天よりきたるもの − 16
整理番号の札を手に持って、大人しく順番が来るのを待っていた青年は、ようやく自分の 番号を呼ばれて立ち上がった。 おずおずと物慣れぬ様子でカウンターに近づいた青年に、彼と同年輩の忍者はにこやかに 声を掛ける。 「お待たせしました。ようこそ、木ノ葉へ。どうぞ、お掛けください。どのようなご依頼 でしょうか」 椅子を勧められた青年は、遠慮がちに腰をおろした。 「あの…人を捜しています。………ここに来れば、わかると思ったのです」 「わかる、ですか? 失礼ですが、貴方のお名前からお伺いしてよろしいでしょうか」 「あ…すみません。私は、八雲と申します。…七つ八つの八、に空の雲、です」 受付係りの忍者は、依頼用の受付用紙にすらすらと書き込む。 「何処からおいでになりました?」 「石幸村という火の国のはずれの田舎の村です。石に幸せ、と書きます」 「石幸村、と。………で、ご依頼ですが、どなたをお捜しでしょうか。お名前や顔写真な ど、手掛かりになるものは?」 青年は、手荷物から雑誌を引っ張り出し、あるグラビアページを開いて受付の忍者に示し た。 「ここに載っている…このお嬢さんです。名前は、イルカさんといいます」 忍者は雑誌を一瞥して顔を上げた。 「そこまでおわかりなら、隠れ里にご依頼にならなくてもこの雑誌の出版元に問い合わせ ればよろしいのでは? 里にご依頼になりますと、依頼料がかかりますよ?」 八雲は悲しげに首を振った。 「…そのお嬢さんは可愛らしい方ですが、雑誌のモデルさんではないんです。…ほら、こ れは素人カメラマンの投稿ページなんですよ。…つまり、盗み撮りなんです」 「………それは………出版元に聞いてもわかりませんねえ。…でも、貴方はこの娘さんの お名前を知っていらっしゃる。…雑誌で見ただけではない、と言う事ですか?」 はい、と八雲は頷いた。 「この里で、わかるはずなんです。…イルカさんを見つけて、私の村に連れてきてくれた のは、この木ノ葉の忍者だったんですから…!」 「何か事情がおありのようですね。差し支えなければお話ください」 「…はい。………実は―――」 八雲は、自分の村の事情と、神事に外部の人間を呼ばなければならなくなった経緯を語っ た。 「………本当に、イルカさんには申し訳ないことをしてしまったんです。改めてお詫びと お礼をしなければと思っておりましたのに、彼女は私が留守の間に帰ってしまっていたの です。………私の主人である名主も、心労と疲労で床についておりまして、彼女に渡すは ずだった御礼を渡しそびれてしまった事を、大層気にかけておりまして………」 忍者は、用紙に話の要点だけ書き記していく。 「その任務を請け負った忍者は確かに木ノ葉の者でしたか? 名を名乗りましたか?」 八雲は首を振る。 「………いえ………お聞きした……ような気もするんですが………記憶が曖昧で。とても 綺麗な女性だった気がするんですが、何故かお顔もハッキリとは思い出せないんです」 すみません、と八雲は項垂れた。 「…えーと、それではですね、最初の依頼にいらしたのは、いつ頃の事ですか? 記録を 調べれば、どの忍者が担当した任務かわかるはずですので」 「…最初にこちらにお願いしたのは、一ヶ月近く前だと思います」 受付の忍者は書類を手に立ち上がった。 「ではこのまま、少々お待ちください。調べて参ります」 八雲は、奥の部屋に入っていく忍者の背中を見送った。 自首した形の玻璃に付き添った八雲は、彼女が取調べを受けている間、村へは帰らなかっ た。娘の身を案じている琥珀の為にも、彼女がどうなるか、それを見届けてからでないと 帰れなかったのだ。 誘拐罪は重い。犯行の一味と見做されれば、決して軽い処罰では済まされない。 だが玻璃が罪を犯していたという自覚に乏しかった事、実際に手を下した盗賊とは関わり が無かった事、また大きな村の名主の娘である事も無論考慮されたので、おそらくは軽い 処罰で済みそうだとわかり―――やっと八雲は琥珀の元へ戻る事が出来たのだった。 しかし、彼が戻った時、既にイルカはいなかった。 『姫神』が抜けてから二日間意識を無くして眠っていたイルカは、目覚めた途端に家に帰 りたがり、付き添いのくノ一を急かしてその日の内に出立してしまったのだという。 