天よりきたるもの − 2
依頼人の村は、木ノ葉の里から歩いて十日ほどの所にあった。 普段のカカシとイルカならば三日程度で着いたはずだが、今のイルカは『無力な普通の少 女』なのである。便利な交通手段も無いとなれば、一般人の常識速度で歩くしかない。彼 等はのんびりと旅をし、十日目に件の村に到着した。 田舎の村と聞いていた二人は少なからず驚いた。テレビで見るような田園風景とか、山に 囲まれた寒村のような光景を想像していたのである。 イルカは村の大門を見上げて目を大きく見開いていた。 「……村って言っても…いっぱしの街ですね……結構賑やかな感じ…?」 「うん、結構大きい村ですねえ……ここの名主様は住民にとっては殿様同然かもですね。 …権力もそれなりって事か」 カカシは村に入ってすぐの茶屋に立ち寄り、名主である琥珀の家の所在を尋ねた。 店の若者は美女の顔と豊かな胸のライン、すんなりと伸びた脚に眼を奪われながら、上擦 った声で答える。 「あの、えっと…琥珀様のお屋敷はもっと奥の方ですよ。あそこの山の手前に高台があり まして、お屋敷はそこに……」 「そう、ありがと」 カカシはちらりと後ろを振り返って微笑んだ。 「……疲れたでしょう? ……ちょっとここでお茶でも飲みましょうか」 カカシの意図を察して、イルカは頷いた。 「…そうですね。ちょっと、休みたいです」 『娘の身代わり』が目的のイルカは、村に入る二日ほど前から歩く時は頭から日差し避け の布をかぶって顔を隠している。茶店の中でも、布をかぶったまま大人しく俯いていた。 大抵の人間はカカシの美貌の方に気を取られて、その傍で大人しくしている少女にはあま り注意を向けない。 「ええと、じゃあ何か甘いものでも頼もうかしらね。…何がいい? あんみつ? お団 子?」 イルカは品書きに目を走らせ、女の子が好みそうな品を選ぶ。 「……ええと、じゃあこの蜜豆にします」 「すみません。…蜜豆と葛きりをお願いね」 「はい」 店員は一度奥に引っ込んで注文を伝えた後、そっとカカシの方を窺っている。 その視線に気づいている忍者達はそっと微苦笑をもらしていた。 「何処へ行っても目立ちますねえ、貴方は」 「……ん〜、今回この変化は不味かったですかね。もっと地味なくノ一に化けるんだった かな?」 カカシは白銀の髪をかきあげながら店員に流し目を送る。 初心な若者は真っ赤になって目をそらした。 「………カカシさん」 イルカの咎めるような眼に、カカシは小さく肩を竦めてみせた。 「ゴメン。…遊んでいる場合じゃないね」 「わざわざこんな所で休むってことは、情報収集でしょう?」 「まあ、ね」 名主の評判とか、娘の事とか。相手の懐に入る前に、村人の認識を確かめておきたかった のである。 注文の菓子と茶を運んできた若者に、カカシは礼を言いながら何気なく問い掛けた。 「名主様のお宅は、ここからだと歩いてどれくらいかしら?」 若者は真面目な顔で少し考えた。 「十五分……二十分くらいはかかるかも……お、女の人だともっとかかるかもしれません」 「ふうん。結構広いのね、ここ」 若者はおずおずと口を開いた。 「お客さん、名主様に招かれたのですよね。今度の祭りは大きいから、外の方を招待する かもって聞いていたんですけど、本当だったんだ。……何だか嬉しいなあ…ウチの村が立 派になったみたいだ」 あら、とカカシは微笑んだ。 「ちょっと見ただけでも、立派な村だってわかるわよ。建物も綺麗だし、もっと中央にあ る街にも引けは取らないわ」 若者は頬を紅潮させた。 「やー、そうですか! ありがとうございます! 村の中が綺麗なのは琥珀様のおかげな んですよ。あの方は、お金を村の為に使ってくださるから」 「……いい名主様なのね」 「ええ! あの方は村の誇りです」 カカシは水を向けてみた。 「……でも、聞いた話じゃ七年前の祭りで不手際があって、それから作物は不作だって言 うじゃないの」 「……そん時の事は、おれもまだガキだったんでよく覚えておらんのですが……巫女様が 祀りの寸前で亡くなったのは、琥珀様の所為じゃないし……確かにここ数年、豊作とは言え ないみたいですけど、その分、琥珀様は頑張っておれらに負担がかからないように……お 城に納める税とか、随分肩代わりしてくださってるって……」 「そうだったの……本当に、いい方なのね」 若者は勢い込んで嬉しそうに頷く。 「もちろんっすよ!」 「今度のお祭りは大丈夫そうね。