天よりきたるもの − 12
『託宣』を終えた姫神は、さっさと憑巫から出ていくかと思いきや、呆然としている玻璃 の横を通って祭壇から降り、琥珀に向かって文句を言い出した。 「して琥珀よ、この憑巫そのものは良いがな、何故このようなナリなのじゃ? しかもこ の者、かなりの空腹だぞ。潔斎は必要じゃが、何も絶食させることはあるまい。…やって おる事がちぐはぐじゃ」 琥珀は返答に詰まってしまった。 ここで誘拐云々の話は出来ないし、第一琥珀も事のあらまし全てを知っているわけではな い。「あー」だの「う〜」だのといった意味不明なうめき声を発して、手を上げたり下ろし たりしている彼を見かねたカカシが助け舟を出した。 「姫神様。それにつきましては、色々と事情がございまして。…よろしければ、落ち着い た所でゆっくりとご説明致しますが」 「うむ、そうじゃな。………この憑巫についても興味があるゆえ、今しばらく留まるぞ。 …琥珀、何ぞ食すものを用意するのじゃ。この者の感覚は今、わしの感覚でもあるのでな。 この空腹は何やら情けない心地になるわ」 琥珀はやっと落ち着きを取り戻し、少女に向かって頭を下げた。 「申し訳ございませんでした。私が至らないばかりに、憑巫となってくださった娘さんに は大層な難儀をさせてしまったのです。…今すぐ、食事を用意致しますのでどうぞこちら に…」 うむ、と頷いた少女は、やおら滝に向かって歩き出す。 「…あの、姫神様?」 「………その前に水を浴びる。どんな事情があったのかは知らんが、身体が汚れておって 気持ちが悪い」 帯に手をかけて着物を脱ぎ始めた少女をカカシよりも早く止めたのは、八雲だった。 こんな所で人目も憚らず沐浴をされてしまったら、もうイルカに合わせる顔が無い。 「おっ恐れ入りますがっ…それはご勘弁くださいっ! 湯浴みの支度をさせて頂きますか ら! 新しい着物もご用意致します。どうか、どうか………」 ああ、と姫神は周囲を見回した。 「村人の目があるか。…人間はそういう事を気にするからのう……今、裸になってはこの 者に気の毒というわけじゃな。………わかった、おぬしの言う通りにしよう」 『神降ろし』が成功し、無事に託宣を聞くことが出来た安心と喜びで浮かれ騒いでいる村 人達をその場に残して、名主やカカシ達は姫神を伴って山を下りる事になった。 「俺は、一度あっちに戻る。盗賊どもを早いところオリん中にぶち込まねーとな。…行く ぞ、ナルト」 カカシと一緒に行きたそうにしているナルトの首根っこをつかまえて、アスマはカカシに 片手を振る。 「悪いね、頼むわアスマ」 「おう」 アスマはナルトの襟首を猫の仔の様につかんだまま、地を蹴った。 「カカシせんせ〜っまた後でだってばよ〜〜〜………」 ナルトの声がフェードアウトしていく。カカシはやれやれ、と肩を竦めた。 「誘拐犯に関しては、我々木ノ葉が片をつけますけど。…それでよろしいですか、名主殿」 「そうして頂ければ助かります。…どうぞよろしくお願い致します」 ◆ 先ずは憑巫の身体を綺麗にしたいと言う姫神の要望に従って、すぐに湯殿の用意がされた。 彼女が入浴している間、カカシは湯殿を外側から見張る為に庭の方に回る。ヒダネも、カ カシの視界に入る場所でおとなしく控えていた。 「…カカシ上忍、やはり私は………」 「ここまで関わっちゃったんだから、諦めて付き合いなさいよ。…アンタの話も聞く必要 ありそうだしね。…姫神様もぜひ聞きたいと仰せなんだから、逃げちゃダメ。…それに、 疑うワケじゃないけど、一応アスマかオレと一緒に一度木ノ葉に戻ってもらう。念の為だ。 ………何せ、アンタは盗賊の中にいたんだからな」 「―――はい。同士符牒だけでは完全に信用されなくても当然ですね。抜け忍と疑われて も仕方ない状況ですから。