天よりきたるもの − 4
「変化が出来ないってのは意外と不便だコト…」 もっと中央に近い、人の出入りが激しい街ならばいいのだが、この田舎の村ではよそ者は 目立つ。カカシの容姿ならば尚更目立つ。いかに街並みが立派でも人口が少ないのだ。 カカシは後悔していた。 (マジ、もっと目立たない…いっそ、動物にでも変化しておけば良かったのかもっ) それではイルカを護衛してここまで送るという役目は果たせなくなるのだが。 (犬とか猫とか…そういう女の子が連れていても不思議じゃないのに化けられれば、滞在中 ずっと一緒にいられるのになあ……つうか、よく考えりゃイルカ先生はともかく、オレの 方に変化固定の術は必要なかったんじゃないのか? 今回は) 祭りまではまだ七日ほどある。 大急ぎで里に戻って三代目に変化固定を解いてもらい、また大急ぎでこの村までとって返 すとして――― (……それでも往復四日…くらいはかかるか? クソ、その間イルカ先生を一人にするの はどうにも不安だ! いや、イルカ先生を侮るわけじゃないけどっ! 今はあーんなに可 愛い女の子なワケだし! フツウの無力な女の子になりきるって言ってたし! やるとな りゃ徹底する人だし! ……ああ、どうしよう……) あの八雲という男の存在も気にかかる。 話を色々と総合すると、玻璃という娘どうやら到底『深窓の令嬢』とは呼べないお嬢様の ようだ。―――といえばまだ聞こえはいいが、もしかしたら本当に素行不良娘なのかもし れない。それに八雲の言葉を真に受けるとすれば、性格もキツそうだ。 そしてイルカ扮するところの少女は欲目抜きで可愛いし、彼は出来るだけ『おとなしい少 女』を演じている。接する者に警戒心を持たせず、庇護欲すら感じさせるような娘をだ。 許婚者に冷たくあしらわれ、挙句逃げられて恥をかかされた男の眼に、『彼女』がどう映る かなど想像するまでも無かった。 (……巫女は純潔を守らなきゃいけないんだから、押し倒されるってのはナイとしたって ……手を握ったりとか他にも色々心配なコトが…っ…) やはり、もっと粘ってイルカの傍にいられるように頑張れば良かったのかもしれない。 ああ、このナイスバディな美女の印象は強かろう。一度会った人間は絶対に覚えているは ず。何とも隠密活動がしにくい姿に変化してしまったものだ。 イルカならこういう時、どうするだろうか。カカシは心の中で恋人に問いかけてみた。 『ねえ、イルカ先生。オレ、目立っちゃってます? でも変化固定解いてもらいに行くヒ マ無いんですよ』 イルカはいつものようにニッコリと微笑んで答えをくれた。 『変化が解けないなら、変装でもなさったらいかがですか?』 (……………………………………あ) はたけカカシ上忍歴十とウン年。 『忍の術』に頼り過ぎている自分に今更ながら気づくのであった。 「……変装ね。ハイ、イルカせんせ。……ガンバリます……」 目立つ銀髪を黒髪に染めるだけで物凄く印象が変わる。ざっと街を見回して一番ありがち な服装を選び。髪を地味なひっつめスタイルに結って、凡庸な眼鏡をかけ、カカシは鏡の 前に立ってみた。 「……やりぃ! 別人じゃないオレってば」 完璧を目指すなら頬に綿を入れるなり、付け歯をつけるなりすれば顔の印象をかなり変え る事が出来るが――― (………わざわざ不細工にしなくてもいいよなあ……ああ、声は変えておくかな。後はこ の街に堂々といられる場所か………) 「おや、親父さん。見ない娘さんだねえ。…どうしたんだい、新しく雇ったの?」 酒屋の主人は、店で掃除をしている若い娘にちらっと眼をやって、照れくさそうに笑った。 「やー実はね、姪っ子なんだよ〜。遠くの街に住んでいるんだがね、今ウチに遊びに来て るんだ。ホラ、ウチの村の祭りは『神降ろし』をやるだろう? そういうのに興味がある んだってよ。じゃあ見にくればいいじゃねーかって呼んでやったのさ。ウチの身内なら見 てても怒られはしないだろ。