郎ばっかりだな。ああヤダヤダ。気色わるっ)
少女としての怖がる演技に、本気の嫌悪感が加わったイルカの顔色は自然に蒼褪める。
少女の恐怖と嫌悪に引き攣った蒼褪めた顔と、逃れようとする様子は男達の加虐心を煽っ
た。少女が怯えれば怯えるほど、楽しいのである。
この時点ではまだイルカは『無力な少女』の仮面をかなぐり捨て、ケダモノ達を一蹴する
決心がつかなかった。
こんな所でケダモノに乱暴されるのは心の底から嫌だったが、出来る事なら自分に課せら
れた任務を―――つまり、一般人の少女になりきったまま依頼を果たすという任務を全う
したい。忍としてどちらをとるべきか、イルカは葛藤していた。
―――だが。
「おうおう、すっかり怯えちゃって可哀相に。安心しな、命までは取らねえから。最初は
ちーっとイタイかもしれんがなぁ、なァに、すぐにヨクなるからよぉ。案外、クセになる
かもしれねーぜ? ちょいと乱暴にされるってのも」
イルカを壁際まで追い詰めた男は、舌舐めずりをしながら嘲笑う。周囲にいた賊達もいや
らしい笑い声を立てた。
その時、イルカの胸中に、何とも形容し難い暗い憤りが生まれた。
世の中にこの類の男達が存在するのは知っていた。女を自分の欲望の捌け口だとしか思っ
ていない人種。全ての女には犯され願望があるのだという勝手な妄想を、この世の真実だ
と嘯く最低な連中。
イルカも男だ。
男には動物的な性衝動がある事など、身をもって知っている。
だが、縛り上げられて抵抗も出来ないか弱い娘を強姦する趣味は無い。性行為を無理強い
するのは、男として、人間として唾棄すべき行為だ。
着物の裾が乱暴に左右に肌蹴られ、生地が裂ける音を聞いた瞬間、イルカの肚は決まった。
(………ヤられるのが嫌とか言う以前に、何かもうコイツらの存在自体が許せんな………
こんな奴ら、生かしておいてもロクな事しやがらねえだろうし………)
どうせ、今までにも散々悪事を重ねてきたに違いない。
全員の息の根を止めてしまえば、誰がやったのかなんてバレないだろうし、自分は『誰か
が来て悪い人達を退治してくれたけど、何がなんだかわからない。怖かった、怖かった』
と泣いていればいい。
怯えきっているか弱い娘を演じていれば、皆同情こそすれ、賊達を殺したのはさらわれた
当人かもしれないなどという疑いを持つ者はおるまい。
そうと決まれば、さっさと縄抜けをして―――とイルカが行動を起こそうとした時。
思いもかけない『救いの手』が差し伸べられた。
「………やめろ。…その娘に手を出すな」
その声に、イルカの膝に手を掛けて割り開こうとしていた男が不機嫌そうに振り返る。
「てめーにゃ関係ねえだろ。ヤりたきゃ最後に回してやるから、大人しく見てろ」
「やめろ、と言っている。………その娘は巫女だ。穢すんじゃない」
イルカは少なからず驚いて、声の主を凝視した。
三十前後の、痩せぎすで陰気な眼をした男だ。
(………この男………)
イルカは、この男が忍の技を使う者だと直感した。
男の言葉は、賊達に嘲笑される。
「それこそ関係ねーや。バカじゃねえのか? 神聖なる巫女様の純潔がどうなろうと俺達
の知ったことか」
「………お前達が、どうあってもその娘を犯すというなら、オレはもう二度とお前らの仕
事に手は貸さん。この隠れ家の眼くらましも解く」
抑揚の無い男の声に、賊達は鼻白む。
「おいおい………何だってんだよ………」
イルカも不思議に思った。『玻璃』を救うことで、この男に何の益があるというのか。
「………この娘の親からたんまりと金を奪ったら、好きなだけ女を買えば良かろう。……
わざわざこんな子供に手を出さぬでもな」
頭格の男がフン、と鼻を鳴らした。
「…フン、興醒めだな。……まあいい。一番の目的は金だ。娘に自害されてもマズイしな。
おい、お楽しみはお預けだ」
賊達にとって、ここで人質の娘を犯して楽しむ事と、今後の仕事がやりにくくなる事など
天秤にかけるまでもない。男の言う通り、金さえ手に入れば酒池肉林、やりたい放題なの
だから。
イルカの膝に手を掛けていた賊が舌打ちした。足元に落ちていた縄を拾って、忍崩れの男
に投げつける。
「………てめえが足、縛り直しとけ」
賊達は男を睨めつけながら、忌々しそうに立ち去って行く。
男は無表情に縄を手に取り、イルカの足首を素早く縛めた。結び方自体は簡単に解けない
固いものだったが、足首が痛まぬように配慮してくれたのか、緩めに縛ってある。
「………………長くは無い。神降ろしの儀式までには自由になれるだろう。それまで大人
しくしているがいい」
イルカは震え(ているフリをし)ながら、僅かに頷いて見せた。
男は、肌蹴られたイルカの着物の裾を直してから、薄く微笑った。
「………涙を見せぬとは、結構気丈な娘だな」
男が出て行き、イルカはまた一人で狭い部屋に取り残される。
(………この際、マジに身代金と交換されるまで待った方がいいかもな〜………取りあえ
ず貞操の危機は去ったようだし。あの最低な賊どもに関しては、後で里から討伐隊を出し
てもいいんだから。………それにしても………)
イルカ達が賊に襲われた時、カカシはいったい何をしていたのか。
今回の任務における不可解な点を考慮して様子見をしたのかもしれないが、イルカが誘拐
され、あわや強姦されそうになっているというのにその姿勢を貫くというのは解せない。
彼の能力をもってすれば、この程度の結界に侵入を阻まれるはずもなし。
なら、答えはひとつ。
カカシはあの場にいなかった。イルカの護衛が彼の任務なのだから、祭の場に向かう夜の
移動についてこないわけがないのに。
来られない事情でもあったのか。
(………カカシ先生に何かあったのではないといいんだが………)




