「かーのじょっ! 可愛いじゃん、一人?」
様々な人々が行き交う街中で。
心細そうな面持ちの若い娘が一人で街灯の下に佇む姿は男の気を引いた。
清楚な雰囲気の、大人しそうな少女だ。眼が大きくて愛らしい顔立ちをしている。
足元には、昼間買い物をしたらしい大きなブティックの紙袋。
いかにも『遊んでいます』といった風な若い男に声を掛けられた娘は、恥ずかしそうに俯いて首を横に
振った。真っ直ぐな黒髪がさらさらと揺れる。
「…いえ、連れを待っているだけですから…」
娘の仕草と、か細い声に男は調子づく。
「えー、だって、さっきからずっとここで待っているだろー? あんたみたいなコ、待たせる野郎なんて
やめちまえよ。俺だったらさ、あんた一人にしたりしねーって」
男から遠ざかるように身を竦ませた娘の手を握ろうと、男の手が無遠慮にのびる。
「やめて下さい。本当に待っている人が……」
「離しなさい、このドすけべ」
いきなり、第三者の声が割り込んできて、男の手を捻り上げた。
「イテテテッ…何しやが…」
男は邪魔をしてくれた人物にガンを飛ばし―――そして呆然とする。
その捻り上げてくれた力からは想像もつかない美女が苦々しげな表情で睨んでいた。
白皙の肌に、紺碧の瞳と鮮やかな朱唇。整いすぎて冷たい印象の顔立ち。そして、光沢のある銀色
の髪が背中にかかっている。
男がナンパしようとしていた娘が嬉しそうに顔を輝かせて、その美女に駆け寄った。
「遅いですよ! 何分待たせるんですか」
美女の冷たい印象の顔が途端に春の陽光のように柔らかくなった。
「ごめんなさい。…ちょっと手間取ってしまって」
そして、突然登場した美女に度肝を抜かれ呆けた表情で佇む男を尻目に、二人は仲良くさっさと賑や
かな雑踏に消えていってしまった―――
◆
火影に突然呼び出されるのはいつもの事。
三代目が呼んでいる、と同僚に伝えられたイルカは、すぐに火影の執務室へ向かう。
そこに先客として上忍のカカシの姿があったのも、少し驚いたが特に不思議だとも思わなかった。
「…任務、ですか?」
「ああ。まあ…特別任務ってヤツじゃな。…手当て、はずんでやるから行ってくれ、イルカよ」
イルカは訳がわからなくて首を捻った。
任務なら、どんな任務でもイルカに拒否権など無い。火影の命令通り動くのみだ。
なのに、何故そんな『頼む』ような言い方をするのだろう。
「…は。私で務まりますならば」
取り合えず、無難な『了解』を示してみる。火影はやれやれと言った顔でカカシを見た。
「……と、言うワケじゃ。やるな? カカシ」
カカシは右目だけでにっこり微笑む。
「ま、それじゃ仕方ないですね。やりましょう」
そして、両の手がイルカも見慣れている印を結んだ。
(―――変化の術?)
イルカが見守る前で、カカシの姿は艶やかな美女に変化した。身体の線も露なワンピースに踵の細い
ピンヒールがよく似合う、妖艶な美女だ。にこ、と美女がイルカに微笑みかける。
その正体はカカシだと承知しているイルカの心拍数は、それでも上昇してしまった。
「さー、イルカ先生もどーぞ」
口調だけは元のカカシのままの美女がイルカを促す。
「…はい?」
話がさっぱり見えないイルカは戸惑うばかりである。火影は渋面でイルカに告げる。
「………イルカ、ちぃっと変化の術で女になってくれんか」
「…それって…任務…ですか…」
頷く火影に、イルカはしばし躊躇したが、『任務』と言われれば従うしかない。しぶしぶ変化の術の為の
印を結び、イメージを頭に描いた。
(女ったって、どんな女になればいいんだろう…母ちゃんの若い頃の感じでいっか…)
想い出は年月を経るにつれ、美化されるのが常。イルカの変化した『若い頃の母親』像は、実際の彼女
より三割増し美人になっていた。
「おー、イルカ先生、可愛いー! イケてます! ねえ、三代目」
ボディコン美女のカカシに対して、イルカの姿はごく普通のくノ一の格好だったが、はにかんで頬を染める
姿は確かに可愛いかった。装いを変えれば、充分『美少女』で通る。
「…うむ、まあそんなもんだろう。…イルカ、任務の詳細はカカシが知っておる。そいつの指示に従ってくれ」
「はい」
