天よりきたるもの − 18

 

イルカは、八雲が見ていることにまだ気づいていないようだった。駆けて来る子供達の方
に少し屈み、彼らが来るのを待ってやっている。
子供達はイルカの足元まで駆けてくると、口々にわめいた。
「先生、あたし書き取りやったの見てーっ」
「イルカせんせー、オレ、石つぶて十個投げて八個的に当たったよ! もう手裏剣使って
練習してもいいだろ?」
「ばっか、そんなんマグレじゃん。それよりイルカ先生、見て見て! おれ、変化の術で
きるようになったんだっ!」
「うっそだ〜、ユータに変化なんか出来っこないよぉ」
「なんだとーっ」
わあわあと言い合う子供の頭に手を置き、イルカは「こらこら」とたしなめる。
「ケンカすんな! …どれ、見せてごらん。おー、サトは字が上手くなったな。綺麗な字
が書けると、いい事があるぞー。頑張れよ。…ゲン、石つぶて的中率八割は褒めてやる。
でもまだ、手裏剣やクナイの投擲は許可できないな。百個投げて、八十個以上当ててから
だ。それと、ユータ。変化の術は、勝手に練習しちゃいけないって言ったろ? 自分勝手
なやり方を覚えてしまうと、きちんとした変化が出来なくなる。下手したら、元の自分に
戻れなくなるぞ。でも、術を磨こうとした点は認める。偉いぞ。頑張ってるな、お前ら」
イルカは一人ひとりの目を見ながら、頭を撫でてやっていた。
「で、ユータ、どんな変化に成功したんだ?」
「うん、見ててっ! 先生!」
子供は勢い込んで小さな指をくるくると回し、印を結んだ。ポン、と音を立てて白煙が上
がる。
子供の姿が、一瞬にして大人のものになるのを目の当たりにした八雲は、仰天した。
(えええっ…何だ? あれはっ…)
しかしその姿は数秒しかもたず、八雲が眼をこすっているうちに子供は元の姿に戻ってし
まった。
「ふぅん、なるほど。ユータのお父さんに変化したのか。…うん、印自体は間違ってなか
った。けど、途中でちょっと指使いがあやふやになったな。もう一度、ゆっくりやってみ
なさい。チャクラは練らなくてもいい。…………そこだ、止めろ。中指が少し曲がってい
るだろ。そこの印は、キッチリその指を伸ばす。そうそう。適当な印を覚えちゃダメだぞ。
…後は、チャクラ自体がもっと増えれば、もう少し長く変化していられるようになる。で
も、ユータのお父さんにしちゃあ、ちょっと細かったんじゃないか? その術は、変化す
る相手のことをちゃんと把握して、正確なイメージを描けないといけない。でないと、姿
を変えた意味が無いからな。ゲンもサトも、覚えておきなさい」
はぁい、と子供たちは素直に返事をする。
「まだまだ、お前たちはチャクラの練り方と、配分を練習しなきゃな。…実際の術は、そ
れからだ。…でも、先生いつでも教えてやるから、また来いよ」
「うんっ! ありがと先生!」
「オレ、百個投げて百個命中させるまで頑張る!」
「おれもやるっ! ソレ」
「真似っこすんなよ〜」
「いーじゃんか別に〜」
「…だ〜から、ケンカすんな、お前ら。お互い競争相手がいた方が、張り合いがあるぞ? 
ま、頑張れ」
すぐに肩をぶつけていがみ合う子供達をたしなめながら、イルカはす、と視線を八雲の方
に向けた。
「じゃ、先生は仕事だから」
「うん、またね先生」
「ばいばい、イルカせんせ〜」
子供達は手を振りながら駆けていった。子供達を見送ったイルカは八雲にペコリと会釈を
すると、そのまま踵を返した。
「ま、待ってください!」
八雲は慌ててイルカに駆け寄る。イルカは驚いたように立ち止まった。
「………八雲さん、でしたね。…私に何か?」
「今、のは………」
八雲はゴクリと咽喉を鳴らした。
「今のは………何ですか…? 子供の姿が………大人になったのは………」
ああ、とイルカは笑った。
「見ていらしたんですか。あれは、変化の術といいまして……忍術の一種ですよ。一瞬、
自分とは違う姿になって、敵を混乱させるんです。…驚かれましたか? いや、忍の術は、
あまり里の外の人はご存じないですよね。失礼しました」
「………一瞬、ですか? 今みたいに?………」
「そうですね………忍としての力量が上がれば、変化の持続時間も延びますが。子供はま
だ、力が足りないので一瞬変化するので精一杯なんです」
「………イルカさんは…失礼ですが………上忍さん、ですか? 今、子供達は貴方を先生、
と呼んでいましたが」
イルカは苦笑して首を振る。
「…残念ながら、中忍です。私はアカデミーの教師ですから、それで先生、と」
「中忍さん…ですか。その…変化って、何にでも………例えば、男が女に…とか、もなれ
るんですか?」
はあ、とイルカは曖昧に頷いた。
「…やろうと思えば…出来ますが」
「そうですか。…それで、貴方くらいになれば、その変化とやらももっと長く…していら
れるのでしょうね………」
八雲の探るような言葉に、イルカはあっさりと頷いた。
「そりゃあもちろんです。本当の一瞬じゃ、変化の意味ありませんから。…私なら…そう
ですね、数時間くらいなら変化を持続させられるでしょうか。…それが何か?」
数時間、と八雲は口の中で呟いた。
「…もっと長く………一週間とか十日とか………は?」
イルカは首を傾げる。
「石のように動かなければ、あるいは………いや、無理ですね。チャクラが…つまり、ス
タミナが切れますし、集中力もそんなに持ちません。上忍でも、そんなに長くは変化して
いられないですよ」
八雲は肩を落とした。
「そう…ですか。無理、ですか………」
イルカは苦笑して首を傾げる。
「どうなさったんですか? 八雲さん。……長期間、変化が出来る忍者が要り用な事でも
おありなのですか?」
いいえ、と八雲は首を振った。
「すみません。…そんなのじゃ…ないんです。………ただ………」
「ただ?」
八雲は顔を上げる。
「………もしかして………と。………突拍子も無い考えですけど、お笑いにならないでく
ださい。………もしかして、貴方が………『イルカ』さんご本人ではないかと…そう、思
ってしまったのです」
イルカは眼を丸くした。
「はぁ?」
「違いますか? 貴方、うちの村に来てくれたイルカさんじゃ…………」
八雲は自分の言葉を打ち消すように首を振った。
「いや………すみません。………そんなに長く変化はしていられない…のでしたね。……
…でも、あまりにも似ているから………つい」
「俺が…ですか? あの娘さんと?」
「………はい。…雰囲気が………子供に向けた表情が………彼女と重なって………だから、
つい………」
イルカはガリガリ、と頭をかく。
「えーと………八雲さん、まだ彼女には会えてないんです…か?」
八雲は寂しそうな微笑を浮かべて俯いた。
「……ええ。…断られたそうです。………私は……私は、もう一度彼女に取次ぎを頼もう
と思ってここまで来たのですが……正直、今…迷いが生じました。………彼女は、もう私
には会いたくないとハッキリ断っている。……強引に会いに行っても、ご迷惑なだけ……
…ですよね。彼女は私に気を遣って、手紙までくれた。…これで良しとして、退くべきで
しょう」
「………八雲さん………」
ポツリと八雲は呟いた。
「口実なんです」
「………え?」
「御礼もお詫びも、しなければと思ってきました。…それは本当です。………でも……そ
れだけじゃなかった。…こんな私に、彼女が会ってくれるわけがないんです………」
イルカは微かに首を振り、真面目な表情で八雲に向き直った。
「…八雲さん。…再依頼じゃなくて………担当の者に、もう少し貴方のご依頼にお応えす
べく努力するように申し伝えましょう。…あれからまだ三日ですよね。という事は、担当
の忍がその任務を請け負ってから、まだ一日二日でしょう。…職務怠慢です。もう少し、
ご依頼人の要望に沿うよう、努力すべきです。…貴方がまだこの里にご滞在なさる気がお
ありなら、私からその担当の者に掛け合います!」
イルカの真っ直ぐな瞳に、八雲は驚いて瞠目する。