 
賊達が隠れ家に消えたのを見届けた後、パックンは急いでカカシの元にとって返していた。
(あの結界は、ワシでは破れんわい! …まったく、何がどうなっておるのやら)
カカシの居場所を嗅ぎ出したパックンがようやく酒屋に到着した時、ちょうど酒屋夫婦の
治療を終えた医者が帰るところだった。
「それじゃ、お大事に。…くれぐれも、おじさん達を安静にさせてくださいね」
「はい、先生。どうもありがとうございました」
カカシ扮する黒髪の娘は、医者に向かって深々と頭を下げる。
医者が道の角を曲がるや、カカシはパックンが隠れている物陰にス、と視線を走らせた。
「………どう? イルカ先生、無事に潔斎場に着いた?」
「いや、無事には着かんかった」
てっきり『無事着いたぞ』というパックンの報告が聞けると思っていたカカシは、眼を見
開いた。
「………何だと?」
「途中で、賊に襲われたらしい。ワシがイルカを見つけた時は、イルカと賊以外の人間達
は既に全員昏倒させられておった。…イルカが何故抵抗せんのか、事情がよくわからなか
ったのでな、取りあえず、奴等の後を追って、どこにイルカを連れて行くのか確かめたと
いうわけだ」
カカシは唇を噛んだ。
「………誘拐………か?」
「だろうな。どうする? カカシ。奴等の仲間に、忍がおるぞ。隠れ家には、眼くらまし
の術と結界が施されておった。………お前一人で、何とかなるのか?」
「忍の人数は?」
「…わからん。ワシにわかったのは、隠れ家の位置だけだ。賊の人数は、15から20と
いうところだと思う」
「………そうか………」
思わぬ失態に、カカシは唇を歪めた。
イルカの護衛に来ておいて、なんたるザマか。賊に襲われたというのに助けにも来ないカ
カシに対して、イルカがどう思ったか―――想像するだに気が重くなる。
果たして、イルカは自力で脱出してくるだろうか。
それとも、無力な少女という役どころを最後まで演じきる気か。
どちらにせよ、ここは彼の中忍としての能力を信じるしかない。
「………パックン」
「おう」
「その、賊の隠れ家に戻って、監視していてくれ。動きがあったら即知らせろ。オレは、
誘拐の詳細と、名主の方を先に調べる」
「承知」
カカシに隠れ家の位置を伝え、パックンは煙のように消えた。

ため息を一つつき、カカシは酒屋の中に戻る。
―――酒屋夫婦の暗示を解き、『アンコ』に関する記憶を消す為に。

 
 
