恋心九十九折−4

 

「やー、お兄ちゃん達、旅行かの? 若いのにこーんな鄙びた所に来るなんてしぶいのお」
満天の星空の下。
涼しくなった夜風が火照った身体に気持ちいい。
これで本当に恋人と二人きりなら尚良かったのだが―――
あいにくと今日は貸切ではなかった。
別に心づけをケチったわけではなかったが、今回は前回のような計らいは期待出来ない。
世間一般の休日を外したつもりだったが、今日は客が結構いるらしいのだ。
「鄙びていますかねえ…オレ、こういうとこ好きですよぉ。空気いいしー、ねえイルカせ
んせ」
結構夜遅いので、もしかしたら人がいないかもしれないと思っていたカカシは、内心の落
胆を押し殺して話し掛けてきた爺さんに笑顔を返した。
「ええ、俺も好きですよ。それにこの旅館は料理が良くていいですよね」
イルカもにっこりと笑顔を浮かべる。
彼の笑顔は老若男女にウケがいい。
特に年寄りと子供には絶大の効力を発揮する。
爺さんは同意を示してうんうんと頷いた。
「お爺さんはお一人でいらしたんですか?」
「んにゃあ、婆ァと一緒さ。…この宿にゃ混浴はないじゃろ。だから一緒には湯にはつか
れんのよ。こんな夜遅くだから一緒に来いって、言ったんだがな。もし若い兄ちゃんでも
おったらまずいとか言うて来なかったわ。なあ、しなびた婆ァが一緒におったかて兄ちゃ
ん達は気にせんよなあ」
イルカは苦笑を浮かべて首を振った。
「俺達が気にするとかじゃなくて奥さんが嫌がりますよ。お年は関係ないでしょう。他所
の男に身体を見られたくはないのではありませんか?」
「そうそう、それにそーんな事言っちゃっても、爺さんだって、奥さん他所の男に見られ
るのイヤなんじゃないですかー?」
カカシのまぜっ返しに、爺さんはむう、と唸って腕組みをした。
「……言われてみればそうかもしれんのう。…ちぃっとしなびとるが、アレはまだまだ年
の割りに色白でなあ……」
そしてちらりとカカシの身体に目をやる。
「…そっちの兄ちゃんの方が白いかもしれんがな」
カカシはちょっと嫌そうに眉をひそめた。
「お爺さーん…奥さんと比べるのはカンベンしてよお……オレ、結構気にしてんだからさ。
男のクセにナマっちろいっていっつも言われるんだよねー」
「そんなん、お前さんの所為じゃなかろう? 髪の色を見りゃわかる。生まれつきのもの
じゃろーが。それに…」
爺さんはにやりとした。
「ナマっちろいっていうのはな、兄ちゃんみたいな男に使う言葉じゃないねえ。よく鍛え
られた刃みたいな身体だよ。……そっちの、黒髪の兄ちゃんもな。…あんたら、忍かい?」
さすがお年寄り。
遠慮なくズバッと訊いてくる。
全身のあちらこちらに刀傷やらわけのわからない傷痕が走っている身体を見られて、『一般
人です』とシラを切るのは難しい。
二人は思わず顔を見合わせた。
「んー…まあ、一応ねえ…教師なんだけどー……まあ、ちょっと特殊かなあ…教えている
ことはー…」
「ああ、忍術アカデミーの先生かい」
イルカの場合は大正解。
カカシも一応『上忍師』に登録されているのだから、ポジションは爺さんの言った通りで
ある。
「…なんだ、爺さん里の事知ってんだ…」
「忍はな、何となく匂いでわかるよ。…わしも、その端くれだったからな。……たぶん、
兄ちゃん達が生まれたかどうかって時にな、体力の限界が来て引退したのさ。………わし
みたいに、中忍にもなれなかった忍なぞ、里の大事な事ひとつ知っているわけでもない…
簡単に引退させてくれたさ」
爺さんは少し寂しそうな顔で俯いた。
イルカは、手拭いを手に爺さんに近寄る。
「引退するまで勤め上げたなんて、尊敬に値します。…背中、流させて下さいませんか? 
先輩」
爺さんは深い皺が刻まれた顔で微笑む。
「…下忍にはアカデミーの教師は務まらんから、あんたらは中忍なんじゃろうに……一生
下忍だったわしをバカにせんのか?」
カカシは『自分は上忍だ』という訂正は入れずに、にかっと笑った。
「今、こっちの先生が言ったでしょ? 引退まで勤め上げる人の方が少ないですもん。…
爺さんは、すごいよ」
「………初めてだな、わしにそんな事を言ってくれたんは……いや、火影様はご苦労だっ
たと、最後に労って下さったか……」
下忍だった爺さんは、目を細めて若い忍である青年達を見た。
二人ともまだ二十代に見える。
彼らは若く、生命力に溢れていて…それは若さを失った老体には羨ましいものだったが、
ふと爺さんは顔を曇らせた。
彼らは教師をしていると言ったが、それは『安全』を示すものではない。
事が起これば、若くて戦力になる忍は即座に戦場に駆り出されるだろう。
彼らが言った通り、引退まで五体無事に生き延びる忍のなんと少ない事か。
「あんたらもな、命は大事にな……」
イルカは爺さんの背中を労わるように擦りながら頷いた。
「ええ…先輩の強運にあやかれますように」