…どうぞ、登録書照会でもチャクラ照合でもなさってください」 「悪いね。じゃ、そういうコトでよろしく。…姫神様のお風呂が済んだら、関係者一同で 集まることになってるから」 壁に寄りかかり、湯殿の窓から聞こえる水音をカカシは複雑な気分で聞いていた。 (……姫神様か。…イルカ先生の演技じゃないよなー………あそこまでする意味ないし。 …って事は、アレはマジに神様なんだな。…本当に妙なものに憑かれやすいヒトだわ……) カカシがそっとため息をついているところに、アスマが戻ってくる。 「………お疲れさん。………片付いた?」 「ああ、然るべき所にブチ込んできた。…これ以上は俺達の仕事じゃねえだろ」 アスマはヒダネに視線を移した。 「もしかすると、アンタの仕事をぶち壊す形になったかな?」 ヒダネは苦笑めいた表情を浮かべた。 「………私の任務を細かくは申し上げられませんが、さる事件に関して、証拠を集めてい るところなんですよ。でも、あの盗賊達には探りを入れている程度でしたから。あいつら がダメなら、他の方向から当たるだけです。どうぞ、お気になさらず。………それに任務 とはいえ、奴らの悪行に手を貸すのももう、うんざりだったんです。ちょうど良かったの かもしれません」 「そういや、彼女…巫女役の子を守ってくれたって言ってたね。………ありがとう。改め て、礼を言う」 カカシにまともに頭を下げられたヒダネは慌てた。 「やめてくださいよ。写輪眼のカカシに頭を下げさせるなんて、心の臓に悪い。……あれ は、私が嫌だったんです。神聖な儀式に臨む巫女を穢す事も、彼女が無体な目に遭うのも。 …だから、止めました。彼女を穢したら、もう二度と仕事は手伝わないと脅して」 カカシはただ黙って首を振った。 何故イルカが誘拐されている間そういう心配をあまりしなかったかと言うと、賊が『名主 の娘の命が惜しかったら』ではなく、『巫女を取り戻して、祭を無事済ませたければ』と いう方を強調してきたからだった。巫女として役に立たなくなった娘では、取引にならな い。だから、いくら野卑な盗賊でも巫女には手を出せないだろうと。 だが、それは甘い考えだったのだと、ヒダネの言葉で思い知った。もしも彼が止めてくれ なかったら、どうなっていた事か。 自分が誘拐を阻止出来なかった所為で、イルカをおぞましい目に遭わせてしまうところだ った。ヒダネが止めなかった場合、彼が少女としての演技を捨てて、男達に抗ってくれた かどうかはわからない。 彼の性格を考えると、あくまでも少女になりきる事を選ぶ確率の方が高いような気がする。 それを思うと、今更ながらに冷や汗が浮かぶカカシだった。 アスマはヤレヤレ、と肩を竦める。 「ま、結果的に巫女さんは無事だったんだから、いーじゃねーか。………で、どうするよ カカシ。お前の任務はまだ終わっちゃいねえだろ。まだ俺らの手はいるのか? ガキども は一応、あっちの山を下りた麓の村に置いてきているが。宿で待機を命じてある」 ああ、とカカシは現実問題にたち返った。 「いや。儀式は終わったも同然らしいから、後は姫神様がお帰りになるのを待つだけだし、 アスマには子供らを連れて先に戻ってもらいたいんだけどさ。………実は今から、今回の 事件について姫神様にご説明申し上げるコトになると思うんだけど…アスマも聞いておい た方がいいよ」 アスマは面倒くさそうに眼を眇めた。 「………俺もか?」 「里に帰ったら、三代目に根掘り葉掘り訊かれると思うけど。多少の情報は仕入れて行く のが賢明じゃない?」 「…熱い湯を使うというのも、存外気持ちの良いものじゃの」 姫神は火照って桜色に染まった頬に手を当て、鏡を見た。 「ほう、なるほど。…外見は今までの巫女とそう差異は無いのぅ。…変わっておるのは中 身だけか」 そろそろ姫神が入浴を済ませる頃だと踏んで、湯殿まで迎えに行ったカカシが声をひそめ て囁いた。 