揚羽蝶
3
「………すみません………やだな、こんな………子供みたいだ………」 カカシは恥ずかしそうに涙を拭う。 思えば、父がいなくなってから、初めてまともに泣いたような気がする。 父が死んだ時はショックの方が強くて、泣く事も出来なかった。 「………亡くなった親しい人を想って泣くのは、恥ずかしいことじゃないと思います。…そりゃ、泣いてばかりっていうのは亡くなった方が心配されますから、いい事じゃないけれど。………たまに思い出すのは………供養のひとつだと思うんです」 「………イルカ先生………も?」 ええ、とイルカは頷く。 「…何かの拍子にね、思い出します。…父や母、恩師、友達………もう彼岸に逝っちまった人達の顔、声………夢に出てこられて、思わず泣いてしまったりね。………でも、それでいいのかな…って。…だって、俺が忘れてしまったら、その人達がこの世に在った証がひとつ減るわけですから」 カカシがイルカの肩に頭をもたせ掛けると、髪がサラリと流れた。 父譲りの、月の雫のように白く光る銀糸。 カカシの存在自体が、サクモの生きた証だ。 カカシは、イルカにもたれたまま目を閉じる。 「………先生のお父さんは…? ………どんな人でした………? 先生に似ている?」 ん? とイルカは首を傾げる。 「そうですねえ………見た目は落ち着いたインテリ学者みたいな感じの人でしたよ。…俺は、あんまり親父に似ていないんです。顔なんかは母方に似たらしくて。髪の色くらいかな、同じなのは。…そう言やあ、俺は、親父にはしょっちゅう怒られて、ブン殴られていたような気がしますね。…何せ、落ち着きの無い悪ガキで、ヤンチャばかりしていたもんですから。………でも、肩車してくれたりね。時間のある時は膝に抱いて話を聞かせてくれたり。厳しいばかりでもなかったなあ。…うん、ガキだった俺には、かっこいい親父に見えましたね。だから、父ちゃんみたいな忍者になるんだーって、思ったんでしょうし」 「…へえ…会ってみたかったですね………アナタのお父さん」 イルカは首を傾げる。 「んー、もしかしたら、会った事くらいはあるかもしれませんよ?」 は? とカカシは顔を上げた。 「親父は一時期、四代目様のお仕事の補佐もしていたと記憶しています。…主に、事務処理系で。…だから、四代目様の暗部だった貴方なら、顔を見たことくらいはあるかもしれないです」 四代目は、生来の生真面目さで火影としての仕事を全部こなそうと頑張っていたが、身体は一つしかない。事務処理にはどうしても補佐を置かなければ、片付くものではなかったのだ。 カカシは眉間にシワを寄せ、当時の事を思い出そうとした。四代目の補佐は、何人かいたはずだ。その中で、イルカの父親でも不思議ではない男といえば――― 「………あ、もしかしたら、あの人かな。…長い黒髪の………メガネかけた?」 「ああ、そうそう。ちょっと近眼気味で、書類仕事の時はメガネかけていましたね」 「…うわ、そっかー、あの人か! そういや、オレより小さい子がいるって言ってた気がする。あれ、イルカ先生の事だったんだ!」 二人は顔を見合わせ、笑った。 「………何か、嬉しいな。…オレ、イルカ先生のお父さんと話をしたことあったんだ………」 「そうですね。…俺も、何だか嬉しいです」 過去から現在へと続く、小さな縁。 その時はごくありふれた日常風景のひとコマに過ぎなかったやり取りだったのに、十数年を経た今、とても意味を持っていたもののように感じられて妙な気分だ。 「スイマセンねえ、お名前まで存じ上げなくて」 「そりゃお互い様でしょう。俺も白い牙のお名前までは知らなかったんだから」 「………ふふ、そーか、そーか。…うん、だんだん思い出してきました。補佐役の中で一番生真面目そうな顔しているクセに、先生…四代目にサボリを勧めていた人だ。…気を張り詰め過ぎてちゃダメですよ、たまには息抜きしなさい、テキトーにやってもいい事はテキトーにしとけばよろしいって。…オレにも、キミもだよって。…オレをちゃんと年齢相応に扱ってくれたっけ…アナタのお父さんにとっては、オレが暗部だ上忍だってことより、まだ子供だって事の方が重視すべき項目だったんですね」 カカシは悪戯っぽい笑みを浮かべる。 「…そうだなあ…そうして考えてみると、イルカ先生ってやっぱりお父さんに似ているのかも。姿かたちじゃなくてね、人への接し方が。……礼儀正しく、権力におもねらず、公平で…そして、他人の痛みを親身になって気遣ってくれる。そんな、ところが」 イルカはカアァッと赤面した。 「な………お、親父はそうだったかもしれませんが…俺は………そこまで言って頂けるほど、人間が出来ていません」 ぷっくっく、とカカシは笑う。 「いやいや、ご謙遜」 カカシの腕がイルカの首にスルリと絡みつく。 「………うみのさん、こんなの見たらビックリしちゃうねえ……可愛い息子にくっついているのが、男で」 イルカはカカシの背に手を回し、苦笑した。 