天よりきたるもの − 6
陽も落ち、常識的にはもう山に足を踏み入れるような時刻ではなかったが、祭りのしきた りに従って、イルカ達巫女一行は名主の屋敷を後にした。 屋敷から山道に入るまでひとりだけ馬に横座りで乗せられ、運ばれたイルカは、着せられ た白い衣装に目を落とし、まるで花嫁行列だと心の中で苦笑する。 「ここから先、石段になりますので馬はここまでになります」 「はい。ありがとうございました」 イルカは反射的に馬の背から飛び降りかけて、思いとどまった。おとなしい女の子は、黙 って男が手を貸してくれるまで待たねばならない。 (………おとなしくしているってのも、意外と骨が折れるもんだな………) 手綱を引いていた男がそのまま馬を連れて帰り、イルカ達は暗い山道に足を踏み入れた。 巫女を中心に、その前後左右を守るように四人の女性がつき、更に彼女らを護衛する男達 が四人。先頭と最後尾に灯りを持った者が二人ずつ。巫女を含めて十一名が静かに潔斎場 へ向かう石段を登り始める。 (さて………ここからが『任務本番』というわけだ………) 山に足を踏み入れた時、イルカの忍として研ぎ澄まされた感性は、この山が霊山であるこ とを感じ取っていた。 (………神様が降臨するってのも、あながち迷信じゃないかもな。……大気の色が違う。 こりゃあ、『気』の修行にはもってこいかも) ヒヤリとした夜の空気。 山独特の、湿った土や植物の匂い。 微かに聞こえる夜行性の鳥の鳴き声。 イルカにとっては、心地いい場所であった。気分良く石段を登っていたが、ふと両脇、前 後についてくれている女性達の呼吸が苦しげなのに気づく。 (………しまった。大して登っていないと思っていたけど、普通の女の人ってのは、もう 息切れするものなのか。…山まで俺だけ馬だったしな) 「……あの………すみません、少し、休んでも構いませんか?」 イルカの上げた声に、女性達がホッと嬉しげな吐息をついた。 この人達から休息を申し出る事は出来なかったのだと気づいたイルカは、もっと早く言え ば良かったと申し訳なく思う。 「はい、では休憩にしましょう。ちょうど、もう少し登った所に休憩場があるはずです」 護衛の中で、リーダー的立場らしい八雲が男達に指示を出す。護衛の中でも一番若い男が 石段を先に駆け上がり、異常が無いか見に行った。 「大丈夫でーす、八雲さん。異常無しでーす」 「ありがとう。………さ、玻璃さん。もう少し頑張ってください」 「はい」 休憩場と言っても、特に何があるでもない小さな場所だったが、一応皆が腰をおろせる程 度の平地があった。 イルカは切り株に腰をおろし、女性が差し出してくれた水筒に礼を言って口をつける。 そのイルカに、八雲が気遣わしげに声をかけた。 「玻璃さん、大丈夫ですか? ここでおそらく三分の一は登ったと思います」 「あ、はい。…大丈夫です」 よくよく八雲が見れば、少女の呼吸は乱れておらず、特に疲れた様子も無い。 (………もしかして、自分ではなく、おつきの女達の為に休息を申し出たのか………) 元々の許婚者である本物の玻璃が、そういった気遣いには無縁の少女だっただけに、この 程度の小さな思いやりにも彼は感動してしまう。 八雲は他の者達には聞こえない小さな声でイルカにそっと耳打ちした。 「………イルカさん。………この祭りが無事終わったら、大事なお話があります。…お帰 りになる前に、ぜひ」 イルカは無言で男の顔を見た。 彼は今『玻璃』ではなく、『イルカ』と呼んだ。その事の意味。それに、男がこういう表情 をしている時は十中八九、色事だ。 (…………まずい。祭りが終わったらソッコーでトンズラしよう………) 心の中でそう固く思い決めながら、イルカは曖昧な微笑を返す。 ―――と、その笑みが一瞬凍りついたように固まった。 (…………?!) 直感的にイルカの脳裏に閃いたのは『敵』の一字だった。 大勢の禍々しい気配が急激に近づいてくる。こんなに接近するまで気づかなかった事にイ ルカは愕然とした。 もう、すぐそこまで来ている。 「皆、気をつけてっ!!」 イルカの叫びに、女性の悲鳴と護衛の男があげた驚愕の声が重なる。 いかにも曲者らしい風体の男達が茂みや木々の間から姿を現した。 (こんな所に山賊か? 罰当たりなッ) 八雲はイルカを背中に庇いながら、後ずさる。 「何者かっ……我らは大切な神事の最中だ! 狼藉を働くと天罰が下るぞ!」 気丈な八雲の一喝に、嘲笑うような濁声が返った。 「天罰だぁ? バチが当たるってんなら当ててみろや。………ババアや野郎に用はねえ。 …おう、そこの可愛い嬢ちゃんだ。ここの名主の大事な大事な一人娘。そうだろう?」 「玻璃さんに手を出すな!」 八雲は震えながらも、イルカを守ろうと腰の刀に手をかける。だが、その刀は神事用の装 飾品だ。曲者達が手にしている武器に敵うとは思えない。 イルカは怯えて震える振りをしながら、周囲の気配を探った。 (………カカシ先生………がついて来ているかと思ったんだが………現にコイツらが襲っ てきたって事は、近くにはいないのか。………それとも、泳がせて様子を見ているのか?) 男は、八雲の刀を見て鼻で笑った。 「おうおう、勇ましいねえ。………だけど、そんなヘッピリ腰で俺達に勝てるわけねえだ ろーがよ。………そのお嬢ちゃんを素直にコッチに渡してくれりゃ、おめえらの命までは 取らねえつもりだったんだがなあ。…抵抗すんなら、みぃんな殺してやろうか。ああ、そ の方がカンタンだよなあ」 イルカはどうしたものかと迷っていたが、賊の一言で腹を決めた。 (………うーん、カカシ先生も出てこないし〜…ここで俺が暴れるワケにもいかんだろう なァ……仕方ない。………俺ひとりなら、捕まっても後で何とでもなるだろ) 「ま、待ってください! この人達に酷い事しないで!」 「玻璃さんっ」 慌てる八雲の腕を振り払って、イルカは一歩前に出た。 「わ、わ、私が……ご一緒…すれば……いいのでしょう? こ、殺すなんて……酷い事、 言わないでください…っ」 声も足も、ガタガタと震えさせている少女を、賊の頭らしい男はにんまりと眺めた。 「どうやら、嬢ちゃんが一番わかっているらしいな」 「ダメです、玻璃さん!」 悲鳴のように叫ぶ八雲を振り返り、イルカは首を振った。 「…この方達、用があるのは、私ひとりのようです。………八雲さん達は、山を下りてく ださい」 「………は、玻璃…さん…」 男はイルカの腕をつかんで自分の方へ引き寄せ、背後の仲間に顎をしゃくって合図する。 「いやあぁっっ」 「うわっ」 「きゃーっ!」 おつきの女性達と護衛達は、あっという間に賊の手によって昏倒させられ、地に伏した。 イルカに気を取られていた八雲も、後ろから首筋を強打されて声も無く倒されてしまう。 「何をするのっ」 思わずイルカは彼女達に駆け寄ろうとしたが、腕をつかんでいる男に引き戻される。 「騒ぐんじゃねえよ、嬢ちゃん。別に殺しちゃいねえ。しばらくの間おねんねしてもらう だけさ。…半刻もすりゃあ眼が覚めるだろうよ。何せ、こいつらには大事な役目があるか らなあ。…名主の所に戻って、こっちの要求を伝えてもらわにゃならんし、アンタが余計 な事を考えない為の人質でもある。俺の言っている意味がわかるかい?」 イルカは恐る恐る、という風を装いながらゆっくりと男に視線を戻した。 「………逃げようなどと思うな、ということですか………?」 男はニヤリと笑った。 「ご名答。さあ、一緒に来るんだ」 賊の一人が、八雲の懐に手紙らしきものをねじ込むのを視界の隅で捉えながら、イルカは 男に腕を引かれるまま歩き出した。 「……………イカンな」 頭に木ノ葉の額当て。背中に『へのへのもへじ』と書かれたちゃんちゃんこを着た犬が、 嫌そうに唸った。 カカシの忍犬、パックンである。 カカシの命令に従って山にたどり着いたが、イルカの気配がいつもとは違うので捜すのに 多少手間取ってしまった。イルカを見つけたと思った時、既に彼はいかにも怪しげな男に 捕まって、連れて行かれる所だったのだ。 「………えーと、間に合わんかったのは、拙者を呼び出すのが遅かったカカシの所為だと して。…さて、どうしたものかな」 イルカを連れ去った相手は、忍には見えなかった。ただの盗賊集団のようだ。 なら、多勢に無勢とはいえ、中忍のイルカが手も足も出ないとは思えない。彼が抵抗もせ ず、賊の言いなりになっているのは、何か理由があるのだろう。 