あと一歩の浪漫−4

 

山は時に、その存在自体を「聖地」とされる。
それは、この大自然がもたらす空気の清浄さ。
時の流れすら下界とは違うのではないかと錯覚するほどの澄んだ、張りつめた空気がそう
思わせるのかもしれない。 雪が時折ちらつくような凍てついたこの時期に。
男が一人、静かに両手で印を結んだ姿勢のまま、滝に打たれていた。
修験者などが行う荒行の一つであるが、男は修験者ではなく、忍者だ。
「懺悔…懺悔…六根清浄…」
時折唱える言葉は震えておらず、頭上に降りかかる大量の冷水に姿勢は微動だにしない。
「…六根清浄…」
男がここで滝に打たれ始めてから、丸二日が経過していた。

事の発端は一日前に遡る。

「修行…ですか?」
アカデミー中を探し回ってもイルカの姿を見つけられなかったカカシは、仕方なく一番彼の
行方を知っていそうな人物に頼った。
「ふむ。…まあ、受付所の人手も足りそうだし、授業も何とかなりそうだったんでな。許可
した。少し自分を鍛え直したい、とあーんな真剣な眼で迫られてみい。…ダメじゃ、とも言
えんわ」
「三代目…イルカ先生はどちらに?」
火影は胡散臭そうにカカシを見遣った。
「お前、イルカに何用なんじゃ? あやつの邪魔をするのなら教えられんぞ」
カカシは苛々している内心をおくびにも出さずにっこり微笑んだ。
「ほーんと、三代目はイルカ先生が可愛いんですねえ。…安心して下さい。オレも同じ忍
者として、そんなマネするわけがないでしょー。でも、彼に訊きたい事もあるんで、予定く
らい教えて下さいよ。まさか、無期限で許可なさったわけじゃないでしょう?」
イルカが普段している仕事から考えて、それは無いだろうとカカシは踏んでいた。
「…ああ。期限は三日。三日過ぎたら己に納得がいかなくても帰って来いと言うてある。
お前の用事は緊急のものか?」
「…三日、ね。…わかりました。どうも」
イルカの居場所までは絶対教えてくれそうもない火影に一礼して、カカシはさっさとその
場を辞した。

本当なら、すぐにでもイルカを探しに行きたかった。
いつ彼が修行に行く決心をしたのかはわからない。
おそらくは夕べ―――自分を抱かずに眠ったあの時から、そのつもりだったのだろうとカカ
シは思った。本気だったからこそ、彼はカカシに何も告げずに姿を消したのだ。
「イルカ……」
(―――何を思ったんですか…? 今、何を考えていますか…? ねえ、イルカ先生。 )
あの切なそうな微笑みの意味を聞きたかった。
だが……
三代目に告げた通り、カカシはイルカの邪魔をする気はなかった。
彼がそうしたいと言うのなら、その意思を尊重するべきだとカカシは思っている。
今日サボってしまったのだから、明日は任務なり訓練なり、子供達につきあってやらねば
ならないし。それが今のカカシの仕事なのだから。

二日ぶりに帰った自分の部屋は、ガランとしていてとても寒かった。


翌日。
Dランク任務をさっさと完了させたカカシは、報告を済ませて解散した。
その足でカカシは山に向かう。
彼が修行に使いそうな場所の目星は大体ついていた。三日、という期限付きではそう遠く
へは行けない。となれば、そんな事が出来るのは北の山くらいしかないのだ。
(―――見つけて、どうする気だ……? オレは… )
いつもより念入りに気配を消し、カカシは木の間を飛ぶように移動した。
自分だったら。いや、イルカだったら、この山のどこへ行くだろう。
カカシは枝の上で、耳をすませた。
(水音……そうだ、滝があったはずだ…… )
滝に打たれ、心身を清め、鍛える。こういう短い期間で己を見つめ、鍛え直そうとするなら
ば手っ取り早い方法だ。
「そーゆーオーソドックスな事、やりそうだもんなー…イルカ先生」
そして、カカシはずぶ濡れの石像のようになって滝の下に佇み、静かに印を結んでいる男
を発見した。その姿を見た瞬間、どきんとカカシの鼓動は跳ね上がる。
滝の音は、カカシの立てる物音など消してくれるはずだが、カカシは唾液を飲み込む事す
ら躊躇した。それほど、眼の前の光景は清浄で侵し難い雰囲気をたたえていたのだ。
「…六根清浄…」
微かなその呟きを聞き取り、カカシは眉を顰め、そっとその場から離れた。

六根。
目・耳・鼻・舌・身・意の事だ。
日々の生活で穢れているそれらを清める為の祈りの言葉が「六根清浄」である。
今敢えてその言葉を唱え、滝に打たれるイルカの心を思った時、カカシはやりきれなくなっ
た。
(―――オレの所為かもしれない…いや、オレの所為だ…… )
イルカは、カカシとの行為を我慢のならない穢れだと感じてしまったのだろう。
少なくとも、あのイルカの姿を見たカカシはそう思った。
(オレが…イルカを追い詰めたんだ… )
その日の夜は眠ろうとしても眠れるものではなかった。

