天よりきたるもの − 17
数分で受付の忍者―――イルカは戻ってきた。 「大変お待たせしました。…貴方が仰っていた一ヶ月前の依頼の件につきましては、確認 が取れました。確かに、我が里の忍が、捜索依頼のあった少女を見つけ出し、貴方の村に 送り届け、また連れ帰っておりました。…ただ、担当した忍が既に別の任務で里外に出て おりますので、報告書以上の事はわかりません。それと、申し訳ありませんが少女の身元 などにつきましては、ご当人の了承無しに貴方にお教えするわけには参りません。…木ノ 葉の信用問題ですから」 八雲は一瞬途方にくれたような顔をした。 「あの………では、彼女に取次ぎは頼めませんか? ………彼女に会って、話をしたいん です。それだけなんです」 イルカは事務的な口調で訊いた。 「それは、正式な依頼ということでよろしいですか?」 「依頼したら、彼女に会えるのでしょうか」 勢い込む八雲に、イルカは苦笑を浮かべた。 「ご依頼という事であれば、こちらでもお引き合わせする努力は致します。………ですが、 相手がある事ですから、確約は出来かねます。…もしも、先方がどうしても嫌だと仰った ら、無理に貴方に会わせるわけにもいきません」 八雲は数秒考えてから顔を上げた。ここで帰るわけにはいかない。 「………はい。それでも構いません。お願い、致します」 「では、こちらへご署名をお願い致します。ご逗留先もご記入ください。ご依頼の結果は、 そちらに届けるように致します。…それと、申し訳ございませんが、里への依頼は原則的 に受付順に処理されます。何日かお待ちいただくかもしれませんが、ご了承ください」 「はい」 八雲が書類に名前を書いていると、受付カウンターの中へ慌ただしく別の忍者が入って来 た。 「すまん、イルカ。遅くなった! 交代するよ」 その声に八雲は顔をあげる。 「…イルカ?」 あ、とイルカは声を上げ、照れたような顔をした。 「………はい。私もイルカ、と申します。…女性特有の名前ではないですから…」 「あの………木ノ葉には、イルカさんというお名前は多いのですか………?」 どうでしょうね、とイルカは首を傾げた。 「少なくとも、私の周囲にはおりませんね。…珍しい名ではありませんが、多いと言うこ とも無いかと」 八雲はじっとイルカの顔を見つめた。 「………そう………いえば、貴方…少し、彼女に似ているような…気がします。貴方が彼 女のお兄さんだと言われれば、すぐに納得しそうな………」 イルカは首を傾げ、指であごを撫でた。 「…そうですか? う〜ん、雑誌の写真を拝見した限りだと、自分に似ているとは思いま せんでしたが………はは、あんな妹がいたらいいでしょうね。……さて、ご署名は済みま したか? では、ご逗留先でお待ちください。少々の外出はなさっても問題ありませんよ。 先方が貴方と会う、と仰った場合は、絶対にお引き合わせいたしますから」 イルカが八雲相手に『受付担当の忍』をやっているのを資料室の扉の陰で聞きながら、カ カシはヤレヤレというように肩を竦めていた。 (八雲さんもかーわいそうにね〜え。………アンタ、逢いたい人にはもう逢っているのに。 まさか目の前の男が、あの可愛い娘だったなんて思わないよねえ………) 既に結果はわかっている。 彼は、『彼女』には逢えない。―――もう、二度と。 自分達の『嘘と都合』のツケを彼に払わせることに、イルカもカカシも良心の痛みを覚え ていた。 八雲が『依頼』をしてから三日後。 彼の逗留している宿に、一人の若い忍が訪ねてきた。 知らせを受けた八雲は慌てて部屋から飛び出し、宿の玄関先に出て頭を下げる。 「どうも、この度はお世話になります。私が八雲です!」 「あー、初めまして。お待たせして申し訳ありませんでした。