花も嵐も?! −2
「はい、うみのです」 イルカが自宅の電話を取ると、何となく聞き覚えがある男の声がした。 『…イルカさん?』 「はい。私がイルカです。失礼ですが、どちら様でしょうか」 『ああ、すみません…ほら、この間アンコ達と一緒にメシ食ったでしょ。カカシです。は たけカカシ』 イルカは少し緊張した。 「あ、はたけ上忍……お、久し振り…です」 『いきなり電話なんかしてすいません。…番号、悪いかと思ったんだけど、アカデミーで 聞いて』 「いえ、それはいいんですが…何か?」 アカデミーで電話番号を聞き出してまで、何の用があるというのか。 『あの………オレ、あの時今度一緒にメシ食いましょうって言ったでしょ? 改めてお誘 いしようかと思って』 ああ、それは律儀な事で―――と、イルカは意外に思った。あんな会話の流れでしたよう な約束を覚えていて、改めて誘ってくれるなんて。 面白い上忍だ。 「ああそう言えば、点心の良いお店をご存知とか仰ってましたね」 『覚えててくれた? え〜と、それで、行きませんか?』 イルカはふむ、と考えた。 「……えーと、…いいんですか? 私なんか誘ったりして」 『…もしかしてご迷惑?』 上忍の声が微妙におどおどと不安そうになったので、イルカは不覚にもそれを可愛く思っ てしまった。 「いいえ、そう言う意味じゃありませんよ。…お誘い、嬉しく思います。行きますよ」 受話器から、上忍の男がほっとしたらしい空気が伝わってきた。 『良かった〜。いや、いきなり電話してメシに誘ったら妙に思われるかなって、少し不安 だったんだよね。…じゃあ、明日…仕事ひける頃アカデミーに迎えに行くね。明日がお忙 しかったら明後日でもその次でも。………オレ、任務明けだから、しばらく待機だし』 ああ、ヒマなんだな…と、イルカは納得した。 (ヒマだから一緒にご飯食べに行ってくれる人が欲しいんだ。あ、いや、きっと任務中は まともなご飯が食べられなかったんだろう。久々に美味しいものを食べたいけど、一人で お店に行くのはつまらないから、この間の事を思い出したんだ、この人。たぶん紅上忍や 他のお友達は任務で今いないんだ。……可哀想―――) 「わかりました。明日は私も残業の予定はありません」 『んじゃ、明日』 「はい。では、失礼致します」 まるで任務の連絡でも受けているようにムダ話ひとつせず、事務的に電話を切る。 「……あの人、まだ私を男だと思ってんのかな…ま、いいや。どっちでも」 単に夕食を一緒にとるだけだ。 食事するのに男も女もなかろう。 ニブい上に結構大雑把なイルカはそれ以上考えずに風呂場に向かった。 「明日も早いし! 風呂入って寝よっと」 今のイルカの一番の楽しみは、気持ちよく湯船に浸かる事とふかふかのフトンで眠る事な のだ。梅雨時用に布団乾燥機まで持っている。 もしも仮に食事と睡眠の二択を迫られたら、迷いも無く睡眠をとる。朝、化粧をする時間 があったら一秒でも長く寝ていたい。 イルカのスッピンは、そういう色気の無い理由からくるものでもあった。 「イルカさん、まだかかる?」 イルカは唐突に話し掛けられ、驚いて顔を上げた。 事務机の横に、昨日電話をしてきた銀髪の上忍が立っている。 まさか、いきなり教員室に迎えに来るとは思わなかった。 「はたけ上忍……すみません、あと二十分程お待ち願えますか?」 カカシはうん、と頷いた。 「わかりました〜。ここにいたらお邪魔でしょうから、任務受付所の待合室にでもいるね。 終わったら来て下さいね」 「了解です」 やはり、とても『デート』の待ち合わせには聞えないやり取りである。 カカシがすぐに出て行ってくれた事に、イルカは内心胸を撫で下ろした。やはり、職場な のだからけじめはつけなければ。 だがカカシが出て行くと、イルカの方に視線が集中した。主に女性の視線である。 「……イルカ先生、あの上忍の方とお知り合い?」 勇気を出した同僚の質問に、イルカはあっさりと肯定の仕草をする。 「ええ、まあ…顔見知り程度ですが。今日はちょっと約束したのでわざわざ迎えに来て下 さったようです。……上忍の方って、案外気さくですねえ」 あはは、と邪気なく笑うイルカ。 教員室の中に微妙な空気が流れる。 ―――「気さくですねえ、あはは」…ってアンタ…と、誰しもが胸の内で呟いた。 彼が上忍の中でもトップクラスの『写輪眼のカカシ』だと知る者は更に顔が蒼い。 『彼氏』が来てくれた時に普通の女性が放つ、ぱあっと輝くような華やかな喜びや恥じら いのオーラを全く放たないイルカの様子に、あの上忍がイルカをデートに誘い出したのだ とは誰も思わなかったのである。 もしかしたら、何らかの目的でイルカはあの上忍に目をつけられてしまったのではなかろ うか。 そうなら上忍の任務の為に利用されるか、犠牲になる可能性もある。 