「それもお互い様でしょう? サクモさんも驚かれますって……よりにもよって、何であんな中忍の男と? とか」 「………ん〜、ウチの親父はどーかなー………あの人はマジに天然さんだから、イルカ先生にウチの子をよろしく、とか頭下げそう」 「………そ、そうなんですか………?」 「うん。…親父は男女問わずモテてはいたけど、どっちかって言うと野郎にモテていたよーな気がするし………」 子供心にも、父親を見る部下その他の野郎共の視線が、何かアブナイ気がしてゾワゾワしていたのだ。 今思い返すと、やはりあれは好色な意味合いの視線だったのだと確信できる。侮りがたし、ガキの直感。 あのう、とイルカが遠慮がちに手をあげた。 「………ウチは母親もくノ一でして………まあ、里ではごく普通の夫婦だったんじゃないかと思うんですが………カ、カカシ先生の母上は……」 カカシはまたさらっと「さあ?」と答える。 「オレ、母親の顔も名前も知らないんですよ。どうしてウチにはお母さんがいないのかなー、と思って親父に聞いたら、すっごく言いにくそうに黙り込んで暗くなっちゃったから、子供心に『ああコレは聞いちゃいけなかったんだ』って思ってね。随分後になってから、当時の事を知っていそうな自来也様とか、四代目に聞いてみたけど、二人とも詳しくは知らなかったようで。……でも、どーやら正式に結婚する前に逃げられたみたいでね。…ガキ、押し付けられて」 ごふ、とイルカはむせた。何だか想像していた『白い牙』像とどんどんイメージがかけ離れていく。 「何が悪かったんでしょーかねー…そういや、ウチの親父って、自来也様曰くそれでも男かよってくらいソッチ方面淡白な人だったらしいです。よくオレが生まれたなー、と思うくらいだって。………それでかな、フラれたの」 あ、とカカシは手を打った。 「それとも、もしかしたら親父にも野郎の恋人とかいたのかも! それがオレのお袋にバレて、別れるハメになったとか! …可能性ゼロとは言えないですよね」 「………カ、カカシ先生……そんな………」 イルカが困ったような顔で故人を庇おうとすると、カカシは冷たい眼でじろっと睨んだ。 「何ですか。息子に妙な憶測をされたくなければ、きちんと母親のことくらい教えてくれれば良かったんですよ。…まったく、オレはいい迷惑です。結婚もしていないのに、いつの間にか子供…それも、親父そっくりなのがいるのを見て、世間の皆さんは禁術かなんかで作った親父のコピー人間かと思ったらしいですよ。…木のマタから生まれたって言われたのも同然です」 ああ、何があったか知らないけど、サクモさんもカカシさんも苦労したんだろうなー、とイルカは素直に親子に同情した。 「………それは………お気の毒でした………」 でしょでしょ、とカカシはイルカに懐く。 「ねー、ヒドイでしょ? 慰めて、イルカ先生」 父親に比べれば、『ソッチ方面』に淡白ではないカカシは恋人にキスをねだる。もちろん、世間の男並にしっかりと雄の本能を持ち合わせているイルカは、それに応じた。 だが、ちゅ、とキスした後、イルカは顔をしかめる。 「………すみません。やっぱり、髪を元に戻してください。何か…その…サクモさんにキスしたみたいな感じで…落ち着かないって言うか」 カカシはムッと唇を歪めた。 「イルカ先生が見たいって言ったんでしょー」 「はい、すみませんっ! ありがとうございました。…綺麗なのはよくわかりましたから。…だから………ね?」 カカシはニィッと口角をあげる。 「………やーです。せっかくですから、このままヤりましょう」 ふっふっふ。 カカシは不気味に笑った。 (………何ですか、ソレ………) 房事の最中に思わぬ故人の思い出話大会になった挙句、カカシにとっては不本意にも、父親を思い出して泣いてしまった事への意趣返しだろうか。 イルカは内心ため息をついた。 あまりにも似ている所為で、カカシではなく写真で見た彼の父親とキスしてしまったような気分になったのは本当だ。 このまま出来るのか? と自問自答する。 ―――無理だ。 月の光の中、肩を越して胸元や背に流れる白銀の髪の持ち主は、見れば見るほどカカシではなく違う男に―――白い牙と呼ばれた彼の父親のように見えてきてしまう。 綺麗で艶めかしいその姿に欲を覚えないかと言えば嘘になり―――同時に、ひどく背徳的で後ろめたい気持ちにさせられた。 ダメだ。こんな気持ちのまま、カカシを抱くことなど出来ない。 イルカは、その長い銀髪をひと房手に取って恭しく口づけ、ベッドから降りた。 「………イルカ先生………?」 戸惑うようなカカシの声を背中で聞きつつ、イルカは寝室を出る。そしてすぐに玻璃の杯と冷酒を持って戻ってきた。 「え? 飲むんですか? これから?」 シラフではやってられないと思ったのかな?とカカシが首を傾げる。 「…ええ。…今夜は、故人を偲んで供養をしましょう。