私、貴方のご依頼を担当致 しました、ハタと申しますー」 「ハタさんですかっ! よろしくお願い致します。……あの、早速ですが………」 ハタと名乗った忍は、気の毒そうに首を振った。 「えー、申し訳ありません。…イルカさんには、再三お願いに行ったのですが………どう しても貴方とは会えないと言うんですよね。………何か酷く怯えていて、貴方の村から帰 ってからは、家から一歩も出ない状態が続いているようでぇ………ええと、こんな事聞い たらマズイかもしれませんが、貴方、あのヒトに何かしたんですかぁ?」 八雲はガックリと肩を落とした。 「そ………そうですか………私は何もしていな………いや、何も出来なかったからいけな かったのですね。………私は、護衛として同行しながら、彼女を守れなかった。彼女を怖 い目に遭わせてしまった。………会いたくないと言われても当然ですね………」 え〜とぉ、とまだ年若い、子供のような忍は頭をかいた。 「………何があったんだか知りませんけどぉ………おれ…いえ、私は、貴方が会ってお礼 と謝罪をしたいだけなんだってちゃんと伝えましたよ? 何回も。…イルカさん、貴方に 謝っていましたけど。会えなくてごめんなさい。勇気がなくてごめんなさいって」 そんな、と八雲は首を振る。 「彼女が謝ることなんて一つも無いんだ………」 「えーと、そういうわけで申し訳ないんですが、木ノ葉としてはこれ以上、あのヒトに無 理は言えないんですねー。………ご了承頂けますか? あの、結果的にご依頼は半分しか 果たせませんでしたから、ご依頼料も半分で結構ですからぁ」 ハタは懐から手紙を引っ張り出して、八雲に渡した。 「そんでですね、イルカさんから書簡をお預かりしています。…どうぞ」 八雲は震える手で手紙を受け取り、その場で開いた。 『八雲様 村ではお世話になりました。 貴方にご挨拶もせずに失礼してしまったこと、申し訳なく思っております。 また、せっかく訪ねてくださいましたのに、お会いする勇気のない私をお赦しください。 お祭りの時にあったあの事に関して、八雲さんは気になさっているかもしれませんが、ど うかお気になさいませんよう。 貴方が私を守ってくださろうとしたのは、わかっております。あれは、誰にもどうしよう もなかったのです。私は、どなたも恨んではおりません。 でも、あの時の事を思いだすと、恐ろしくて恐ろしくて、今でも体が震えるのです。 貴方にお会いすれば、また否応無く思い出してしまうでしょう。取り乱したお恥ずかしい 姿を、貴方にお見せしたくはありません。 最初の時に申し上げましたとおり、私は御礼など望んではいないのです。 お気持ちだけ、受け取りたいと思います。 琥珀様、お世話くださった方々にも宜しくお伝えくださいませ。 あの美しい村が、ずっと平穏でありますよう、私も遠くからお祈りしております。 八雲様、お帰りの道中、どうぞお気をつけください。 貴方のご親切は忘れません。 イルカ』 「………イルカさん………っ………」 八雲は手紙を握りしめた。 「ハ…ハタさん、でしたね。………どうしても、どうしてもダメなんですかっ? もう一 度、彼女に頼めませんか………っ」 ハタはう〜ん、と唸った。 「………あの様子じゃねえ…書簡をお届けしただけでカンベンしてはもらえませんかぁ? その書簡を貴方にお渡しした時点でぇ、私の任務は一応終了なんですよね〜」 「わかりました。ありがとうございました」 八雲はハタに頭を下げるなり、外に走り出た。おそらくはもう一度、任務受付所に向かう のだろう。それとも、自力でイルカを捜しだすつもりなのか。 やる気のなさそうな忍者にさっさと見切りをつけ、次の行動に移る切り替えの速さは、さ すがに次期名主に選ばれた男だった。 その背中を見送りながら、『ハタ』はふうぅ、とため息をついて肩を竦める。 