逢魔ヶ時−4
残照が街の色を変えていく。 夕闇はすぐそこ。 正面から歩いて来る人の、姿はかろうじて見えるものの、顔はよく見えない。 ―――誰(た)ぞ、彼ぞ? 黄昏の語源といわれている問いかけの言葉。 昼から夜に移行するほんの僅かな時間を、人は情緒と畏れを込めて『黄昏』と呼ぶのだろう。 今日も真っ赤な夕日が沈み、辺りの景色は残照をまといながら静かな闇を待っている…… 「クジラ君」 「なあに? イルカせんせい」 「…そろそろ帰らないと、家の人が心配しないかな?」 小さなクジラ君は午前中の授業の後、イルカの袖をしっかり掴んだまま彼の行く先について回っていた。 イルカに小さな子供が懐いている光景は別段珍しくは無いので、さほど周囲の眼は引かない。 だがその間、人の耳を恐れたイルカはずっと『クジラ君』を見た目通りの小さな生徒扱いしていた。 「まだヘーキだもん」 イルカは微笑みを顔に張りつかせたまま、子供の方に屈んで耳元にこそっと囁く。 「ちょっと、いい加減変化解きませんか? カカシ先生」 「ヤでーす」 子供はあどけない顔でにっこり笑った。 「元に戻ると、誰かに見つかった時お仕事入れられちゃうかもしれないですもん。…そしたら、先生の側にいられない。……嫌です」 カカシは、一時でもイルカの側を離れたくなかった。 謎の突然死の原因が解明され、イルカに危険が及ばないとわかるまでは絶対に。 イルカは息をつくとカカシの身体を片腕で抱き上げた。 「……下向いて話していると首が痛くなるんで、失礼します」 得たりとばかりにカカシはイルカの首に両手を回す。 「この方がナイショ話しやすいからでしょ?」 カカシは軽くイルカの頬にキスした。 「こら」 イルカ先生は子供の親愛なる悪ふざけに笑ってみせる。 少なくても傍目にはそう見える光景だった。 「よーお、イルカ。隠し子かあ?」 構内を子供を抱いて歩いているイルカは幾度となく同じ冷やかしを言われていた。 その子供がイルカと同じ黒髪で、ちょこんと後頭部で髪を結んでいるのがミニサイズのイルカの様で、見ていて笑える所為だった。 イルカの歳でこのサイズの子供を持つのは不可能ではないが、かなり早熟でなければ無理だろう。 そして、間違ってもイルカはそう言うタイプではない。 それを承知で言う冷やかしには、当然悪意の欠片も感じられなかったので、イルカも苦笑いでかわしていた。 周囲も、生徒には優しいが不必要に甘やかす事のないイルカが抱いて歩いているからには何か訳があると察してそれ以上の追求はしてこない。 それらを全部イルカの腕の中で感じ取ったカカシは呟いた。 「う〜ん、イルカ先生の人徳ですね」 「は?」 「アスマあたりが子供抱いてたら、皆本気で隠し子説を疑いますよ、きっと」 「あっはは…アスマ先生、モテるんですね」 「女癖が悪いだけですよ」 他愛のない会話を交しながらも、イルカはしがみついているカカシが実は一時も気を緩めていない事に気づいていた。 絶えず周囲に気を配り、異常がないか視ている。 (……カカシ先生……) イルカはカカシを抱えている腕に少し力を入れて囁いた。 「………もう少しです。…今日はもう、明日朝一番の任務振り分けを受付所で引き継ぎをしたら帰れますから」 「イルカ先生…」 受付所の入り口でイルカはカカシを下に降ろした。 「ここにいる? それとももう帰るかい? クジラ君」 クジラ君ことカカシはん〜ん、と首を横に振った。 「先生と帰る。ここで待ってる」 「そっか。じゃ、ちょっと待ってろ」 イルカは少し前のナルトにしていたようにカカシの頭をくしゃりと撫でて受付所に入った。 その方が『彼の行動』としては正しかったから。 変化しているカカシには、その掌の感触は思いがけなく大きなもので―――カカシの胸を甘酸っぱいものが一瞬過ぎった。 昔、本当に幼かった半人前の忍者だった時、こうして頭を撫でてくれた人が自分にもいた。 こういう『手』が必要な子供は、いつでもいるのだ。 イルカが意識的にか無意識にか子供に対して行うこうした接触は、結果的にその子の心の中に何かの形として残る。 特に、親を亡くした子供にとって、頭を撫でてくれる『手』は必要だ。 それが決して自分だけのものじゃないのだとしても。 「イルカせんせ……」 カカシは口の中で小さく名前を呼ぶ。 やはり、暗殺を専門にしてきた自分などより、よほどあの人の方が里にとって『重要な』人間だと思うのだ。 それを本人に言えば絶対に否定の言葉が返ってくるだろうが。 