屋敷の者は、せめて琥珀が目覚めるまで待って欲しいとと引き止めようとしたのだが、彼 女は「早く帰りたい」と付き添いのくノ一に泣いて懇願したので、彼女を宥めようとした くノ一も折れた―――という話だった。 無理も無い、と八雲は肩を落とす。 何かから逃げるように村を去ったという少女。 盗賊に誘拐されただけでも彼女にはショックだったはずだ。さぞ、恐ろしかっただろう。 その上、姫神に憑依されるなどという非現実的な体験をさせられて、きっと彼女にとって、 あの村は一秒でも長居をしたくない『恐ろしい場所』になってしまったのだ。 (………イルカさん………貴方に、謝りたかった………お礼も言いたかった。………そし て………また村に来て欲しいと………そう言うつもりだったのに………) いや、諦めるわけにはいかない、と八雲は膝の上で拳を握りしめた。何の為にここまで来 たのか。 何としても、もう一度彼女に逢って―――そして、言わなければ。 一方、資料保管室に入ったイルカは、思わず大きな息をついてしまった。 (………うお〜驚いた。…まさか、八雲さんが追いかけて来るとは思わんかった………) 八雲と顔を合わせるのを避ける為に、一芝居打ってまで急いで村を出たのに。 (さて、どー誤魔化すかな〜………) 「や〜、結構情熱的なにーちゃんですねえ。………アナタ追いかけて木ノ葉まで」 「………いらしてたんですか、カカシ先生」 いきなり背後から掛けられた声にも動じず、イルカは振り返った。 カカシが前触れも無くわいて出るのには、もう慣れっこだ。 「…大門の所でね、彼を見かけたんで。………ちょっと気になったものですから」 「そうですか。………あの、やっぱり何とか誤魔化して、お帰り願うしかないですよね」 カカシは、ん〜、と首を傾げた。 「イルカ先生がもう一度あの姿に変化して、あの野郎をバッチリ完膚なきまでに振り倒せ ばいいだけじゃないですか?」 どう見ても、八雲は『イルカ』に気があるように見えた。ここまで彼女を追ってきたのも、 単に礼をするだけが目的ではあるまい。 イルカは拳を唇の下にあててため息をついた。 「や………仮に彼が俺……いや、『彼女』に気があるのだとしても。……俺には出来ません よ、そんな真似。あまりに気の毒で。…同じ男として、彼には同情していましてね……… 色々と」 「まあねえ………今更あのお嬢さんと結婚とか、もー出来る感じじゃないしねえ。個人的 に振ったの振られたのって問題じゃなくなってるか。…彼にしたら………いや、あの村に とって、『琥珀』の血を引く娘を外から迎えられるなんて、願ったり叶ったりなワケだし。 下手すりゃ村を上げて嫁取りに来かねないかも」 「………恐ろしい展開ですね」 「嫁に行ってもアナタ、子供産めないのにね」 そう言ってから、カカシは棚に寄りかかって胸を押えた。 「………あう。アナタの花嫁姿を想像しただけで…む、胸がイタイ………」 イルカは冷ややかな眼で恋人を眺めた。 「誰が花嫁ですか。…ったく、お一人で無駄な所を突っ走ってないで、その脳みそを現実 的な問題の方に回してください」 イルカは一応記録を調べ、自分達が受けた任務のファイルを見つけ出した。任務完了の認 め印は三代目が押している。 「………これですね。ランクはBですか。護衛だけならCですけどね。………盗賊退治が、 依頼に含まれたってことですか?」 「ええ、まあ。…口頭ですが、あれは一応向こうにお願いされたカタチですから」 書類には、カカシの名しかない。イルカは、火影の特命を受けた形なので公の記録には残 らないのだ。カカシが一人で捜索依頼のあった少女を見つけ出し、依頼人の村まで送り、 連れて戻ったとある。 誘拐事件については、カカシの報告を受けて別項目で記載されていた。 イルカ自身はその間、『火影の使い』として里外に出ていた事になっている。 ふ、とイルカは息をついた。 「………嘘だらけですね、この任務」 記録が曖昧なら、任務の中味も嘘だらけ。おまけに依頼人をある意味欺いている。 依頼人の要望にはきちんと応えているので、任務として『成功』したと見做されているだ けだ。 「で〜もぉ………本当の事、記録に残ってもいいんですか?」 イルカは顔を顰めた。 「…………いや、あまり歓迎しませんねえ…それは………」 シロウトに変化した姿を盗み撮りされた(しかもそれが雑誌に載ってしまった)だけでも、 イルカにとって恥ずかしい事だったのだ。