天よりきたるもの − 11
七班と十班の子供達(+パックン)に捕縛した誘拐一味の厳重なる監視を命じ、カカシは アスマと共に『巫女』を儀式の場に送り届ける為に、山の中をひた走る。 丸二日、飲み食いしていなくて体力が落ちている上、少女の姿のイルカが自分で走るより は、アスマが抱えて走った方が速い。儀式が行われる場所を知るカカシが走るのに邪魔な 枝などの障害物を切り払いながら先導し、肩に担ぐようにイルカを抱えたアスマがその後 に続いた。 「舌噛むんじゃねーぞ、イルカ!」 「はいっ」 風景が後ろに飛んでいくのを見ながら、イルカはアスマの負担にならないように重心を移 動させ、しっかりとしがみつく。アスマの危なげの無い走りと、がっしりとした体躯が頼 もしかった。 カカシは無事だったし、アスマ達十斑や七班の子供達が応援に来てくれている。 とんだアクシデントもあったが、これで自分が『巫女』の役目さえ果たせれば、明日には 皆で帰路につける―――そう、イルカは思った。 イルカだけではない。カカシもそう思っていた。 もうすぐ、終わると。 ◆ 独特の緩急をつけた音が山に響いていた。祭りのお囃子だ。 神降ろしの儀式は、山中の滝の前に祭壇を設けて行われる。 村人が見守る中、儀式は始まっていた。 先ずは、村の中から選ばれた十二歳前後の少女達が、姫神に感謝の舞を捧げる。 琥珀はぴんと背筋を伸ばし、それを見守っていた。 舞が終わったら、村の青年達が捧げ物を滝の前に供え―――そして、名主が祝詞を詠唱し、 最後に巫女の出番となる。 先程、犬が一匹現われて、カカシからの手紙を琥珀に届けてくれた。 巫女の救出に成功、こちらに向かっているとの知らせに琥珀は安堵したが、内心の焦りと 不安は拭い去れない。 あの少女の無事な姿を見るまでは――― そこへ、険しい表情の八雲が小走りにやってきて、琥珀に耳打ちした。 琥珀の表情が微かに変わる。 彼は村人に不審がられないようにさりげなく立ちあがり、落ち着いた足取りでその場を離 れた。さも、儀式の段取り通り、というように。 潔斎の為に設けられた小屋は、巫女の控え部屋でもある。琥珀は急いでそこへ向かった。 半信半疑で小屋の扉を開けると、そこには複雑そうな表情の女達に衣裳を調えさせている 少女が立っていた。 「…………玻璃、お前………」 少女は振り返り、薄っすらと笑った。 「お父様。…ご心配かけてしまってごめんなさいね。でも間に合ったからいいわよね」 娘と逃げた男が、すました顔で部屋の隅に座っているのが眼に映り、琥珀は奥歯を噛み締 めた。 「………どういうつもりだ、玻璃」 「どうって………お父様、あたしがいなきゃ困るんでしょ? 巫女が要るんでしょ? だ から帰ってきてあげたんじゃない」 玻璃はチラリと恋人に目をやった。 「巫女をやってあげるわ。…その代わり、八雲なんかとの婚約は解消させて頂戴。あたし、 その人と結婚したいの。…その人も、うちの入り婿になってくれるって言ってるし。ね、 お父様」 その条件を呑まなければ巫女役はしない、と親を脅す娘の言葉に、琥珀の胸の中は苦い思 いで一杯になった。この条件を自分に承諾させる為に、この娘はぎりぎりまで行方をくら ませていたのだろう。 その所為で、『困っている人が助かるなら』と遠くから来てくれたよそ様の娘を、誘拐など という恐ろしい目に遭わせてしまった。 だが、巫女役は一族の血を引いた娘の方がいいに決まっている―――琥珀は心の中でイル カに謝りながら、娘を睨みつけた。 「………お前に、巫女が出来るのか。………その身に穢れは無いのか?」 「やあね、お父様。………大丈夫よ。あたし、処女だから。書置きにソレっぽい事書いち ゃったのは、家出にもっともらしい理由がなきゃおかしいかなって思っただけ」 悪びれもせずにそう言ってのけ、玻璃は人を小馬鹿にした笑みを浮かべる。 「あたしは、そう簡単に男に肌を許したりしないわ。…唇程度なら、穢れたとは言わない でしょう?」 琥珀は眉間に皺を刻み、苦々しげに言葉を搾り出した。 「………………お前の言い分は、儀式の後で聞く。………その気でのこのこと戻って来た のなら、自分の役目をきっちりと果たせ」 滝つぼの前に設えられた祭壇で、琥珀は祝詞を読み上げる。 遥か高みから降り注ぐ滝の音とあいまって、清浄な空気を醸し出していた。 村人は手を合わせ、一心に祈る。 今年こそ、竜神さまのご託宣とご加護を。 村に、豊穣と安寧を。 祝詞が終わり、シャーン、と高い鈴の音が響いた。 巫女が姿を現す合図だ。 