「………だーから言ったでショ、イルカ先生。………あの兄ちゃん、情熱的ですねって。 あんな手紙一つで簡単に諦めて帰ってくれるわけ、ないんですよ………」 諦めたくない。 せめて、もう一度彼女の顔が見たい。 その思いだけで、八雲は走った。 玻璃には―――いや、他のどの女性にも抱いたことの無い感情だった。 時が来るのを待てばイルカも落ち着いて、自分と会ってくれるかもしれない。だが、それ はいつだ? 一年先か、二年先か。―――それとも、もっともっと先か。 山賊に誘拐されたおぞましい記憶は、いつまで彼女を苦しめるだろう。 無理に会えば、更に彼女を苦しめる結果になるのだと自分に言い聞かせようとするそばか ら、今を逃せばもう永遠に彼女に会えないかもしれないという焦燥感が八雲を襲う。 一気に街を駆け抜け、三日前に訪れた建物を前に、八雲は乱れた呼吸を落ち着けた。 (………イルカさん………) 何故、祭りの前に彼女の連絡先くらい聞いておかなかったのだろう。 いや、あんな事になるなんて、思ってもみなかったのだ。 祭りが終わったら、緊張から解放された彼女を労わり、彼女のおかげでどんなに村が助か ったかを伝え、感謝の意を示し。 そして、『イルカ』に戻った彼女に、自分の気持ちを伝えようと思っていた。 八雲ももう、玻璃と結婚する気などなくなっていたのだ。 琥珀を助けていくことに躊躇いは無く、村に貢献できることは八雲にとって喜びでもあっ たが、名主になる事には執着していなかったから。 彼女が『琥珀』の古い血を引く娘であることも、八雲には運命のように思えてしまった。 村の為に働く自分の傍らに、控えめで気立てが良く、可愛い彼女がいてくれたら、どんな にいいか。 はっきりと気持ちを告げ、村に―――自分の所に嫁に来て欲しいと頼むつもりだった。 イルカにもう、恋人がいたら諦めるしかないし、十六、七の少女の眼に二十五を過ぎた自 分がどう映るか考えると、随分と過ぎた望みだとは思った。 だが、何も言わずに諦めるのだけは嫌だったのだ。 彼女のはにかんだような笑顔、物柔らかな話し方を思い出すだけで鼓動が早くなる。 こんなに好きだったのかと、彼女が去ってしまって初めて気づいた。 こめかみから伝い落ちる汗を手の甲で拭い、八雲は静かに深呼吸する。 もう一度里に頼んでもダメだったら、自分の足で探そう。 そう決めて顔を上げた時、視界の隅を横切った人影に気を取られた。 (あ…あの人は………) 三日前に受付で依頼手続きをしてくれた忍者。 顔の真ん中に大きな傷跡があったが、怖いとは思わなかった。彼が穏やかな眼をしていて、 話し方も丁寧だったからだろうか。不思議と話していて安心感のある人だった。 (………イルカ…さん………) 真面目そうな人だと思った。彼なら、もう一度話せば、頼みを聞いてくれるかもしれない。 それに、彼の名前が彼女と同じだったのも、ひとつの縁ではあるまいか。 声を掛けるには少し遠い距離だった。駆け寄って挨拶しようか、でも任務依頼所を通さず 話をするのは失礼だろうかと八雲が迷っていると、イルカがふと足を止めた。 「イルカせんせーい!」 見れば、小さな子供が数人、彼の方へ駆けて来る。あの子達の為に立ち止まったのであろ う。 (…………?!) 八雲は目を瞬かせる。 ――― 一瞬の既視感。 自分は、あの表情を見たことがある。 似ている、と思ったが、やはり彼はあの少女に似てはいないか。 庭先に降りて来た小鳥や、使用人が拾ってきた子猫を見て、彼女が浮かべた表情にそっく りだ。 自分より小さな生き物に向ける、慈愛の眼差し。口元を綻ばせる優しい笑み。 「………そう、か………」 顔かたちより、持っている雰囲気が似ているのだ。 あの少女と、目の前にいる青年は。 八雲は立ち止まったまま、『イルカ』を見つめた。 |
◆
◆
◆