それを公式記録に残さないでくれたのは、三代 目の思いやりとも言える。 イルカは記録を改めて見た。 「やはりこれ、『捜し人を発見後、依頼人の目的を了承させた後に捜し人を依頼人の下まで 送り届け、目的を果たした後に無事に連れ帰ること。』が当初の任務内容だったんですね。 ……例の依頼内容の食い違いについてはわかったんですか?」 カカシは一瞬、苦々しげに顔をしかめて頷いた。あれのおかげで、イルカを護り損なった も同然なのだ。思い出しただけでカカシの気分は悪くなる。 「………ああ、それね。……それもお嬢様とその恋人の仕業だったんです。どういう経路 でか、琥珀さん思いの使用人が木ノ葉に巫女の身代わり捜しの依頼に行った事がわかって、 彼女達は慌てたんですよ。身代わりなんかに来られたら、計画が上手くいかない、とね。 ……でも、怖くて忍者……つまり、オレ達にはちょっかいが出せなかった。だから、邪魔 な忍者だけでも排除しておこうとして、コッソリ屋敷に忍び込み、依頼内容を書き換えた んだそうです。…ここら辺、妙にアタマが回るというか小器用というか、最初の依頼内容 控えに上手いこと一行書き加えるだけで、オレの任務を片道だけのものにしてしまったん ですよ。筆跡も上手く似せていましたしね」 へえ、とイルカは暢気にも感心したような相槌を打った。 「あの屋敷にコッソリ忍び込んだってのも、忍者顔負けですね」 カカシはいやいや、と首を振った。 「そりゃお嬢様がいたからですよ。…古い家でしょう? 琥珀さんですら把握していなか った抜け道があったんです。お嬢様は子供の頃に偶然ソレを発見して、以来屋敷を抜け出 して遊びに行くのにご使用なさっていた、と」 「………お転婆なお嬢様ですねえ。………琥珀さんも大変だ………」 「琥珀さんはね、どんなにお嬢様がお転婆で考えナシな娘でも、娘は娘です。…可愛いで しょう。でもね、八雲さんや、他の使用人は違う。見た目は似ていても、中身は正反対の 女の子を見てしまった。大人しくて、人を思いやれる気立てのいいコをね。………そして、 お嬢様との婚約は解消したけれど次期当主には決定している男が、ここまでその女の子を 追いかけてきたってワケで」 イルカはファイルを元に戻しながら嘆息した。 「あー、そうでした、それが本題です。……どうしましょう。何かいい手はないですかね」 「…えー、手っ取り早いのは、イルカちゃんのコトをお忘れ頂く事ですかね…?」 記憶の強制消去。 確かに、手っ取り早い。 「………そりゃ、忘れてくれればこっちには都合がいいですけど………でも、あまり気乗 りはしませんね。…相手は一般の方ですから、記憶操作は極力避けたい。……しかも貴方、 既に一度彼に何かしているでしょう?」 う、とカカシは呻いた。心当たりがあるのだろう。 「………八雲さん、『イルカ』に付き添ってきたくノ一の事をよく覚えていませんでした。 貴方、あの時名主さんにアッサリと本名を名乗ったんでおかしいな、と思っていたら…… …最初から、仕掛けをしていたんですね?」 「ええと…………ちょっとハデ…というか印象的というか…な女に変化していたので〜… 出来たらオレの顔ごと記憶を曖昧にしちゃいたかったもんで〜」 てへっとカカシは誤魔化し笑い。 「………やっぱ、マズかった?」 「てへっ…じゃないでしょ。…ああもう、やっちまったモンは仕方ないですけど。……… 立て続けの一般人の記憶操作はまずいですよ。ましてや、依頼人にそういうことすると、 後でバレたら始末書ですよ。怒られますよ。減棒に超過任務ですよ」 ううう、と唸ったカカシは上目遣いにイルカを見上げた。 「そんな念入りに脅さなくても、もうやりませんからぁ………わかりました。じゃあ、ヘ タな小細工はやめて、まともに対応しましょう。それしかないです。………取りあえず、 八雲さんの希望を依頼として一旦は受ける。そして、2、3日置いてからイルカちゃんと は会わずに帰って頂くように説得するって方向で。オレも、責任とって協力致します」 ええ、とイルカは頷いた。 「………仕方ないですよね。………『イルカ』なんていう女の子はいないんですから」 |
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