(―――なんて…眼だろう………ああ、この………人は………)

ふ、と八雲は唇を綻ばせ、眼を伏せた。
「………いいえ。…お気持ちはありがたいですが……もう、いいのです。気は済みました。
…あの、これだけ、お願いできますか? 彼女は謝礼を断っていらっしゃいますが、やは
り私どもは、気持ちを形にしてお渡ししたいのです。…これを、彼女に届けてください」
八雲は懐から包みを出して、イルカに手渡した。
「………貴方のおかげで、本当に助かりました。ありがとう、とお伝えください」
イルカは渡された包みを見つめ、頷いた。
「………わかりました。お引き受けしましょう」
八雲はホッとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます。宜しくお願い致します」
「どうぞ、気をつけてお帰りください。また、木ノ葉でお手伝いが出来ることがありまし
たら、いつでもお越しを」
イルカは丁寧に一礼し、八雲に背を向けた。
イルカが数歩離れた時、その背にむかって八雲はいきなり告げる。

「―――好きでした、イルカさん」

イルカは不意打ちをくらったように足を止めた。
足は止めたが、振り返らないその背に向かって八雲は続ける。
「………好きでした。私の傍らに貴方がいてくださる日々を、一瞬夢見た。………でも、
夢は夢でしかなかったのだと、此処へ来てわかりました。………遠くから貴方の幸せを祈
ることだけは、お許しください」
イルカは背を向けたまま、訊ねた。
「………それも、お伝えしますか?」
いいえ、と八雲は首を振る。
「言いたかっただけですから。………聞いてくださってありがとう」

確証は何もなかったが、八雲にはわかってしまったのだ。
自分はもう、此処へ来た目的を既に果たしていたという事を。
変化の術がそれほど長く保てるものではないと聞いても、何故か自分の勘を疑う気になれ
ない。
自分の恋した相手は、幻の少女だった。
大昔の琥珀が恋した『姫神』のように、初めから想いが叶うわけのない相手だったのだ。
だが、『彼女』にこの気持ちを伝えることが出来た。
なら、もう―――………

「………さようなら、イルカさん」
 

      



 

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