空に咲く花−1
「…任務ですか」 「……任務です」 「………任務…」 「人手不足でして」 あうう、とカカシはうめいて畳に突っ伏した。 イルカが新しく入居した宿舎の広いフローリングの床の片隅には、3畳程の畳が敷いてあ る。そこに古道具屋で見つけた感じのいい丸い卓袱台を置いたささやかな『和の空間』。 せっかく広い部屋に越して来たのに、彼らはついこの狭い空間で和んでしまう。 何もここでなくても、すぐ目の前の壁際には二人で掛けられるソファもあるのだが。 やはり前の宿舎の時、畳の上であんなコトやこんなコトをイロイロしていたからクセがつ いたに違いない。いっそフロアの半分を畳にしてしまおうかなーなどとイルカが現実逃避 していると、カカシがどんよりと顔を上げた。 「花火を上げる手伝いなんかしてたら、見ている暇無いじゃないですか〜〜〜どうしてそ んな任務受けたんですよ! 花火、オレと見に行くって約束してたのにーっ!」 「そうそう。そうやって花火大会を楽しみにしている人達がたくさんいるのに、試し打ち の時に職人さんが二人も怪我しちゃったんですよ。だから本番での助っ人の依頼が来たん です。…力仕事だし、一応危険なんで、子供達には任せられませんし」 カカシはぴくっと眉を上げた。 「忍の仕事に危険はつきものですよ? 何甘やかしてるんですか」 イルカは苦笑して首を振った。 「そうですね。危険に晒されるのが忍だけならね」 「あう…」 もしも万が一何かしくじっても、危険な目に遭うのが忍だけならばよい。 だが、花火職人さん達は一般人だ。 周りで見物している人達の中にも一般の人が多くいるはず。 無責任な仕事の割り振りは出来ない。 「そんじゃあ、オレも手伝います」 バカ言ってんじゃねえ、とばかりにイルカは半眼になる。 「……上忍の請ける仕事じゃないですよ」 「仕事に上も下もあるものですかっ」 何も知らない人がこのセリフだけを聞けば何と仕事熱心なことよ、忍の鑑だと感心したか もしれないが。あいにくイルカはこの上忍の事をよーく知るハメになってから既に1年以 上経過している。彼の言葉を字面通りになど受け取らない。 「上忍の方に報酬を払える程の任務じゃないんですってば」 「…ボランティアしますう…オレ、お金いらないから〜…」 にじり寄り、膝にしがみつく恋人の頭をイルカは撫でた。 「……去年の花火、そんなに良かったですか?」 カカシの白い頬にさっと朱が差した。 昨年、興味なさげだったカカシをイルカは花火大会見物に引っ張り出した。 そこで、初めてまともに見た大きな打ち上げ花火にカカシは素直に感嘆したのだ。 特に最後の乱れ打ちの時は、隣にいたイルカの腕を強く握って息まで詰めて見入っていた。 「…アナタが一緒だったからですよ。…あんなもん、独りで見たってつまらない」 イルカと離れ離れになってまで「いい位置」から見物するより、花火の真下で火の粉を浴 びながらでもイルカと一緒に見たいのだ。 「…ボランティアねえ…でも…」 やはりカカシクラスの上忍のする仕事としては違和感がある。 「大丈夫ですってば! オレが気まぐれで端から見たらすこぉし妙かもしれない行動を取 るヤツだって、知ってますからみんな!」 ―――自覚はあったのか…… イルカは折れた。 「わかりました。先方には依頼料の変更は無いという事で、増えている人数の事は気にし ないように言います」 やった! とカカシは喜色を浮かべてイルカの膝に懐いた。 そのつもりなら勝手に手伝いに来てしまう事も出来るだろうに、律義に自分の承諾を取ろ うとするカカシが可愛いくて、不覚にもつい顔が笑ってしまう中忍だった。 「…任務ですか」 「……任務です」 「………任務…」 「人手不足…らしくて」 あうう、とカカシはうめいて畳に突っ伏した。 「神様は意地悪だああっ」 先日と全く同じような会話を繰り返したカカシとイルカだったが、人手不足で任務に駆り 出されるのは、今度はカカシの方だった。 「オレ、オレは今日オフのはずだったのにっ…イルカ先生のお手伝いをするはずだったの に〜っ!!!」 「……仕方ありませんよ。花火大会はまた来年もあります。一年頑張って生き延びましょ う……お互いに。ホラ、ガイ先生が迎えにいらしているみたいですよ」 カカシと共に任務を命じられた濃い上忍は、カカシの部屋の前(おそらくは)で大声をあ げていた。イルカの部屋は階も棟も違うというのにとてもよく聞こえる。大した声量と肺 活量だった。 「カカシィィィッ!! マイライバァルよーっ! さあ、共にいざゆかんっ!」 一応、任務の事は口に出していなかったが、これから任務に向かうのに大声で迎えに来る 上忍がどこの世界にいるのだろう………あそこにいるが。 ガイはカカシがイルカの部屋にいる事など知らないから、あそこでカカシが出て来るまで 叫んでいるだろう。 「あのスットコドッコイの激マユ万年青春野郎っ」 カカシは嫌そうに眉を顰めたが、仕方無しに立ち上がる。 「しーかたありません。あのバカを黙らせなきゃご近所迷惑ですね……」 イルカは苦笑しながら頷いた。 カカシは手袋を嵌め、イルカにキスしてから口布を元に戻した。 「…行きます」 ひら、とイルカは手を振る。 「行ってらっしゃい。…お気をつけて」 にこ、とイルカに笑みを残してカカシは姿を消した。 一瞬後には自分の部屋の前にいたガイに跳び蹴りを喰らわせて黙らせる。 