あと一歩の浪漫−5

 

滝の音以外は何も聞こえない、この清浄な空間で。
生まれたままの姿の男に口づけられるのはどこか儀式のようでもあった。
冷やりとしているイルカの唇は、透明な滝の水と同じ匂いが漂っていて、触れられると自分まで
清められるような気がする。丁寧な口づけに、カカシの胸はどこかつんと痛くなった。
唇を離したイルカは、静かな眼でカカシを見つめ、唐突に話し始めた。
「自分の気持ちが、よくわからなくなってしまったんです」
カカシは心持ち眼を見開いた。
「最初に貴方に触れた時」
(…山奥の温泉旅館で初めて寝た時の事か…)
カカシはおとなしくイルカの話を聞く事にした。
「最初に貴方の唇に触れた時、昂ぶる自分に危機感を覚えました。…貴方は最初、悪戯のよう
にキスを仕掛けてきたでしょう。まずい、と思いましたよ。…その後、貴方は本気になっていい、
と言ってくれて…俺は正直嬉しくて、夢中で貴方を抱いてしまった……でも、何て言ったらいい
のか…」
イルカは一瞬視線を外したが、すぐにカカシを見つめ直す。
「……自分がもしかしたら興味本位で貴方を抱いて…味をしめているだけなのではないか、と
今度はそちらが怖くなってきたんです。……貴方が許してくれるのをいい事に、俺は甘えていい
気になってないか、肉欲だけで貴方を求めていないか……貴方の体温を感じただけで、昂ぶっ
てしまう自分がものすごく醜く思えてしまって……こんな気持ちのまま貴方を抱くのは、貴方に
失礼だと思ったんです。…遊びで貴方と関係する事など出来ない、と自分で言っておきながら、
実の所いい加減な気持ちで貴方に触れてはいないかと」
カカシは唖然としてイルカの言葉を聞いていた。

(―――真面目にも程がないか…? この男……)

極端な話、カカシは今のイルカの言葉通り、彼の目当てが自分の身体であったとしてもいいと
思っていた。四角四面、真面目なイルカの事、身体を重ねていけば自然と心も伴ってくるはずだ。
肝心なのは、イルカが自分の方を向いていてくれる事だけ。そう思っていた。
「それで、一度自分を見つめ直したくて。…安直ですが、こういう方法を取りました」
「……答え、出たんですね……?」
イルカのまだ血の気の失せた頬に、カカシは指を滑らせた。
「ええ」
もう、その先は聞かなくてもいいとカカシは思った。今さっきの、イルカのしてくれたキスでわかる。
「俺は………ただ、貴方が好きなんですね。ただ、それだけだったんです」
『それだけ』の事を悟る為に、カカシの為に、二晩も滝に打たれた男。
そんなバカな事を本気で、平気でやる男。
そこまでの事をしようと思った事自体が、彼のカカシに対する想いの真摯さの現れではないのか。
カカシは目の前の真面目な顔をした男が愛しくて仕方なくなった。
「…ご心配おかけして申し訳ありませんでした…それに、迎えに来て下さってありがとうございま
す」
「ええもう、おかげ様でオレも色々と考えさせて頂きました」
「え?」
少し不安そうな顔をするイルカの頬を、カカシは両手で挟んでやる。
「まあ、オレの出した答えも、貴方と似たようなもんです」

―――欲しいもんは欲しい。

軽くイルカの唇に唇で触れて。カカシは持ったままでいたイルカの服を手から離した。
ベストの前をはだけ、無造作に腕を抜いて下に落とす。
「カカシ先生……?」
額当てとグローブを外してベストの上に投げ落とし、カカシは忍装束の上着も脱ぎにかかる。
「先生! ちょっと…か、風邪ひきますって!」
「素っ裸の人に言われたかないです」
上着も脱ぎ捨て、カカシはイルカに向かって手を差し伸べた。
「…いらっしゃい。…暖めてあげます」
眼を見開くイルカに、カカシは微笑んだ。
「これが、貴方にとって穢れた行為ではないのなら」
カカシのその言葉に、イルカは自分に向かって伸ばされた指先を絡め取った。