しずしずと出てきた玻璃が、祭壇に昇る階段に足を掛けた時。 「お届けもんだぜ、名主さん」 空から声が降ってきた。 驚いて琥珀が声の方を振り仰ぐと、大柄な男が白い着物の少女を抱えて祭壇の欄干に降り 立ったところだった。美貌のくノ一も一緒に舞い降りる。 「遅くなりまして申し訳ありません、琥珀様。お嬢様はこのとおり、無事取り戻して参り ました」 琥珀が答えるより早く、祭壇の袖から声が上がった。 「その子はお嬢様じゃないわ。…あたしが、玻璃よ」 村人が一斉にざわめいた。 「………何だ?」 「どうなっているんだ」 「玻璃さまが二人………?」 玻璃は不快げにイルカを睨んだ。 「貴方の出番は無いわ。巫女はあたしよ。…偽者は引っ込んでて」 カカシは横目で名主を見る。 「………どういう事ですの?」 琥珀は大きくため息をついた。 「……………すまぬ。つい先刻、娘が戻ったのだ。………儀式の直前に………」 あらあら、とカカシは肩を竦める。 「じゃ、こっちのお嬢さんはもう用ナシってわけですのね。申し訳ありませんわね、儀式 の邪魔をしてしまって。…急いで間に合わせようと思って、直接祭壇に来てしまったのは 間違いでしたわ」 琥珀はイルカに向かって頭を下げた。 「………とんでもない目に遭わせてしまって…どうお詫びしていいものかわかりません。 その上、こんな………」 アスマの肩から降りたイルカは首を振った。 「いいえ。この通り無事ですので………どうぞ、儀式をお続けになってください。…私は もう、失礼しますから。………帰りましょう、カカシさん」 その言葉に慌てたのは八雲だった。 「そんな…っ! いけませんっ!」 玻璃の身代わりに誘拐までされてしまったイルカを、このまま帰すことなど出来ない。 野卑な盗賊達に誘拐され、どんなに恐ろしい思いをしたことだろう。白い顔はやつれ、裂 けた着物の裾からのぞく足首には縄の跡が痣になっていて痛々しい。 そんな目に遭わされたのに、肝心な場で偽者呼ばわりされ、いらないと言われた彼女はど んなに傷ついたことだろう。裏切られた形の彼女が、「帰る」と言うのも無理は無い。 謝らなければ。誠心誠意謝って、償いをしなくては。 このままでは、カカシの仲間らしいあの大きな男がまたイルカを抱いて、どこかへ消えて しまう―――八雲は焦って祭壇へ駆け上がり、少女の手を引いた。 「あ」 足元が覚束ないイルカは、簡単にバランスを崩してよろける。 転倒を避ける為に反射的に伸ばした足の先には、方陣があった。 神降ろしの儀式の為に祭壇に描かれていた方陣だ。 その中にイルカのつま先が触れた―――瞬間。 方陣が閃光を発して、祭壇全体がまばゆい光に包まれる。 「きゃあっ!」 「う…っ」 玻璃は眼を覆って蹲り、琥珀達も―――いや、カカシやアスマですら一瞬何が起きたのか わからず、ただ己の眼を庇うしか出来なかった。 閃光が収まった気配に、人々は恐る恐る眼を開ける。 神に捧げられた供え物の前で、白い着物の少女が供物のひとつを手に取り、しげしげとそ れを眺めていた。 「………イル…カさん………?」 琥珀は、やっとの事で少女に声を掛けた。その声に、少女は無表情に振り返る。 「………………あまり作物の出来が良くないようじゃの、琥珀」 イルカの声ではなかった。 もっと低い、妖艶ささえ感じられる年齢不詳の女性の声。 「……だが、今年の巫は良い。…このような器は久々じゃ。ここしばらく、声を届けるに も難儀するような形だけの巫女が続いておって、落胆しておったのじゃが。ここまで気の 修練を積んでおるとは、感心な事よ」 琥珀は驚愕に声を震わせた。 「ひ、姫神………様…?」 少女は、手にしていた芋を供物台に戻して微笑む。その笑みは、内気な少女がはにかみな がら浮かべていたそれとは全く異なる、妖しいものだった。 「左様じゃ。何をそんなに驚いておる。…託宣を授けると約した祭りの日に正式な祝詞を 聞き届けたゆえ、わしは………」 「嘘よッ!」 彼女の声を遮るように、玻璃が叫んだ。 「その子、お芝居をしているのよ! 姫神様が降りたフリなんかして、バカみたい。今の 光だって、雇った忍者に何か細工でもさせたんじゃないの? 巫女は、私達の家の血筋の 清らかな乙女だって決まっているのよ。あんた、赤の他人でしょう? おまけに盗賊なん かに二晩も誘拐されて、清らかなワケわけないじゃないっ」 琥珀が顔色を変えた。 衆目の場で、自分と同じような若い娘に向かって何と惨いことを言うのか。あまりにも 思いやりが無い。 