花も嵐も?! −1
「…イルカちゃん」 「何でしょうか、みたらし特別上忍」 イルカは書類作成をしていた手を律儀に止め、アンコを見上げた。 放課後の教員室には、もう他の同僚の姿は無い。 見上げてくる黒い瞳を見つめ返し、アンコはため息をついた。 「アタシもさ、あまり他人の事をとやかく言えないんだけどさあ…あんたのソレはあんま りでない?」 「…ソレ?」 イルカは不思議そうにアンコを見る。 「これよ!」 アンコはイルカのポニーテールをちょいとつまんだ。 「私の髪が何か?」 「あんたいくら何でもねえ…荒縄に近いよーな紐で縛る事はないんじゃない? …ってア レ? この紐…もしかして荷造り用の紐なんじゃ…」 幾分細めで、遠目にはよくわからなくても近くで見れば、それが髪をまとめる為のもので はなく、古新聞や荷物を縛る為の紐である事はすぐわかる。 「そーですけど? 手近にいい紐がなかったから、これでいいや、と思って。輪ゴムはダ メですねえ…生ゴムだから髪が引っ掛かって絡まってしまう」 イルカはにっこり微笑んで、そう言いのけた。 「…前から思ってたけど…あんたって、自分の身だしなみとかにはすっごい大雑把なんじ ゃ……男どもと同じ格好してるし………」 「だって、面倒じゃないですか。この格好、便利だし。子供らと取っ組み合いやっても胸 つかまれたりしなくって、いいですよ。もう最近のガキ…いえ、生徒もおませで」 イルカは全く化粧気のない顔で、屈託の無い笑みを浮かべている。 美人と言うより、男前。背が高く、低いアルトの声。飾り気の無い男性向標準装備をして いるイルカは、実は同じくノ一達にとても人気があった。 女子高でボーイッシュな女の子が同級生、下級生に憧れられるのと同じノリである。 「髪だって、ちゃんと洗うくらいはしておりますので、ご心配なく」 アンコはドン、とイルカの机に拳を叩きつけた。 「二十四にもなったオンナのセリフ? ソレ!」 「…洗わないよりマシでしょう?」 アンコが特に重要な用件で話し掛けてきたのではないと判断したイルカは、視線を書類に 戻した。 「お話がそれだけでしたら…すみませんが、火影様に頼まれた調書の整理をしてしまいた いので…」 フー、と息を吐いたアンコは首を振った。 「…今時、スッピンのくノ一も珍しいわよ…アカデミーの子だって、色つきリップくらい 塗るのに」 イルカの笑みが微妙に変わった。どこか自嘲めいた笑みに。 「いくら化粧したってムダです。…こんな傷物の顔」 普通なら、とアンコは思う。 白粉やら何やらを塗ればイルカの傷痕はもっと目立たなくなるから、化粧が濃くなる方が 自然なのに。イルカは日焼けした顔に口紅一つ差さない。 「それに、傷跡が無くてもね、この顔立ちじゃ口紅も何も似合いませんから。地黒だし、 眉太いし、骨格が男性的だし。……いいんですよ、私はこれで。普段相手するのは子供ば かり。色気を出してどうするんです。子供には白粉の匂いより、石鹸の匂いの方が良いで しょう?」 イルカはそれきり口を噤んで、書類作りを再開した。 「……しょーがないなあ…」 アンコはため息をついて肩を竦めると、そこらの机の抽斗をかき回して書類綴じ用の黒い 細紐を見つけ出す。 そして、有無を言わさずイルカのポニーテールを解いて、その紐で結い直した。 「これも髪を括るもんじゃないけど、荷造り紐よりマシだわ」 「…すいません…」 少し赤くなって礼を言うイルカに、アンコは苦笑した。 「仕事終わったら、甘いものでも食べに行こうよ。いーでしょ? そういうのは」 イルカは再び元の微笑を浮かべた。 「はい。ご一緒します」 「みたらし特別…」 「アンコって呼びなって。堅苦しいなあ」 「では、アンコさん。…余計なお世話かもしれませんが、少しカロリーオーバーですよ、 それ」 ばく、とたっぷりのクリームをスプーンで口に入れたアンコはでへへ、と笑った。 