上忍と中忍が組めば、当然中忍が部下だ。イルカは真面目に、『上司』に一礼した。
「よろしくお願い致します」
「こちらこそ」
そうして、初めてカカシとイルカは同じ任務につく事になった。
「…で、俺は何をすればいいんでしょうか」
この任務、自分達二人だけなのだと知ったイルカは内心戸惑っていた。
上忍が…それも、下忍を担当している上忍がわざわざ赴く任務だ。他にも中忍以上の者がチームにいる
のだとばかり思っていたのに。
「取りあえず、オレと一緒に洋服屋に行って、着替えましょう。町の娘になりきって下さい。んー、軽くメイ
クもしましょうかね。淡い色の口紅くらい、つけてないとかえっておかしいですから」
「…はあ…」
要するに、この任務が終了するまでは『女性』でいなければならないらしい。
火影はわざわざカカシとイルカに術をかけ、任務中変化が解けないようにしてしまった。
チャクラの消耗を抑える為に、との意図もあったのだろうが、念のいった事である。
街中に出ると、男の視線が嫌でも二人に…いや、カカシが化けている美女に注がれる。
「…カ、カカシせんせ…いいんですか? こんな目立ってしまって…」
「んふ。…つまり、オレとイルカの化けっぷりがそれだけ完璧なワケですよね。見なさい、あの鼻の下が伸
びただらしない顔を。同じ男として情けない限りですが、普通男はこういう見た目のいい女に弱いものです。
……油断も、します」
「……」
イルカの顔つきがさっと変わった。潜入任務だ。
情報収集か、あるいは…暗殺。何にせよ、木ノ葉の忍者が係わっていると知られてはいけない仕事なの
だろう。
「…くノ一を使わないのは何故です?」
「……こいつが必要…っつうか、あった方が便利だからですよ。それにねえ…最近は色仕掛け任務をくノ一
に押し付けるのはセクハラだって、何かとうるさいんですって」
カカシは自分の左眼を指した。
(……写輪眼か……)
「……あの…お、俺がご一緒する理由を…聞いてもいいですか?」
上忍ではなく、中忍の自分を。カカシはあっさりと気の抜ける答えを返してくれた。
「怒んないで下さいねー…オレの我が侭です。何かあった時、一人じゃマズイしね。イルカ先生が一緒に行
ってくれるんならこの任務引き受けるって三代目にごねてみましたー」
イルカはその場に座り込みたくなった。力が抜ける。
「そ…それで何で俺なんですか…?」
カカシは眉根を寄せ、唇を心持ち尖らせた。
「んじゃ、イルカはオレが誰か別の野郎と何日もこの姿で一緒に過ごしても何とも思わないんですか?」
カカシが本当に女性だったら、こんな美女だったのだろうか。メリハリのあるボディライン、すんなりとした手
足。うっとりするような美貌。
「………お、面白くない…と思います…」
出来れば誰にも見せず、自分だけが見ていたい。イルカの『男の本能』と『独占欲』は正直に彼の感情を
揺さぶった。イルカの答えと顔つきに、カカシは満足したようだ。
「でしょー? ま、一緒にお仕事なんて滅多に無い事だし、楽しみましょう。大丈夫です。ポカさえしなけりゃ、
危険性は無い任務ですから」
「…ちなみにランクは」
「極秘性が高いんで、特Aになりますね。受付所、介さなかったでしょ?」
イルカは自分の顔から血の気が引くのを自覚していた。
(特別ランクA……フツー、俺みたいな中忍が受ける仕事じゃない……)
イルカの心境をよそに、カカシは本当に女性がショッピングを楽しむ風情で店のドアを押した。
「ちょっと見せて下さいね〜」
羽振りのよさそうな美女の来店に、売り子は愛想良く飛び出してきた。
「いらっしゃいませ!」
「このコに似合う服、見に来たの。見立てて下さいましね」
女性専門のブティックになど初めて入ったイルカはわけがわからず―――気づいた時には試着室でカカシ
と女性店員の着せ替え人形と化していた。
「このルージュは新色です。お嬢様には良くお似合いですわ。上品な色ですから」
「あら、ここ化粧品も扱っているのね。助かるわ」
(カカシ先生、すごい…完璧女性です…)
イルカは女言葉を使うのが恥ずかしく、どうしても言葉少なで俯きがちになる。
「そんなお色、もっとお年を召してからでも着られます。もっと明るい…ほら、こんな柔らかな薔薇色。お嬢