カカシに突然口寄せされ、必要最低限の情報しか聞かされなかったパックンには判断材料 が少なかった。イルカの置かれている立場、その目的。 それらが明確ではない以上、自分に余計な手出しは出来ない。 (…取りあえず、後をつけて行き先を確かめるとするか………) 実際、それくらいしか出来ることがない。 倒れている見知らぬ人間達をチラリと一瞥し、命に別状がないのを見て取った忍犬は、そ っと賊達の後をつけ始めた。 (…………身代金目当ての誘拐………かな。眼の付け所はいい。さらう場所、タイミング。 …祭りに巫女が絶対必要だというのは周知のことだろう。つまり、常識よりも高額の身代 金をふっかけても、名主は『娘』を取り戻すために躊躇無く金を出すはず………か。俺が 誘拐犯でもそう考えるだろうな) 祭りの日まで三日を切った。 交渉するゆとりも、どこかの里に娘の救出を依頼する暇も無い。 おそらく名主は、金を出すだろう。 自分の娘ではないとはいえ、もう代わりのいない巫女。しかも、イルカという少女が巫女 の代理を務めることは、木ノ葉の里が知っている。知らぬ顔は出来ない。 イルカはそっと唇を噛んだ。 無力な少女の振りをし続けるか、それとも自力で脱出すべきか。 賊達の隠れ家まで連れてこられて、そこで初めてイルカは気づいたのだ。 賊の中に、忍の術を使う者がいる。 (………眼くらましの術や、結界術に長けているな。………どこの里の抜け忍かはわから んが………あんなに接近するまで俺が気づけなかったんだから、結構腕はいいんだろーな。 ……クソ、面倒な) 実戦で戦う仲間の補助をする役目の忍にこういうタイプが多い。だが、イルカが変化の術 を使っていることは、おそらく見抜けまい。イルカの術の上から火影の固定術が掛かって いる為、変化の術を気取られる最大の要因、『揺らぎ』が見えないからだ。 イルカはここに来るまでは体の自由を束縛されていなかったが、隠れ家に着いた途端に手 足を縛られ、猿轡をかまされて、ご丁寧に目隠しまでされてしまった。 (………縄抜けは簡単だけどなー………ごく普通に縛ってくれたから。奴らに気づかれず に抜け出せるかどうかは………やってみなきゃわからんな。面倒なのは、忍崩れだ。…… チャクラを使ったら気づかれる可能性が高い。それに………) 仮に脱出に成功しても、ここにいる全員を捕縛するなり殺すなりしておかなければ、安心 は出来ない。 身代金を取り損なった報復に、何をするかわからないからだ。 (…マジ、厄介かも。………カカシせんせーがこの事態にどう動くかもわからんし〜。仕 方ない。もう少し様子を見るか………) そうイルカが結論づけた時、それまで『人質』を一人放っておいた賊達が何人か室内に入 ってきた。 「お頭、本当にいいんですかい?」 頭、と呼ばれた男は低く笑う。 「おうよ。……だから言っただろう? オイシイ仕事だってなあ………。要は、娘を生か してさえおきゃ、名主から金は取れる」 男達が下卑た笑いを漏らした。 「普段は擦れっからしの尻軽女ばかりがお相手だもんな」 「ぴっちぴちの生娘なんて、滅多に犯れるモンじゃねえ。いい仕事だぜ」 (………………は?) 何か今、とてつもなく危険なせりふが聞こえたような。 (こここっっ………こいつらっ………巫女に手を出すつもりかっ………あ、そうか。こい つらにとって、神託も祭りも関係ないんだ。巫女が純潔かどーかなんて、知ったコトじゃ ないってかーっ!) イルカは鳩尾の辺りがきゅ、と冷えるような感覚を覚えた。 このまま無力な少女の演技を続けるならば、まず確実にご無体な目にあってしまう。 (………に、忍者ならそれくらいガマンすべきか? 俺、女じゃないんだし) 「……足を縛ったままじゃ、やりにくいな」 誰かが呟いて、イルカの足の縄を解く。反射的に引っ込めようとした足首をつかまれ、ふ くらはぎの内側をいやらしく撫でられたイルカは、演技ではなく本気で身を捩った。 (ぎゃーっ!! やっぱり気持ち悪いっ! とってもイヤだぞーっ! こんな野郎どもに ヤられるのはーっ!) イルカは心の中で叫んだ。 (カカシせんせーい! 助けてくださーい!!) |
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