黄昏。
薄闇が迫ってきていた。
確実に気温が下がってきているはずの山の中でするような行為ではない。
が―――カカシは目の前の男と同じ様に衣服を全て取り去った。
両手の指先を絡め合い、互いに視線を絡ませる。ふと同時に笑みを漏らし、自然に唇が重なる。
まだ通常の体温を取り戻していないイルカは、指先も唇も冷たい。
カカシは絡めているイルカの指を自分の掌に握りこみ、血を通わせようとしきりと擦る。
唇もその動きに合わせるかのように、出来るだけ深い接触を求めて開かれる。
指先だけの抱擁にじれたイルカが、礼を言うようにカカシの指をきゅっと握り返し、それから離した
手をカカシの背に回して抱き締めてきた。応えて、カカシの腕もイルカの背にまわる。
やっと、身体同士がぴったりと接触した。
カカシの掌が、イルカの項から脚の付け根まで、届く限りの場所を這う。
イルカの指はカカシが触れられるのを好む首筋から耳、髪の生え際を丁寧に愛撫していた。
ずっと滝の中にいて冷たさに慣れ、鈍感になっているイルカより、今衣服を脱いだカカシの方が
この大気の冷たさを辛く感じるはずだと―――イルカは冷気に体温を奪われ始めた彼の肩や
腕を擦り始めた。劣情からは程遠いその優しい愛撫に、カカシは胸を締めつけられるような幸福
感を覚える。

―――ただ好き。……ただ、それだけ―――

相手の存在が、その魂がただ愛しい。

「あぁ……」
褥にするにはあまりにも硬い岩が、皮膚を傷つける。だが、皮膚が傷つくその痛みより、互いの
愛撫が生み出す快感の方が勝っていた。
太陽が沈んで、辺りは闇に沈みつつある。既に大気の冷たさは気にならなくなっていた。
ただ、せわしない呼吸の合間に、肺が深く吸い込んだ空気の冷たさに時々自分達のおかれた
環境を思い出すだけだ。
イルカを自分の奥深くまで受け入れたカカシは、喘ぎながらもふと、思い出したような笑いを漏
らした。
「イルカ……」
「…はい」
荒い呼吸の中、イルカは律儀に返事をする。
「…帰ったらね…今日はオレがメシ…作るから……」
「…カカシ…せんせ…?」
「ね…? 食べてくれるでしょ……?」
イルカは微笑んでカカシの頬にキスする。
「…はい。……喜んで」
「オレ…ちゃんと……うぁ…あ…ッ…」
その後のカカシのセリフは、揺すり上げられる振動に意味をなさない喘ぎに変わってしまい、
言葉にならなかった。



 

 

「だあぁっっ!! しみる〜ッ!」
一度体温が上がった状態で、滝壷に入るのはやはり嫌だ。
意見の一致をみた彼らはその場で身を清める事を断念して、さっさとイルカの部屋に戻ってきた。
どちらにせよ、一度風呂に入ってきちんと身体を温めないと、冗談抜きで風邪をひく。
脱衣所で洗濯機の中に自分とカカシの着ていた服を放り込んでいたイルカは風呂場を覗いた。
「大丈夫ですか? カカシ先生」
先に風呂場に入って湯加減を見ていたカカシが、湯船に突っ込んだ手を慌てて引き抜いている
ところだった。
あはは、とカカシは情けない声で笑った。
「こういう擦り傷って、中途半端に痛くて嫌ですよね〜…いっそもっとさっくり怪我しちゃうと、かえ
って我慢しやすいのになあ…」
「もっとさっくり怪我していたら、風呂には入れませんって」
二人とも、あんな場所で抱き合った報いを身体のあちこちに受けていた。
軽装で岩場を転げ落ちたら、きっと同じ様な擦過傷が手足に出来るだろう。
肘を持ち上げて、自分でぺろ、と傷を舐めたカカシは顔を顰めた。
「そーですけどぉ……」
「湯加減、大丈夫そうだったら先に入って下さい。俺、洗濯機回してから飯炊く準備してきますか
ら」
「え〜? メシ、オレに作らせてくれないんですか〜」
「米をとぐだけですよ。…その先、お願いしていいですか?」
ま、それなら…と、カカシはブーイングをやめた。