………と、言うか…ああいう話をした後なんで、不謹慎な感じがしてしまって………萎えたっつうか………」 えええっ! とカカシは声を上げ、慌てて変化を解く。 「そんなにイヤだったんですかっ…ごめんなさい。ホラ、髪戻したし! ねえ、先生…」 イルカはにこ、と微笑んで、見慣れた姿に戻った恋人にそっと触れるだけのキスをした。 「………髪が長かろうと、短かろうと、貴方は貴方で………俺の大切なカカシさんに違いはないんですけどね。………でも、せっかくお互いの父親の話も出たことですし」 「………せんせええ〜〜ひどい〜〜………」 カカシは世にも情けない声で抗議した。 「…アナタが嫌がったのに、意地悪して髪を元に戻さなかったオレも悪いっていえば悪いですけど〜……ソレはないんじゃないですか〜?」 イルカはフ、と息を吐く。 「………噂をすれば何とやら………と、言いますが。…故人に関しても、言えそうなんですよね、それ。………その人の話をした事で呼んでしまうと言うか………」 カカシはぎょっとした。 カカシには全くそのケは無いが、イルカは何故か霊感体質だ。カカシには見えないものを見、聞こえない声を聞く。 「…まさか…呼んじゃったんです………か?」 カカシは些か蒼褪めた様子で周囲を見回した。 話をしただけではない。実際にカカシは父を想って呼んでしまっている。しかも、泣きながら。 「いや、まだいらしている気配はありませんが。…いついらしてもおかしくない状況ではあります。………お盆でなくても、気軽にいらっしゃる方…いますし………」 そういえば、自分の父親はズレていた。 お盆とか、そういう事はまったく気にせず、息子が呼んでいる、と思ったら来てしまうかもしれない―――カカシは冷や汗をかいた。 やはり、何だかんだ言っても、実の父親が見ている(かもしれない)前で、男に抱かれるのは避けたい気がする。 「……イルカ先生…オレも…萎えました……」 「でしょう?」 イルカは苦笑しながら、四つの杯に酒を注いだ。 カカシと、自分の分。 そして、彼の父親と、自分の父親の分。 サクモが酒を嗜んだかどうかは知らないが、カカシがそれなりに飲むのだから大丈夫だろう。 「………時々、こうして飲みましょう。………貴方のお父上も、俺の父も………息子と酒を酌み交わすまで生きていられなかった事を、無念に思っているはずですから」 「そうです………ね」 あの浮世離れした父が生きていたら、自分とどんな話をしたのだろう。 忘れようも無い優しい笑顔を思い出すと、カカシの胸の中はまたツンと切なく疼いた。 「…思い出話が、供養になる………か」 「ええ」 カカシは笑った。 「ロクな思い出話じゃないですよ? オレの覚えている親父って、魚を真っ黒に焦がしたり、鍋をブチ抜いたりしていた家事ダメダメ人間ですもん。………それでも?」 それでも、とイルカも笑う。 「言葉にすれば、その存在は甦るんです。……思い出す度に、鮮やかになる。色褪せず、心の中に在り続けてくれる………」 一度、自来也と飲んだ時の事をイルカは思い出していた。あの時、自来也はカカシには内緒だと言って、四代目火影に『会わせて』くれたのだ。 彼の姿形をただ真似ただけの変化ではなかった。自来也の心の中に存在し続けていた青年は、彼の言葉でイルカに語りかけてくれたのである。 それほどに鮮やかな記憶。 自来也の、愛弟子に対する想いの深さを垣間見た思いだった。 自来也が生きている限り、そこには彼にとってのミナトが生き続けている。 自分も忘れまい、と思った。 自分が生きている限り、繰り返し、繰り返し思い出して、大切な人々を心の中で生かし続けよう、と。 「…そうか…そうですね。…オレも、ツナデ様に言ってアルバム…見せてもらおうかな。……親父の写真、無いんですよ。写真とか、興味無い人だったらしくって………」 「そうですね。…言えば、見せてくださると思いますよ」 カカシの場合、髪を伸ばして鏡を見れば、そこに父親の面影を見出すことは容易だと思う。 だが、それはあくまでも髪を伸ばしたカカシであり、サクモではない。 淡い月光の中に玻璃細工の杯を置き、自分達をこの世に生み出して逝ってしまった男達に捧げる。 「親父たちに、乾杯」 月の影の中に一瞬、黒い揚羽蝶の姿が見えたような気がした。
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サクモさん、普通に結婚してたらごめんなさい。;; 奥さん、フツーにいたならごめんなさい!!! どーも岸本先生は、『母親』の存在をスルーする傾向にあるので、困るんですよねえ。(笑) 一言、書いといてくれればいいのに……… カカシ先生の、大事な人はみんな死んでいる発言で、あーお母さんもいないんだろうな、と勝手に思っているワケですが。(…リンとかも) イルカ先生が四代目(自来也の変化)に会った話は、『十二年目の伝言』です。
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