「………姫神様。…その『中身』につきましては、どうぞ内密に。……名主達は、この娘 を外見通りの普通の少女だと思っているのです」 ほ、と姫神は面白そうにカカシを見た。 「そう言うそなたも、見た目と中身が違うの。…ふふ、後でタネ明かしをすると約するの なら黙っていてやろう」 「―――ありがとうございます。…では、こちらへ」 カカシは姫神を客間に案内した。 客間では、名主達が膳を前に畏まっていた。 姫神が、「せっかく久し振りに人の手で調理されたものを食するのに、一人ではつまらぬ。 皆の相伴を許す」とのたまったからだ。 もちろんそれは、ただ和やかに人間と会食を楽しみたいという意味ではなかった。 今回の『異様な神降ろし』に関して聞きたいことがあるから、関係者一同を集めておけ、 と彼女は命じたのである。 玻璃やその恋人の男も、その場に同席することを琥珀から命じられていたので、客間の雰 囲気はどこか気詰まりなものとなっていた。 「待たせたの。…おお、いい匂いじゃ。やはり人の身に入っておると、人間の食べる物が 美味そうに見えるものだのう」 姫神は当然のように、空いている上座の席に着く。 「…さて、先ずは咽喉を潤そうかのぅ。話はそれからじゃ」 琥珀は脇に控えている使用人に、酒と水を用意させた。皆がどちらでも、好きな杯を選べ るように。 姫神は迷うことなく酒の杯に手を伸ばし、一同を見渡した。 「………琥珀」 琥珀は自分も杯を手に取り、姫神に捧げるように掲げる。 「永きに渡り、山とこの村を御守りくださった姫神様に、村一同の者に代わりまして感謝 を。また、これからも子々孫々までそのご加護を賜りたく、心よりお願い申し上げます」 うむ、と姫神は頷いて杯を傾けた。 「―――その願い、おぬしらが契約を違わぬ限りは聞き届けよう」 「ありがとうございます」 琥珀は深々と一礼し、手にしていた杯を飲み干した。一同もそれに倣う。 「して、琥珀よ」 「…はい」 「先ずは聞きたい事がある。………この前……七年前はどうした? わしを呼ばなんだな」 琥珀は思わず頭を下げた。 「申し訳ございません。祭の寸前で、巫女が急逝致しまして………その時はまだ娘も幼く、 巫女役が務まるとも思えませんでしたので………やむなく神降ろしの儀は中止に………」 姫神は、端の方の席で唇を噛んで俯いている玻璃に目をやった。 「…そなたの娘か。………七年前なら、その娘は十かそこらだろう。なら、巫女にすれば 良かったのだ。その年頃ならば、まだわしの声も聞けたかもしれぬのに。残念だったの」 玻璃はのろのろと顔をあげ、恨みがましそうな眼で姫神を見た。 「………今のあたしじゃ、巫女は務まらないって言うの………あたしは、名主の娘よ。男 と通じたことも無い。………なのに、何故ダメなのよ………なんで、よそから連れてきた 女の子に神様が降りるのよ…………冗談じゃないわ………嘘よ、こんなの………」 玻璃はいきなり声を荒げた。 「そうよ! 嘘つき! 何でみんな変に思わないのよ! なんでこの子の言う事を信じる の? 神様がこんな風に巫女に降りるなんて聞いたことないわっ」 「―――お前は黙りなさい、玻璃。………お前の身勝手で、どれだけの人に迷惑をかけた か、少しは考えなさい」 父親の静かな声に、娘は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。 そこへ、控えめな声を上げたのは八雲だった。 「すみません。……玻璃さんが先程からご無礼を重ねているのにも、理由がございまして ………大変失礼ですが、姫神様。その………本当に、その巫女…憑巫となっている娘さん は、琥珀様のお血筋なのでございましょうか?」 琥珀たちは、ハッと一斉に顔を上げた。