人生色々
2
イルカが自宅でツナデに任された書類の草稿を作っている横で、カカシが呆れたようにそ れを眺めていた。 「……四代目も、火影になったらお休み増やそうかなー、なんてふざけたコトぬかしてま したが。結局そんな戯言は実現しなかったんですがね。……さすが三忍、わがまま押し通 すコトに慣れていますねー」 それぞれが突出した能力を誇る『三忍』の共通項目。個性の強さがそのまま我の強さとな り、自分勝手で常にゴーイングマイウエイ。実力があるだけにしごく厄介。 なるほど、三代目が存命中には彼らを次代の火影に選べなかったのも頷ける。 あの自分勝手な連中を火影にするわけにもいかずに困っていた所、自来也の弟子が頭角を 現わしてきたので、これ幸いと若い彼を四代目に抜擢したというのが真相だった。 今回の五代目選びでも、年齢を重ねた今ならば、おそらくは若い頃のような無茶はしない だろうという希望的な見方で、自来也やツナデに火影就任の要請が出たのであろう。 もしもカカシがもっと年嵩ならば、五代目の役割は彼に回ってきたのかもしれなかった。 カカシは結構生真面目な男だし、実力もある。 第一、自分自身の目的の為に里を飛び出して長期間行方不明になるなどという身勝手な真 似をしでかしたことも無い。 カカシがまだ若く、前線で彼よりももっと若い忍達を率いるという役目があったので、今 回は候補に入らなかったに過ぎない。 「……ツナデ様の魂胆はわかってますよ。火影だって里の忍の一員なんだから、皆と同じ に長期休暇を取る権利があるとか言って、堂々と休んでどっかに遊びに行くおつもりなん でしょ。…ま、しっかり者の付き人さんがいるみたいだから、そのままトンズラなんてさ せないとは思いますが」 イルカは苦笑した。 「そうですねえ…でも、ツナデ様が仰ることもわかります。…人間、お楽しみが先にある とわかっていれば頑張れるってこと、あると思いますから」 カカシもくすくすと笑う。 「目の前にニンジン吊るされた馬ってところですか? ………オレも別に反対なわけじゃ ないですよ。お休み歓迎。今までの経験じゃ、長い休みなんて病院のベッドの上とか、自 宅で意識が全く無いかでしたもん。…元気に遊べる状態で一週間も休めるなんて夢のよう です。…で、決まりました? 休暇案」 イルカは鉛筆を唇の下に当てて考えた。 「………そうですね。休まれては困る時期もありますから、長期休暇申請期間、というの を年四回設けましょうか。で、少しずつ休暇期間をずらしたら、一度に人がいなくなって 里が手薄になるっていう事態は避けられると思うんですが」 カカシはパチパチ、と手を叩いた。 「それでいいと思います。ああ、一週間アナタとイチャパラ! …いいですねえ…うっと りしちゃう」 カカシはもう、長期休暇は絶対イルカと一緒に取るのだと決めているらしい。 イルカも何となく、当たり前のように横にカカシがいる長期休暇を想像していた。 「…そうですね。…一緒にお休み、取れるといいですね」 イルカの場合は夏か冬。アカデミーの子供達が休みになる時期にしか申請出来ないのがわ かっている。当然、忍師達の申請もそこに集中するだろう。 「……ねえ、カカシ先生。…俺はアカデミーの都合で夏か冬になっちまいますが…どっち がいいですか?」 カカシは「ん〜」と唸って天井を睨み、やおら膝を打った。 「海! 海に行きたいです! 夏にしませんか?」 元々泳ぎが好きなイルカもすぐ賛成する。 「いいですねえ! 海の近くに宿を取って、骨休め。…憧れてたんですよね、そういうの」 「じゃー決まりね。夏、一緒の時期に休暇申請。…うん、効能あるよ、ツナデ様。