爺さんは、カカシ達が知らなかった木の葉の昔話を幾つか聞かせてくれた後、『お先に』と
言って上がって行った。
「やー、火影さまの同期…いや、もっと先輩かなあ、あの爺さんは」
やっと二人きりになった露天風呂でカカシが手足を伸ばす。
「そうですね。…引退まで勤め上げて、老後は奥さんと温泉かあ……ご苦労もあったんで
しょうねえ」
感慨深げに呟くイルカの背中に、カカシは額を押し付ける。
「………羨ましい?」
「何がです? 忍として、限界ぎりぎりまで働いて引退出来たあのご老人がですか? …
まあ、ある意味理想ですよね」
「んで、奥さんと温泉に来るの。…女房と混浴出来ないって、露天風呂で若造に惚気て」
イルカは意味ありげなカカシの視線を肩越しに受け止めて笑う。
「…俺達は、爺さんになっても一緒に風呂に入れますけどね」
「……ごめんね、イルカ先生…」
「何故謝るんですか?」
「……イルカ先生には、男女に分かれた風呂場の暖簾の前で、奥さんと手を振り合う方が
似合うなあって…思っちゃって…」
わはは、とイルカは笑った。
「俺は好きな人と一緒に風呂に入れる方が嬉しいですよ? どうせ手を振り合う彼女もい
ませんでしたから。カカシ先生が謝るなんて、おかしいです」
イルカはゆっくり振り向いて、カカシの左目に掛かっていた髪をかき上げた。
爺さんの眼から隠していた傷と写輪眼が露わになる。
そのカカシの傷痕に、イルカはそっと唇を押し当てた。
それから、カカシの期待通りに唇を下に滑らせて唇同士を触れ合わせ。
初めてくちづけを交わしたこの場所で、あの時と同じ様に舌を絡ませる。
長いキスの後、イルカはカカシに微笑みかけた。
「ええ、仕掛けたのは貴方です。……でも、それに応えたのは俺なんですから。貴方が謝
る事はないんですよ」
あの時、そう言ったでしょう? とイルカは微笑んだままカカシの顔を覗き込む。
カカシも少し照れくさそうに笑って、イルカの顎に軽くキスを返した。
「……シワシワのジジイになっても、一緒に温泉来られるといいですね…」
「そうですね。…あ、カカシ先生はね、きっと生涯現役ですよ。百まで生きても引退しな
いような気がします」
「んで、若い連中びしびし締め上げる因業ジジイになって煙たがられるんですね? いい
ですねー! それ。うっとりものの老後ですね」
何やら本当にカカシはうっとりとした顔でどこかに思いを馳せている。
「…いや、俺そこまで言ってませんけど……あのう、先生…カカシ先生??」
何故かいきなり老後のドリームにハマってしまった上忍は、しばらく現実に返って来なか
った。
おかげで、キスの所為で暴走の兆しを見せていたイルカの下半身はすっかり萎える。
それはそれで良かったのかもしれない。
こんな所で本番になだれ込んでしまった日には、イルカが後でたっぷりと自己嫌悪に陥る
事は確実なのだから。