『何言っているんです。貴方は貴方の、貴方にしか出来ない方法で里を守ってきたのでしょう?』 カカシはそっと笑った。 そう言うイルカの真剣な眼差しまでありありと思い浮かべることができる。 (…でもね、仮に貴方とオレが死んだとしたら、絶対に貴方の為に流される涙の方が多いはずですよ。…だからね……今回はオレに守らせて下さい。任務で、とかならともかく、あんな訳のわからない死に方なんてさせません…) カカシの脳裏に、検死した忍の遺体の様子が甦る。 苦悶の表情は無かった。 (……あれは…まるで……) 思考に沈みかけたカカシの頭に、再び暖かい掌がのせられた。 「お待たせ。…じゃあ、帰ろうか?」 カカシが上げた視線の先には、いつもの優しい笑顔。 大事な大事な、失いたくない愛しい笑顔。 「うん! 一緒に帰る」 カカシはその大きな手にしがみついた。 ―――――守って、みせる。 黄昏の道。 イルカはカカシの手を引いて歩く。 「…まだこのまま?」 「……もうちょっと」 イルカに『小さな生徒』扱いされるのは新鮮で面白くて、どこかノスタルジーを感じる。 カカシはもう少しだけこのままでいたかった。 アカデミーを出て、商店街に入るまでには結構距離がある。 イルカやカカシ達、中忍以上の者の宿舎は里の中を護るかのように里の外周近くにあるから、商店街を抜けないと彼らは自分の住まいに戻れない。 ゴミゴミと様々な建物が秩序無く並ぶ街中と違って、そこに至る道には田舎くさい自然がまだ残っている。 規模の小さい畑。 小さな子供が駆け回る草ぼうぼうの空き地。 道の脇に竹薮。 小川の流れ。 「あ」 カカシが足を止めて、小さなお地蔵様に手を合わせた。 イルカもカカシに倣って手を合わせ、二人して顔を見合わせ、笑う。 「…視点が低いんで気づきました。…きっと、いつもならこんな小さなもの目に入らない…」 確かに、上から覆い被さるように繁っている紫陽花の葉に隠れて、小さなお地蔵様は大人の視界からは死角になっていた。 「ああいうものに気づいたら、いつも手を?」 「んー…気まぐれにね。…今は、神仏に祈ってみたい気分ではありましたが」 (お地蔵様…この人を守って下さい。多くの子供の為に彼はなくてはならない人なんです。…この人を失いたくないからオレも頑張りますけど、出来ればちょっぴり運を下さい。) 常日頃は不信心者である男の勝手な願いを聞いてくれるほど神仏も甘くはないかもしれないが。 「気持ちの問題ですね。心の中で願いを言葉にする事によって、自分に喝を入れるんです」 カカシの言葉に、イルカは頷く。 「そういう部分もあるでしょうね。願掛けは」 本来、祈りは気休めだ。 気休めという言葉が悪ければ、精神安定剤。 信仰によって、自らを律する。 民間信仰の殆どはそんなものだろうとカカシもイルカも思っていた。 だからと言って、信心深い人々が神仏に手を合わせ、祈る姿をバカにする気はない。 「……時々、神様って本当にいるような気がするんですよね」 妖魔の類が実在する以上、それに対抗する存在がいてもいい。 「行きましょうか。こんな黄昏時は、神様じゃなくて妖しの方が出そうだ」 そう言ってカカシは立ち上がったが、イルカの返事は無い。 訝しく思ったカカシが見上げると、イルカは地蔵の向こう、竹薮の奥に目を凝らしていた。 何を見ているのかとカカシは竹薮に目を向けたが、紫陽花の葉が邪魔をして、今のカカシの視点ではイルカの見ているものが見えない。 「イルカ先生…?」 イルカはカカシには応えず、竹薮に向かって一歩踏み出した。 「………何ですか? どうか、しましたか…?」 明らかにイルカはカカシではなく、竹薮にいる『誰か』に声をかけている。 カカシには、竹薮に誰かいる気配は感じ取れなかった。 「…何ですか? よく聞こえなくて……」 イルカは更に竹薮に入ろうとする。 肌が粟立ったカカシは咄嗟にイルカの手を掴んで引き止めた。 何故なら、敏感な聴覚を持つカカシの耳に、イルカが聞いたはずの『誰かの声』は全く聞こえなかったのだ――― |
◆
◆
◆
結局ここではカカシ先生、クジラちゃんになりっぱなし。 そこはかとなく親子。 イルカが子供に変化したシーンを書いた時も思ったんだけど、こういう時って、体重はどうなってんだろう。 ・・・大手裏剣に変化したナルトを、サスケが軽々と片手で振り回してたとこ見ると・・・むうう・・・ (NARUTOは深く考えると不幸になるんだってばよ・・・) |