…で、店の手伝いもしてくれてるんだよ。今忙しいから助か ってんだ〜」 娘は客に向かってぺこんと頭を下げた。 客は笑って娘に手を振る。 「おとなしい娘さんだねえ。…まあ、祭りって言っても地味な祭りだから。見てガッカリ しないでな」 娘は困ったように曖昧に微笑んだ。 「…で、なんだい? いつもの一升瓶でいいのか?」 「ああ、一升瓶二本、それと味醂も一本な。カミさんに頼まれてっから」 「わかった、後で届けるよ」 客はすぐに酒屋の姪への興味を無くした。彼女を目にした時も、猫背気味で化粧気も色気 も無い暗そうな娘だと思っただけだった。 全くと言っていい程自分に興味を示さなかった客の男に、『娘』は「よし! 成功だ」と内 心ガッツポーズをしていた。 この酒屋の姪は、もちろん変化の上に変装を重ねたカカシである。 お人好しそうな酒屋の主人は、簡単にカカシの催眠暗示にかかって『彼女』を自分の姪だ と思い込んでくれた。酒屋の女房にも同様に暗示をかけてある。 酒屋の女房が奥からひょいと顔を出した。 「アンコちゃん、掃除は適当でいいよ。お客さんをこき使って悪いんだけどねえ、配達に 行ってもらえないかしら。あたし、今日は腰が痛くて……あんた、自転車乗れる?」 ちゃっかり知り合いの特別上忍の名前を拝借しているカカシは、「はい」と頷いた。 「腰、大丈夫ですか? いいですよ、おばさん。地図書いてもらえれば、行けますから」 「ありがとねえ、助かるわ」 (いえいえ、こちらこそ助かってますから〜♪) 隠れ蓑になってもらっているうえ、宿代メシ代まで浮いてしまっている。さすがのカカシ も、店の手伝いのひとつでもしなければ気が引けるというものだった。 配達で外に出たついでに、カカシは自転車を押してゆっくりと歩きながら街の様子を見て みた。 祭りの前特有の浮ついた空気は無い。 (……ふうん、重要だけど本当に地味な祭りだっていう事ね…ふむ…) 表通りの角を曲がったところで、カカシの足に犬が一匹纏わり付いてきた。 「あら、可愛いワンちゃん。どうしたの? お腹すいたのかな?」 カカシはしゃがんで犬の頭を撫でる。 犬はもちろんカカシの忍犬である。 忍犬の方も心得たもので、人目のある所では「普通の犬」の振りをして、クンクンと鼻を 鳴らすだけで人語を使おうとはしない。 カカシは犬の頭を撫でながら、首に巻かれていた布の内側を指で探った。と、小さな紙片 が指先に当たる。 (………『返事』か?) 自分が受けた任務と、依頼人が持っていた控えの内容の食い違いがどうにも引っかかった カカシは、書面の内容を三代目に問い合わせていたのだ。 さりげなく紙片を抜き取って、カカシは立ち上がった。 「ゴメンね。今、食べ物無いのよ。またね、ワンちゃん」 犬はペロリとカカシの指先を舐め、トコトコとその場を離れていく。 カカシは店に戻る前に、人目の無い場所で紙片を検めた。 紙片に記されていた暗号文字に、カカシは眉をひそめる。 (………やっぱり、里にある任務内容控えはオレの聞いている通り、か。……そーすっと、 あの名主……控えの書類を偽造してまでオレを追っ払いたかったってコトかあ?) 怪しい。 あの時の名主の弁はもっともに聞こえたが、カカシがイルカを連れ帰るところまでが任務 ならば、それも料金の内だ。金がかかるのは困るから帰ってくれというのはおかしい。 (問題は、それが名主の仕組んだことなのか、それとも名主も誰かに騙されているか…… ってところだな。それにしても何の為だ?) これは、もう少し探ってみなければわからない。 それから、この事実をイルカにも伝えておいた方がいいだろう。彼は、この任務を単なる 巫女役の代理だと思っているはずだ。 カカシはふう、と息をついて自転車のスタンドを起こす。 (………単なる代役。…本当にそれだけだといいんだけどねえ……) 「ご苦労さん、アンコちゃん。スイカあるからお食べ。…でね、一休みしたらもう一軒だ けお願い出来る?」 