本気で茹だる前に露天風呂を後にしたカカシ達が部屋に戻ると、アスマは既に帰った後で
あった。
卓の上に旅館の者かららしい手紙が置いてあり、急用の知らせが来て彼が先に帰ったとい
う事を親切に書き記してある。
それを読んだイルカはため息をついた。
「……やっぱ良心が痛みますね……」
「旅館に姑息な嘘ついた事?」
「それもありますけどねえ、やっぱりアスマ先生や紅先生まで巻き込んでしまったのが…」
二人分の布団の上に寝転がったカカシは気持ち良さそうに伸びをする。
「だから、ここ御自慢の地酒を買って帰ればOKですってば。ちゃんとアスマの分も買い
ますから…ね? それじゃダメですか? …それとも…」
カカシは肘をついて上半身だけ起こす。
「イルカ、怒ってる? イルカがあんなに嫌がったのに、アスマを巻き込んでまでここに
泊まる事もなかったんじゃないかって…」
「……怒ってなんか…要は俺が変な事を気にしただけなんですから…アスマ先生にご迷惑
掛けたのは俺だって、わかってます…」
カカシは苦笑を浮かべた。
「あのね、イルカ先生。…オレはね、基本的にはどこだっていいんです。…アナタと一緒
にいられるなら、ムシロ敷いた山小屋だって構わない。…でも、今回はここに来たかった
んですよ。だって……アナタが初めてオレを…オレの気持ちを受け入れて、応えてくれた
所だから……初心に還るって言うのもおかしいですけど、オレはあの時の自分の気持ちを
忘れたくない。……ここに来て、もう一度思い出したかったんです…『幸せ』って慣れち
ゃうんですよね…だから…」
そう言いながら、カカシは決まり悪げにもそもそと布団に潜り込んで行った。
「……イルカ先生は呆れちゃうだろうけど、オレはそういう再確認って好きなんですよ」
そう言えば、カカシとイルカは少し前にも『思い出の地』巡りをしている。
初めて彼らが出会って『デート』した街で、カカシがもう一度当時と同じ店に行きたがっ
たのをイルカは思い出した。
イルカはクスっと小さく笑って、明かりを消しに行く。
それから、カカシが被っている上掛けをひょいとめくった。
「イルカ先生?」
「同じ事していいんでしょう?」
カカシが何か答える前に、イルカは彼の唇を塞いだ。
「…俺も思い出す事にします…貴方に最初に触れた時、どんなにドキドキしたか。……貴
方の言う通りですカカシ先生……幸せって、慣れてしまうんですね……」
「オレを抱く時、イルカは幸せ?」
カカシはイルカの首に手を回した。
「概ねは」
「何ですかその概ねはってーっっ」
途端に跳ね起きたカカシをイルカは抱き締める。
「だから、幸せですよ」
カカシは何となくイルカに煙に巻かれたような心地になったが、イルカの腕は気持ちいい
ので、素直にその心地よさに浸る事にする。
これがカカシの『目的』なのだから。
イルカの手は、カカシの欲しいと思う刺激を的確に与えてくれる。
「あ」
「? 何ですか? カカシ先生…」
「前と絶対に違うこと、ありますね」
「え?」
カカシはくすくす笑って、イルカの首筋にキスをする。そして、内緒話のように囁いた。
「イルカせんせ、オレのイイところ覚えちゃってる」
「…新鮮味に欠けます?」
いーえ、とカカシは首を振った。
「こういう慣れなら大歓迎です」
(…ああ、オレは今、とっても幸せだー……)
もういつ死んでもいいなあ、などと月並み且つイルカが聞いたら正座で説教もののセリフ
を心の中で呟きながら、カカシはうっとりと目を閉じた―――

 

 



 

・・・だから何だってんだこのバカップル。

と思わず呟いちゃうような展開で申し訳ございませぬ。
次回で終わらせます。
そそくさと。^^; ああ、恥ずかしい。

 

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