恋心九十九折−1

 

珍しい事もあるもんだ、とアスマは紫煙を燻らせながら「それ」を見物していた。
場所はアカデミーの教員用食堂の一角。
アスマがこんな所で一服するのも珍しいが、彼が目にしている光景もまた珍しいものだっ
た。
食堂の片隅で、カカシとイルカが小声ながら何やら言い争っている。
カカシがイルカに甘えて我侭を言うのは毎度の事で、立場の所為か惚れた弱みかは知らな
いが(多分両方だろう)大抵の場合イルカは『仕方ないですね』とそれを聞き入れている。
それが。
「頑固ですねぇっ!! どうして嫌なんですかっ」
「行くのが嫌だなんて言ってませんよ」
「じゃ、いいじゃないですか。何がいけないんです」
「泊まるなら前とは別の所がいい、と言っているだけです」
「だからどうしてっ! …オレは前の所がいいのに〜」
「別の旅館なら行きます」
「イルカだって、あそこの料理気に入ってたじゃないですか〜〜」
「それとこれとは別です」
「あの旅館じゃなきゃ意味無いでしょー」
「あの旅館だから気まずいんですってば!」
……どうやら、二人してどこかへ泊まりに行くらしいが、その宿泊先で揉めているようだ。
アスマがのんびり茶などすすりながら眺めていると、突然カカシがぐりんと彼の方に視線
を向けた。
「聞いてよアスマ!!」
つかつかと歩み寄るカカシに反射的に背を向けて、アスマは両手で耳を塞いだ。
「聞かねえっっ!!」
遠くから眺めている分には面白いが、関わりは持ちたくない。
「面白がって見物してやがったクセに、聞けよこのクマ!!」
カカシはアスマの手を耳から離そうとする。
アスマは意地でも塞いだ耳を開放するものかと頑張る。
まるで子供の喧嘩だ。いやしくも上忍たる立場の男達が晒す所業ではない。
と、イルカが席を立ってアスマとカカシの方へやって来た。
てっきり大人気ないカカシの所業を諌めてくれるものだと思ってアスマがホッとし掛けた
のも束の間。
イルカはカカシが掴んでいない方のアスマの腕を掴んで、あっさり耳から引っ剥がしたの
である。
「聞いて下さいアスマ先生!!」
アスマのこめかみに青筋が浮かんだ。
椅子を蹴倒して立ち上がり、大音声で吼える。
「オレをてめえらの痴話喧嘩に巻き込むんじゃねええっっ!!! このクサレ夫婦があぁ
っ!!」
その場から目にも止まらぬ速さで姿を消したのは、イルカの方だった。
食堂と言う衆目のある場所で『夫婦』などと言われて平気でいられる神経を気の毒に彼は
持ち合わせていなかったのである。
その程度の事では動じない夫婦の片割れの方は、忌々しげに吼えた巨漢を半眼で睨む。
「……責任取れよ…アスマ。…これでますます意固地になっちゃったぞ…イルカせんせ」
アスマといえば。
カカシの不機嫌オーラなど気にする風でもなく、新しい煙草に火をつけて一人頷いていた。
「ふうん。…すげえ速さだな。中忍にしとくのもったいねえかも…」
「ア〜スマ〜……」
カカシのオーラはどんどん剣呑なものになっていく。
元から食堂にいた他の教員は殆ど金縛り状態で冷や汗を流し、入ろうとした者は慌てて戸
口から引き返して行く。
それらを横目で見たアスマは仕方なさそうにため息をついた。
「………わーかったよ。…ったく、本当に面倒くせえ奴らだぜ……」


秋の風は気持ちいい。
さらさらさら、と流れていく川の水面を眺めながら橋の欄干に手を預け、イルカはその爽
やかな風をしばし楽しんでいた。
ささやかな現実逃避である。
「イルカせんせったら! 早く行きましょうよ〜」
上機嫌の恋人は、にこにこと手招きしている。
ここは、初めて彼らが小旅行に訪れた木の葉隠れ温泉郷である。
実は先日彼らが食堂で揉めていたのは、ここでの宿泊先をどこにするかですんなり合意に
至らなかったからであった。
イルカは、どうも以前の旅館は気まずくて別の所が良かったのだが、カカシが頑として同じ
所が良いと言う。
両者妙に意地になり、話し合いは平行線を辿っていたのであるが――アスマの介入でその
均衡は崩れた。
カカシに睨まれたアスマは、仕方なしにカカシの味方をしてやったのだ。
アスマにしてみれば「どっちでもいいじゃねえか」な事であったのだが、当人達は意地に
なっている。
一度意地になった男は頑迷になってしまう事が多く――それはあのイルカであっても例外
ではなかった。(元々彼は一人っ子の所為か頑固な男であったのだが)
自分も男なだけにそこら辺の心理は理解できるアスマは、先日衆目の前で迂闊な発言をし
た事を詫びるとともに、イルカが折れやすい様に譲歩案を提示したのだ。
『わかった。…お前さんは、またカカシと二人っきりで泊まりに行って、旅館の若い女どもの
好奇の視線に晒されるのが嫌だってんだろう…? だったらオレが一緒に行ってやるから。
それなら普通の慰安旅行みたいに見えるだろう。…ああ、心配するな。野暮なマネはしね
えよ。適当な所で消えてやるから…な? 皆の前で冷や汗かかせた詫びだ』
イルカは、それはアスマ先生に悪いとか、カカシ先生が納得するかわからないとか、散々
しぶったのであるが―――アスマが同行する事を一番嫌がりそうなカカシがその条件を
「仕方ないですね」と呑んでしまったので、イルカも折れざるを得なくなったのだ。