「…カカシ? どこから湧いたのだお前は」 「うるさいわっ! 人んちの前でぎゃーぎゃーと大声で! オレの神経を逆撫ですんじゃ ねえっ」 ガイはカカシの不機嫌など何処吹く風。 「定刻に来ないお前が悪いのだ」 ヒトの都合もお構い無しに任務を割り振りやがるからいけないんだ、とカカシは腹の中で 毒づいた。任務を前にしてそれを口に出さないという分別は一応あったらしい。 「………行くぞ」 カカシはさっさと頭を任務モードに切り替えた。 いつまでも私情を引きずっていたら任務に差し障る。いらぬ怪我をするのもごめんだった。 忍服の者が混じって作業をしていたら興醒めだという事で、イルカともう一人の忍は花火 職人達と同じ格好をしていた。背中に白い文字で『火ノ玉屋』とある紺地の法被姿は、は っきり言って常の忍姿よりイルカに似合っていて知人の失笑をかった。 小さい子供の手を引いた浴衣姿の同僚にからかわれる。 「よう、転職かイルカ。よく似合ってるぞ」 そんな冷やかしなどイルカは慣れたもの。 「休養日ですか。いい日に休めて良かったですね。…でもお子さん連れならこんな火の粉 が掛かるような河原じゃなくてもっと離れた所で見た方がいいですよ。あっちの土手とか」 「ああ、そうだな。そうするよ」 男は子供を抱き上げる。 「ほれ、この兄ちゃんにガンバレって言いな。綺麗な花火見せてちょうだいって」 可愛い金魚模様の浴衣を着た小さな女の子ははにかみながらイルカを見上げる。 「…がんばってね、おにいちゃん」 「うん、ありがとう。あっちのおじちゃん達が一生懸命作った花火だから楽しみにしてな。 きっと綺麗だよ」 イルカににっこり笑い掛けられた女の子はますます恥ずかしがって赤くなり、父親の肩に 顔を埋める。その様子に、父親の方は眉間に皺を寄せた。 「……お前…オレの娘に手を出すなよ…」 イルカはだあっと脱力する。 「そういう心配は十年後にして下さい………」 それでも父親の肩越しにバイバイ、と手を振る小さな女の子は可愛い。 イルカも笑って手を振ってやった。 「いいですねえ、可愛い娘さんと花火見物」 イルカと共にこの任務についた下忍の青年が、羨ましげにその姿を見送っていた。 「まあな。…何? 急な仕事を入れられて、デートがフイになったのか?」 青年は赤くなって首を振った。 「いやまさか…そんな…」 ビンゴかな? と笑ってイルカはまだ高い太陽を眩しげに見上げる。 「…ま、この分なら、天気は持つな。…雲も少ないし、いい夜空になりそうだ」 青年は、やはり空を見ながら少し心配げな表情をになった。 「でもイルカ先生、もしかしたら夕刻から風が出るかもしれません。おれ、少しですが偏 頭痛がするんですよ。こういう日って、風が強くなる時が多いんです。……それと」 青年は声を低くした。 「祭りの騒ぎに乗じて、他国の者が結構出入りしているという情報があります。警備担当 の方も動いているようです」 イルカは神妙な顔で頷いた。 「…わかった。用心に越した事はないな。一応、周囲の動向に気を配ってくれ」 「承知しました」 職人の手伝いの為に駆け出しかけた彼をイルカは呼び止める。 「…頭痛、大丈夫なのか」 ああ、と青年は照れ臭そうに頭をかいた。 「大丈夫です。何かに集中すれば忘れていられる程度の軽い頭痛ですから」 そう言って走り去る彼の年齢はそうイルカと変わらなく見える。 それでもまだ、中忍にはなれないでいるのだ。中忍には年齢で昇格するものではないが、 素直そうなあの青年には中忍に必要な『何か』が足りないのだろう。 「…やっぱり、アナタは来なくて正解でしたよ、カカシさん」 彼のように下忍でもある程度年季が入っている者は、アカデミーを出たばかりのナルト達 のように無邪気ではいられない。上忍の恐ろしさもたっぷりと身にしみて知っている。 写輪眼のカカシなんぞが傍にいたら、あの青年は萎縮してしまって出来る仕事も出来なく なる可能性があった。 イルカはカカシの残念そうな顔を思い出して苦笑した。 他愛の無い駄菓子を珍しがり、イルカと祭りに行く事をあんなに楽しみにしていた彼。 任務に向かう寸前までイルカの所でグズっていた所を見ると、今回の任務は彼にしてみれ ば『あまり構えなくていいお仕事』なのだろう。 カカシはそういう部分をあまりイルカに隠さない。 もしも今回の任務が彼にとって『重要』なものであれば、イルカと花火を見るという個人 的な楽しみなど綺麗に切り捨てる事の出来る人だ。 だから、今回はイルカも必要以上に心配などせず、彼を送り出した。 本当に、本当に命懸けの任務に彼が向かおうとする時は。 その時はどんなに彼が普段通り振舞っても自分はきっと気づくだろう。 嫌でも気づいてしまうだろう。 そこまでイルカは彼を自分の内に入れてしまっていた。 イルカはそっと苦笑する。 「…まあ、それでも……怪我なんかしないように気をつけて下さいね……」 どの程度日数がかかる任務なのかは聞かなかったが、彼がいつ戻っても美味しいものを食 べさせてやれるようにしておこう。 枝豆を冷凍保存して、彼の好きな軽い口当たりの冷酒でも用意して。 豆腐は毎日新しいものを買っておくのだ。 「…それと、線香花火でも買っておくか…」 軒先で楽しむような可愛い花火でも、あの人はおそらく喜んでくれるだろうから。
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