秘の五日間 =第三夜=

 

その日、イルカは珍しく寝坊した。
うつらうつらしてなかなか眠れず、眠ったのが明け方近かった所為だろう。
遅刻ぎりぎりの時間に起きたイルカは、朝食も摂らずに慌しく出て行き………その背中を怠惰にベッドの
上で見送ったカカシが二度寝を決め込んでいる最中にまた慌しく帰って来た。
「…今日、お休みでしたっけ…?」
ぼんやりとカカシが問い掛けると、イルカはぶんぶんっと首を横に振った。
「外出、禁止です!」
「はあ?」
カカシはワケがわからず、首を捻る。
「…アナタ、禁足処分されるよーな事、したんですか?」
イルカはびしっとカカシを指差す。
「俺じゃなくて! 貴方です! 俺がいない間、一人で外に出ないで下さい! 買い物なんか、しなくて
いいですから。わかりましたね? じゃあ、行ってきます!」
言うだけ言うと、イルカはあっという間にカカシの視界から消え失せてしまった。

「……何なの、いったい……」
カカシはイルカの消えた扉を、枕を抱いたまま茫然と眺めていた――




「…イルカ先生!」
夕方、帰宅したイルカは、何とアスマに支えられてぐったりとしていた。
顔色が良くない。はっきり言って青い。
「ど、どうしたんですか? 具合、悪いんですか?」
おろおろとカカシはイルカの顔を覗き込む。
「………お前、カカシか?…」
カカシは、今目に入った、という顔でアスマを見上げた。
「アスマ…? 何でオマエがここにいんのよ?」
「…やっぱカカシかよ。何だお前、帰ってたのか…その変化解けねえのか?」
「火影のじーさまとすれ違っちゃったんだよ。……オレの班まで見てくれてるお前には悪いが、じーさま
帰って来るまでオレ、仕事出来ないから…もう少し、頼むな。…それより、イルカ先生だよ。…何があっ
た?」
アスマはのんびりとカカシの美女振りを眺めてにんまり笑った。
「や〜、お前、別嬪にバケてんなあ……あ、噂の美女はお前か」
途端、イルカが腹を押さえて「うっ」とうめく。
「あ、いけねえ。…寝室、奥か? イルカ、休ませてやんねえと…」
「す、すいません…アスマ先生……大丈夫ですから…」
青い顔で、それでも微笑みを浮かべて礼を言おうとするイルカの頭をアスマは軽く小突いた。
「バカ言ってんじゃねえ。胃痙攣なんぞ起こしたくせに」
「胃痙攣?」
カカシは驚いて声をあげた。
胃痙攣。
普通の胃痛などとは比べ物にならないほどの苦痛を伴う、あの、胃痙攣。
なるほど、イルカの顔色の悪さも頷ける。
「も、もうあんまり痛くないですから…薬も服用しましたし…」
カカシはパタパタと奥へ駆け込むとベッドの上掛けをめくり、玄関のアスマに呼びかけた。
「アースマ! こっち! イルカ先生、連れてきて!」
「おう」
弱々しく遠慮するイルカを小脇に抱え、アスマは奥の部屋に足を踏み入れた。
「何だお前ら、こんな狭いベッドで寝てんのか? ま、いいけどよ」
「……うん、夏になったら暑そうだよねえ…イルカせんせ、ダブル買いましょうか」
「…う…ッ…」
上忍二人の呑気な会話に、イルカの胃はまた発作を起こしたようだった。


「はい」
アカデミーで発作を起こしたイルカを医療棟に運び、そこからここまで付き添ってくれたアスマに、カカシ
は一応労いと感謝の気持ちを込めて茶など淹れて差し出した。
「お、すまねえな。…そんなかっこで茶なんか出してるとお前、イルカの嫁さんみたいだなあ」
「今は、そうなんだもーん…なんてね。…で、マジな話、イルカせんせ…どうなんだよ。本人に訊いたって
どーせ、へらっと笑って『大丈夫です〜』なんて言うだけなんだから」
カカシはちらっとイルカの寝ている奥に視線を投げて、声を落とした。
イルカは鎮痛剤が効いているのか、眠っている。
アスマはずずっと茶をすすり、頷いた。
「……胃自体に何か病がとりついてるってわけじゃなさそうだってよ。…要するに、原因は複合的なもん
なんだろう。疲れ、睡眠不足、過度のストレス……」
カカシは下を向いてきゅ、と唇を噛んだ。
「俺が、お前の班の面倒を見ているのが気になったんだろうな。あいつらの様子を聞いて、お前に知らせ
るつもりだったんだろ……俺んとこ来て、二つの班で任務にあたるとガキどもはどう行動が変わるのか、
なんて訊いてきて…そんで、話している最中にだんだん顔色悪くなってきてな…とうとう、腹を押さえて
蹲っちまった。…俺は経験無いけどよ、医者が言うには、アレは痛えんだってなー。陣痛並だってよ。
痛みのレベルが」
「…イルカ先生の胃が痛むようなこと、言ったわけ…?」
「まさか。…ガキどもは思ったよりよくやってるぜって、むしろあの先生が安心するよーな内容だったぞ?
会話は」
「あ、そ…」
カカシはふう、と息をついた。
アスマはそんなカカシを見て目を眇める。
「……原因、お前じゃねえのか? ……あいつの部屋に転がり込んでおいて、何もさせねえでお預けく
らわせてる、とかよ。…男としてはストレス溜まるぜ〜?」
カカシは目の前の友人を睨んだ。
「バカ言ってんじゃねー………逆だ、逆。お預けはオレの方。イルカ先生、オレが嫌がってないのに何
もしないんだよね…。あ、煙草吸うなよ、アスマ。ここ、灰皿ないからな」
アスマは取り出した煙草をしぶしぶ元に戻した。
「……すげえ自制心。立派だぜ、中忍。…それじゃかえってストレス来るわ…自主的に我慢している
わけだろ?」
やっぱオマエが原因だ、とアスマはカカシの膨れっ面を見て笑った。
「ま、胃の方は大事にしてりゃ大丈夫だってよ。…せいぜい旦那の看病してやんな」