そして今、彼らは再びこの温泉郷の地を踏んでいた。
「おら、行こうぜ。……グズグズしてっと、またカカシが臍曲げるぜ」
アスマにポンと肩を叩かれて、イルカは欄干から離れた。
「…そーですね……」
紅葉には少し早い山を見上げ、イルカは気持ちを切り替えることにした。


「三名様ですね? お待ち申し上げておりました」
玄関で出迎えてくれた仲居はカカシ達に丁寧に頭を下げ、それからふと首を傾げる。
「お客様…確か昨年おいで下さった…」
カカシはにこりと笑みを返した。
「あ、覚えててくれました? ここのお料理とお湯が良かったから、また来ちゃいました」
仲居は嬉しそうに頷く。
「さようでございますか。それは嬉しゅうございます。板場の者が喜びますわ。腕を揮う
よう申し伝えます。……鹿の子さん、銀杏の間にお客様お部屋にご案内して。……どうぞ
ごゆるりと」
年配の仲居に呼ばれた若い仲居が飛んで来た。
「ご案内いたします!」
そして、男三人分の荷物を持とうとする。
イルカはやんわりとそれを断った。
「ああ、いいですよ。娘さんにそんなもの持たせちゃ悪いです」
「あ、でも……」
「お客がいいと言っているんですから、貴女が怒られたりはしませんよ。…そうですよね」
イルカは微笑んで指示を出した年配の仲居を伺う。
仲居は苦笑して頷いた。
「お言葉に甘えさせて頂きます。申し訳ございません」
「ははは。こんなごついおっさんがいるのに、可愛いお嬢さんに荷物運びなんかやらせち
ゃこっちが居心地悪いですよ。なあ、アスマ」
カカシに脇腹をこづかれたアスマは「ああ」と生返事をして荷物を担いだ。
「そういうこったな。…案内頼むわ、嬢ちゃん」
「は、はいっっ」
鹿の子と呼ばれた若い仲居は、慌てて先に立って「こちらでございます」と歩き始めた。

「では、ごゆっくり。後ほど係りの者が宿帳のご記入をお願いに上がりますので、よろし
くお願いいたします」
危なっかしい手つきでお茶を入れ、緊張しきった面持ちでお決まりの挨拶を述べた娘は
深々とお辞儀して襖を閉めた。
「あの娘、昨年は見なかった顔ですね。…新米さんかな? お茶入れる手つきなんて、イ
ルカ先生の方が板についてますもんね」
カカシはクスクス笑いながら卓の上の茶菓子に手を伸ばした。
「……おい…」
「何?」
アスマはちろりとカカシを横目で見る。
「オレ、温泉風呂とメシくらいは楽しんで行ってもいいんだろ?」
カカシが答えるより先に、イルカがアスマの手を握って思いっきり頷いた。
「もちろんです!! 当たり前ですっ!! ここのごはん、本当に美味いんですよ! お
湯もいいし!!!」
イルカにしてみれば、ここまでつきあわせて『ハイさようなら』などと言える訳がない。
「お…おう……そりゃ楽しみだな…」
「……………明日の朝メシの時までいたら殺すぞ……」
カカシはアスマの方を見もせずに低く唸る。
「カカシ先生…」
イルカは困ったように眉を寄せる。
「バッカ野郎…オレだってそんなに野暮じゃねえって言っただろうが。第一、アホらしく
てやってらんねえよ。夕飯食ったら帰るぞオレは」
「す…すいません……おつきあい頂いてしまって……」
恐縮するイルカの両肩にアスマは手を置き、ニヤリと笑う。
「なぁに気にすんな。オレの分はカカシの奢りだ。ここにお前さんを連れて来るように説
得してくれってオレに頼んだのはあの野郎だからな」
カカシは赤くなってアスマを睨んだ。
「んな事言ってない!」
「責任とって何とかしろって言ったろ? 同じじゃねえか」
「うるさいよ! ああもうっっいつまでイルカに触ってんだよこのクマはぁ!!」
カカシは素早くイルカをアスマから引き離す。
「あ…あの……カカシせんせ…」
「はい」
「すいません俺……」
カカシは素早くイルカの唇にキスしてその先を言わせなかった。
「もう、いいんですよ。ごちゃごちゃ言ってないで楽しみましょう。ね?」
目の前で男同士のキスシーンを見せられたアスマは毒気を抜かれてため息をついた。
「勝手にイチャついてやがれ…オレは風呂に行って来る……」

「何やってんだかね…本当にオレは……」
広い大浴場で湯に浸かり、アスマは一人まだ陽の光で明るい天井を仰ぐ。
ぽたん、と落ちてくる水滴を避けもせず、彼は苦笑に唇をゆがませた。

 



 

サイトOPEN1周年記念SS。

カカシ達がいるのは例の「はつゆき」で行った温泉ですね。
アスマ・・・・・・すまん・・・とうとうこんなモノにまで巻き
込んでしまった・・・

 

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