カカシのオトメな大目標、『イルカと愛を確かめ合う』も見事に達成され、カカシは満足し
てイルカと抱き合っていた。
そして、そのまま眠ってしまえば良かったのだが。
さっぱりと汗を流してから眠りたいとカカシは思ってしまった。
そこで、前回のように部屋風呂を利用しようとしたところ―――何故か今度の部屋の風呂
には温泉が引いてなかったのである。
つまり、利用する為にはお湯を出して湯船にためなければならない。
「…時間掛かり過ぎ……」
「どうやら、この間の部屋は源泉に近かったからああいう風になっていたみたいですね。
…シャワーで我慢しますか?」
「温泉に来てるのにシャワーだなんて! 温泉地への冒涜ですよ! あ、確か大浴場って
二十四時間でしたよね? あれ入りに行きませんか?」
カカシは俄然行く気になっている。
「…貴方が行きたいのなら止めませんが…大丈夫ですか?」
「平気平気。…ちゃんと歩けますよ。イルカ先生今日は一回しかしないんだもん」
「…………カカシ先生がもうやめろって言ったんじゃないですかあ…」
カカシはじろ、と睨めつけた。
「初めてやった時は同じ事言っても聞く耳持たなかったクセに…」
イルカは「え?」と目を見開く。
「………そうでしたっけ…? え? え? …あの…そう言う事…言いましたっけ…?
うわ、すいません…そうかあ…俺、たぶん夢中になっちゃってたんですね…うわ、全然覚
えていないです……申し訳ありません…」
イルカは恐縮して、一年近く前の事を今更ながらに謝った。
その当時、自分に余裕が無かったのはイルカも覚えている。
「あー…聞こえてなかっただけだったんですか〜…オレの声も無視するほど強引なところ
もあるのかと、ちょっと驚いたんですけどねえ、あの時は…そうか、聞こえてなかったの
かあ…」
「すいません…」
あは、とカカシは笑った。
「別に怒ってませんよぉ。つまり、それだけ良かったってことですよね? 夢中になるほ
ど?」
イルカは赤くなって唸った。
「恥ずかしい事を訊かないで下さいよ……ホラ、歩けるんならお風呂行きましょう!」
「わはは〜イルカ先生照れてる〜」
「…言っておきますが、もし大浴場に他の人がいなくても、さっきの続きはしませんから
ね?」
「……イルカせんせのイケズ……」
やっぱり考えていたか、とイルカはため息をついた。
こういうカカシの行動パターンは読みたいわけではないが読めてしまう。
目の離せない生徒の次の行動を予測する事に慣れてしまった教師の悲しいサガか。
それとも時々突拍子も無い事をしでかす恋人に対する心構えか。
イルカは苦笑を浮かべて大浴場へ行く支度を整えた。
「そういえば」
ちゃぽん、とお湯に浸かったカカシが呟く。
「何でしょうか」
イルカは露天風呂で洗い損なった髪を洗いながら律儀に返事をする。
「…オレ、アスマとしか卓球してない…イルカ先生もアスマとしか打ち合ってない…」
「ああ、そう言えばそうですねえ」
カカシは眉間にシワを寄せる。
「……いけませんね」
「はあ?」
カカシはばしゃんと湯船の中で立ち上がり、拳を握った。
「オレとイルカ先生の記念旅行だっつーのに、生まれて初めてやった卓球の相手がアスマ
だけだなんてっっ!! イルカ先生と愛のラリーをしなくっちゃ意味が無いっっ!!」
なるほど、これは記念旅行だったのか…それでカカシは同じ旅館にこだわったのだな…な
どと、今更ながらに納得するイルカ。
「それじゃ、部屋に帰る前にそっと、ちょっとだけ遊戯室に寄って卓球します?」
イルカにしてみれば、ここで卓球をしておかなければカカシが妙に拗ねてしまう事が目に
見えていたのでそう言ったに過ぎなかったのだが……
「もちろんですっっ!!」
また妙にリキの入っている上忍の姿に、イルカの胸にはそこはかとなく嫌な予感が去来す
る。
そして、嫌な予感ほど的中するものである事は世の常で。
もっと悪い事にそれは『予感』ではなく、過去の事実に基づいた『予想』と言った方が正
しかった。
夕食の前に破壊した台は部屋の隅に片付けられていて、イルカはあらためて心の中で旅館
の人に謝った。
一方のお気楽な上忍は気にしている風も無く。
「えっと、ラケットはこう持って…、と。はい、オッケーです〜」
にこにことラケットを構えている。
イルカは引き攣った笑顔で自分も構える。
(……ま、俺がスピードを上げなきゃいいんだよな…うん、そしたらカカシ先生も無茶な
事はしないだろう…)
ところが、実際に始めるとカカシの打つスピードにイルカの方が引きずられてしまった。
アスマと打ち合っている時と違ってカカシはイルカを打ち負かそうと言う気持ちは無い。
単にイルカとひとつの白球を打ち合うのが楽しくて、出来るだけ長く打ち合いたいのだ。
それはまさに『卓球』ではなく、『ピンポン』と呼べる正しい温泉卓球の姿だと言えよう。
楽しそうに卓球に興じているカカシの姿が微笑ましくて、球のスピードがだんだん加速さ
れていくのがわかっていながら、イルカもつい同じ速度で打ち返してしまう。