「玻璃ッ……言って良い事と悪い事があるぞっ!」 八雲も顔色を変え、声を震わせた。 「………今、此処へ到着されたばかりのはずの貴方が…何故知っているんです。……彼女 が三日前に盗賊に誘拐されていた事を………」 玻璃は、ハッと口を押さえた。 「そ……それは…………」 「そ〜れは〜だな〜ぁ」 間延びした声が何処からか聞こえた。次いで、木の枝からぽーんと飛び降りてきた少年が、 ニンマリと笑う。 「このオッサンが知ってるってばよ」 「………ナルト?」 ナルトが降りてきたのと同じ枝から、男が飛び降りてきた。先刻カカシが倒してきた、盗 賊に加担していた忍だった。 「カカシせんせー、ビックリニュースだってばよ! このオッサンさー、お仲間だったん だって。…木ノ葉のさ」 カカシは胡散臭そうに男を見た。 「……………マジ?」 「マジマジ。サクラちゃんやシカマルが、木ノ葉の同士符牒で確かめたんだってば。あい つらんトコにいたのは、潜入捜査っての? 任務だってさ。…な?」 「特別上忍、ヒダネと申します。………はたけ上忍だったのですか。道理でお強いはずで すね」 ヒダネは、カカシを頭からつま先まで眺めて苦笑した。 「…いや、それにしてもお見事な………」 カカシは赤くなった。 「黙れ。里に帰ったらオレのこの姿は忘れろ。………で? アンタあの誘拐事件の何を知 っているっての?」 「………その件については後でもよろしいのではないでしょうか。私が保証致しますが、 彼女の貞操は無事です。盗賊どもに不埒な真似はさせませんでしたから。…今は、神事を 執り行う方が先でしょう。神降ろしの儀式の場をこれ以上乱しては―――」 ヒダネの言葉を遮ったのは、イルカに降りた姫神だった。 「それはもう良いのじゃ。…わしがこの憑巫に降りたところで儀式は終わったも同じ。 ………そこな娘が、この憑巫となった者は赤の他人だと言うたな? それは誤りじゃ。 この者、その昔わしが契約した男の血を引いておるぞ。…でなければ、わしがこのように 降りることなど適わぬ」 琥珀と八雲の眼が驚愕に見開かれる。 いやでも実はソレ男なんですけど〜、と心の中でツッコミを入れたのはカカシとアスマだ けであった。血筋以前の問題なのだが、姿かたちが女ならいいのだろうか。 神様って案外アバウト………と、カカシは投げやりにため息をつく。 姫神は祭壇から、事態について来られず呆然としている村人に向かって声を投げた。 「不作にめげず、よう辛抱したのう、皆。………村の東の外れに、他とは違う色の木があ るじゃろう。その周囲を掘ってみるがいい。新しい水が沸くぞ。その水を田畑に引けば、 次の実りは良いものになろう」 おお、と村人がどよめいた。 「しかし……玻璃お嬢さんに似とるが見たことのない娘だぞ。…本当に巫女さんなのか?」 「なんか、着物も破れとるし、裸足だし………めんこい嬢ちゃんだがなぁ」 「……でも、琥珀様が頭を下げとるぞ? やっぱり巫女さんなんじゃろう」 「そうよ、別に玻璃さんじゃなくてもいいわよ。琥珀様が認めていなさるんだから」 名主が黙って頭を下げているのだから、これが巫女による『ご託宣』なのだ。 その場にいた村人達の多くが、十四年前、更に前の二十一年前の『神降ろし』を覚えてい た。 名主の祝詞の後、祭壇に上がった巫女が更に『姫神』に祈りの言葉を唱える。そして唱え ているうちに巫女は軽い酩酊状態に陥っていき、その口から『神の言葉』がうわ言のよう に零れ落ちる、というのが過去行われてきた『神降ろし』だった。 巫女によっては、酩酊状態から覚めてから『頭の中で聞こえた神様の声』を曖昧に語る場 合もある。 それを考えると、今行われた『託宣』は異様だ。 姫神が巫女となった少女の身体に乗り移り、その口を借りてハッキリと話し、手足をも自 由に動かすなど、本来なら有り得ない話だった。 だが、村人はそれを凶兆ではなく、吉兆だととらえた。 きっと、滅多には拝めない『神降ろし』を見たのだ、と。 村人は顔を見合わせ、そう結論付けた。一斉に祭壇に頭を下げる。 「ありがとうございます、姫神さま! 仰せの通りに致します!」 神降ろしが成った。どんな形であれ、竜神の託宣は下されたのだ。これで村は救われる。 村人にとって肝心なのは、それだけであった。 ふふ、と少女は笑った。 「……それにしても、このような器を用意するとはのう。………かなり変則的だが、面白 い解釈をしたものよ」 |
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