実際そうした例はいくらでもあって、特に珍しい事ではなかった。 ただ、何も気づいていないらしいイルカが気の毒で、皆口には出さないながらも、彼女に 同情したのだった。 その場の空気がどうもおかしいな、と思いながらもイルカはテキパキと仕事を済ませて、 帰り支度をする。 「では、お先に失礼致します」 ぺこんとお辞儀して髪を揺らす彼女に、周りから「お疲れ様」だの、「気をつけてな」とか いう『いつもの』声が返った。 だが、彼女が部屋から出て扉を閉めると、重いため息がそこかしこで漏れた。 「…だいじょ〜ぶかしら…イルカちゃん…」 「無事を祈る事しか出来ない俺達を許せ、うみの…」 同僚達は皆、明日あの明るい笑顔を見る事はかなわないかもしれない、とまるで見当違い な心配をしながら彼女の無事を祈るのであった。 「すみません、お待たせして」 一方のイルカは教員室から出て、中庭を突っ切ると真っ直ぐ待合室に向かった。 ソファに座って本を読んでいた男は自然な動作で本を閉じ、腰嚢にしまいながら立ち上が る。 「いや、オレが勝手言ったんだから…」 「終業する正確な時間を言わなかった私が悪かったです。子供達が帰る時間イコール、教 員の業務終了ではないのだと言うのを忘れました」 「とーんでもない。別に、何時間も待ったワケじゃないから。………いや、オレから誘っ たんだから、アナタの都合がつくまで何時間でも待つけどね」 イルカは首を振った。 「何時間もお待たせするくらいなら、最初からお約束などしません。申し訳ないですから」 カカシはぱちぱち、と瞬きする。 「イルカさんって、あれだね。…生真面目なんだ」 「そうですか? 特に真面目ではないですよ。人をなるべく待たせないようにするのは、 当たり前なことではないですか?」 遅刻常習犯の男にとっては、ちょっぴり耳が痛い。 「………だ〜よね。スミマセン」 イルカは思わず笑った。 「はたけ上忍ったら、何で謝るんですか?」 「………いえ、何となく。そ、それよりも早く行きましょ」 「あ、ハイ」 カカシが案内したのは、見るからに高そうな雰囲気の店だった。もっと気軽な店に行く のだと思っていたイルカは、居心地悪そうに周囲を見渡す。 「………ランチタイムじゃなくても、食べ放題…なんですか? ここ」 カカシは「いいえ」とニッコリする。 「食べ放題って、大抵時間制限デショ? それじゃ忙(せわ)しないじゃない。そういうのも ゲームみたいで面白いけど、今日は、ゆっくり楽しんで食べたくて。…ここ、本当に美味 しいんだよ、点心」 そういえば、カカシは『点心のいい店を知っているから食べに行こう』と言った。『点心 の食い放題に行こう』と言った訳ではない。 どうしよう、とイルカは思った。 食べ放題なら、そんなに高い料金設定では無いだろうと思っていたのだ。給料日前のこの 時期に、そんな食費は無い。 そんなイルカの表情を読んだのか、カカシは苦笑した。 「高そうだとか思って、遠慮しないでいいからね。好きなものを食べて。…オレ、イルカ さんに美味しいって喜んで欲しくて、誘ったんだから」 「………え?」 「やだな、割り勘とかする気だった? 当然、ここはオレ持ちだって。………食事に誘っ ておいて、女性に払わせる男なんていないでしょーが」 「………………は…………?」 反応の鈍いイルカの様子に、カカシは半眼になった。 「………もしかして、アナタ…これ、デートだと思ってなかった………ワケ?」 「でぇとぉ?」 声をひっくり返して驚くイルカに、カカシは頭を抱えた。 「オ…オレも大概ニブイ方だけど………イルカさんも相当………だね。道理で、まだ虫が ついてなかったワケだ」 「ムシ?」 「―――男。………いないでしょ?」 イルカは何となくムッとしながらも、肯定した。 「お付き合いしている男性という意味なら、残念ながらおりませんけど。…それが何か?」 「あ、怒んないで。…あのね、彼氏がいる女の子、誘ったら悪いと思ったのよ。だから、 調べたの。彼氏がいるかどうか、その程度ならプライバシーの侵害じゃないでしょう?」 イルカは怒気を引っ込めて、頷いた。 「それも…そうですね。…はたけ上忍、真面目なんですね」 そんなイルカに、カカシはますます苦笑する。 「………そりゃ、どーも。………でも、デートじゃないなら、何だと思ってたわけ?」 「え〜と、ゴハン食べに行くのにお一人じゃつまらないから誘われたんだと……思ってま した。………だって、上忍は私を男だと思ってらっしゃる…と…」 赤くなって俯くイルカ。 「うん、そーね。………最初、あの店で会った時はアンコの彼氏かと思ったのは確かだけ ど、男だと思ったわけじゃないよ。え〜と、怒らないでね? …イルカさん、男っぽい格 好してるから、その………女の子カップルの男役かと、勘違いしちゃって……ゴメン。