 
秘かに探りをいれる、という忍の『基本捜査』の段階をカカシはきれいにすっ飛ばした。
コソコソと天井裏や床下に潜り込むより、正面攻撃が有効だという『勘』に従ったのだ。
もう夜だったが、明日まで待つ余裕など無い。カカシは変装を解き、最初に此処を訪れ
た美女に戻って、門を叩いた。
すると、まるで待っていたかのように屋敷に招き入れられる。
屋敷の中は、騒然としていた。
「…………何事かありましたの? 確か、お祭まではまだ二、三日かありましたわよね」
主人を呼ぶからこの部屋で待っていてくれと言って、奥に向かいかけた使用人が振り返っ
て答える前に、琥珀が姿をみせた。
顔色が悪い。一気に老け込んだようで、心なしか白髪まで増えているような気がする。
「………木ノ葉の方………何故、お戻りに………?」
「それは、やはりあのお嬢さんを無事に親御様の元まで送り届けないと、私の任務は完了
しないと言う事がわかったからですわ。………木ノ葉の信用に係わりますの。そちら様か
ら頂く、報酬には関係なく」
カカシはとぼけて訊ねた。
「お嬢さんはどこにいらっしゃいます? 私、彼女を護衛しなくては。…お祭の準備でお
忙しいようですわね。でしたら、私がお嬢さんのお世話をする女中の代わりになりますわ。
不自然なくお側にいられますもの」
名主の膝から力が抜け、がくんとその場にくずおれる。
カカシは急いで男の身体を支えた。
「あらっ大変! 大丈夫ですか? 誰かいらしてくださいな、名主様が―――」
琥珀は緩慢に首を振った。
「………大丈夫、です…木ノ葉の方」
カカシの声を聞いて慌てて駆けつけた使用人に、琥珀は命じる。
「私は大丈夫だから、八雲を呼んできてくれ。…それと、この部屋に人を近づけさせるな」
「はい、旦那様」
ほどなくやってきた青年も、蒼白だった。その顔には痣や擦り傷がある。昏倒させられた
時に、地面で打ったのだろう。
「………八雲、あれを木ノ葉の方に………」
「はい………」
八雲は懐から手紙のようなものを取り出し、カカシに渡した。
「どうぞ………ご覧ください………」
たたんであった紙を広げ、紙面に眼を走らせたカカシは柳眉を顰めた。
「………………こんな田舎の村に、彼女に危害を加えるものなどいないと仰っていました
けど………いたみたいですわね。………何でこんな事になりましたの? この賊がここへ
押し入って、彼女をさらったわけではないのでしょう?」
「か…神降ろしの儀式の三日前に、巫女には潔斎の場へ移って頂くのがしきたりなのです。
それで、そこへ向かう途中の山の中で…襲われました」
八雲は膝を着き、頭を下げた。
「も、申し訳ないっ! 私達がついていながら、イ、イルカさんを………」
カカシは八雲の謝罪を無視し、名主に向き直る。
「で、どうなさいますの。この手紙によると、彼女を誘拐した連中は随分な額を貴方に要
求していますけど? 奴等は彼女を貴方の娘だと思い込んでいるようですが、彼女は赤の
他人ですものねえ………ああ、でも神降ろしの儀式までに彼女を取り戻せないと、お困り
になるのでしたわよね」
琥珀は徐に両手をつき、カカシに頭を下げた。
「お頼み申し上げる、木ノ葉の方! イルカさんを無事取り戻せるなら、金などいくらで
も出します! よそのお嬢さんに無理なお願いをした挙句、危ない目に遭わせてしまった
責任は私にあるのですから。…だが、誘拐した賊は、この辺りでも評判のタチの悪い連中
なんです。金の交換まで、さらった娘を生かしておく保証もない。………どうか、イルカ
さんを救い出してください! 彼女の無事が、最優先です!」
ふう、とカカシはため息をついてみせた。
「………私を追い返したりしなきゃ、こんな事にはなりませんでしたのに。………まあ、
起きてしまった事を今更どうこう言っても仕方ありませんわね。………八雲さん、貴方、
賊に襲われた現場にはいらしたの?」
「………はい………」
イルカを守れなかった事で、八雲はすっかり打ちのめされていた。
「しっかりなさい。その時の様子や、賊のこと。出来る限り思い出して、私に言うのよ。
…名主さんは、もしもの時に備えて、一応賊の要求した金額を用意しておいてください」
カカシはすらりとした脚で仁王立ちになった。
手にした紙よりも尚白い指が、その紙をグシャリと握り潰す。
「………私の目の前でこんなふざけた真似をした連中には、悪事の報いってものを思い知
らせてやるわ」

      

 



 

NEXT

BACK