幸か不幸かイルカの眼は非常に良かった。
普通の中忍ならもうついて行けない速度になっていたというのに、ついて行けてしまって
いた。
それが嬉しかったカカシもついノッてしまう。
気づいた時は遅かった。
ついつい球に必要以上のチャクラが乗ってしまったのだ。
そう。
異常な加速を強いられ、力が加わった『ごく普通のピンポン玉』が割れもせず、ラケット
や台の方を破壊したのは、チャクラが球を包んでいたからに他ならない。
ばき。
遂に台が悲鳴を上げつつ木片を飛び散らせた。
「しまっ……」
既にクナイ並の凶器と化したピンポン玉がイルカを襲う。
イルカの方は今まで無事だった卓球台が遂に破損してしまった事実に茫然として、その瞬
間防御を忘れ―――
「わああっ! イルカ――――っっ!!」
見事に顎に凶器を喰らったイルカは、衝撃で後方に吹っ飛ばされていた。
こうして、カカシとイルカの『愛のラリー』は幕を閉じたのである。
朝になり、遊戯室を使用不能にした事を旅館側に報告して平謝りに謝った彼らは、取りあ
えず宿泊費と弁償金を払って、朝食も摂らずにそそくさとチェックアウトした。
帰ろうとしていたカカシ達を、顔馴染になった仲居が呼び止める。
「まあ、お客様ったら…そんなにお気になさらなくてもよろしかったんですのよ。朝餉く
らいお召し上がりになればよろしいのに……はい、お弁当にしましたわ。どうぞ召し上が
って下さいな」
イルカは恐縮して弁当の包みを受け取る。
「あ…すみません。わざわざ、ありがとうございます…」
仲居はにっこり微笑んだ。
「昔馴染みのお客様が貴方様方の本当のご職業を教えて下さいました。…卓球台を壊して
しまったのが貴方様方だと知って、愉快そうにお笑いになって…内緒だよ、と仰いまして
ね。……つい力が入り過ぎたのだろうから勘弁してやって欲しいと」
「参ったな」と呟いてカカシは頭をガシガシとかいた。
「あの露天風呂で会った爺様か…」
イルカも困ったように苦笑する。
「本当に、すみませんでした。……もっと気をつけるべきでした」
仲居はいいえ、と首を振る。
「ですから、どうぞお気になさらず。良かったらまたおいで下さいまし。お待ち申し上げ
ております」
深々とお辞儀する仲居に見送られ、カカシとイルカは温泉旅館を後にした。
持たせてもらった朝食を色づき始めた紅葉を眺めながら食べる事にして川原に下りる。
「あー、さすがのオレもちょっと敷居が高くなったなあ…あの旅館」
カカシは残念そうに卵焼きを頬張る。
「………まあ、温泉は他にもありますし…ね? 馴染みの旅館を決める歳でもないですよ。
俺達」
親切にも仲居がくれた缶入りのお茶をイルカはあおる。
上向いた彼の顎に、くっきりと痣が出来ていた。
それを見たカカシは眉を寄せる。
「…ごめんねー…なんか、ここに来るとオレ、イルカの顎に痣作っちゃいますね」
イルカは笑って顎をさすった。
「この前は俺が悪かったんですし……これだって、避けられなかった俺がいけないんです。
カカシ先生はわざとぶつけようと思ったわけじゃないんですから……」
そして、カカシの好物の枝豆をまぶした練り物を彼の口に放り込む。
「楽しかったですか? 卓球」
カカシはお返しにイルカの好物の鰊の昆布巻きを彼の口に入れる。
「ええ。…アナタと打ち合うのはとっても楽しかった。何だかね、直接抱き合うのとは違
った喜びですね、あれは」
自分の打った球が打ち返されて戻って来る。
それをまた打ち返す。
白い球を介して、想いのキャッチボールをしている様だった。
「…そうですか。良かった…俺も久し振りでしたけど楽しかったですよ。たまにはいいで
すね、ああいう遊び」
「遊びかあ…オレって物知らずだなーって思いましたよ。アスマだって知ってたのにオレ
はやり方も知らなくて」
「でももう覚えたでしょう? 里でもし卓球大会やったとしても、貴方に勝てる人なんて
そうそういないと思いますよ」
「……そうかなあ。…いますよ」
「アスマ先生?」
「まっさか。あのクマにゃ二度と負けてたまるもんですか」
イルカは首をひねった。
「火影さまですか?」
「爺様と卓球勝負なんて寒いコト考えないで下さいよ」
「?……んー……ダメだな、上忍の方々みんな知っているわけじゃないからわかりません。
でも、カカシ先生にそう思わせるなんて凄いんですね、その人」
カカシはにっこりと微笑んだ。
「ええ、凄い人ですよ。ある意味最強ですね。…彼には勝てる気がしない」
へえ、とイルカは素直に感心している。
カカシはにこにこしながら、残りの朝食を胃におさめた。
「さて、帰りましょうか。…あ、そうだ。どこかで地酒と温泉饅頭買わなきゃねー」
「え? 紅先生は甘いものよりお酒でしょう?」
「饅頭はオレが食うんです」
「……はいはい」
イルカも食べ終わった弁当の包みを綺麗に片付ける。
先に腰を上げたカカシが、イルカに手を差し出す。
「さ、行きましょう」
「はい」
カカシの『最強の人』が、微笑んでその手を取った。
|