今から もう楽しみで、それまでお仕事頑張っちゃうぜーって気になってきたし!」 にこにこしながらイルカは頷いた。そっと拳を握り締めながら。 負けるものか。 今までのイルカならば、人の好さにつけ込まれて少ししかない休暇の枠を同僚に取られて いたかもしれないが―――今回は、自分だけではない。カカシの幸福もかかっているのだ。 休暇は確保する。絶対に。 忍とて人間、となればやはり甘い誘惑には弱いものらしい。五代目火影ツナデの長期休暇 案は大多数の支持を受け、歓迎された。 休暇案の概要はこうである。 ・まず木ノ葉隠れに登録している忍者全員が、一年のうち四回設けた『長期休暇許可期間』 のうちひとつを選んで提出する。 ・この希望受付は先着順であり、各期間に設けられた定員に達した時点で締め切られる。 (希望が集中する時期があることは最初から予想されるので、ツナデは先着制を採用した のである。定員は、今現在登録されている忍者の数から各『期間』毎に申請受付人数を割 り出し、イルカが設定した。) ・第一希望が通らなかった者は、第二、第三希望を提出する。 ・その後、各『長期休暇申請許可期間』内で各自の休暇日程を調整する。 ・この時にきちんと自分の希望する休暇日程を申請しなかった者はその意志無しと見做さ れて、休暇の権利は消失する。翌年以降に持ち越しは出来ない。 ・尚、理由が正当なものであれば、個人間で休暇期間の交換を行ってもよい。(許可が必要) 忍者達にその「新システム」が発表されてすぐ、最初の選択希望受付が始まった。 「どうだい? 反応は」 シズネがいれたお茶をすすりながらツナデはイルカに視線を投げた。 「…面倒くさいシステムだと、文句言っている人もいるみたいですね」 「そうかねえ……時期に偏りが出ないようにお前が頑張って考案してくれたのにね。…私 はあれでいいと思うけど。せっかく一週間も有給やろうって言ってるのに。いらないんな ら休まず働いてくれてもいいんだけどねえ」 へえ、有給だったのか、とイルカは心の中で呟いた。それは剛毅だ。 「事前申請制度が面倒みたいです。…お休み自体は皆、嬉しいようですよ」 「休みたいならそれくらい億劫がっててどうするんだ。……で、申請受付はもう始めたん だろ?」 「はい。昨日から開始しました。…今のところ、登録されている上忍から下忍までのうち、 三分の一ほどが申請済みです」 ツナデは机に頬杖をつき、「ふうん」と鼻で返事をする。 「それって、反応いいのか悪いのかよくわかんないね。…で、お前はもう出したのかい、 イルカ」 「あ…ええ。提出済みです」 受付開始直後に、早速イルカはカカシと自分の希望を申し込み用紙に書いて提出した。早 かったので、すんなり希望の『夏季休暇期間』が取れたはずである。 ツナデは机の上から紙片を取り、イルカに放って寄越した。 「コレ、私とシズネの申請用紙。…出しておいて」 「はい」 やっぱりな、とイルカは思った。カカシの言った通り、彼女もしっかり休みを取る気でい る。 (……ふうん、ツナデ様も夏がいいのか。……夏か…) 夏。 青い空、白い雲、容赦ない紫外線。 海。―――水着。 コンマ一秒の連想で、イルカの脳裏にはツナデのグラマラスな水着姿が浮かんだ。 (イカン! 何考えてんだ俺! 仮にも火影様相手に失礼なっっ!) でもちょっと見たいなー、と思ってしまうのは二十三歳の若者として当然の思考回路であ ろう。 (当然シズネさんもご一緒だろうし) 年上ではあるが、にこにこと可愛らしい笑みを浮かべるシズネは理知的な雰囲気も併せ持 っており、そして優しい女性で―――実を言うとイルカの『タイプ』だったのである。 