…なんでも、名主様のお嬢様が巫女をなさるって聞いた わ」 途端に若者は顔を曇らせた。 「………だと、いいんすけど………」 おや、とカカシとイルカはそっと視線を交わした。 娘の失踪は、村人に洩れぬよう細心の注意を払っているはずだが、人の口に戸は立てられ ぬというところだろうか。 「…琥珀様は、ほんっとにいい方だけど……お嬢様はちょいと不安だねって……皆言って て……」 つい口を滑らせてしまった事に気づいた若者は慌てて自分の口を手でふさいだ。 「あっ…いえその…っ…わ、悪口じゃないんですっ……お客さん、どうかおれが変な事言 ったなんて琥珀様には……」 カカシは慰めるように若者の腕を指先で軽く叩いた。 「そんな事、誰にも言いやしないわ、安心して。……美味しいわね、この葛きり。…お茶、 お代わりお願いしていいかしら」 若者はホッとしたように「はい、ただいま」と小走りで奥に戻った。 「………どういう事でしょうね? カカシさん」 小さな声で囁くイルカに、カカシも小さく返した。 「……元々、素行のよろしくない不良娘なのかもね。村人にも知れ渡るような」 イルカは複雑そうな顔で蜜豆をすくったスプーンを口に入れる。 「…………不良娘の身代わり………」 「まだ、そうと決まったわけでもありませんよ」 ともかく、里に依頼を持ってきた男の言葉にそう嘘はないようだ。名主は村人にとって人 望篤い好人物のようである。 二人がそろそろ腰を上げようとしていた時、店に一人の青年が入ってきた。 カカシ達に眼を止めると、ニ、三歩歩み寄る。 「失礼ですが……木ノ葉の……?」 カカシは腰掛けたまま、青年を見上げる。 「……そちらは?」 「私は、八雲と申します。…琥珀様に申しつかって、お二人をお迎えに参りました」 青年は丁寧に頭を下げる。 「…ヤクモさん…? ここにいるのがどうしてお分かりになったのかしら」 「木ノ葉からご連絡を頂いておりましたので。出発日がわかれば、こちらに到着になる日 も大体は察しがつきます。…この村にはそうそう他所からの訪問者はおりません。門をお 通りになった時に、おそらく木ノ葉の御方だと察した警邏の者が屋敷に連絡を入れてくれ ました。……失礼だったでしょうか」 カカシは立ち上がった。 「いいえ。……そういう事でしたら。わざわざ、ありがとうございます。こちらこそ、す ぐにお伺いしなくて申し訳ありません。…慣れない旅でこちらのお嬢さんがお疲れになっ てしまって…少し休んでおりましたの。いかにも疲れた顔でお伺いするのは恥ずかしいと 仰って…おわかりになりますでしょう?」 「ええ。お年頃の娘さんには色々とあるのだと、一応学習はしてますから」 青年は、まだ座ったままのイルカの方に屈んで微笑みかけた。 「遠いところ、お越しくださってありがとうございます。…もしよろしければ、乗り物を 用意致しましょう。…馬が怖くなければ、すぐにご用意できますが」 イルカは俯いたまま、ぺこんと頭を下げた。 「……いいえ、歩けますから…大丈夫です。…あの、お気遣いありがとうございます」 カカシは気遣わしげにイルカの方に回って頭の被り物を直してやる。 「もう歩けますか?」 「はい。休んだから大丈夫です、カカシさん」 カカシは青年には見えないように指文字でイルカに注意を促した。 (結構抜かりのない村のようです。…一応、気をつけて) イルカは黙って微かに頷いた。 カカシ達がそのやり取りをしているうちに八雲は卓の上からさっと伝票を取って、支払い を済ませてしまった。 「あら……ありがとう」 青年は愛想のいい笑みを浮かべる。 「いえ、当然です。お気になさらず」 イルカは会釈しながら「ご馳走様でした」と細い声で礼を言った。 「どういたしまして。…さあ、ご案内します」 名主の屋敷は、どっしりとした古い物でいかにも由緒ありげな佇まいだった。とってつけ たような装飾が一切無いのがかえって風格を感じさせる。 心労で寝付いていたという名主は、それでもきちんと衣服を改めてカカシ達を迎えた。 「………このような田舎までお越しくださいまして、ありがとうございました。私が、こ の村の名主、琥珀と申します」 年の頃は五十に手が届くかどうかといったところだろう。少しやつれて顔色が良くないが、 がっしりとした体格の温厚そうな男だった。 カカシはきちんと頭を下げる。 「私は、此度の依頼を受けました木ノ葉隠れの者で、カカシと申します。……こちらのお 嬢さんが、そちら様がお探しの方で、イルカさんと仰います。