「イルカせんせー、生きてますぅ?」
勝手知ったる他人の台所で食事の仕度をしていたカカシは、あまりにも静かな風呂場の様子に
不安になり、声を掛けた。
先に風呂から上がったカカシは、じっくり温まるようにイルカに命じて、いそいそと食事の仕度を
していたのだが―――飯が炊き上がっても風呂から上がってこないのは少し遅すぎないだろう
か。
「イルカせんせ……あっちょっと! ダメですよ! 風呂ん中で寝たら本当に死にますよっ!!」
湯に沈みかけていたイルカを、すんででカカシは引き上げた。
「……カカ……?」
「腹に暖かいもの入れてから、布団で寝て下さい!」
カカシがイルカの世話を焼く事など、滅多にない。
普段は、日常生活において割とずぼらなカカシの所業を見かねたイルカがあれこれと口や手を
出してくるのが常だったから。
「目、覚めましたか?」
絞った手拭いで顔を拭いてやると、イルカはようやくはっきりと眼を開けた。
「あ……す、すいません…俺、なんか気持ち良くなってしまって…やだな、風呂なんかで眠りか
けたの初めてですよ」
「風呂で溺死なんてしないで下さいね。頼むから」
「いや、全くです…ありがとうございました」
イルカは恥ずかしそうに頭をかいた。
「メシ……簡単なのしかないですけど…出来ましたから」
「あ、すいません。…ホントだ、何かいい匂いがする。急に腹減ってきましたよ」
カカシは指先でイルカの鼻をちょいとつまんだ。
「イルカって、鼻も利くんですね」

「どーせ、山に入っている間何も口にしていないんでしょう?」
「ええ…まあ。一応、修行でしたから」
はい、とカカシは行平をイルカの前に置く。
「炊きたてのご飯だから、そのままの方が美味そうだったけど…雑炊にしました」
絶食していたイルカの胃の事を考えた食事だ。
「へえ、カカシ先生こういうの作れるんですねー。ありがとうございます」
頂きます、とイルカはきちんと両手を合わせ、それから匙を取った。卵と葉葱、小さく切った鶏肉
まで入っている。
「……俺んち、鶏肉までは無かった…ですよね。もしかして、用意してくれてたんですか…?」
「一昨日、三代目に修行の話を聞いてから今朝まで、俺なりに色々と場面を想定しましてね。
そのうちの一つに、こういうメシを作るってのがあっただけです」
カカシは卓に頬杖をついて曖昧に笑った。
「そんな事より、食べてみて下さいよ〜。一応、自分的にはOK!っていう味には出来たつもり
なんですから〜」
「あ、はい。…では、遠慮なく」
イルカが匙を口に入れるまで、カカシは不安そうにその匙を目で追っていた。
「………んなに見ないで下さいって…大丈夫、美味しいですよ」
「そーですかー? 絶食の後だから何食っても美味いんじゃ…」
イルカは噴出しそうになるのをこらえるのに、手を震わせてしまった。
「じゃあ、何て言えばいいんです? …そんなに心配なら、味見だけじゃなくて先生も一緒に食
べればいいじゃないですか」
「んー……でも…雑炊、自分の分作ってませんもん。オレは何とでもなりますから」
「カカシ先生の見ている前で、俺だけ食うんですか? 嫌ですよ。これ結構たくさんあるから、一
緒に食べましょう。ね?」
イルカはさっさと茶碗を出してきて、雑炊を分ける。
「一緒に食べた方が美味いですよ。絶対」
カカシは目の前に置かれた雑炊に苦笑した。思えば、イルカとは最初に会った時からこうして同
じ物を一緒に食べている。
イルカと食事をするのは楽しい。何でもないものでも美味しく感じられた。

(―――つまりは…うん、そういう事なんだな…… )