店に戻ったカカシに、酒屋の女房は済まなそうに酒瓶を掲げて見せた。 「あ、配達ですか? いいですよ。今すぐ行きましょうか」 「いやいや、休んでからでいいよ。お茶の時間だもの。…配達はね、夕方までに届けばい いから。名主様のお宅にね」 おや、これは好都合だとカカシは内心喜んだ。 「名主様? ああ、あの大きなお屋敷ですね。…近くで見てみたかったんです。ちょっと 嬉しいかも」 「おやま。……でも、お屋敷を見てみたいからって正面から入ったらダメだよ? こうい うお届けものは裏のお勝手口からだからね」 カカシは「頂きます」とスイカに手を伸ばしてニッコリ笑った。 「わかってますよお、おばさん。ちゃんとお勝手に回りますから。…あ、甘〜いこのスイ カ。美味しい」 「いっぱいあるから、好きなだけおあがり」 「ありがとう、おばさん」 勝手口からの届け物は、使用人に接触するいい機会である。表立って語られない『本当の 話』というものは、案外主人が気にも留めていない雑用係のような人間から得られる事が 多いのだ。 (……潜伏先を酒屋にしておいて良かった。案外、毎日お届け物があるかもね。何せ、お 祭りが近いし) カカシは唇の端をあげてそっと微笑んだ。 「ごめんください〜酒屋です。お届け物で〜す」 カカシは名主の屋敷の裏口に回り、戸を叩いた。と、すぐに勝手口が開く。 「ご苦労様あ。……あら? 酒屋さん……いつもの人じゃないのね」 「あ……親戚なんです、私。夏休みにおじさんちに遊びに来ているんですけど…配達くら いなら出来るから、お手伝いを……」 カカシは慣れない手つきで自転車の荷台から酒を降ろす。 「そうなんだ、偉いわね。…ありがと、そこに置いてちょうだい」 「はい」 酒瓶を置いてもカカシがすぐに立ち去らず、何か言いたげにしているのを見て年配の女中 は笑いかけた。 「なあに? 何か?」 「………あの、実は私、この村で行われている伝統的なお祭りに興味があって遠くの街か ら来たんです。学校でそういう勉強をしていて。…神降ろし…をやるのでしょう?」 「まあ。……わざわざお祭りを見に? ええ、儀式をやってね、神様のお告げを聞くのだ そうよ。それを神降ろしっていうのかしら?」 カカシは勢い込んで頷いた。 「ええ! そうです。で、そのお祭りはこの名主様が取り仕切るって聞いて……ここのお 嬢様が巫女をなさるのでしょう? ………あの、もしも……もしも、そのお嬢様に少しお 話が伺えたら嬉しいと思って………ダメでしょうか」 女中は顎に手を当てて、う〜ん、と唸った。 「どうかしらねえ……あたしの一存で返事が出来ることじゃないから……ちょっと待って てもらえる? 訊いてきてあげるわ」 「はい。すみません、ありがとうございます」 中に入っていく女中の背中を見ながら、カカシは首を傾げていた。 (……今ここにいるお嬢サマが身代わりだってこと、使用人全員が知っているわけじゃな いのかね。…知ってりゃ何だかんだ理由をつけてオレを追い返すと思うんだが……) しばらく待っていると、先程の女中が申し訳なさそうな表情で戻ってきた。 「ごめんなさいねえ。…何だか、お嬢様は今、頭痛がなさるそうなの。せっかくお祭りに 興味を持って来てくださったお客様なのに申し訳ありませんけど」 カカシは慌てて首を振る。 「とんでもないです。いきなり来て、私ったら図々しいお願いしちゃってすみませんでし た。お嬢様によろしくお伝えください」 ここですんなりイルカに面会出来るとは思っていなかったカカシは、あっさりと引いた。 (……聞きに行ったのは単なるポーズか? よくわからんな。……ま、いい。夜に出直そ う) もうルートは確認済み。イルカに逢いたいなら忍らしく忍び込めばいいのだ。 カカシは自転車を押して酒屋に戻った。 |
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