「わかっちゃいるんだけどね〜やめらんないの〜。明日ガンガン走り込みやって、カロリ ー消費すっから、見逃して〜」 「いえ、わかってらっしゃるならいいんですが。…アンコさんは太ってないけど、過度の 糖の摂り過ぎは…」 でぇいっ! とアンコは自分のアイスをイルカの口に突っ込んで、黙らせる。 「毎日こんなに食べてないんだからいーのっ! も〜、せっかくケーキ食べ放題のお店に 来たんだから食べなきゃ損だって! そういうアンタは何ソレ。サラダとかパンとか…も しかして夕食代わり?」 イルカは甘いアイスを飲み込んで頷いた。 「ええ、ついでだから。あ、ちゃんと甘い物も食べていますよ。ここのブリュレ、美味し いですね」 「あっあたしもソレ取って来るっ! パイも美味しいよ。食べる? 取って来てあげる」 「あ…じゃあ、お願いします」 「りんごと、カスタードチーズのどっちがいい?」 「……両方」 ぶは、とアンコは噴き出して席を立った。 「な〜んだ、イルカちゃんも結構食べるんじゃん。ケッコーケッコー」 笑いながら回れ右、をしかけたアンコは誰かにぶつかりそうになって慌てて身体を逸らす。 「あっと! ごめんな…あら、カカシ上忍」 アンコがぶつかりそうになった男が、仰け反った彼女が身体を起こすのに手を貸してやり ながら、微笑んだ。 「お〜や、甘いもの好きのアンコちゃん。やっぱり来てたんだ。ここのオープンを見逃す はずないもんねえ。…それも、デートとは隅に置けない」 カカシはちらりとアンコと同じテーブルにいるイルカに目を遣って、軽く会釈する。 イルカもぺこんと頭を下げた。 「ふふふ、カッコイイっしょ。女の子に人気あるんだから、あの人」 アンコの冗談に、イルカは困ったように微笑んだ。 草色の胴衣を着て座っている自分が、カカシの眼からは男に見えたのだろう事はわかるが、 それに便乗したアンコの冗談にどこまでつきあったものか。 「それより、何でカカシ上忍がこの店に? 甘いもの別に好きじゃないでしょ?」 カカシはカリカリと額当ての下をかく。 「ま、ね………紅とくだらない賭けして、負けたのさ〜ははは〜…んで、今日はここ奢ら されるの。でも、ケーキばっかりの店じゃなくって助かったわ。よく見りゃ麺類もあるし」 「パスタって言いなよ…オジンくさ」 イルカは「えっ」と声を上げた。 「…パスタ、ありました?」 カカシはにこにこと頷いた。 「あった、あった。種類も結構あったよ。でもこのテーブルからは見えないね。あの柱の 向こう側だよ」 はあ、とアンコはため息をついた。 「ホントに夕食代わりなのね〜〜〜あんた」 「アンコちゃん達、後、制限時間どれくらい? オレ達は後六十分ってとこだけど。良か ったら一緒に食おうよ。大勢で食った方が楽しいっしょ?」 「…アタシらもそれくらいだけど…あー、カカシ上忍ったら、紅ちゃんと二人っきりが怖 いんでしょ」 「当たり前でしょーが! 怖いよ。アレの実態を知らん連中に恨まれんのなんかゴメンだ っての。……あ、それともデートの邪魔かな?」 最後のセリフはイルカに向けられたものだったので、イルカは慌てて首を横に振った。 「どうぞっ! 全然構いませんっ」 こうして、何故か上忍を二人も交えての、ダブルデートの様相を呈するテーブルが出来上 がってしまった。 紅と連れ立って果物を取りに行ったアンコは、彼女に耳打ちする。 「カカシ上忍ったら、イルカちゃんをアタシの彼氏だと思ってるみたいなんよ。…面白い から、気づくまで黙ってよーぜ」 「あれ? あの子、あんな格好してるけど、女の子よね? やーだ、カカシ気づいてない の? この店、照明暗いけどさあ……ぶはは、超ニブ男。わかったわかった。黙ってる」 一方、パスタとサラダ、スープで自分の前のテーブルを埋めたカカシとイルカは、それら をせっせと消化していた。 「結構美味いね。