「外出禁止のおかげで、ろくな物が作れなかったけど…ご飯、用意しておいたのにな…」
わけはわからなかったが、カカシはイルカの言いつけを守って、今日は一歩も外に出なかった。イルカが
理由も無くあんな事を言うわけがないと思っていたから。
「…やっぱり…オレの所為ですか……? イルカ…」
カカシはイルカの枕元に座って、まだ顔色の悪い彼の額に浮かんだ汗を拭いてやっていた。
ふと、眠っていたはずのイルカが唇を動かす。
「……カカシ先生は…悪くないですよ……」
「起きたんですか? イルカ…痛みは?」
心配そうに顔を覗き込むカカシに、イルカは微笑ってみせる。
「大丈夫です。…薬が効いたようです。…すいません、ご心配おかけして……あ、アスマ先生お帰りに
なったんですか…申し訳ないことをしました。ご迷惑をかけてしまった…」
「ああ、あれはね、ああ見えて結構世話好きだから…迷惑には思ってないでしょう。本当に面倒だった
ら、貴方を医療棟に放り込んで後は知らん顔するでしょうからね。…気になるなら後で酒でも1本差し
入れればOKです」
「…わかりました。…あの人のお好きな銘柄、ご存知でしたら教えて下さい」
あとでね、とカカシは微笑んだ。
「…空腹感はありませんか? ゆるいお粥でも作ってあげましょうか」
「あ……いや、いいです。やめておきます。…カカシ先生は何かちゃんと食べましたか? 俺に構わ
ずに食べて下さい」
「それこそ、オレの事なんか気にしなくていいんです。貴方、そうやって気遣いをし過ぎるから胃痙攣
なんか起こすんですよ」
不機嫌になってしまったカカシに、イルカは微苦笑を浮かべた。
「…すいません。せっかく作って下さった夕食…食べられなくて…」
イルカに微笑まれたカカシは、唇を少し尖らせてそっぽを向いた。
「そうですね。外出禁止、なんて言うから要る物買いに行けなくて苦労したんですよ。…あ、そうだ。
何でそもそも、オレ外に出ちゃいけなかったんですか?」
イルカは困ったように頬をかいた。
「……ええと、それは……今朝、出勤したら…色々と妙な噂になっていて…」
「は?」
「その…俺が同棲しているとか…あの…色々と…」
「…………」
「それで、貴方がこれ以上人の眼に触れると、もっと色々と厄介な事になりそうな嫌な予感がしたも
のですから…」
「それで、外出禁止令」
「はあ……」
イルカの『心配』がわかるような、わからないような………カカシはしばし腕組みをして天井を睨ん
でいた。
「……うー…何かよくわかりませんが……オレとしても、貴方に迷惑をかけるのは本意じゃないです
から…おとなしくしてます…」
カカシの『甘え』も『迷惑』と紙一重の時があるのだが、カカシ自身がかける『迷惑』と、彼が原因にな
って他からイルカにかかる『迷惑』は意味が違うらしい。
「おとなしくしていますから…早く良くなって下さいね……」
「それと俺の胃は…」
「関係ないとでも? 関係なくは無いでしょう! ………ねえ、イルカ先生…オレ、やっぱ、ここにいた
らいけないんでしょうか……」
しゅん、と萎れてしまった花のようなカカシに、イルカはそっと手を伸ばした。
「……いいえ。そんな姿の貴方が、俺の目の届かない所にいる方が余程イヤです。…出来れば、ア
スマ先生にも見せたくなかった……だから一人で帰れるって言ったんですけどね…」
頬に触れたイルカの指に、カカシは手を重ねる。
「…イルカ先生……キスしたら怒ります?」
「……怒りませんよ…?」
カカシは身を屈めて、寝ているイルカにそっと口づけた。
「今日はオレ、向こうで寝ますから…イルカはゆっくり休んでください」
イルカはカカシの細い…女性化している事で、普段より更に細くなって折れそうな手首を柔らかく
握った。
「気にしないで、ここで寝てください。……狭いですけどね」
くすっと笑ったイルカに、カカシも笑みをこぼす。
「いいんですか?」
「…いいですよ。胃の所為でその気になりそうもないですから…」
言いながら、イルカは少し身体をずらした。カカシは少し躊躇ったが、そのままイルカの隣に滑り込む。
「…イルカせんせ、向こう向いて…そう」
「カカシ先生…」
カカシはゆっくりとイルカの背中を擦り始めた。
「手当て、って言うでしょう? 治したいって願う人間の手は、癒す効果があるんですよ」
ゆっくりと。
優しく。
「……ええ…気持ち…いいです。寝てしまいそうだ…」
カカシの手は、イルカの背を撫で続ける。
「いいですよ。…寝るまで、こうしていてあげます」
 

夏になる前に、本当にベッドを買い換えた方がいいだろうな、とぼんやり考えながら…いつしかカカ
シも眠りに落ちていったのだった。

 



 

体験談シリーズ(?)・胃ケイレンの巻。(笑)
・・・痛いっすねえ、あれは・・・「いっそ殺せ〜!」と思ったほど痛かったです。
痛くて、歩くどころか立てませんでした。

普通の胃痛でイルカが倒れるとは思えませんから、胃痙攣。(^^;)
・・・すまん、イルカ・・・災難続きやね・・・

あと二夜。そろそろイイ思いもさせてあげたいな、と・・・うん。

 

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