様、綺麗な黒い髪をなさっておいでですから、きっとよく映えますわ。ねえ」
店員はカカシにも同意を求める。
「ええ、いいお見立てだわ。彼女に似合うわね、その色。それももらうわ」
イルカは慌てた。
「2着も要りませんけど…あの…」
「要るのよ。…貴方は、私の言う通りになさい。…ね?」
「……はい…」
結局、あちらこちらで買い物をして、女性が二人、小旅行に行けるだけの仕度が整ってしまった。
「…クナイなんかはどうします?」
「忍びの武器類は、一切持ちません。…万が一、所持品を見られても忍びだとばれないようにね。そうです
ね…女性が護身用に持っていてもおかしくない得物を用意しましょうか。…荷物、増えちゃいましたね。ち
ょっとここで荷物番して待っていて下さい」
カカシは買い物をイルカに持たせ、あっという間に雑踏に消えた。
ふう、とイルカは着慣れないスカートの裾を引っ張って直す。
(ス、スカートって落ち着かないな…少し短くないかこれ…)
目を上げると、見知らぬ少女がこちらを見ていた。大きな眼の、可愛らしい黒髪の美少女。
彼女は少し驚いたように目を見開いてイルカを見つめている。
(へえ、可愛い子だな…って、…え? 嘘…あれ、もしかして…俺?)
さっきの店では、恥ずかしくてろくに鏡も見なかった。少女が、鏡状のウインドウに映った自分の姿だと気づ
いたイルカは慌てて目を逸らす。
「うわあ…かーちゃんじゃないよ、これ…」
口の中で呟いたイルカは一人で赤くなっていた。目に映る自分の手も、足も華奢で何とも頼りなく、心細い。
これで何かあった時は通常の戦闘能力が発揮できるのだろうか。イルカは不安になってきてしまった。
(……あ、俺昼食ってない…腹減ったなあ…)
道行く通行人を見るとはなしに見ていると、たまに知った顔が通る。見られてもイルカだとは絶対気づかれな
いだろうが、イルカは恥ずかしくて顔を伏せた。
「ねえ、彼女暇だったらお茶しない?」
(こいつ…三回目の中忍試験でやっと通ったヤツだ…ったく、ナンパなんかしてねーで帰って技でも磨け!
馬鹿者。)
「…結構です」
イルカはうんと無愛想に、つんと横を向いた。
「けっ…スカしてやがんの」
早々に諦めてくれた男にイルカはほっとしたが、時間が経つにつれ、世の中暇な男が多いのだという事をイ
ルカは身を持って知る事になる。
「すいません、遅くなっちゃって。知っている店が移動していたんですよー。はい、これ護身用の懐剣です。
これなら持っていても不自然じゃないですし、オレ達なら確実に武器として活かせるはずです」
カカシは女性用に装飾を施された懐剣をイルカに手渡した。
「……ありがとうございます…」
「どうしました? 元気ないですね。…あっまさか、今の野郎に何かされたんじゃ…」
いいえ、とイルカは首を振った。
「…世の中、ヒマ人が多いなーって思ってたんです…あそこで貴方を待っている間、五人も男が声を掛けて
来ました……」
「イルカちゃん、可愛いから」
カカシのおどけた物言いにイルカはむっと顔を上げる。
「カカシ先生…」
「スカート、ちょっと短かったかなあ…オレだって面白くはないんですよ。いくら変化した姿だからと言っても、
イルカに違いは無い。男共が好色な眼で貴方の可愛い顔や綺麗な脚を見ているなんて、不愉快です。…
でも今回は任務内容が内容ですから仕方ないですが」
綺麗な脚、というならカカシの方が露出度は高い。カカシの方は大丈夫だったのだろうか、とイルカはそちら
が不安になった。
「まあ、ナンパされないコツはですね、『寄らば斬る!』くらいの攻撃的オーラを発散して歩く事ですねー。
ほら、声を掛け易い感じの人と、掛けにくい人っているでしょ。後は、気配を殺しちゃうとかね。でもあまり見
事に気配無くすと、かえってそれで目立ちますからね…不自然でない程度に存在感を消すんです。…とに
かく、里を出ましょう」
「…目的地…同盟国以外の国…ですね?」
「もちろんですとも。…詳しい事は、今夜の宿で話しますから」
イルカは頷き、カカシに従って歩きだした。
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