それは、各々心の中でくすぶっていた疑問だった。 吸い物の椀を手にした姫神は片眉を上げる。 「……異なことを。でなければ、わしがこのように降りることは叶わぬと言うたであろう? それとも何か。…おぬしらは全くの血縁外の娘を巫女に仕立てたつもりでおったのか。そ れで神降ろしが成るとでも思うたのか?」 うっと琥珀はうめく。 姫神は優雅に吸い物に口をつけてから、眼を細めた。 「………おぬし達の話を聞いておると、どうやらこの憑巫は元から巫女に決まっておった 者ではないようじゃの。………元々は、あの娘が巫女をやる予定だったのか」 琥珀は項垂れた。 「………はい、そうです。………なのにあの娘は…祭の前になって、い…家を出てしまい まして………急遽、代わりの娘さんを探したのです。娘に似た感じの娘さんで………私は、 村人を欺こうとしたのです。………七年前は不慮の事態で儀式が出来なかった。今年もダ メだ、では村人が恐慌状態になります。………形だけでも………姫神様のお声を聞くこと が叶わなくても………と。…申し訳…ございません……」 声を震わせて告白する彼に、「そうか」、と姫神は小さく呟いて睫毛を伏せた。 「………それは苦しかったのう………琥珀。村の長としては、仕方の無い判断じゃ。…… これ、娘。…そのような真似をして、父御が困るとは思わなんだのか?」 いきなり姫神にそう問われた玻璃は、フン、とソッポを向く。 「困らせようと思ったんだもの」 「これ、玻璃………」 姫神に対してぞんざいな口を利く娘を琥珀は嗜めようとするが、娘はますますふくれるだ けであった。 姫神はヒラ、と手を一振りする。 「ああ、別にわしは構わん。………まあ、事情はわかった。…わしが最初にここの祖先と 守護の契約をしてやったのは、人の時間では遥か昔のことであろう? 今に至るまでの間、 その血が村の外に出ていてもおかしくはあるまい。……代役に立てたこの憑巫が、ここの 血を引いておったのは偶然であろうがの。…それも運命というものであろうよ」 イルカの祖先。 どの代で血が混じったのかは定かでは無いが、そういう事もあるだろう、とカカシは心の 中で呟いていた。 木ノ葉の里は、隠れ里としての体制が整ってからまだ里長からして四代。忍五大国として 近隣に力は認められているが、その歴史は意外と浅かった。あちらこちらから志を共にし た忍達が集まり、出来た里だ。 黒い髪、黒い瞳のイルカや、金髪碧眼のナルト、銀髪のカカシ。里の中の人種が結構多様 なのはその所為だった。 この小さな村の方が、その歴史は古く長いのである。 「それでも、そこな娘の言うように、まだわしが本物の姫神ではなく、この憑巫の演技だ と思うなら、急遽仕立てた代役の者などが知りようも無い事柄でも訊いてみたらどうじ ゃ?」 琥珀はちらりと娘を見てから、「私は姫神様のお言葉を疑うものではありませんが」と切 り出した。 「………愚かな私の娘がまだ納得していないようですので、失礼ながらお言葉に甘えさせ て頂きます。この娘が貴方を本当の姫神様かどうかと疑っているうちは、話が先に進みま せんので」 「よかろう。…何なりと答えてやろうぞ。ただし、わしが知りようも無い事には答えられ ぬがの」 「では、失礼してお伺い致します―――」 琥珀の投げかける質問に、姫神は淀みなく答えを返していく。イルカには教えていなかっ た事柄や、玻璃が出した引っ掛けのような質問にも動じない。 「………もう良いか? 得心がいったかのう」 妖艶な笑みを浮かべる少女を疑う者は、もうその場にはいなかった。玻璃ですら、彼女を 見る顔つきが変わっている。 「さ、皆も箸をつけるが良いぞ。せっかくの心づくしが冷めてしまうわ」 |
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