そのシズネの水着姿(ビキニのトントン付き)も想像してしまったイルカは慌てて頭を振 って妄想を押しやり、「では、書類を提出して参りますっ!」と叫んで執務室から飛び出し た。 ◆ オレとイルカ先生が何か楽しい事をしようと考えると、必ず何かしら邪魔が入るのが今ま でのパターンだったが―――と、カカシは唇の端を上げ、フッと笑う。 「っしゃーっ! 今度こそイルカせんせとイチャイチャパラダイスーッ!」 彼の目の前には真っ青な海と白い砂浜が広がっていた。 『夏季休暇期間』申請があっさり通り、そして具体的な休暇日程もそれ程の悶着も障害も 無く、二人揃って同じ日に取ることが出来た。そして、シーズンだから取れないかもしれ ないと懸念していた宿も無事押さえる事が出来て、ここまでは順調にきた。 後はもう、海まで来れさえすれば、彼等を邪魔するものはない。 ないはずだ。 「………順調すぎて怖いくらいですね〜……」 カカシの隣でイルカが呟いた。 「イルカ先生ったら何をそんな弱気な! ここまで来られたんです! 見なさい、この心 洗われるような美しい海を! ここでいきなり台風が来て、一週間宿に閉じ込められたと しても! イルカ先生が一緒ならオレは幸せです!」 「…カカシ先生こそ、そんな縁起でもないコトを……」 イルカは空と海を見渡す。今の所、天候が崩れるような兆候は無い。空はあくまでも青く 澄み、波も静かだ。おまけに人影もまばらで、これならゆっくりと休日を楽しめそうな気 配である。 ぐるっと首を巡らせていたイルカは、ある地点でぴたっと止まり―――そして、固まった。 「どうかしました? イルカ先生」 「………や…あれ…もしかしたら………」 「……え?」 イルカの視線の方向に顔を向けたカカシは「うっ」と呻いてやはり固まる。動くこともで きずにいる二人に、無情な声が届いた。 「お〜や、カカシにイルカじゃないか。奇遇だねえ」 二人の視線の先、数十メートル離れた突堤の上で、白い日傘を差した美女が迫力のある笑 みをこちらに向けていた。 トントンを抱いたシズネを従え、ツナデは砂浜に降りてきた。 「…知らなかったよ。…お前らが一緒に休暇をとって遊びに来るくらい仲良かったなんて」 突っ立ったまま里長を迎えた上忍と中忍を眺め、ツナデは意味ありげな笑みを浮かべる。 「……ええ、まあ……ツナデ様も休暇をこの海岸で?」 「まあね。……たまにはこういう所でのんびりするのも良かろうと思ってねえ。私らは近 くの八重桜って旅館で世話になることになってるんだ。…お前達は?」 「…同じです……」 一年に一度の長期休暇だ。少し張り込んでも感じのいい宿に泊まりたいと奮発したのがア ダとなったらしい。休暇で里長と同じ宿に泊まることになるとは。 引き攣った笑みを浮かべるカカシの脇では、イルカとシズネが会釈をしあい、丁寧な大人 の挨拶を交わしていた。 「あら、同じお宿ですか〜宜しくお願いしますね、イルカ先生」 「あ、いや、こちらこそ宜しくお願いします」 のんびりしたシズネの笑顔に、イルカは赤くなって頭をかいている。 (何ですかイルカ先生! そんな年増に赤くなっちゃって!) 当然面白くないカカシは、妙齢の女性に向かって失礼千万な事を心の中で呟く。年増と言 っても、シズネとカカシはひとつしか違わない。 「ああ、咽喉渇いたねえ…イルカ、ちょいと何か飲み物を買ってきてくれないか」 その時ほんの少し神経がささくれ立っていたカカシは、ツナデの一言に過剰反応してしま った。 「ツナデ様。今は休暇中です。イルカ先生をこき使うのはおやめ願えませんかね。