そちら様のご事情はもうお 伝えしてありますし、巫女の件、お嬢さんはお引き受けくださいました」 「……イルカです。初めまして、琥珀様」 カカシの斜め後ろで緊張した面持ちの少女がペコッと頭を下げた。その様子は、いかにも 世慣れない子供のように見える。名主は、そんな少女に向かって手をつき、深々と頭を下 げた。 「イルカさんとおっしゃるのですね。…この度は、本当に無理なお願いをきいてくださっ てありがとうございます。…本当に、助かります」 イルカは慌てて首を振る。 「いいえ、そんな…まだちゃんとお役に立てるかどうか……あの、わたし、こちらのお姉 さんに、お話を聞いて…わたしなんかにも、困っている人のお手伝いが出来るなら…って …そう思って来たんですけど……本当に、名主様をお助けする事なんてわたしに出来るん でしょうか?」 琥珀はゆっくりと頷いた。 「…もちろんです、お嬢さん。……事が、神様へのお祈りなので、やってもらわなければ ならない決まり事は幾つかありますが……どれも、そう難しい事ではありません。もちろ ん、怖い事もありませんよ」 それを聞いた少女は安心したように微笑んだ。 「そうですか、良かった。…わたしにも出来るんですね。じゃあ、一生懸命頑張ります」 「よろしくお願いします」 少女ににっこりと微笑みかけた琥珀は、もう一度カカシに向かって会釈した。 「木ノ葉の方、本当にありがとうございました。…報酬はご用意しております。どうぞ、 道中お気をつけて」 カカシは眉を上げた。 名主の言葉は、「もう用は済んだから帰ってくれ」という意味にとれる。 「…私が里から受けております命令は、このお嬢さんを無事にご両親の元に送り届けるま で守るように、という内容なのですが」 琥珀は困ったように苦笑してみせる。 「……私どもがお願いしたのは、イルカさんを探し出して、理由を話してここまで連れて きて欲しい、という事だったと思います。その依頼内容で報酬も取り決めたはずですが。 ……まだ祭りまでは間があります。その間ずっとお嬢さんを護衛して頂き、さらにお家ま で送って頂くとなると、報酬は違ってくるのではありませんか? 正直に申し上げますと、 祭りには費用が掛かります。これは、今後の事を考えても切り詰めて質素に、というわけ には参りません。……そして私は、イルカさんにもきちんと御礼がしたい。……申し訳あ りませんが、お察しください」 イルカはびっくりしたように眼を瞠った。 「あの、わたしは御礼なんて要りませんけど……困っている方のお役にたてればと思って …それで、来たんですから」 名主は、少女を諭すように首を振る。 「…いいえ、お嬢さん。…世の中というものは、そう簡単なものではないのですよ。…貴 方のお気持ちは美しい、尊いものです。……でも、無償でお願いする方が心が痛む、とい う事もあるのです。…言葉だけの御礼ではこちらの気が済まないのです」 少女は居心地悪そうにもじもじして、救いを求めるようにカカシを見る。 「そ…そうなん…ですか…?」 カカシは小さく息をついた。 「まあ…そういう事もありますわね、お嬢さん。……でも、どうしたらいいかしら。…依 頼人の認識と、私が受けた依頼内容に食い違いがあるなんて、困りますわ」 琥珀は、脇に置いてあった手文庫から契約書を出してカカシに示す。 確かに依頼内容は、彼が言っている通りだった。 「そちら様の伝達に何か違いが生じたようですね。……お嬢さんは、私どもが責任もって お宅までお送りします。…ご心配なく」 それとも、と琥珀は心外そうにカカシを見た。 「……こんな田舎の村に、お嬢さんに何か危害を加える者がいるとでもお考えですか?」 カカシは首を振った。 「まさか。…そんな事は申しておりません。…ただ……私の受けた任務内容とそちら様が お持ちの契約内容が違うというのが……困りましたわ…これで戻っては、任務を完遂した ことになりませんから…」 美女の憂い顔に、名主も表情を曇らせた。 「そう仰られても……ああ、そうだ。貴方の所為ではないと、里の方にきちんと一筆書か せて頂きます。…それでよろしいか?」 そこまで言われては、カカシも引くしかなかった。報酬に変更は無いからと頑張っても、 この名主は納得しそうにない。 「……わかりました。では、そういう事でよろしくお願いいたします」 |
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