イルカが山に入って三日目。放っておいても、今夜にはイルカは戻るだろう。
だが今、カカシは静かに葉陰からイルカを見つめていた。
イルカは昨日から全く動いていないようだ。息を殺し、気配を消し。己を消し。
イルカを見つめるカカシは、自分もその「場」に同調していくのを感じていた。

どれくらいの時間が経ったのか。
眼を閉じ、瞑想状態だったイルカの瞼が静かに持ち上がった。そして、真っ直ぐにカカシの
いる方を見つめ、穏やかに微笑む。
「………お待たせしました。帰りましょうか」
ざぶざぶ、と滝壷の浅瀬を渡り、イルカは岸に上がってきた。
流石に冷え切っているようで、顔も身体も血の気を失っていたが、動きは滑らかでしっかり
している。
「…気づいていたんですね」
あは、とイルカは笑った。
「だって、カカシ先生こっちに入って来たじゃないですか」
こっち、と言った時にイルカはとん、と自分の胸に触れた。
「短期間でしたが、集中出来たんでここの空気に同化する事が出来たんですが…カカシ先
生は実にすんなりと同調なさいましたね。…さすがです」
カカシは眉根を寄せた。
「……すみません。邪魔する気じゃなかったんですが…」
イルカは失礼します、と断って、濡れそぼった下帯を解いた。
「わかっていますよ。邪魔なんかじゃなかったです。…それより、何も言わずにこんな所に
篭ってしまって、すみませんでした」
乾いた晒しで濡れた身体を拭きながら、イルカは以前と全く変わらない口調でカカシに謝
った。
「……わけを…訊いてもいいですか?…」
イルカの手が止まる。
「…はい。当然ですよね。いきなり過ぎですものね、俺の行動は。俺が貴方だったとしても、
絶対理由を問い質したくなると思います」
「いや、先にちゃんと身体を拭いて、服を着て下さい。…どうせ飲まず食わずだったんでしょ
う? 身体を壊しますよ…いきなり無茶やって……」
カカシはイルカの服を岩の上から取って、持ち主に手渡そうとした。
「心配してくださるんですね」
「…! 当たり前です! …イルカ先生は……」
カカシはその先を言えなかった。
服を渡す為に伸ばした腕をそのままイルカにつかまれ、引き寄せられてしまったので。
きゅう、とイルカはカカシを抱き締める。
「やー、カカシ先生すっごく暖かいですねー」
「貴方が冷え過ぎているんですっ! 何ですかこの腕! この胸! まるで死体ですよ!」
イルカに引き寄せられた姿勢のまま、カカシはわめく。
いつもは自分より暖かいイルカの身体がこうも冷たいと、頭では理由がわかっていてもお
そろしく違和感がある。クスクス、とイルカは小さく笑う。
「ごめんなさい。カカシ先生が冷たくなっちゃいますね」
そう言いながらも、イルカはいっこうにカカシの身体を離さない。
「……イルカ先生、いいんですか? せっかくお清めしたのに、オレに触ったら元の木阿
弥でしょうが」
はっきり言って、カカシは面食らっていた。
イルカは、カカシとのこうした触れ合いを穢れとし、不浄なる行いを断つ為にここへ修行に
来ていたのではないのか?
「え? …ああ、修行は今切り上げましたから…もう帰るから、いいんですよ。修行の途中
はまずいですけどね。こういう接触は」
「………」
この澄んだ空気の山の中で、イルカの健康な裸体はとても自然に見える。
服を着ている自分の方が不自然のように感じたカカシは、居心地悪そうにイルカの腕の中
で身動いだ。
「……カカシ先生…俺ね、先生の事がすっごく好きみたいです」
「……へ?」
この時、マスクと額当てで顔の大半が覆われている事にカカシは大層感謝した。
今、自分はさぞかしマヌケな顔をしているに違いない、と。
「この寒空に、バカみたいにわざわざ滝なんかで頭を冷やしていた理由お聞きになりたい
んでしょう?」
カカシは思わずこっくん、と頷いた。
「お話する前に、キスしてもいいですか?」

ますます困惑するカカシだったが、拒む理由は何一つなかった。

 



よく山伏さんなんかが山を登りながら唱えてらっしゃいますよね。
「ろーっこんしょーじょー」って。
『六根清浄』。滝に打たれながらも唱えるものなのかはちょっと謎。
でも身を清める呪文なのは本当なので、まあいいかなっと。(<うわあ、いい加減・・・;;)

今回(つうか、3からか)お話の「カラー」がなんとなく違ってきてしまって、同タイトルで書いてしまった統一感の無さに涙。(文章の雰囲気とかもねえ・・・)
始めはほのぼのと握り飯食べてたのに、何で滝に打たれて修行する話に・・・??
シノプシスちゃんとやってないのがバレバレ。行き当たりばったりで話を書くからもう・・・(反省)

次回で一応ケリつきます。(^^;)

 

 

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