公私混 同でしょう」 「………何でお前が逆らうのさ」 豊かな胸をぐいと反らし、美女はカカシを睨みつけた。両者の間に静かに火花が散る。 イルカは慌てて割って入った。 「カカシ先生っ! 俺は別に構いませんから! あの、ちょっとあの坂道を登った辺りに 自販機があったように思いますんで、行ってきます。ツナデ様、何がよろしいですか?」 ツナデは勝利の笑みを浮かべる。 「そうかい? じゃあ、烏龍茶とか、そういう甘くないお茶系がいいね」 「承知しました。シズネさんは何がいいですか?」 ツナデとカカシの睨み合いに引いていたシズネは、仔豚をツナデの胸に押し付けるとイル カの肘辺りをガシッとつかむ。 「わ、私も行きますっ…ツナデ様、トントンお願いしますねっ! じゃ行きましょう、イ ルカ先生」 「は、はい」 カカシとツナデをその場に残し、シズネに引っ張られたイルカは坂道を駆け上がって行っ てしまった。 「……これなら最初からあの付き人さんに頼めば良かったんじゃ…?」 「バカだね、カカシ。考えてもごらん。…ここで私がシズネに飲み物を買って来い、と言 ったとしても、あの坊やは自分が行くと言い出すに決まってるじゃないか。気の利く子だ からね。なら、最初から坊やに頼んだ方が早いだろ? ん?」 ちらっとツナデはカカシに視線を投げた。 「……お前。あの坊やの何?」 「…………友人ですよ。…イルカ先生はお人好しで、何でもほいほい引き受けちゃうから、 ある程度オレが防波堤になってやらんといかんのです。特にご年配の方には親切なんです よねえ、彼」 ツナデのこめかみにピキッと青筋が浮かんだ。 老けるのが嫌で、チャクラを使ってまで若い容姿を維持しているツナデに年齢の話はタブ ーだ。それを知らないカカシでもあるまいに。仔豚のトントンがツナデの気配に怯えてし きりにハナを鳴らし始める。 「………ブタが怯えていますよ、ツナデ様」 「ああ、そうかい」 「それ、非常食ですか?」 「……デリカシーのない男は嫌われるよ。…ったく、ガキだね」 「どーせガキです」 「四代目の躾が悪かったようだねえ…あいつは子供に甘かったから」 「……オレの性格が悪いのは、オレの所為です。…先生の責任ではありません」 フン、とツナデは鼻先で笑った。 「…やっぱりお前、ガキだよ」 そこへ、イルカとシズネが戻ってきた。 「お待たせしました、ツナデ様」 「ツナデ様、何か新商品のお茶が出ていましたから、それにしましたー」 二人で缶飲料を抱えている姿はまるでカップルのように見え、カカシの胸にはまた小波が 立つ。 「おお、ご苦労さん」 「…すみませんね、イルカ先生」 「いいえ。ハイ、カカシ先生。…これ、シズネさんがご馳走してくださったんですよ」 冷えたカフェオレを受け取りながら、カカシは少し気まずそうな顔で礼を言う。 「あ…そりゃどうも…すみませんね、オレまで」 「いいえ〜とんでもない。そんな、缶コーヒーくらいで」 あははー、とシズネは笑った。その屈託の無い笑顔に、カカシの胸中にはさらなる暗雲が 立ち込める。イルカと一緒にテレビなどを見ているうちにカカシは気づいていたのだ。 こういう天真爛漫系が結構彼の好みだということに。 やっぱりな、とカカシは乾いた笑みを浮かべる。ここまでが順調過ぎたのだ。 ツナデ達との遭遇は、カカシにとってはある意味嵐よりも難儀なものになりそうな兆しを 見せている。 「ここで遇ったのも何かの縁だ。まあ、仲良く楽しもうじゃないか。………年に一度の休 暇をね」 冷たいお茶を飲み干した美女は、にんまりと微笑んだ。 |
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