こんなにちゃんとした料理が出せるなら、ケーキ食べ放題なんかで客を つる事無いのにな」 「そうですね。でも、まずは集客だと思ったのでしょう。美味しいと思えば、客は食べ放 題の時間以外でも来るでしょうから」 「なるほど」 カカシはちら、と茸パスタを美味しそうに食べているイルカを見た。 「でもまあ、時間制限つきでも、食い放題の店の方がいいかも。…普通の店にアンコ連れ てったら、アンタ破産しちゃうよ」 あは、とイルカは笑った。 「かもしれませんね。…でも別に彼女におごるわけじゃないですから。ここも割り勘です」 「…そうなの? デートじゃないの?」 「まさか。…仕事帰りに甘いものでも食べようって、引っ張ってこられたんですよ。ここ のところ、私は残業続きだったので気遣ってくれたのでしょう。疲労には甘いものがいい ですから。…まあ、一人で来る店じゃないから、彼女に誘われなきゃ私も来なかったでし ょうけど…」 「それはオレも同じ。紅にたかられなきゃ、こんな店来ないって。見なよ、女の子同士と か、カップルしかいないじゃない」 カカシに言われて、イルカも周囲を見回す。 「…ですねえ…」 「しかし、里の中にこんな店出すなんて、勇気ある店主だね。忍連中なんて、胃袋が歩い ているようなヤツが多いってのに」 「カカシ上忍も、よく召し上がりますね」 カカシはアハハ、と笑う。 「一人暮らしなモンでね。…まともに手を掛けたメシを食う機会は逃しませんって。ケー キ食い放題の店って聞いた時はゲンナリしちゃったけど。…ま、これならつきあってもい いかな。もっと何て言うか、煮物とかソバとかありゃあ文句無いんだけど」 イルカも笑いながら応じた。 「…それはもっと別の店に行かないと。私も、ケーキも悪くないけど、同じ食べ放題なら 点心の方がいいなあ…なんて」 「お、それいい。……ねえ、イルカさんって何? ドコの部隊?」 「ああ、私はアカデミーの教員です。現在は部隊には所属していません」 カカシは得心がいった、と言う様に頷いた。 「あ、さっき残業がどーのって言ってたものね。…そっか、だーから今まで顔見なかった んだ。学校の先生かあ…じゃあ、結構仕事って規則的?」 「ええ。テストや行事の時以外は。忙しい時は帰れなくなるほど忙しいですけど。今は比 較的、定時ですね」 カカシはにこにこと微笑みかけた。 「じゃ、今度点心食いに行かない? オレ、いいとこ知ってる」 「は?」 イルカは戸惑った。 カカシは上忍。 そんな人が何故中忍の自分を誘うのだろう。 今しがた逢ったばかりなのに―――いや、この人は自分を男だと思っているはずなので は? ではまさかもしかして実はこの人ホモだったりなんかして……いやいや、純粋に同 じ嗜好らしい人間を見つけて、一緒に食べに行こうと誘っているだけだ。うん、そうだ。 などと三秒ほどイルカが思考している間に、アンコ達が戻って来る。 「はーい、お待たせ。今日のシメはフルーツ盛り合わせだよん。もー、金額の三倍は食べ ちゃってるねー…お店に悪いわねえ、あはは…」 いや、絶対に自分達は四人合わせて金額の十倍は食べている、とカカシとイルカは思った が、黙ってアンコ達が持って来た果物を食べた。 ふとイルカが顔を上げると、テーブルの向かい側にいたカカシと目が合う。 にこ、と微笑まれて、イルカは少し赤くなって顔を伏せた。 そう言えば、さっきの返事をしていない。 カカシも、アンコ達が戻って来ると話をやめてしまった。 きっとあの話はこのまま立ち消えるな、とイルカは自然にそう思った。 数日後、彼から電話が掛かってくるまでは。 |
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なんというか………変化ではない女の子のイルカで『イルカカ』が成立するかというあほ〜なお題にチャレンジした一作。(笑) |