カカシは微笑った。
「はぁい、じゃオレもご相伴ってことで」
美味しいものは美味しい。それは当たり前の事だけど。
イルカと分け合って食べるなら、それが例えイモのしっぽでも美味いのだろう。
カカシは自分で作った雑炊が胃袋にしみていくのを感じていた。


「ねえ、イルカ先生」
「はい」
さすがに二晩睡眠をとっていなかったイルカを気遣って、カカシは彼を一人でゆっくり寝かせてや
る為に帰ろうとしたのだが、イルカの方が引き止め―――結果、カカシはあまり広くもないイルカ
のベッドにちょこんと腰掛けていた。
「……もしねー、女の子が貴方にコナかけて来たら、どうします?」
「…そ…えー? ないですよ、そりゃ」
「わかりませんよ〜?」
イルカは仰向けになって天井を見ていたが、すぐに首を振った。
「…たぶん、そう言う事態は男として嬉しいだろうけど……相手にもよりますけどね。…でも、俺今、
つきあっている人いますから困っちゃいますね。今はその人で手一杯なもので。…その人に振ら
れちゃうまでは俺、他の人とどうする気もナイです」
言いながら、イルカはカカシの左手首を取り、そこへ唇を押し当てた。
「…イルカってば、意外にタラシ」
くすぐったそうに笑ったカカシは、ぼふんと乱暴にイルカの隣に寝転んだ。
「そーいや、最近カカシって呼んでくれない。前は何回か呼んでくれたのに」
「………いや…何か、あれすっごい照れくさくて……」
カカシの方は、気分でイルカに「先生」をつけたりつけなかったりで統一はしていない。
ま、いっか、とカカシは機嫌良さそうに笑ったままイルカに擦り寄ってきた。
「ふー…あったか…」
鼻先をイルカの肩口に押し付け、カカシは目をつぶった。
「やっぱり暖かいフトンってば最高♪」
「…さっきは冷たくて硬くて痛い布団でしたからね」
確かに、と、ごつごつした岩の感触を思い出したカカシは首を竦めた。
「考えたら、さっさと帰ってきて暖かいトコでえっちすりゃ良かったんだよな。バカですねえ、オレも
…」
でもおそらくは、あそこで。
カカシはあの場で身体を重ね、互いを確かめたかったのだ。その気持ちはイルカにも伝わっていた
はずだ。
イルカは上掛けをカカシと自分の肩口まで引き上げた。
「…カカシ先生……」
「はい」
イルカはほんの少し身を起こし、カカシの額に口づけた。
「………ありがとうございました……」
様々な想いを込めたキス。カカシはその想いを受け取った。
手を上げて、ほつれたイルカの髪をかきあげてやる。
「…どういたしまして。…感謝のキスなら場所が違いますよ?」
イルカは黙って首の角度を変え、頬に軽く唇を当てる。
「……イルカぁ…」
カカシの抗議に、イルカの唇が横に滑り、啄ばむようにカカシの唇をかすめて離れた。
「ま、イイデショ」
自分の布団で久し振りに横になって。イルカの意識ももう限界なのだ。
「おやすみなさい、イルカ先生……」
目を閉じてカカシの脇に墜落したイルカは、すぐに寝息をたて始めた。
カカシにもすぐに睡魔が襲ってくる。
(…そうだ…まだ飯が残ってたな…あれ、明日また握り飯にしよう…… )
三日間抱えていた不安が一応去った今。
カカシは明日の朝食の献立など思い描きながら、安らかに眠りに落ちるのであった―――

 

 



若いよなあ…イルカ。(笑)
あんたら、さっさと帰ってからヤんなさいよ…と思わず自分でもツッコミを入れつつも何故か青○ン…(爆)
寒くて痛いけど幸せよね…<こら。(三日間の荒行の後よ…死んじゃうよー……)

これ、イルカの心配をした火影サマが水晶で覗き見してないといいんですけどね。
(ありそうで怖い…^^;)
結局アスマ先生は今後もこのバカップルに振り回されてとばっちりを受けるハメになるのかも。
ごめんねーアスマ先生。


01/1/15〜2/5

 

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