で も、話してたらそんな感じじゃないし、考えたらアンコにはちゃんと野郎の彼氏がいたよ ーな気がするし」 「いえ、怒りはしません。勘違いされるような格好をしている私が悪いんです。…女の子 に付き合ってくれと言われたことも、無いわけじゃないですし」 カカシは目を丸くした。 「そんで、付き合ったの?」 「いや、まさか。…私がくノ一らしい格好じゃないのは、機能優先の結果です。女の子と 恋愛する為じゃないですから。…それに、この服を着用している女性は私だけではありま せんよ? 少数派ではありますが」 イルカは微笑んで肩を竦めた。 「実は、アンコさんにも呆れられたんです。年頃の女なら、もっと身なりに気を遣えって。 でも、私は………お化粧にも興味無いし、こ、こんな顔だし…」 カカシはにっこりと笑った。 「イルカさん、綺麗だからね。化粧必要ないもんね」 「………はたけ上忍、失礼ですが、乱視でいらっしゃいますか?」 真顔でそう質問したイルカを数秒凝視し、カカシは静かに問い返した。 「マジで言ってる?」 「………すみません」 はあっとカカシは息を吐き、天井を仰いだ。 「そっかー。………まあ、取りあえず、料理も来たし、食べよ?」 カカシは予約である程度料理を注文していたらしく、どんどん皿やセイロが運ばれてきた。 「他に食べたいのあったら、言って? 一応、この店で人気のあるメニューを頼んだけど」 「はい。…うわ、凄いですね。豪華………」 イルカは箸を手に取りながら、首を傾げた。 (……乱視…じゃないなら、美的感覚がズレてる? ああ、あり得る………上忍だし、こ の人) 上忍に変わり者が多いのは、周知の事実だ。 当の上忍達が聞いたら反論があるだろうが、少なくとも中忍以下にはそう思われている。 「………口に合う? 美味しい?」 そっと問う上忍に、イルカは心から答えた。 「ええ、とっても美味しいです」 「良かった。…何か、難しい顔してるから……味が好みじゃないのかと」 イルカは慌てて首を振った。 「すみませんっ…失礼しました。少し、考え事をしておりました」 カカシはふふっと笑う。 「…オレとデートしているんだから、オレのことを考えてよ」 イルカは海老の水晶包をぱっくんと口に入れる。もぐもぐ、ゴクン、とちゃんと咀嚼、 嚥下を終えてから口を開いた。 「…実は、はたけ上忍のことを考えておりました」 「………………あのさ、聞くのちょっと怖いけど、オレの何について考えて…たの?」 「失礼ながら、はたけ上忍はおそらく、世間の方とは美的感覚が違うか、『綺麗』の範囲が やたら広いのではなかろうか、とか………そういう事を」 カカシの箸から蒸餃子が滑り落ちた。 「そ…それは、さっきオレが…イルカさんが綺麗だって言ったから?」 「はい。ウチにも鏡くらいありますので。自分の顔が綺麗かどうかくらい、判断はつきま す。はたけ上忍が、中忍の私にお世辞を言う理由はありませんし。………あ、そうか。慰 めてくださってるって可能性がありました! すみませんっ」 カカシは頭痛を堪えるように、数秒間こめかみを指先でおさえた。 「…え〜とね、まず、オレは乱視でも近眼でもないし、美的感覚はおそらく世間様とそう ズレているわけじゃないと…思う。それから、アナタにお世辞や慰めを言ったつもりもな い」 「………でも………」 聞いて、とカカシは正面からイルカを見据えた。 「アナタ、普段からきちんと栄養バランスを考えて食事をしているし、睡眠も十分とって いるでしょ。…オレね、眼、いいの。ハナもいい。………アナタの肌や、唇、眼を見れば わかるのよ、そういうの。…酒やタバコ、いい加減な食生活で荒れた肌を化粧で隠そうと しても、隠しおおせるわけがない。……誤解ないように言うけど、化粧が悪いとは思って ないよ。女の子が一生懸命自分に合う化粧法を探して綺麗になろうとするのは、いい事だ。 ………ただね、オレは化粧で綺麗になった顔より、素で清潔感があって瑞々しい顔の方が 綺麗だと思うわけ。……イルカさんは、綺麗だよ」 イルカはカカシの説明に、納得顔になった。 「………そういう事ですか。…なら、多少は理解の範疇です。造作の問題ではなかったん ですね」 「…そういう納得の仕方しないでよ〜。凛々しくていい顔じゃない、イルカさん」 イルカはほんわりと微笑した。 「ありがとうございます。…美人だとか言われたら嘘くさいけど、凛々しいっていうのは 上手い表現ですね。素直に嬉しいです」 カカシはううう、と小さく唸った。 「………あのさ、わかってる?」 イルカは小首を傾げた。 「何をです?」 「オレねぇ、さっきからアンタを口説いてるの」 |
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